『言語起源論』(執筆年不明)


序文草案
二つ目の小論も最初は不平等に関する論文の断片にすぎなかったが,長すぎるし場違いだとして私がそれから切り離したものである.私はこれを「音楽に関するラモー氏の誤謬」を機会にもう一度取り上げたが,この表題は,私が削除した二語は別として,著作の内容を完全に表している.しかしながら,一つの言語でさえやっと知るか知らぬかという程度なのに諸言語について論ずるのはばかげているという思いに捉えられ,その上この小論のできにもほとんど満足できなかった私は,読者の注意を喚起するに値しないものとして廃棄することに決めていた.ところが,文芸を育て保護しているある高名な司法官がこれを私よりも好意的に考えてくれた.そこで,だれでも当然そう思うことだが,私は喜んで私の判断を彼の判断に従わせることにし,この小論だけなら出版という危険を冒す勇気はなかっただろうが,他の二つの著作のおかげで,この小論を出版してみようと思う.

『言語起源論─旋律と音楽的模倣についての論考を含む─』

第一章
「われわれの考えを伝えるさまざまな手段について」

言葉をもっているかどうかが動物の中で人間を区別する.さらにどんな言語をもっているかが諸国民の区別となる.したがって,人間は喋ってみないと,どこの出身か分からない.慣習と必要から,各人はその国の言語を身につける.だが,いったい何によって,ある言語はこれこれの国の言語ではあるけれども,他の国の言語ではないのだろうか? それを言おうとすれば,その地域に密接に関連していて,習俗そのもの以前から存在する何らかの理由にまで遡らねばならない.言葉は最初の社会制度であるので,その形成は自然にもとづく原因だけに依っているからである.
ある人間が他の人間から自分とよく似て,感じたりものを考えたりする存在だと認められると,すぐにその人にたいして自分の感じたことや考えたことを伝えたいという欲求や必要が生じ,そのための手段を探させることになった.そのための手段は,感覚からしか引き出すことができない.なぜなら感覚は,ある人間が別の人間にたいして働きかけることを可能にする唯一の道具であるだからである.こうして観念を表現するための感覚にもとづく記号の制度ができあがった.言語を考案した人たちはこのような推論を行ったわけではなく,本能的にそのような結果を思いついたのである.
他者の感覚に働きかけることを可能にする一般的な手段は,二つ,つまり動きと声に限られる.動きによる作用は接触による直接的なものと,身振りによる間接的なものがある.前者は腕の長さに限界があり,遠くには伝えられないが,後者は視線が届く限り遠くまで達する.したがって,分散していた人間のあいだで使われる言語を受容する器官としては視覚と聴覚だけが残ることになる.
身振りによる言語と声による言語はともに自然なものではあるけれども,前者の方が簡単で,約束事に依存することが少ない.というのは,われわれの耳よりも眼の方を刺激する対象の方が多いし,形には音よりも変化が多いからである.形の方が表現力があるし,より短い時間により多くのことを表現するからである.恋はデッサンの生みの親だと言われる.恋は,また言葉の生みの親でもあったかもしれないが,もっと不運だっただろう.というのは恋は言葉に満足せず,言葉を軽蔑し,もっと生き生きと自分を表現する手段をもっているからだ.恋する男の影をあれほどの喜びをもってなぞっていた女性は,彼のなんと多くのことを語っていたことだろう! この棒の動きを表現するためにもし音を使っていたら,いったいどんな音が使えたというのだろうか?
現代の身振りはわれわれの生まれつきの不安以外にはなにも意味していない.私が取り上げたいのはこんな身振りのことではない.喋りながら身振りをするのはヨーロッパ人だけである.まるで彼らの言語の力のすべてが腕の中にあるようだ.かれらはそれに肺の力を付け加えるが,こういったものはどれもほとんど彼らの役には立っていない.あるフランク人がたくさんの言葉を言おうとして,懸命に努力して身をねじ曲げているときに,トルコ人は口から一瞬パイプを離して,低い声で二言口にし,警句一つで彼をうち負かしてしまう.
われわれは身振りをすることを覚えてからというもの,パントマイムの術を忘れてしまったが.同じ理由で,われわれは多くの素晴らしい文法をもっていながら,エジプト人の象徴をもはや理解できない.古代人がもっとも生き生きと表現できたのは,言葉によってではなく,記号によってであった.口にしたのではなく,示したのである.
古代史を繙いてみると,眼にたいして論じるこのような方法がいっぱいあることが分かるし,このような方法はいつでも,それらの代わりに発することができたかもしれないどんな言葉よりも確実な効果を必ず生み出すものなのである.喋るよりも前に事物が差し出されると,それが想像力を揺さぶり,好奇心をかき立て,精神をどっちつかずで,これから何が言われるんだろうかと待ちかまえる状態に置く.イタリア人やプロヴァンス地方の人々が通常は言葉よりも身振りの方を先行するのは,こうすればもっとよく聞いてもらえるし,もっと喜んで聞いてもらえると考えているからだということに,私は気づいた.だがしかし,もっとも力強い言語というのは,喋るよりも前に記号がすべてを語ってしまう言語である.タルクイニウスやトラシュブロスはけしの頭を打ち落とすことで,アレクサンドロスは寵臣の口に封印をすることで,ディオゲネスはゼノンのまえを歩いてみせることで,言葉よりももっとうまく語っていたのではないだろうか? これと同じだけの観念を同じくらいうまく表現するには,どれほど長々と言葉を連ねなければならなかったことだろう? その軍隊を率いてスキタイに侵攻したダレイオスはスキタイの国王から一匹の蛙,一羽の鳥,一匹のネズミ,ご本の矢を受け取る.使者は黙ってその贈り物を差し出し,立ち去る.その恐ろしい弁舌は理解され,ダレイオスはできるだけ早く国に戻るしかなかった.これらの記号に手紙を置き換えてみよう.その手紙の中身が脅迫めいていればいるほど,実際に恐怖を与えることは少ないだろう.それはもはや大言壮語でしかなく,ダレイオスは笑い飛ばすだけだっただろう.
エフライムのレヴィ人が妻の死の復讐をしようとしたが,彼はイスラエルの部族に一言も書き送らなかった.彼は死体を12個に切り分け,それを彼らに送った.この恐ろしい光景を見て,彼らは武器を取り,一気にこう叫んだ.「われらの祖先がエジプトを出たときから今日まで,イスラエルにこんなことは一度も起きたことがなかった」.こうしてベニヤミンの部族は皆殺しにされたのである*.現代なら,事件は弁論に付され,議論され,そしてたぶん冗談にされて,いつまでも延々と長引き,もっとも恐ろしい犯罪が最後には無罪になってしまっただろう.サウル王も耕作から戻ると,鋤を引いていた牛たちを同様にバラバラにして,同じような印として用いて,イスラエル人をヤベシの町を救いに生かせた.ユダヤの予言者たち,ギリシャの立法者たちは,しばしばはっきりと分かる事物を人々に示すことで,長い演説によってよりも,その事物によってもっと上手に語ったのだし,アテナイ人の伝えるところでは,弁士ヒュペレイデスは一言も弁護の言葉を言わずに遊女フリュネの許しを勝ち取ったが,そのやり方はそれもまた一つの無言の雄弁であり,その効果はいつの時代でもよくあるものだ.
*600人の男たちが残っただけで,女も子どもも残らなかった.
したがって音で聞くよりも,目で見る方がずっとよく伝わる.この点に関しては,ホラチウスの判断の真実さを感じない人は一人としていないだろう.もっとも雄弁な論述はもっとも多くのイメージを含んでいるものである.音は色彩と同じ効果を発揮するときにしか,力強さをもつことはない.
しかし心を感動させ,情念をかき立てることが問題になると,話はまったく違ってくる.話し言葉の持続的な印象は,倍の力で訴えかけるので,事物を目の前において,一目ですべてのものが見えてしまう場合とは異なった感動を与える.苦しんでいる人を見ても,隅々まで事情を知っていると仮定すると,泣くほどまでには心動かされることは無理だろう.だが,その人が感じていることをすべて話す時間をあげてみなさい.まもなく涙が溢れてくるだろう.悲劇の場面が効果を生み出すのは,まさにこのようにしてである*.パントマイムだけで言葉がない場合,あなたは落ち着いたままでいるだろう.それに対して,話し言葉は身振りがなくても涙を流れさせることになる.情念にはそれぞれの身振りがあるが,それぞれのアクセントをもっており,そのアクセントこそがわれわれの心を震えさせるし,アクセントには器官にふたをすることができないので,アクセントは心の奥まで入り込んで,われわれの意志に反して,このアクセントを引き起こした心の動きを心にまでもたらし,その結果,われわれが聞いたことをわれわれに感じさせることになる.目に見える印は模倣をもっと正確にするが,関心は音によっての方がもっとかき立てられると結論しよう.
*見せかけの不幸がなぜ実際の不幸よりもわれわれを感動させるのかということについて,私は他のところで述べた.日常生活ではどんな不幸な人にも同情したことのないような人でも悲劇を見てすすり泣く.演劇の発明は,われわれのもっていない徳をもっていると思わせてわれわれの自尊心をくすぐる点で,素晴らしいものだ.
以上のことから私は次のように考える.もしわれわれが身体的な欲求しかもっていなかったら,決して話すようにはならず,身振り言語だけで完全に理解し合えるようになっていただろう.われわれは現在の社会とはほとんど違わないが,目的にもっと適った社会を建設することができただろう.われわれは,法律を制定したり,首長を選んだり,諸技術を考案したり,商業を確立したり,要するに現在言葉を用いて行っているのとほとんど同じことをすることができただろう.サラムという手紙語**は,もっとも警備の厳しいハーレムの中へ,嫉妬深いものたちを怖れず友,東洋風の雅さをもった秘密の文を届けてくれる.またトルコの領主に使える口の利けない者たちは互いに意志疎通できたし,話し言葉によるのとまったく同じように,印によって相手の言っていることを何でも理解した.ペレール氏や,彼と同じく,口の不自由な人たちに話すことだけでなく,何を言っているのか理解することを教えている人々は,彼らにあらかじめ別の言語を教えておかなければならない.この言語だっておとらず複雑なのだが,その言語の助けがなければ,先の言語を彼らに理解させることができないからである.
**サラムというのは,オレンジ,リボン,石炭などといったもっともありふれた多数のもののことで,そういった品物を送ると,この言語が使われている地域では,その品物がどの恋人でも分かる意味をもつのである.
シャルダン(p.5)は,インドの密売商人たちは互いの手を取り合って,誰にも分からないようにして触りかたを変えることで,公然と,しかし秘密裏に,一言も言葉を使わないで,どんな商売の取引でもやってしまうと述べている.盲目で,聾唖の商人がもしいたとしても,彼らのあいだではそうでない人に劣らずお互いをよく理解し合うだろう.このことから分かることは,われわれが相手に働きかけるために用いる二つの感覚のうち,たった一つだけでも言語を形成するには十分だということである.
同じような考察から,観念を伝える技術の発明というのは,このコミュニケーションのためにわれわれの役に立つ器官によりも,人間に固有の能力にかかっているのであって,その能力が人間の諸器官をこの目的のために使わせるのであり,もしそれらの器官がなかったとしても,その能力のおかげで,人間は同じ目的のために他の器官を使うことになるだろうと思われる.何でもいいからまったく粗野な器官を人間に与えてご覧なさい.人間が獲得する観念は減ることは疑いない.しかし,人間たちのあいだに,働きかけたり感じたりすることを可能にするような何らかのコミュニケーション手段がありさえすれば,彼らはどんな観念でも伝え合うことができるようになるだろう.
動物はこのようなコミュニケーションのためには十分すぎる身体組織をもっているのだが,いかなる動物もそれをこの目的のために使うことがない.思うに,ここに際だった相違がある.集団で働き生活している動物,ビーバー,蟻,蜂は相互に伝達するための何らかの自然言語をもっている.この点ではまったく疑いないことだ.ビーバーの言語や蟻の言語は身振りなので,眼にしか語りかけないと考えるてもいい.いずれにしても,どちらの言語も自然なものなので,習得されるものではない.それを使う動物は生まれたときからそれをもっており,その種のすべての動物がもっていて,しかもどこでも同じ言語をもっている.決して変えることはないし,ほんの少しの進歩さえももたらすことはない.約束による言語は人間しか持っていない.そういうわけで,人間は良かれ悪しかれ進歩するが,動物は進歩しない.たったこれだけの違いが,先に行くと大きな違いになる.この違いは器官の相違によって説明されると言う人がいる.はたしてそれで説明できるのか,興味のあるところだ.

第二章
言葉の最初の発明は必要ではなく,情念に由来するということ

したがって,欲求が最初の身振りを引き出し,情念が最初の声を引き出した考えるべきである.この区別をもとにして事実の跡を追ってみると,今までとはまったく違った方法で諸言語の起源について推論しなければならないだろう.われわれが知っている最古のものである東洋の諸言語の特質は,それらが作られていく過程において教育的な進みかたをしたのではないかという一般の想像を完全に否定している.これらの諸言語には整然としたところや論理的なところは全くない.生き生きとして比喩的である.最初の人間の言語は幾何学者の言語だと見なされているが,詩人の言語であったということが分かる.
そうであったに違いない.ものを考えることからではなく,感じることから始まったのである.人間はその欲求を表現するために言葉を発明したと言われる.だが,この意見は私には支持しがたいと思われる.最初の欲求から生じる自然な結果は,人間を遠ざけることであって,近づけることではない.そうであればこそ,人間は広がって,急速に地上のあちこちに人が住むようになったのである.そうでなかったら,人類は世界の一角にぎゅうぎゅう詰めになり,それ以外の所はすべて無人ということになっていただろう.
このことからだけでも,諸言語の起源は人間の最初の欲求にもとづいていたのではないということが明らかである.人間を遠ざける原因になるものから,人間を結びつける手段が出てくるというのはおかしなことであろう.では,いったいどこに起源があるのだろうか? 精神的欲求であり,情念である.すべての情念は,生活の糧を求める必要から互いに遠のいていく人間を近づける.人間に最初の声を出させたのは,空腹でものどの渇きでもなく,愛情,憎悪,憐憫,怒りであった.果物はわれわれの手から逃げるものではなく,ものを言わなくても食べることができるし,たらふく食べてみたい獲物は黙ったままで追跡できる.だが,若い心を感動させたり,不当に攻撃する者を撃退するためには,自然はアクセント,叫び声,うめき声を出させる.これこそ作られた言葉のもっとも古いものである.そういう理由から,最初の諸言語は,単純で整然としたものとなる前に,歌うようで,情熱的だったのである.以上のことがおしなべてどれも真実だったわけではないが,この点についてはまた後で触れるつもりである.

第三章
最初の言語は比喩的であったに違いないこと

人間に喋らせることになった最初の動機は情念にあったので,人間の最初の表現は譬えであった.比喩的な言語が最初に誕生したのであり,本来の意味は最後に見いだされたのである.事物がその真の名称で呼ばれることになるのは,事物がその本当の姿のもとに見られるようになったときでしかない.最初は,人はもっぱら詩の形でのみ語っていた.理性を働かせることを考えるようになったのは,ずいぶん後になってからのことである.
ところで,ここで私は,読者が私を遮って,比喩というものは意味の転移に他ならないのだから,どうしてある表現が本来の意味をもつ前に比喩的になることが可能なのかと私に尋ねるだろうということがよく分かる.それは認めよう.だが,私のいうことを理解するためには,われわれが置き換える語の代わりに,情念がわれわれに提示する観念のほうを取らねばならない.というのは,われわれが単語を置き換えるのは,観念もいっしょに置き換えるからに他ならない.そうでなかったら,比喩的言語ははなにも意味しないことになるだろう.したがって,私は例を使って答える.
未開人が他の未開人と出会えば,最初は怖れたことだろう.恐怖心のためにこれらの人間が彼には自分より大きくて強いと見えただろう.そこで彼はこの人間たちに「巨人」という名称を与えるだろう.たくさんの経験をした後に,彼はいわゆる「巨人」が彼以上に大きいわけでも強いわけでもないということが分かり,この人間たちの規定は巨人という語に彼が最初結びつけていた観念に一致しなくなる.そこで彼は他の人間にも彼にも共通する別の名称,たとえば「人間」という名称を考えつき,「巨人」という名称はかつて彼が幻を見ていたあいだ彼をびくつかせていた偽りの対象に残しておくだろう.以上が,情念がわれわれの目をくらませ,情念がわれわれに与える最初の観念が正しい観念ではない場合に,比喩的な語が本来の語よりも先に生まれる次第である.語と名称について述べたことは,文の言い回しについても簡単に言える.情念によって与えられる偽りのイメージが最初に現れる,そのイメージに対応した言語が最初に作られる.ついで,それは精神が照らされ,最初の間違いを認め,そのような表現はそれを生み出したのと同じ情念のなかでしか使わないようになると,それは隠喩的になる.

第4章
最初の言語の特徴とそれが被ったに違いない変化について

単純な音は自然と喉から出てくるし,口は自然と開かれる.だが,音節を分けるための舌と口蓋の変化には注意力と訓練が必要とされ,そうしようと思わなければできるものではなく,どの子どももそのような変化のしかたを学ぶ必要があり,かなりの子どもは簡単にはそれができるようにならない.どの言語でも,もっとも生き生きとした感嘆の声は分節化されておらず,叫びや呻き声も単純な声である.聾者は唖者でもあるが,彼らは分節化されない音しか出せない.ラミ神父は,もし神が人間に話すことをはっきりと教えていなかったら,人間は分節化された音を考えつかなかっただろうとさえ考えている.音節の分け方は少数であるが,音は無限にあり,それを際だたせるアクセントもどうようにいくらでも増やすことができる.音楽の音符はすべて同じだけのアクセントを意味する.たしかにわれわれは言葉の中に三つか四つのアクセントしかもっていないが,中国人はもっとたくさんのアクセントをもっているが,反対に彼らは子音が少ない.組み合わせの元として,それ以外に,拍子と長短を加えれば,もっとも豊かな言語が必要とする以上の単語だけでなく,それ以上の多様な音節さえももつことになるだろう.
もし最初の言語がまだ存在していたら,それは語彙や統辞法とは別に,他のすべての言語からそれを区別するような本源的な性格を残しているだろうということを私は疑わない.この言語の言い回しはすべてイメージや感情や比喩によるものであるに違いないが,その仕組みの部分では,それは最初の対象に対応して,伝えられたがっている情念のほとんど避けがたい印象を感覚や悟性に提示するものに違いない.
自然の声は分節化されていないので,語はほとんど分節をもたないだろう.いくつかの子音が挟まれて,母音衝突を避け,それだけで語をなめらかで発音しやすくするのには十分だろう.反対に,音は非常に変化に富んでいるし,多様なアクセントが同じ声をいくつにも増やすだろう.長短やリズムも新たな組み合わせの源となるだろう.その結果,自然のものである声,音,アクセント,階調は,約束事のものである分節の入り込む余地をほとんど残さないので,人は話すかわりに歌うだろう.根源的な語の大部分は情念のアクセントの模倣とか,感覚に訴えてくる事物の印象を模倣した音であるだろう.そこでは擬音語(オノマトペー)がたえず感じられるだろう.
このような言語には同じものをそのさまざまな関係から表現するために同意語がたくさんできるだろう*.それに対して同じ関係をまとめて表現するような副詞とか抽象語はほとんどないだろう.長い文章にリズムを与え,文章に丸みを与えるための拡大辞,指小辞,合成語,虚辞がたくさんできるだろう.不規則な変化や変則的な用法も多いだろうが,口調,階調,調和や音の美しさを大事にするために文法的な類比は無視されるだろう.議論のかわりに,格言がたくさんあり,説き伏せるのではなくて納得させ,理性に訴えるのではなくて描いてみせるだろう.このような言語はある点では中国語に似ているし,別の点ではギリシャ語に,また別の点ではアラビア語に似ている.このような考えをその枝葉にまで押し広げてみれば,プラトンの『クラチュロス』は見かけほど滑稽なものではないということが分かるだろう.
*アラビア語はらくだを意味する語が千以上,剱を意味する語が百以上あるらしい.

第5章
文字について

歴史と言語の進展を研究しようとする人はだれでも,音声が単調になればなるほど,子音の数が増えること,アクセントが消え,長短が平均化するので,それを文法的な組み合わせや新しい分節音によって補っているということなどが分かるだろう.しかしこのような変化が起こるのは,時の力に他ならない.欲求が増大し,仕事が複雑になり,知識が広がるのに応じて,言語はその性格を変える.もっと正確なものになるが,情熱的でなくなる.感情のかわりに観念を持ち込み,もはや心に語りかけるのでなく,理性に語りかけるようになる.まさにそのようにして,アクセントは消え去り,分節音が増え,言語はより正確で,より明晰になるが,より引きずるようで,より重々しく,より冷たくなる.このような進展は私にはまったく自然なことだと思える.
諸言語を比較し,それらの古さを判定する別の方法は,文字を比較するもので,古さはこの技術の完成度とは反比例する.文字がおおざっぱであればあるほど,その言語は古い.文字を書く最初の方法は音を描くのではなく,対象そのものを描くことにある.メキシコ人がやっていたように,直接描いたり,あるいはエジプト人がかつていていたように,寓意的な形象によって描くことである.この段階は情熱的な言語に対応しており,すでに何らかの社会と情念が生み出した欲求とが存在することが想定される.
文字を書く二番目の方法は,約束のもとづく文字によって語や文を表すもので,これが可能になるのは,言語が完全に出来上がり,国民全体が共通の法律によって統一されている場合だけである.というのはこの場合には二重の約束事があるからである.中国人の文字がこれにあたる.これは音を描くとともに,眼にも訴えかける.
   文字を書く三番目の方法は,言葉の音声を声音単位であれ,分節単位であれ,一定数の基本部分に分解し,どんな語でもどんな音節でも思いつくままに形成することができるようにするものである.私たちの言語の方法であるこの文字の書き方は,いくつもの国々を行き来し,いくつもの言語を使わなければならなかったので,どんな言語にも共通する文字を考えつかざるを得なかった商業民族が思いついたものに違いない.これは言葉を描くのではなく,分析するものである.
これら三つの表記法は,民族を形成する人間たちを考察した場合の三つの異なった状態にかなり正確に対応している.対象を描くというのは野蛮な民族にふさわしいし,語や文の記号化は野蛮な民族に,アルファベットは開化した民族にふさわしい.
したがって,最後の表記法の発明はこれを考案した民族がもっとも古いということの証明になると考えてはならない.反対に,それを見つけた民族は他の言語を話す他の民族とのコミュニケーションをもっと簡単にしたいと考えたのであり,この民族が相手にした民族は少なくとも同時期の民族か,もっと古い民族であったというのが妥当なところであろう.他の二種類の表記法については同じことは言えない.だが,はっきり言って,歴史と既知の事実に頼るなら,アルファベットによる表記は他の表記法と同じくらい古くまでさかのぼれるだろう.しかし,無文字時代の記念碑が私たちには欠けているのは驚くべきことではない.
言葉を基本的な記号に分解しようと考えた最初の人々が,最初から正確な分割を行ったとはほとんど考えられない.後になってその分析の仕方の不十分さに気づいたとき,ギリシャ人のようにアルファベットの文字を増やした人々もいれば,位置や組み合わせの違いによって意味とか音に変化を与えるだけで満足した人々もいた.ペルセポリスの廃墟の碑文は,シャルダンが写し取った拓本によると,このようなものであったと思われる.そこには二つの図形ないしは字形*しか識別できないが,それらはさまざまな大きさのものがあり,さまざまな向きに向けられている.ほとんど恐ろしくなるほど古代の未知のこの言語は,文字の美しさ*とこれらの碑文が刻まれている素晴らしいモニュメントが予想させる技術の完成度から判断すると,当時すでに立派にできあがっていたにちがいない.これらの驚くべき廃墟についてこれほどほとんど触れられないのはなぜなのか私には分からない.シャルダンの著作の中でこの碑文についての記述を読んだときに,私は別の世界に飛び移ったような気がした.こういったものは私たちの想念を烈しくかき立てるように思われる.
*シャルダンは次のように言う.たった二つの図形でこれほどたくさんの文字を作れることに人々は驚いているが,私に言わせれば,23個ある私たちのアルファベットの文字は直線と円形という二つの線だけから構成されており,,つまり C と I だけで私たちの単語を構成するすべての文字を作れるのだから,どうしてこれほど驚くことがあるのか私には分からない.
*「この字形はたいへん美しく,雑然さや野蛮なところは少しも見られない....文字には金が塗ってあったように見受けられる.実際,そのうちのいくつか,とりわけ大文字には金が残っているようであって,幾世紀にもわたるのに大気がその金を腐食できなかったという事実には,確かに簡単に値する不思議な何かがある....もっとも世界中の学者のだれ一人として,この文字については何事も理解できていないのだが,これはさして不思議ではない.というのはこの文字は,私たちが今までに知り得た文字のどれとも,一つとして似た点がないからである.現在知られているすべての文字は,中国のを除いて,相互に多くの類似点があり,同じ源から発しているように思われる.その点でさらに驚くべきことは,古代ペルシア人の流れを汲み,その宗教を守り続けている拝火教徒も,この字形については私たちと同様に知らないばかりか,彼らの字形も私たちのものと同様,それとは少しも似ていないのである....そこでまず,これは秘密結社の文字であると考えてみるのだが,これはあまり本当らしくない.というのもこの字形はいたるところにある建造物に共通してごく普通に見られるものであって,また同じ鑿で彫られた別の字形がないからである.とすればあとは,これはたいへん古いものであり,私たちにはとうていその古さを指摘できるようなものではないと考えてみるより他にはない.」 実際,シャルダンはこの一節に関して,キュロス王やマージ僧の時代にはこの文字はすでに忘れ去れており,今日と同じくらい完全に分からなくなっていたと推定をしている.
書く技術は話す技術の必然的な結果ではまったくない.書く技術はまったく別の性質を持った必要性の結果であり,そうした必要性の発生は,その民族の古さとはまったく無関係な諸条件によって早かったり遅かったりするし,したがって非常の古い民族においてもそうした必要性が一度も生じなかったということもあり得るだろう.いったい何世紀のあいだ象形文字の技術がエジプトの唯一の表記の仕方だったのかだれにも分からないが,もっと不便な表記法をもっていたメキシコ人の例からも分かるように,はっきりしていることは,このような表記の仕方だけでも開化された民族にとっては十分でありうるということだ.
コプトのアルファベットをシリアかフェニキアのアルファベットと比べてみると,前者は後者から由来したものだということが簡単に分かるし,フェニキアのアルファベットが元になっていて,これに関しては,新しい民族のほうが古い民族に教えていることになるが,別に驚くことではないだろう.ギリシャのアルファベットはフェニキアのそれから由来していることもまた明白であるし,それが当然であるとさえ考えられている.フェニキアからそれをもたらしたのがカドミュスであれ他の誰かであれ,ギリシャ人がアルファベットを求めていったのではなくて,フェニキア人自身がそれをもたらしたのだということは,いずれにしても確かなようである.というのはアジアとアフリカの諸民族の中で,ヨーロッパで交易をしていたのはフェニキア人が最初で唯一の民族**だったので,ギリシャ人がフェニキア人のもとへ行ったと言うよりも,むしろフェニキア人がギリシャ人の所へやってきたのである.だからといって,ギリシャ民族がフェニキア民族ほど古くはなかったということの証明にはまったくならない.(pp.386-387) **カルタゴ人は,テュロスの植民であったのだから,フェニキア人の中に入れることにする.
当初は,ギリシャ人はフェニキア人の文字を採用しただけでなく,右から左方向に行を並べる方法も採用した.その後,彼らは畝づくり式の書き方,つまり左から右へ引き返し,さらに右から左へと交互に書く方法を思いついた*.最後に,彼らは今日のようにどの行も左から右へと改行するやり方で書くようになった.この進歩には自然なところがまったくない.畝式の書き方は文句なく読むのにもっとも便利である.印刷が始まったときにこの方式が確立されなかったのは私には不思議だが,手で書くには書きづらいので,写本の増加とともに廃れたのに違いない.
*パウサニアス『アルカディア誌』を見よ.ラテン人たちは初期には同じような書き方をしていたし,マリウス・ヴィクトリヌスによれば,versus(文の一行)という語は,それに由来している.
ギリシャのアルファベットがフェニキアのそれに由来するからと言って,ギリシャ語がフェニキア語から由来しているということにはならない.こうした定理は相互になんの関係もない.ギリシャ語は当時でもかなり古かったが,書く技術はギリシャ人のもとでは新しく,しかも不完全でさえあったらしい.トロイの包囲の時代までは,ギリシャ人が文字をもっていたとしても,16の文字だけであった.パラメデスが四つ,シモニデスがさらに四つの文字を追加したということである.以上のことは少々古い話である.反対にラテン語は,もっと新しい言語で,誕生したときからすでに完全なアルファベットをもっていたが,初期のローマ人はそれをほとんど使うことがなかった.彼らが自分たちの歴史を書き出したのはかなり後になってからだったし,五年ごとの戸別調査は釘で印を付けただけのものだったからである.
それに,文字あるいは言葉の単位の数が絶対的に決まっていたわけではない.言語によって,また声と子音に加わるさまざまな変化によって,それらを他より多く持つ民族もあれば,その逆の民族もある.母音には五つしかないと言う人々は間違っている.ギリシャ人は母音を七つ,初期のローマ人は六つ書いていたし**,ポール=ロワヤルの諸氏は10,デュクロ氏は17あると言うが,それらが被るさまざまな変化に耳がもっと敏感になり,口がもっと鍛えられていたら,間違いなく,もっとたくさんの母音ができていただろう.期間の繊細さに応じて,鋭いaと重いoのあいだ,iと開口のeのあいだでの変化が多かったり少なかったりするだろう.このことは,ある母音から別の母音に連続した微妙な差のある声で移るときに,だれによっても感じられるものである.というのは,慣れによって生じる敏感さの違いに応じて,こうした微妙な変化を捉えて,特殊な文字によって表すことができるかどうかにも違いが生じるからである.器官というのは知らず知らずのうちに言語に合わせて形成されるものなので,このような慣れというのも,母音の種類いかんによって決まってくるのである.同じことが分節された文字や子音についても言える.だが,ほとんどの国では文字を増やすということをしてこなかった.彼らは他からアルファベットを借りてきて,他と同じ文字でまったく別の音声や分節音を表してきた.どんなに綴り字が正しく書かれていても,自国語以外の言語は,よほど習熟していない限り,いつもおかしな読み方をしてしまうのはそのためである. **マルティアヌス・カペラ,De nuptiis Mercurii et Philologiae, livre III,「母音はギリシャ語では7,ラテン語では6とされているが,後には,ギリシャ語のように,一度放棄されて,慣用上は5しかないことになっている.」
文字というのは,言語を固定するもののように思えるが,言語を変質させるものである.文字は単語を変質させるのではなく,その本質を変えてしまう.文字は表現力のかわりに正確さを重視することになる.人は喋っているときには感情を伝えようとし,書いているときには観念を伝えようとする.書くときには,どの語も一般的な意味で使わざるを得ない.しかし,喋っている人は,語調によって意味を変化させ,自分の好きなように意味を決める.明晰であろうとする気がねが少なければ少ないほど,力がこもるものなので,話されるだけの言語がもっている生気を,書かれた言語が長く保っていることはあり得ない.音声を文字にするのであって,響きを文字にするのではない.ところで抑揚を持つ言語では,言語の最大の力強さを生み出しているのは,あらゆる種類の響き,アクセント,抑揚である.それらはまた文を,それが置かれた場所にのみふさわしいものにすることで,だれにも分かるものにする.それを補うために用いられる手段は書かれた言語を引き延ばし,言説のなかに書物を持ち込むことになって,言葉そのものの力を弱めることになる*.どんなことでも書くときと同じような語るとすれば,もはや話しながら読んでいるにすぎないことになる.
*これらの手段の中で,この欠点を持たない最良の手段は句読点だが,ただしもっと完全な形にした場合でのことである.たとえば,なぜ私たちには呼びかけ符がないのだろうか? いま用いられている疑問符はずっと必要性がすくない.というのは,文の構造を見れば,それだけで疑問文なのかそうでないのかが,少なくともフランス語でははっきりしているからである.Venez-vous(来ますか)とvous venez(あなたは来る)は同じものではない.だが,ある人間の名前を挙げているのか,呼んでいるのかを,書き言葉ではどうやって区別したらいいのだろうか? これこそ呼びかけ符があれば取り除ける曖昧さである.皮肉の場合にも,アクセントが感じ取れるようにしてくれなければ,同じように曖昧になる.

第6章
ホメロスが文字を書くことを知っていたということがありうることかどうか

   ギリシャ語のアルファベットの発明についていろいろ言われているけれども,私は一般的に言われているよりもそれはずっと新しいものだと考えており,私のこの考えは主としてギリシャ語の性格をもとにしている.ホメロスに書くことができたということだけでなく,彼の時代に文字があったということにたいする疑いの念を何度も私はいだいてきた.だがまったく残念なことに,この疑いは『イリヤッド』のなかのベレロポンテーヌの物語によってまったく明白に否定されている.だが,私はアルドゥアン神父と同じく運の悪いことに自分の逆説に少々固執しているので,もし私がもっと知識があれば,この点に関する私の疑いをこの物語そのものにも広げて,あれはホメロスの編集者たちがたいした検討もせずに挿入したものだと非難しようという気になるところだろう.『イリアッド』の他の部分には書く技術の痕跡がほとんど見られないだけでなく,あえて言えば,『オデュッセイア』の全編はたった一通か二通の手紙があれば煙と化してしまうような愚かでばかばかしい言動の連続でしかないが,それにたいして,その主人公たちが文字を知らなかったと仮定すれば,この詩は理屈にあった,かなり筋の通ったものになる.もし『イリアッド』が書かれたものであったとしたら,ずっと歌われることは少なかっただろうし,吟遊詩人たちももっと人気がなかっただろうし,数も少なかったことだろう.これほど歌われた詩人はない.ただヴェネチアのタッソーは別であるが,彼の場合もあまり読書家とは言えないゴンドラの船頭たちによって歌われた.ホメロスによって使われたさまざまな方言からも非常の強力な憶測が可能になる.話し言葉では区別できる方言も,文字にすると同じようになって混同される.すべてが知らず知らずのうちに共通の型へと向かって行くからである.ある国民が読むことができ教養がつけばつくほど,その方言は消え去っていき,ついにはそれらはほとんど読み書きのできない民衆のあいだで隠語のような形で残るだけになる.
   ところでこの二人の詩人はトロイの攻囲よりもあとの時代の人たちなので,この攻囲を行ったギリシャ人たちが文字を知っていたかどうか,またこれを歌ったこの詩人が文字を知らなかったのかどうかは明らかではない.これらの詩は長い間人々の記憶にのみ刻まれていたし,ずっと後になってからたいへんな苦労をして書物として集められたのである.ホメロスの詩の魅力が他のものと比較して感じられるようになったのは,まさにギリシャ中が書物や書かれた詩で溢れかえりはじめたころである.他の詩人はみんな詩を書いていたが,ホメロスだけが歌った.そしてこれらの崇高な歌を聞いても魅力がなくなったのは,ヨーロッパが全土を征服した野蛮人たちが,自分たちには感じることができないものを判断しようと首を突っ込んでくるようになってからのことである.

第7章
近代の韻律法について

声によってと同じくらい響きによっても語りかけるような響きがあって階調をもった言語については,私たちはまったく思いもよらない.アクセントによって抑揚の不足を補えると考えるならば,それは間違っている.アクセントが考案されたのは,抑揚がすでに失われた後のことでしかない*.それ以上のことがある.私たちの言語にはさまざまなアクセントがあると私たちは信じているが,そんなものはない.私たちの言っているアクセントというのは母音あるいは音の長短の記号にすぎないのであって,響きの変化を示すものでは全くない.その証拠に,私たちの言うアクセントは声の多様さをつくりだす時間の長短,唇,舌,口蓋の形の変化によって生じるものであって,響きの多様性を作り出す声門の変化によって生じるものではない.したがって私たちのシルコンフレックスはただの音でなければ,長い音であるか,あるいはまったくなんでもない.では,ギリシャ人のもとではシルコンフレックスはどうなっていたかを見てみよう.
*何人かの学者は一般的な意見やあらゆる古い写本にもとづく証拠に反対して,ギリシャ人は文字においてアクセントと呼ばれる記号を知っていたし,使ってもいたと主張しており,そして次の二つの文章をその主張の根拠としている.私は読者がその真の意味を判断できるように,どちらもここに転記する.
前者はキケロの『雄弁家について』第三巻,44からの引用である.
「この入念な仕事のあとに,さらに文章にリズムと快い言いまわし方について述べることになるが,カトゥルスよ,きみにはこれが子供っぽいことに見えはしないか,とても心配だ.昔の巨匠たちによれば,いまわれわれが問題にしている散文についても,詩句とよく似た何か,つまり一種の階調とたしかに出会うことができるはずなのである.その意見に従えば,呼吸,息の切れ,句読点などできまってくる休止ではなく,語や観念のなかに保たれているはずの階調によってきまってくる休止点が,われわれの演説においても欠くべからざるものとなる.イソクラテスは,その弟子ナウクラテスの表現によると,耳を楽しませるために,散文を一定のリズムに従えさせようとして,それまで規則のなかったところに規則を確立した最初の人であるといわれる.じっさい,かつては詩人でもあった音楽家たちは,リズムのある語と快い音とで耳にまったく飽きがこないよう,人々を楽しませようとして,詩句と歌という二つの方法を作り出したのであった.巨匠たちはこの二つの新しさ,つまり音声をととのえる技術と,言葉をある一定の長さにまとめる技術こそ,詩から雄弁のなかへもちこむべきであり,真面目なものである演説に許されるかぎり,できるだけそうすべきだと考えたのである.」
第二はイシドールの『語源考』第一巻,第20章からの引用である.
「さらにまた,著名な大作家たちの場合に見られる記号があって,古代人たちはそれを詩句や散文の物語のなかに導入して,書き物のなかでの区切りに使ったのである.その記号は,文章や詩句の論理的な組立を指示するために,一つ一つの語に応じて字と同じようにおかれている特殊なしるしである.詩句のなかに導入された記号の数は26あって,書かれた文字の下に置かれている.」
私に関して言えば,ここから私は,キケロの時代には優れた写本家が単語の分かち書きと今日での句読点に当たるいくつかの記号を使っていたということが分かる.またそこには,イソクラテスが考案したとされる散文の階調や朗唱法も見られる.しかしそこには書くためのアクセント記号はまったく見られない.たとえそういうものが見つかるにしても,そこから結論しうることは,私がここで問題にしていないが,私の原理にまったく一致している一つのこと,つまりローマ人がギリシャ語を学びはじめたときに,写本家たちがアクセントや語の勢いや韻律法の記号を作り出して,ギリシャ語の発音をローマ人たちに指示しようとしたのであって,そういう記号がまったく必要でなかったギリシャ人のあいだではそのようなものは使われていなかった,ということだけであろう.
「ハリカルナッソスのディオニュッソスは,アクサンテギュでの音程の上昇とアクサングラーヴでの音程の下降は五度になっていたと言っている.したがって韻律的アクセントは音楽的でもあったし,声が同一の音節上で五度上がったあとに五度下がるシルコンフレックスにおいてはとりわけそうであった*.」この一節およびこれに関連することから,デュクロ氏が私たちの言語には音楽的アクセントをまったく認めておらず,韻律的アクセントと声のアクセントだけしか認めていないということがよく分かる.それには綴り字のアクセントが加わるが,これは声にも響きにも音の長さにもなんの変化も及ぼさないが,ときにはシルコンフレックスのように廃棄された文字を指示したり,またときには場所の副詞のo を分離的小辞ouから,また冠詞の を同じ形をした動詞のaから区別するようなアクサングラーヴのように,単音節の曖昧な意味をはっきりさせるものである.このアクサンはこうした単音節を眼にだけ区別し,発音上の区別は全くない**.したがってフランス人が一般的に採用しているアクセントの定義は彼らの言語のアクセントのどれとも一致していない.
*デュクロ『普遍的合理的文法についての考察』30頁.
**イタリア人が動詞の と接続詞のeを区別しているのはこれと同じアクセントによってだと考えたくなるだろうが,前者はもっと強くて持続的な音によって耳に区別され,このことからこの語に記されているアクセント記号は音声的なものになっているのである.ボンマッテイはこの点を見過ごしたということで誤っている.
フランス語の文法家の多くは,アクセントというものは声の上がり下がりを記すものだという先入観を持っており,彼らはここでもまたこの逆説にたいして反対の声を上げるだろう,私は予想している.それに彼らは,経験というものを十分に考慮しようという気がないの,実際には口の開け具合とか舌の位置を変えるだけで出しているアクセントを,声門の変化によって出していると信じている.だが,経験を確認し,反論の余地のなく私の説を証明するために,次のことを私は彼らに言っておかねばならない.
何でもいいから楽器のある音のユニゾンを声で正確に出し,このユニゾン上で,集められるかぎりのさまざまなアクセントのついたフランス語の単語を順に発音してみなさい.ここで問題なのは,雄弁のアクセントではなくて,たんに文法的なアクセントだけなので,これらのさまざまな単語がひとつながりの意味を持っている必要はない.そのようにしながら,こうした同一の音の上でもすべてのアクセントが,気楽に声の音程を変化させることによって発音しているときと同じくらいにはっきりと明瞭に出せるということを観察してみなさい.ところで,以上の事実を確認した上で言えば,これは議論の余地のないことなのだが,はっきり言って,これらのアクセントはすべて一本調子で読んでも出すことができるのだから,それらは音の違いを記すものではない.これにはいかなる反論も不可能だろうと思う.
同一の歌詞に複数の曲をつけることができるような言語はすべて,決まった音楽的アクセントをもたない.アクセントが決まっているということは,曲も決まっているということだからである.旋律がどんなものでもいいのであれば,アクセントは意味をもたない.
近代のヨーロッパ諸言語はすべて多かれ少なかれ同じ事情にある.イタリア語さえもその例外ではない.イタリア語もフランス語と同様にそれ自体では音楽的言語ではない.違いは前者が音楽に適しているのにたいして,後者が適していないというだけのことである.
以上のことから次のような原理が確認される.すべての文字言語は自然な成り行きからその性格を変え,明晰さを得る代わりに力強さを失ってしまう.文法と論理を完成させようとすればするほど,この変化が加速される.ある言語を冷たく単調なものにするためには,その言語を使っている国民のあいだにアカデミーを作りさえすればいい.
派生言語は綴り字と発音が異なっていることから分かる.言語が古くて独自のものであればあるほど,発音の仕方には恣意的なところが少なく,その結果その発音の仕方を決めている文字の組み合わせ方も複雑ではない.デュクロ氏によれば,「古代人の韻律記号はすべて,その使い方が決まっていたからだと思われるが,慣用としての価値は持っていなかった」.私はそれに付け加えて言おう.それらは代用されていたのだ.古代ヘブライ人たちは句読点もアクセントもなかったし,母音さえもなかった.他の民族がヘブライ語を使ってみようという気になったときに,そしてユダヤ人が他の言語を使うようになったとき,彼らの言語はその抑揚を失ったのである.抑揚の規則を示すために句読点だとか記号が必要になった.こうするほうが,言語の発音よりも単語の意味を確立することになった.今日のユダヤ人がヘブライ語を話しても,彼らの先祖にはもはや理解されないだろう.
英語ができるようになるには,二度学ばなければならない.読み方と話し方である.イギリス人が声に出して本を読んでいるとき,外国人が本を眼で追っている場合,この外国人には目の前にあるものと耳にしているもののあいだの関係がまったく分からない.なぜそんなことになるのだろうか? それは,イギリスが立て続けに様々な民族に征服されてきたので,単語がつねに同じ書き方をされているのに,その発音の仕方がしばしば変わってきたからである.文字の意味を確定する記号と発音の規則を作っている記号のあいだにたいへんな違いがあるのだ.子音字だけでなら書かれた言語を非常に明瞭にすることは簡単だろうが,そんな言語はだれにも話せないだろう.代数はそういった言語と同じところをいくらかもっている.ある言語がその発音よりも綴り字において明瞭である場合,それはその言語が話されるよりも書かれる言語であるということのしるしである.近代では死語がそれである.無用な子音がたくさんある言語では,書き言葉のほうが話し言葉より先にあったとさえ思える.ポーランド語がそうだったといったいだれが信じないだろう? もしそうだとすれば,ポーランド語はすべての言語の中でもっとも冷たい言語だということになろう.

第8章
言語の起源における一般的ならびに地域的相違

これまで私が述べてきたことはすべて原初の言語一般に,またそれらに起こった諸変化にかかわるものであったが,それらの起源についても相違についても説明するものではなかった.諸言語の区別の主な原因は地域的なものであり,諸言語が発生した風土や形成の仕方に起因しており,南方の言語と北方の言語のあいだに見られる一般的で特徴的な相違を理解するには,この原因に遡る必要がある.ヨーロッパ人の大きな欠点は,つねに自分たちのまわりで起きていることにもとづいて物事の起源を考えることである.彼らが私たちに示すのはいつも,収穫のない荒れた土地に住み,寒さと飢えで死にそうで,必死になって住居や衣服を作っている最初の人間である.彼らはいたるところにヨーロッパにあるような雪と氷しか見ない.人類が他の生物同様に暑い地方で生まれたのであり,地球の三分の二は冬をほとんど知らないということを考えてみようともしないのだ.さまざまな人間の研究したければ,自分の近くを見なければならないが,人類の研究をするためには,視線を遠くまで広げることを学ばねばならない.まず特性を発見するためには相違を観察しなければならないからだ.
人類は暑い地方で生まれ,そこから寒い地方へと広がっていった.寒い地方で人数が増え,それから再び暑い地方へあふれ出た.このような作用と反作用から,地表の変革と住人のたえざる移動が生じる.われわれの探求では,自然の秩序そのものに従うように努めよう.私はこれから陳腐なくらいに言い古された主題に関する長々とした脱線にはいるが,のもかかわらず,人間の諸制度の起源を見いだすためには絶えずそこに戻って行かねばならないのである.

9章
南方の言語の形成

初期の時代には*,地球の表面に散在していた人間たちは社会といっても家族しか,法といっても自然法しか,言語といっても,身振りとわずかの分節されていない音しかもっていなかった**.彼らは共通の友愛といった観念に結びつけられることはまったくないし,力以外には身を守るものをもたなかったので,お互いを敵だと思っていた.彼らの弱さと無知こそが彼らにこのような考えを与えたのだった.なにも知らないので,彼らはすべてを怖がり,身を守るために攻撃した.人類が生きていくためにたった一人地球上に置き去りにされた人間はどう猛な動物であらざるを得なかったのだ.この人間は自分が他人からこうむる危害をすべて相手にも加えてやろうと身構えていた.恐怖と弱さが残酷さの源である.
*人間が散在していた時期を初期の時代と私は呼んでいるが,それを人類の何歳くらいに固定しようとかまわない.
**真の言語は家庭のなかに起源をもたない.言語を確立するのはもっと一般的で,もっと持続的な約束だけである.アメリカの未開人はほとんど家の外でしか喋らない.自分のあばら屋では沈黙を守り,家族とは身振りで話すが,その身振りも頻繁には使わない.なぜなら,未開人はヨーロッパ人よりも不安が少ないし,忍耐強いからであるし,それほど多くの欲求もないし,自分で必要なものをまかなうようにしているからである.
社会的な感情というものは知識の広がりがあって初めて,私たちの中で発達してくるものである.憐憫の情は人間の心の中では自然なものではあるが,それを働かせる想像力がなかったら,永遠に閉じたままであろう.どのようにして私たちは憐憫の情に心を動かされるのだろうか? 自分自身の外に身を置くことによってである.苦しんでいる人と自分を一体化することによってである.この人が苦しんでいると私たちが判断しないかぎり,私たちが苦しむことはない.したがって私たちが苦しむのは自分のなかでではなく,この人のなかでである.このような感情移入にいったいどれだけの知識が必要か考えていただきたい.まったく考えが及びもつかないような不幸のことが私にどうして想像できよう.ある他人が苦しんでいることさえ知らないで,またこの人と私のあいだに共通なものがあるということを知らないのに,この人が苦しんでいるのを見て,いったいどうして私が苦しい思いをすることがあろうか? 物をよく考えたことのない人は寛大にも,公正にも,憐れみ深くもなれない.こんな人は意地悪にも,復讐好きにもなれない.なにも想像することがない人は自分自身しか感じることがない.彼は人類のただ中にいても一人である.
反省は観念を比較することから生じる.そしてそのような比較を可能にしているのは観念の多様さである.一つの対象しか見ない人は比較するものをまったくもたない.ごく少数の物しか見ず,子どもの時から同じものばかり見ている人は,それらを見る習慣のためにそれらを検討するために必要な注意力が奪われているので,同じくそれらを比較することはない.だが,新しい対象が私たちの心を打つのに応じて,私たちはそれについて知りたくなり,すでに知っているもののなかにそれとの関係を見いだそうとするようになる.このようにして,私たちは目の前にある物を考察することを学ぶのだし,私たちに関係のない物が私たちに関わる物を検討させるようになるのだ.
こうした考えを最初の人間たちに当てはめてみれば,彼らの野蛮さの原因が分かるだろう.自分たちにまわりにある物しか見たことがないので,彼らはそれらについても知っていなかった.彼らは自分たち自身のことも分かっていなかったのである.父親,息子,兄弟といった観念はもっていたが,人間という観念はもっていなかった.彼らのあばら屋にはみんな同じような者たちがいたので,彼らにとっては,見知らぬ者,獣,怪物は同じものだった.つまり彼ら自身と家族以外の世界は完全に無だったのである.
そこから諸民族の祖先たちに見られる明白な矛盾が生じる.つまり,あれだけ自然でありながら,あれほど非人間的であり,風習は非常に野蛮でありながら,心は非常に優しい.家族にはあれだけ愛情を向けながら,同類にはあれだけの烈しい嫌悪を示す.彼らの感情はすべて近親の者たちのあいだに集中しており,より多くの力強さをもっていた.彼らが知っていることはすべて彼らにとって大事なものであった.彼らは見ることもないし知りもしないそれ以外の世界に対しては敵対していたが,彼らが憎んでいたのは,ただ彼らが知ることができないものだけである.
こうした野蛮の時代は黄金時代であった.人間たちが結びついていたからではなく,分散していたからである.だれも自分をすべての主人だと考えていた,言うかもしれない.だが,だれも自分の手の届くものしか知らなかったし,それしかほしがらなかった.彼の欲求は彼を同類たちに近づかせるどころか,遠ざけた.こう言って良ければ,人間たちは出会うと攻撃しあったが,出会うことは稀だった.どこでも,戦争状態が支配していたが,地球全体は平和だった.
最初の人間たちは狩猟者か牧羊者であって,農耕者ではなかった.したがって最初の財産は家畜であって,畑ではなかった.土地が分割して所有されるまでは,だれもそれを耕そうなどと考える者はなかった.農業は道具を必要とする技術である.しかも後で収穫するために種をまくには,将来を見通す予想力が必要とされる.社会的な人間は広がろうとするが,孤立した人間は狭いところにとどまろうとする.自分の眼の届かないところ,自分の手の届かないところには,もはや彼にとっては権利も所有もない.キュクロプスが自分の洞窟の入り口を石でふさいでしまうと,彼の家畜と彼とは安全である.しかし,法が番をしてくれない人にとって,その人の収穫物をいったいだれが守ってくれるだろうか?
誰かが私に,カインは耕作をしていたし,ノアは葡萄の木を植えたと言うだろう(p.1).まったくその通りである.だが,彼らだけだったのだから,いったい何を怖れる必要があっただろうか? それに,それはなんら私に対する反論になっていない.初期の時代について私が理解していることを上で述べたのである.逃亡者になったためにカインは農業を捨てなければならなくなった.ノアの子孫の放浪生活は農業を彼らに忘れさせることになったに違いない.土地を耕すにはそれ以前に土地に人が住んでいなければならない.この二つのことは同時には進行しない.人類が最初に分散していくあいだ,家族が定まり,人間が固定した住居を持つようになるまで,農業は復活しなかったのである.固定したところに住まない民族は土地を耕すことを知らないだろう.かつては遊牧民がそうだったし,テントの下で生活しているアラブ人,車で移動するスキタイ人がそうだったし,放浪の民であるダッタン人やアメリカの未開人たちは,今でもそうである.
一般的にその起源が分かっている民族はすべて,初期の野蛮な人々は穀物を食べる農耕者であるよりも,どん欲な肉食者であった.ギリシャ人は彼らに農耕を教えた最初の人の名を挙げているが,彼らがこの技術を知ったのはずっと遅い時期のことであったと思われる.だが,彼らがトリプトレモス以前にはドングリしか食べていなかったと付け加えて言うとき,彼らは本当とは思われないようなことを言っているのであり,それは彼ら自身の歴史が否定していることである.というのは,トリプトレモスが彼らに肉食を禁じたということは,彼以前に肉食をしていたということである.それに,彼らはこの禁止をあまり尊重したようには見えない.
ホメロスの饗宴では,今日では子豚を屠ってもてなすようにして,牛を屠って客に振る舞っている.アブラハムが子牛を三人に食べさせたとか,エウマイオスがユリシーズの夕食のために二匹の子山羊を焼かせたとか,またリベカが夫の夕食のために同じことをしたというのを読むと,この時代の人間はいかに恐ろしい肉食人種であったかが推察できる.古代人の食事がどんなんだったかをイメージするには,今日では未開人のそれを見ればいい.私は思わずイギリス人のと言いそうになった.
菓子が最初に食べられたとき,それは人類の聖体拝領であった.人間たちが決まったところに居住しはじめたとき,彼らは小屋のまわりのごくわずかの土地を耕したが,それは畑というよりも庭であった.収穫したわずかの種は二つの石のですりつぶされ,それから数個の菓子を作り,それを灰の中やおき火の上,あるいは焼いた石の上で焼き上げた.それは祝祭の時にだけ食べるのであった.この古代のしきたりは,復活祭によってユダヤ人のあいだで神聖なものとして行われてきたが,今日でもペルシャ人とインド人のあいだに受け継がれている.そこで食べられるのは無酵母のパンであって,木の葉のように薄いパンが食事のたびに焼かれ,食べられている.人々がパンを発酵させることを思いついたのは,もっとたくさんのパンが必要となってからのことであった.というのは発酵は少量ではうまく行かないからである.
族長時代からすでに大規模な農業が見られることを私は知っている.エジプトの近隣の民は早い時期に農業をパレスチナにもたらしたに違いない.現存するすべての書物の中でおそらくもっとも古い『ヨブ記』には畑での考察の記述があり,ヨブの財産には500組の牛が数えられる.組というこの語は労働のためにこれらの牛が二頭で一組にされていたことを示している.実際,これらの牛が耕作していたときに,シバ人に略奪されたと述べられている.500組の牛が耕さねばならない耕地がどれほど広いものか推察できよう.
これらはすべて真実である.だが,時代を混同しないようにしよう.われわれが知っている族長時代は最初の時代から遠く離れている.聖書は,人間が長生きしていたこうした時代に10世代を数えている.この10世代のあいだに彼らはいったい何をしたのだろうか? それについてはわれわれはなにも知らない.散在して,社会もなく暮らしていた彼らはほとんど口を利くこともなかったのだから,どうして文字を書くことがあっただろうか? また孤立した単調な生活をしていたのだから,どんな事件を伝えることがあっただろうか?
アダムは喋っていたし,ノアも喋っていた.確かにそうだ.アダムは神自身から教えてもらったのだ.ノアの子どもたちはちりぢりになって農業を捨て,共通の言語は最初の社会とともに滅びた.バベルの塔がなかったとしても,そういうことは起きていただろう.人気のない島々で孤独な人々は自分たち自身の言語を忘れていったのだ.その地方とは別のところで数世代を経た人々が,たとえ共通の仕事を持ち,彼らのあいだで社会的な生活をしていたとしても,最初の言語を保持しているというのは稀なことである.
世界の広大な無人の地に散らばった人間たちは,もし人間が大地から生まれたとしたらそうであったと思われるような愚かな野蛮状態に再び落ち込んだのである.このような自然な考えを追っていけば,聖書の権威と古代の遺物とを両立させることは容易であるし,今日にまで言い伝えてきた民族と同じくらい古いさまざまな伝承を作り話として扱うこともなくなるだろう.
このような愚かな状態で生きていかなければならなかった.もっとも活動的で,もっとも頑強で,つねに先頭を進んでいた人たちは,果物と猟だけしかいきる糧がなかった.彼らはしたがって狩猟者になり,粗暴で,血を好むようになり,戦いの時代が来ると,征服者になり,簒奪者になった.歴史の遺物はこうした初期の王たちの犯罪でもって汚されている.戦と征服は人間狩りの他ならないからである.人間を征服したあとに残るのは,人間をむさぼり食うことだけであった.彼らの子孫たちが覚えたのはまさにこれであった.
大多数の,活発でなく,平和を好む人たちは,できるだけ早い時期に歩みを止め,家畜を集めて,飼い慣らし,そこから食料を得るために,人間の声によく従うようにして,家畜を守ることや数を増やすことを学んだ.こうして牧畜の生活が始まったのである.
人間の器用さは,それを生み出す欲求とともに拡大する.人間に可能な生活の仕方は三つ考えられる,すなわち狩猟,家畜の世話と農業であるが,狩猟は力とわざと走ることで体を鍛え,魂を勇敢さと策略において鍛えるので,これは人間を頑強にし,凶暴にする.狩猟者の地方はいつまでも狩猟の地方であることはなく*,獲物を遠くまで追って行かねばならず,そこから騎馬が始まる.逃げる獲物に続けて打撃を与えねばならず,そこから軽い武器,石投げ器や矢とか投げ槍が生まれる.牧畜の技術は休息と怠惰な情念の生みの親であるが,自分自身で自己充足する技術である.これは人間にほとんど苦労なく食べるものと着るものを与えてくれる.最初の羊飼いたちのテントは獣の皮でできていた.ノアの箱船やモーゼの幕舎も別の布でできていたわけではない.誕生がもっと遅かった農業に関して言えば,これはあらゆる技術と結びついている.農業は所有,政府,法律をもたらし,人類にとって善悪の知識と切り離すことができない悲惨さや犯罪をしだいにもたらす.したがって,ギリシャ人はトリプトレモスを有用な技術の考案者としてだけでなく,最初の規律と最初の法律を彼らの与えた制定者であり,賢者であるとも見なしていた.反対にモーゼは農業を非難する判断を与えているようだ.つまらない男を農業の発明者にしているし,せっかくの神の贈り物をふたたび神の手で捨てさせてしまっているからである.最初に土地を耕したものはその性格のなかにこの技術の悪しき結果を予告していたかのようである.『創世記』の作者はヘロドトスよりももっと先まで見ていたのである.
*狩猟という職業は,人口に有利でない.ドミニカ島とトーチュガ島に肉食者が住んでいたときになされたこの観察は,北アメリカの状態によっても確認される.人口の多い民族の祖先が修了を職業としていた例はまったく見られず,すべて農耕者か牧畜者のいずれかであった.したがってここでは,狩猟は生活の手段とみなされるより,むしろ牧畜に付随的なものとみなされるべきである.
今述べた分類に,社会との関係で考察した人間の三つの状態が関係している.未開人は狩猟者,野蛮人は牧畜者,文明人は農耕者である.
それゆえに,技術の起源をたずねるにしても,最初の時代の風習を考察するにしても,その原理においてはすべてが生活の糧を獲得する手段に関わっていることが分かるし,これらの手段のうち,人間を集合させるものに関しては,それは気候と土壌の質によって決定されている.したがって言語の多様さとその対照的な性格を説明するのも同じ原因によらねばならない.
穏やかな気候,肥沃で豊かな土地は,最初に人々が住んだところで,国家の形成がもっとも遅かったところでもある.なぜなら,そこではほかでよりも他人なしですますことができたからだし,社会を生み出す欲求を人々が感じるのがずっと遅かったからである.
地上に永遠の春を想定してみなさい.いたるところに水があり,家畜がおり,草場があると想定してみなさい.このようなところへ自然の手から出てきた人間たちが散らばっていったと想定してみなさい.いったいどうして彼らが原初のこうした自由を投げ捨てて,彼らに生まれつきの無精にこれほどふさわしい孤立した田園の生活を離れて,社会状態と不可分の隷属,労働,悲惨を,なんの必然性もないのに,自ら背負い込むことになったのか,私には見当がつかない.
*人間が生まれつきどれほどまでに怠惰であるかは,思いもよらないほどである.人間はまるで,眠り,何もせずに暮らし,じっとしているためだけに生きているみたいである.かろうじて,飢えで死なないようにするために必要な動きをすることを決心することができるほどである.あれほど未開人を自らの状態に甘んじさせるものは,この心地よい無精以外にはない.人間を不安で,先を見越し,活動的にする情念は,社会のなかでしか生まれてこない.何もしないことは,自己保存の情念に次いで,人間の最初でもっとも強い情念である.その点をきちんと見れば,私たちのあいだでさえ,各人が働くのは休息を得るためであり,私たちを働き者にしているのは怠惰の心であるということが分かるだろう.
人間が社会的であることを望んだ存在が,地軸に指を触れ,宇宙の軸にあわせてそれを傾けたのである.このちょっとした動きとともに,地表が変化し,人類の使命が決まるのが見える.遠くで無分別な多くの人々の喜びの声が聞こえる.宮殿や都市が建てられるのが見えるし,技芸や法律や商業が現れるのが見え,海の波のように,諸民族が次から次へと形成され,拡張し,消滅していくのが見える.人間が自分たちの住居から出ていくつかの地点に集まり,互いに食い合い,それ以外の土地を恐ろしい広野と化してしまうのが見える.それは社会的結合と技芸の有用性を表すのにふさわしい記念碑である.
土地は人間を養うが,しかし最初の欲求が人間をバラバラにしたのに,別の欲求が彼らを集めることになる.彼らが言葉を使い,自分たちのことについて他の者に語らせるようになるのは,このときがはじめてであった.私が自分の言っていることと矛盾しないようにするために,私の考えを説明する時間を私に与えて欲しい.
人類の祖父たちがどこで生まれたか,最初の植民がどこから出てきたか,最初の移民はどこからやってきたのかを調べてみれば,小アジアとかシシリアとかアフリカの幸福な気候も,エジプトのそれさえも挙げられないで,カルデアの砂地やフェニキアの岩地が挙げられるだろう.それはいつの時代でも同じだと思うだろう.中国には中国人が住んでいるといっても無駄である.そこにはダッタン人も住んでいる.スキタイ人はヨーロッパにもアジアにも侵入した.スイスの山岳地帯は現在私たちの肥沃な地域に植民を流出させているが,これは絶えることがなさそうである.
不毛な土地の住民がそこを離れてもっと良い土地を占領してしまうことは当然だと,言われる.そのとおりだ.だがなぜこのもっと良い土地は本来の住民でいっぱいにならずに,よその土地の住民に明け渡されるのだろうか? 不毛の土地から出るには,まずそこにいなければならない.ではなぜこれほど多くの人間が好んで不毛な土地に生まれるのだろうか? 不毛な土地には,肥沃な土地からはみ出した人間が住むことになるのではないかと,誰しも思うだろう.しかし現実に私たちが眼にするのはまったくの反対である.大部分のラテン民族は自分たちを土着民だといっていたが,それにたいしてずっとひよくな大ギリシャには外国から来た民族しか住んでいなかった.ギリシャの民族はすべて自分たちの起源が他の植民地にあることを認めている.ただし,土壌がもっとも悪かった民族,すなわちアッティカ民族は別で,彼らは自分たちを原住民,あるいは自分自身から生まれたものと呼んでいた.結局,不明の時代を頼りにしなくても,近代が決定的な観察を提供してくれている.というのは,世界の中の風土で,人類の揺籃の地と名付けられている風土以上に寂しい風土が,いったいどこにあるだろうか?
*「原住民」とか「土着民」という語はその地域の最初の住民が社会も法律も伝統も持たない未開人であったことと,彼らが言葉を話す以前から住み着いていたことを意味しているにすぎない.
人間の結合は大部分自然の偶発事の結果である.異常な洪水,溢れかえる海,火山の噴火,大地震,雷によって引き起こされ,森を焼き尽くしてしまう火災,こういったことはすべて一地方の未開の住民を怖れさせ,ちりぢりにしてしまうはずのものだが,それがすめば,今度は共通の損害をみんなで修復するために彼らを再び集めることになったに違いない.あれほど頻繁だった古代の大災害の伝説が示しているのは,人間たちを近づけるようにするために摂理がどんな道具を使ったかということである.社会が確立されてからは,こうした大災害は止み,もっと稀になった.この状態はまだずっと続くに違いないと思われる.ちりぢりになっていた人間たちを集めることになったのと同じような災害がまた起これば,集まっていた人間たちを今度はちりぢりにすることだろう.
季節の大変動ももっと全般的で恒久的な原因であり,それは多様性をもった風土において上と同じような効果をもたらしたに違いない.冬のために食料を蓄えておかねばならない住民は,互いに助け合う状況に置かれ,お互いのあいだに一種の取り決めを確立しておかざるを得ない.厳しい寒さのために足止めされて,出歩くことが不可能になると,必要からと同じくらいに退屈から彼らは結びつかざるをえなくなる.氷のあいだに埋まっているラップ人,あらゆる民族のなかでももっとも未開のエスキモーたちは,冬にはかれらの洞穴に集まってくるが,夏にはもはや知り合いになることがない.かれらの発達と知識をもう一段進歩させてみれば,彼らはずっと一緒にいるだろう.
人間の胃も腸も生の肉を消化するようにはできていない.一般的には,人間の味覚では生肉は耐えられない.たぶん先ほど触れたばかりのエスキモーを除いて,未開人は肉を焼いていた.肉を焼くのに必要な火の使用には,火を見ると感じる楽しみと体に心地よい温かさが結びついている.炎を見ると動物たちは逃げ去るが,人間は引き寄せる*.人は共同のたき火のまわりに集まり,そこで宴をはり,踊ったりする.そこでは慣れ親しんだ者たちの穏やかな結びつきが知らず知らずのうちに人間をその同類たちに近づけ,そしてその粗末な野のかまどに神聖な火が燃え,それが心の奥に人間らしさの最初の感情をもたらすのだ.
*動物は火を見ることになれ,その穏やかな温かさを感じると,人間と同じように,火を大変喜ぶ.しばしば,火は私たち人間に劣らず,動物たちにとっても,少なくとも子どもを暖める場合に有用であろう.しかしながら,野性の動物であれ,家畜であれ,人間にならって,火を作り出す器用さを獲得したという話は聞いたことがない.これが人間より先に一時的な社会を形成すると言われている思考する動物なのである.だが,かれらの知能は,小石で火花をつくって燃やしたり,あるいは少なくとも何かの残り火を保存しておくと行った程度までも,高まることがなかった.確かに,哲学者たちは私たちを公然とからかっているのだ.彼らの書いたものから,実際,彼らが私たちを獣扱いしていることがよく分かる.
暖かい地方では,人間は火よりも水なしにはすますことができないだけに,不均等に散らばった泉や川がそれだけいっそう人々が集まるのに必要な場所になっている.家畜を育てていた野蛮人たちはとくに共同の水くみ場が必要で,もっとも古い時代の歴史は実際まさしくそこで協定や争いが始まったということを私たちに教えてくれるのである**.湿潤な地方では,水をたやすく手に入れることができるために,住民の社会の形成が遅れる可能性がある.反対に乾燥した地方では,家畜に水をやるために,協力して井戸を掘り,水路をつける必要があった.そこでははるかかなたの太古の時代から結合した人間たちが見られる.というのは,そのような地方は人の住めないままであるか,人間の労働によって人が住めるようにするかどちらかにしなければならなかったからである.しかし,私たちはすべてのものを私たちの役に立つようにする傾向があるので,この点については若干の考察が必要になる.
**協定と争いの例としては,『創世記』の第21章の誓いの井戸に関するアブラハムとアビメレクの例を見よ.
大地の最初の状態は,人間の手によって整えられたり変形された今日の状態とは大いに異なっていた.詩人たちが作り上げたような諸元素の混沌状態が,その産物を支配していた.はるか遠い過去の時代には大変動が頻繁で,幾千もの偶発事が土壌の質や土地の様相を変え,樹木,野菜,灌木,牧草などのすべてが混然と成長していた.どの種にもそれにもっとも適合した土地を占領して他の種をすべて絶滅するだけの時間はなかった.それらはゆっくりと,徐々に分離し,次いで激動が起きてすべてを渾然一体にしてしまうのだった.
人間の欲求と大地の産物とのあいだにはある種の関係があって,人が大地に住みつけば,それで十分で,あとはすべてが存続していくようになっている.しかし,人間が集まって共同の労働によって大地の産物のあいだに均衡を作るまでは,そうした産物がすべて存続するためには,今日では人間の手で保持している均衡を自然だけで引き受けていなければならなかったのである.人間が今日では気まぐれによって均衡を維持したり,保ったりしているのと同じように,自然は大変動によってそうしていたのである.まだ人間のあいだを支配していなかった戦と同じものが,自然の諸要素のあいだを支配していたように思える.人間は町を焼いたり,鉱山を掘り崩したり,木々を切り倒したりはしていなかったが,自然は火山を噴火させ,自身を引き起こし,稲妻が森林を焼き尽くしていた.その頃は雷の一撃,一回の洪水,臭気だけで,今日では無数の人間が一世紀かかってやるようなことをほんのわずかの時間でやっていたのである(n2).そうでなかったら,どうして自然の体系が存続でき,均衡が維持されることができたのかが分からない.動物の世界でも,植物の世界でも,大きな種がやがては小さな種を滅ぼしていたことだろう*.大地全体がまもなく木々とどう猛な獣だけで被われていたことだろう.そして最後にはすべてが滅んでいたことだろう.
*一種の自然な作用・反作用によって,動物界のさまざまな種はたえざる釣り合いのなかに自分自身を維持しており,それが彼らにとっての均衡の代わりとなっているということらしい.貪欲な種が食べられる方の種を犠牲にして増えすぎて,靄は食べ物がなくなると,食べる方の種が減少し,食べられる方の種に再繁殖の時間を与えるということにならなければならない.それは,豊富な食料を新たに提供することで,食べる方の種が再び繁殖して,食べられるほうが減少するまで続く.だが,このような振り子の運動は私には本当らしいとは思えない.というのは,この体系だと,餌となる種が増えて,それを食べる種が少なくなる時期がなければならないが,それはまったく理に反していると私には思われるからだ.
水は大地に生命を与える循環をじょじょに失っていったようだ.山脈は崩れて低くなり,河川は土砂を押し流し,海は溢れて広がる.すべてが知らず知らずのうちに平らになる.人間の手はこの傾向を押しとどめ,この変化を遅らせる.もし人間がいなかったら,この進み具合はもっと急速で,大地はおそらく水の下に没しているだろう.人間が手を加える以前は,泉は配置も悪いし,流れも不均等で,大地を十分に潤すこともなく,住民が飲み水を手に入れるのももっと難しかった.河川の岸は厳しいか,沼になっていて,しばしば近づくことができなかった.人間の技術もそれを河床にとどめることはなく,河川はしばしば溢れ,右に左に蛇行し,その方向と流れを変え,いくつもの支流に分かれた.あるときには乾き,あるときには動く砂のためにそこに近づけなかった.河川はしたがって存在しないも同然で,人々は水のただ中にいながら,乾きで死んでいくのだった.
人間が流した血と河川から引いた運河によらねば住めるようにならなかった乾燥した土地がどれだけ多くあることだろう.ペルシャのほとんど全土はこの人為の力によってしか存在しない.中国は多くの運河のお陰で人々に満ちあふれ,オランダも,堤防がなければ海の水が氾濫してくるように,それらがなければ河川が氾濫していることだろう.地球上でもっとも肥沃な地方であるエジプトは人間の労働によって初めて住めるようになった.河川を持たず,土壌が十分な傾斜のない大平原では,井戸以外に水源がない.したがってもし歴史で述べられている最初の民族が肥沃な土地や楽に暮らせる川辺に住んでいなかったとしても,それはこうした幸運な風土に人気がなかったからではなく,その無数の住民たちはお互いを必要とせずに暮らして行けたので,家族の中だけで孤立してコミュニケーションもなしに長い間生きていけたからである.だが,井戸によってしか水を得ることができない乾燥した場所では,井戸を掘るために協力しあったり,すくなくともその使い方について互いに了解しあう必要があった.
そこで初めての家族の絆が形成されたのである.そこで両性の最初の出会いがあったのだ.若い娘は家事のために水を汲みにやってきていた.若い男は家畜に水をやりに来ていた.そこで子どもの時から同じ対象ばかりを見ていた眼は,もっと穏やかなものを見はじめる.心は新しい対象を見て動かされ,見知らぬ魅力に心はもっと粗野でなくなり,一人ではないという喜びを感じる.水は知らず知らずのうちにもっと必要になり,家畜はのどの渇きがもっと頻繁になる.二人は急いで駆けつけ,心惹かれながら立ち去る.時間を示すものが何もないこの幸福な時代には,時をはかることを強制するものも何もない.時間は楽しいか退屈か以外の尺度を持たない.年月にうち勝った古い樫の木の下で,情熱に燃える若者たちは次第に凶暴さを忘れ,徐々に互いになじみ,自分の考えを理解してもらおうと努めることで,互いに理解し合うことを学んだ.そこで最初の祝祭が催され,足は喜びに飛び跳ね,熱心な身振りだけではもう十分でなくなり,身振りに情熱的なアクセントの声が伴い,喜びと欲望がひとつにとけて同時に感じられた.これがついに民族の真の誕生であり,泉の純粋な澄んだ水から恋愛の最初の炎が燃え上がったのである.
なんだって! この時代以前には,人間は大地から生まれていたのか? 両性が結合することもなく,誰も理解し合うことなく,何世代も続いたのだろうか? そんなことはない.家族があった.ただ民族はなかった.家族内の言語はあったが,民衆の言語はなかった.結婚はあったが,恋愛はなかった.どの家族も自分だけで自足し,自分たちだけの血で続いていた.同じ両親から産まれた子供たちは一緒になって成長し,徐々に互いに理解し合う方法を見つけだした.両性の特徴はある年齢に達するとはっきりと顕れ,自然な傾向だけで両性を結びつけるには十分だったし,本能が情念の代わりをし,習慣が選択の代わりをして,兄弟姉妹のままで夫婦になっていた*.そこには口を開いて喋るために十分なほど活気のあるものはなにもなく,情念のアクセントは,それを制度としての言葉に変えるほど頻繁に引き出すことができるものはなにもなく,欲求についても同じことが言えて,かれらに共同の仕事を協力してさせることができるような欲求はまれで,ほとんど急を要するようなものではなかった.ある人が泉の貯水を作り始めると,別の人がそれを完成させたが,そこにはほんのわずかの了解も必要なかったし,ときには顔を合わせることもなかった.要するに,温暖な風土,肥沃な土地では,そこの住人たちが喋り出すようにするには,快適な情念の激しさが必要だったのである.最初の言語は喜びの産物であって,欲求のそれではなく,長い間かれらの生みの親の印を身につけていた.最初の言語の魅力的なアクセントが消えるのは,このアクセントを生み出した感情がなくなるのと同時であった.すなわち,新しい欲求が人間のあいだに持ち込まれたために,だれも自分のことしか考えず,心を自分のなかにしまい込むようにせざるをえなくなってからのことである.
*最初の男子は彼らの姉妹と結婚しなければならなかった.最初の風俗は素朴であったので,この習慣は家族が孤立したままであったかぎりなんの不都合もなく続いたし,もっとも古い民族ができあがった後でさえもそうであった.だが,それを廃止した法は,人間の制度であるとはいえ,やはり神聖なものである.この法をそれが家族間に形成する結びつきによってしか見ない人々は,そのもっともも重要な側面を見ていないことになる.家庭内での人間関係は男女間の親しみを作り出すので,これほど神聖な法が心に訴えかけ,感覚的な強制力を失うことがあれば,その時からもはや人間のあいだには誠実さというものがなくなり,もっとも恐るべき風俗が人類の破滅を引き起こすことになろう.

第10章
 北方の諸言語の形成

時がたつにつれて人間は同じようになるが,その発展の仕方はさまざまである.自然が惜しみなく与えてくれる南の風土では欲求は情念から生まれてくるが,自然が出し惜しみをする寒い地方では,情念が欲求から生まれるので,必要性の悲しい産物である言語にはその厳しい起源の跡が感じられる.
人間は過酷な気候,寒さ,不便さ,空腹にさえも慣れてしまうものだが,だがしかし自然がそのままではどうにもならない点がひとつある.その残酷な試練にとらえられると虚弱なものはすべて滅びる.それ以外のものは頑強になる.頑強と死のあいだには中間はない.その結果,北の民族はあれほど丈夫なのだ.彼らを最初に丈夫にしたのは風土ではない.そうではなく,丈夫な者しかそれに耐えられなかったのである.こうした父親の優れた体質を子どもたちが保っていても不思議ではない.
すでにお分かりのように,丈夫な人間であればあるほど,その器官は繊細でなくなり,彼らの声はより荒々しく,強くなるものだ.それに,魂の動きから生じる感動的な抑揚と,肉体的欲求が引き出す叫び声とは,どれほど違うことだろう.これらの厳しい風土では,一年のうちの九ヶ月はすべてのものが死んだようになっており,太陽が数週間だけ空気を暖めて,逆にこの地の住民たちに,彼らがどんな富を奪われているかを教え,彼らの悲惨さを長引かせている.働かなければ大地がなにも与えてくれず,生活の糧は心情よりも腕にかかっているようなこうした土地では,人間は絶えず生きていくために必要なものを手に入れることに没頭し,もっと甘美な関係があるなどとはほとんど思いもよらないので,すべてが生理的な衝動に限られ,機会が選択の代わりになり,簡単さが好みの代わりになっている.情念をはぐくむ閑暇は情念を抑える労働に取って代わった.幸せに生きることを考える以前に,どうやって生きるかを考えなければならなかったのだ.感情よりも相互的な欲求が人間を結びつけることになったので,社会が形成されたのは勤勉さからでしかなく,絶えずつきまとう死の危険のために身振り言語だけに甘んずることを許さなかった.だから彼らのあいだでは最初の言葉は「愛して」ではなく,「助けて」であった.
この二つの言葉はかなり似通っているけれども,まったく違った調子で発音される.感じてもらわなければならないことはなにもなく,理解してもらわなければならなかったのである.したがって,重要なのは情念の力強さではなく,意味の明確さである.心情がアクセントを与えなかったので,そのかわりに強くてはっきりとした分節音が生まれた.言語の形のなかに,何か自然の跡が残っていたとしても,その痕跡は言葉の硬さに役立っていたのだ.
実際,北の人間は情念を持たなかったわけではなく,まったく別のそれを持っていたのだ.暖かい地方の情念は恋愛と柔軟さに結びついた快楽的な情熱である.自然が住民のためにほとんどのことをしてくれるので,人間は何もすることがほとんどない.アジアの人間は女たちがいて休息さえあれば満足している.だが不毛な土地で多くの力を使い果たす北の国では,あまりに多くのしなければならないことがあるので,すぐに苛立ってしまう.自分たちの周りで人がしていることが何でも彼らを不安にする.彼らは生きること自体に苦労しているので,貧しければ貧しいほど,彼らが持っているほんのわずかなものにより執着する.彼らに近づけることは彼らの命をうかがうことである.その結果,彼らを傷つけるすべてのものにたいしてすぐに激怒する彼らの気むずかしい性質が生まれたのである.したがって,彼らのもっとも自然な声は,怒りと脅かしの声であり,その声にはつねに強い分節が伴っており,それが彼らの声を耳障りで騒々しいものにしているのである.

第11章
 こうした相違に関する考察

私の意見では,以上が原初の諸言語の特徴的な相違のもっとも一般的な物理的原因である.南の諸言語は生き生きとして,響きがあって,アクセントに富み,雄弁であり,ときに力強さのゆえに曖昧であったに違いない.北の諸言語は,響きがなく,粗野で,分節化され,叫ぶようで,単調であり,構成の良さによってよりもむしろ単語ゆえに明確であったに違いない.近代の諸言語は何度も混合し,融合した結果であるが,それでもまだこうした相違のいくらかを保持している.フランス語,英語,ドイツ語は互いに助け合い,互いの間で冷静に議論する人たち,あるいは腹を立てて逆上する人たちの私的な言語である.だが,神々の使いが聖なる神秘を予告し,賢人が民衆に法を与え,指導者たちが多数者を導くときにはアラビア語かペルシャ語を使わなければならない*.私たちの言語は話すよりも書くのに適していて,私たちの言語は話よりも文を読むほうがいっそうの喜びを与える.反対に,東洋の言語は書かれるとその生命と熱気を失ってしまう.意味が単語のなかには半分しかなく,その力はすべてアクセントのなかにあるからである.書物によって東洋人の才能を判断することは,死骸にもとづいて人間を描こうとするのと同じである.
*トルコ語は北の言語である.
人間の行動をきちんと判断するためには,その行動を人間がもつあらゆる関係のなかで捉える必要があるが,これはだれも教えてくれない.私たちは他者の立場に立つ場合,自分のほうが他者に変わってしまい,他者が変わるべきだということにならない.そして私たちは理性にもとづいて彼らを判断していると思っていても,実は彼らの偏見と私たちの偏見を比較しているにすぎない.アラビア語が少し読めるので,コーランをめくりながら笑っているような人でも,もしマホメットが,この雄弁でリズムのある言語で,心よりも耳を先に魅了してしまう響きが良くて説得的で,絶えず熱狂のアクセントによってその文章を活気づけるあの声で,コーランを告げるのを聞いたら,地にひれ伏して,こう叫ぶだろう.「神のつかわされた偉大な予言者よ,われわれを栄光と殉教へと導きたまえ.われわれが望むのは勝利か,それともあなたのために死ぬことです.」 熱狂はつねに笑うべきものだと私たちのあいだでは思える.なぜなら私たちは人から耳を傾けてもらえるような声をもっていないからである.私たちの狂信者は真の狂信者ではなく,ただの詐欺師か狂人でしかない.私たちの言語は,霊感を受けた人々のための抑揚がないかわりに,悪魔にとりつかれた人々のための叫び声しかもっていない.

第12章
 音楽の起源

最初の声とともに,最初の音節あるいは最初の音が,それらを音にする情念の種類にしたがって形成される.怒りは舌と口蓋によって音節化される威嚇的な叫び声を引き出す.しかし優しさの声はもっと甘美で,それをそのように変えるのは声門であり,この声はひとつの響きになる.その声のアクセントが頻繁であるか稀であるか,抑揚が鋭いかそうでないかは,もっぱらそれに加わる感情次第である.こうしてリズムと響きが音節を伴って生まれ,情念はあらゆる器官に語らせるようにするので,声にはこうした諸器官の特徴が付随する.こうして,詩,歌,言葉は共通の起源をもつのである.先に触れた泉のまわりでは,最初の言葉は最初の歌であった.リズムの周期的で規則正しい反復,アクセントの旋律に似た抑揚が詩と音楽を言語とともに生み出した.あるいはむしろ,これらはすべてこうした幸福な風土や幸福な時代には言語そのものに他ならなかったのである.なぜならその時代には,他人の協力を必要とする差し迫った欲求は,心情が生み出す欲求だけだったからである.

報告
最初の物語,最初の演説,最初の法は韻文であった.詩のほうが散文よりも先に見出されたのだ.それはそうであったはずだ.なぜなら情念のほうが理性よりも先に語りはじめたからである.音楽も同様である.最初には旋律のほかには音楽はなかったし,さまざまに変化する言葉の響きのほかには旋律はなかったし,アクセントが歌を形成し,音の長短がリズムを形成していた.したがって,分節と声によって語るのと同じくらい豊かに響きとリズムによって語っていたのである.「かつては話すことと歌うことは同じことだった」とストラボンは述べている.「このことは詩が雄弁の源であるということを示している」*,と彼は付け加えている.どちらも同じ源をもっており,最初は同じものに他ならなかったと言うべきだったのである.最初の社会が作られていった道筋からすれば,最初の物語が韻文で作られ,最初の法が歌われたとしても驚くことだろうか? 最初の文法家たちが彼らの作文術を音楽に従わせ,彼らは同時に両方の教師であったとしても驚くことだろうか**?
*『地理学』第一巻.
**「アルキュタスとアリストクセノスは文法の研究は音楽の研究のなかに含まれると考えていた.また両者の学問を教えていたのも同じ教師であった(...).エウポリスは,音楽と文芸を同時に教えていたプロダモスを演劇化することによって,この証言の確証としているし,マリカスすなわちヒュッペルボルスは音楽のあらゆる部門のなかで自分は本来の意味での文法しか知らないと告白している.」クインティリアヌス,『弁論教育』第一巻,第十章.
分節と声しかもっていない言語は,したがって半分の富しかもっていない.そのような言語はたしかに観念は表すが,感情,イメージを表すためには,さらにリズムと響き,すなわち旋律が必要なのである.この旋律こそ,ギリシャ語にあって,私たちの言語に欠けているものである.
ギリシャ人のもとで雄弁,詩,音楽がもっていた驚異的な効果については,私たちはいつも驚かされる.こうした効果は私たちの頭ではうまく整理がつかない.というのも私たちはもはや同じような効果を感じることがないし,その効果が非常にはっきりと証明されるのを見て私たちにできることと言えば,せいぜいわが国の学者たちにたいする諂いからその効果を信じているふりをすることくらいだからである***.ビュレットはギリシャ音楽のいくつかの曲を可能な限り今日の音楽の音符に移し換え,愚かにもこれらの曲を文芸アカデミーで演奏させたが,アカデミー会員たちは辛抱してそれを聞いたのである.このような実験が,どんな外国人にも理解不可能な音楽をもつ国で行われたことに,私は感嘆する.フランスオペラのモノローグをどれか,あなたの気に入った外国の音楽家に演奏してもらってご覧なさい.絶対に似ても似つかないだろう.ところが,そんなフランス人が,二千年前に音楽をつけられたピンダロスのオードの旋律に評価を下そうというのだ!
***ギリシャ特有の大げさな言い方については何事についてもおそらく割り引いて考えねばならないだろうが,この割り引きを押し進めるあまり,相違をすべて消し去ってしまうならば,それは近代の偏見に譲りすぎというものだろう.テラッソン師によれば,「アンフィオンとオルフェウスの時代のギリシャ音楽は,今日なら首都からもっとも離れた町の音楽の状態にあったのだが,音楽が川の流れを止めたとか,樫の木を引きつけたとか,岩を動かしたというのは,まさにその頃のことなのである.音楽が非常に完成度の高い状態に達した今日では,音楽は大変好まれ,人々は音楽の美しさを読みとれるまでになっているが,すべてのことが元の状態のままなのである.これはホメロスの詩についても同じである.この詩人は,後に続く時代に比べれば,人間精神がまだ子どものように感じられる時代に生まれた.かつては彼の詩に人々は恍惚となったが,今日では優れた詩人の詩を味わい評価することに満足している.」 テラッソン師がときには洞察力に富んでいることをだれも否定できないが,彼がそれを見せたのはこの一節においてではないことははっきりしている.
かつてアメリカではインディアンたちが鉄砲の驚くべき効果を見て,地面に落ちたマスケット銃の弾を拾い集め,それを手で投げながら,口で大きな声を出したが,だれも殺すことがなかったので,彼らはまったく驚いた,というのを読んだことがある.今日の演説者,音楽家,学者もこのインディアンたちに似ている.ギリシャ人が彼らの音楽でやっていたことが,もはや私たちは今日の音楽ではできないというのは不思議でもなんでもない.反対に,これほど違った楽器で,同じ効果が出せるとしたら,そのほうが不思議だろう.

第13章
 旋律について

人間は感覚器官によって変わる.それはだれも疑わない.だが,その変化を区別することができなければ,私たちは変化の原因を混同することになる.私たちは感覚の影響力を過大に評価するか,過小に評価するかのどちらかである.しばしば感覚は感覚として私たちに作用するだけでなく,しるし,またはイメージとしても作用するということ,そして感覚がもつ精神的結果には同じく精神的原因があるということが,私たちには分かっていないのだ.絵画が私たちのなかに引き起こす感情は色彩に起因しているわけではないのと同じく,音楽が私たちの魂にたいしてもつ支配力は音の結果ではない.陰影に富んだ美しい色彩は視覚を喜ばせるが,この喜びは純粋に感覚的なものである.これらの色彩に生命力と魂を与えるのはデッサンであり,模倣である.私たちの魂を感動させるのは,そうした色彩に描かれた情念であり,私たちの心を動かすのは,色彩に描かれた対象である.関心と感情は色彩の結果ではない.感動的な絵の描線は版画でも私たちを感動させる.絵からこうした描線を取り除いてみれば,色彩だけではもはやなにごともなしえないだろう.
絵画におけるデッサンと同じことを音楽ではまさに旋律がおこなっている.描線と形象を形作っているのが旋律であって,和音と音はそれを埋める色彩でしかない.だが,旋律だってただの音の連続にすぎぬではないかと言う人がいるだろう.確かにその通りだ.だが,デッサンだって色彩の配置にすぎない.雄弁家は詩文の文章を書きとめるのにインクを使う.だからといって,インクはもっとも雄弁な液体だということになるだろうか?
デッサンというものについての観念がまったくなく,多くの人々が色彩を組み合わせたり,混ぜたり,配合したりして毎日を過ごし,それで絵が上手になると信じているような国を仮定してみよう.この人たちは,ちょうど私たちがギリシャ音楽について推論するのと同じやり方で,私たちの絵画について推論するだろう.美しい絵が私たちに引き起こす感動や,情念に満ちた主題を前にしたときに感じる魅力についての話を聞くと,その国の学者たちはすぐにどんな原料なのか調べ,彼らの色彩と私たちのそれを比較し,私たちの緑のほうが柔らかいのか,私たちの赤のほうが鮮やかなのかを検討するだろう.彼らはどんな色の組み合わせが涙を流させ,怒りをひきおこすのかを研究するだろう.この国のビュレットたちは,形が分からなくなった私たちの絵の切れ端をいくつか布きれのうえに集めて,この色彩のなかのいったい何がそれほど驚異的なのか,わけが分からず首をひねるだろう(p.4).
隣のどこかの国で描線を引いたり,デッサンの下書きをしたり,まだ不完全な形を描いたりすることが始まったとしても,こういったものはすべて子どものなぐり書きとか,気まぐれに描かれた形の歪んだ絵としかみなされず,人々は趣味を保存するために,なにも表現しておらず,美しい陰影,色彩の美しい大きな平面,なんの描線もなくただ少しずつ移り変わるだけの色調を目立たせる例の単純な美に満足していることだろう.
ついにはたぶん進歩のおかげで,彼らはプリズムの実験に到達するだろう.たちまちだれか高名な芸術家がそれについて立派な体系を確立するだろう.彼は人々に言うだろう.「皆さん,正しく哲学するためには,物理的原因までさかのぼらねばなりません.これが光の分解です.これがすべての原色です.これがそれらの関係であり,比率です.これが絵画から皆さんが得る喜びの真の原理です.デッサン,再現,形象といった不可解な言葉はすべてフランスの画家たちのまったくのいかさまであります.彼らはそうした模倣によって私どもの知らない感動を魂に与えるなどと考えておりますが,ご存じのようにそこにあるのは感覚だけなのです.彼らの絵はすばらしいと言われているようですが,私の色調をご覧ください.」
彼はさらに続けて言うだろう.「フランスの画家たちはたぶん虹を観察したのでしょう.彼らは自然からいろどりについての趣味と色彩についての直感を受け取ることはできたのです.それにたいして,私のほうは皆さん方にこの芸術の偉大な真の原理をお見せしたのです.この芸術の,どころではありません.すべての芸術の原理,皆さん,すべての学問の原理を,です.色彩の分析,プリズムの屈折の計算は,自然界にある唯一の正確な関係,あらゆる関係の規則を皆さんにもたらすのです.ところで,この世界ではすべてが関係でしかありません.したがって,絵を描くことを学んだとき,人はすべてを知ることになり,色彩を配分することを学んだとき,人はすべてを知ることになるのです.」
感情と趣味をまったくもたないために,こんなふうに推論をして,滑稽にも絵画が私たちに与える喜びをこの芸術の物理的側面に限定してしまうこの画家について,いったいどう言ったらいいのだろうか? 同じような偏見に満たされて,音楽の偉大な効果の源は和声のなかだけにしかないと信じている音楽家について,いったいどう言ったらいいのだろうか? 私たちならそんな画家は板張りの色塗りをさせるだろうし,そんな音楽家はフランスオペラを作るようにさせておくだろう.
したがって,絵画が視覚にとって快適であるように色彩を組み合わせる技術ではないように,音楽も耳にとって快適であるように音を組み合わせる技術ではない.ただそれだけのものでしかないのなら,どちらも自然科学のひとつとなり,芸術ではなくなるだろう.それらを芸術の域にまで高めているのは模倣だけである.ところで,いったい何が絵画を模倣芸術にしているのだろうか? それはデッサンである.いったい何が音楽を別の模倣芸術にしているのだろうか? それは旋律である.

第14章
 和声について

音の美しさは自然のものである.音の効果は純粋に物理的なものであり,音響体と,たぶん無数にあるその部分音のすべてによって振動させられた空気のいくつもの分子が協力することから生じるのである.その全体がひとまとまりとなって快適な感覚を与えるのだ.この世界の人間はすべて美しい音を聴くと喜びを感じるが,しかしこの喜びが彼らのよく慣れ親しんでいる旋律的な抑揚によって生命力を与えられているのでなければ,それは魅惑的なものにならないだろうし,甘美な喜びに変わることもないだろう.私たちの好みに合うもっとも美しい歌でさえも,それに慣れていない耳を感動させることはどんな場合でもあまりないだろう.なぜなら,歌というのは一種の言語であり,それには辞書が必要だからである.
本来の意味での和声は,さらにもっと状況が不利になる.和声は約束事の美しかもっていないので,そのための訓練を受けていない耳にはまったく心地よく響かず,この美を感じ,味わうために,長期の習慣が必要とされる.粗野な耳には私たちの協和音のなかに雑音しか聞こえない.自然の均斉がくずれてしまえば,自然な喜びももはや存在しなくなることは驚くにあたらない.
音はこの音に付随するすべての倍音を伴っているもので,これらの倍音は,この音のもっとも完全な和声を与えるために相互にもっていなければならない一定の強度と音程の関係に保たれている.そこに三度とか五度とかその他の協和音を付け加えれば,それはたんなる追加ではなく,その協和音を二倍に強めることになってしまう.音程関係は維持していることになるが,強度関係はくずしてしまうことになる.ある協和音は強めながら,残りの協和音はそのままであれば,均斉を壊すことになる.自然よりいいことをしようと望んでいるのに,もっと悪いことをしているのだ.あなた方の耳と趣味は芸術の誤った理解のために損なわれている.もともとユニゾン以外には和声は存在しないのだ.
ラモー氏は,ある程度単純な高音部は自然にその低音部を連想させるものであり,訓練されていなくても正確な耳をもっている人は自然とこの低音を音に出すことができると主張する.これこそ,音楽家の先入観であって,どんな実験をやっても否定されるものである.一度も低音も和声も聴いたことがない人はこの場合の和声も低音も自分では見つけだすことができないだけでなく,和声や低音をこの人に聴かせたら,彼はそれを不快に思うだろうし,単純なユニゾンのほうをずっと好むだろう.
たとえ音の比率や和声の法則を何年も計算したところで,どうしたらこの芸術は模倣芸術になり得ようか.どこにいわゆる模倣の原理が求められよう.和声がいったい何の記号だということになるだろう.和音と私たちの情念のあいだにどんな共通性があるというのだろう.
同じ質問を旋律についてしてみれば,答えは自ずと出てくる.あらかじめ読者にはそれが分かっているからだ.旋律は,音声の抑揚を模倣することによって,嘆き,苦しみの叫びとか喜びの叫び,脅かし,うめきを表現する.情念がもっている音声による記号はすべて旋律の領分である.旋律は言語のアクセントや,それぞれの固有語においていくつかの魂の動きに割り当てられた言い回しを模倣する.旋律はただ模倣するだけではなく,語るのであり,分節化されていないが,生き生きとして,激しく,情熱的なその言語は,言葉そのものよりも百倍も力強さをもっている.まさにここから音楽的模倣の力は生まれてくるのだし,ここから感じやすい心におよぼす歌の支配が生じるのだ.和声は,ある種の体系内でなら,転調の規則によって諸音の連続をつないだり,音の上がり下がりをもっと正確にしたり,耳に音程の正確さを確かめる手段を与えたり,耳でとらえにくい抑揚を連続した協和音程に近づけたり固定することによって,それに協力することが可能である.だが,同時に,旋律にさまざまの足枷を与えることによって,和声は旋律から力強さと表現力を奪い,情熱的なアクセントを消し去って,そのかわりに和声的な音程をおしつけ,演説の調子とおなじだけあるはずの歌をたった二つの旋法に従属させ,和声の体系におさまりきらない多数の音や音程を消し去ったり破壊したりする.要するに,和声は歌を言葉からあまりにも切り離してしまうので,歌と言葉という二つの言語は相争い,対立しあい,互いから真実の性格を奪い合い,情念に富んだ主題においては,決して成功しないで,滑稽なものになってしまうのである.その結果,国民はつねに,歌によって強く真摯な情念を表現することを滑稽なことだと考えるようになったのである.というのは,今日の言語ではこのような情念には音楽的な抑揚がないことや,北方の人間も白鳥も歌いながら死ぬわけではないことを人々は知っているからである.
和声だけに依存しているように見える表現にとってさえも,和声だけでは不十分である.たとえば,雷鳴,小川のせせらぎ,風,嵐などは和音だけではうまく表現できない.たとえどんなことをしようとも,雑音だけでは精神にはなにも伝えることはない.理解されるには事物が語らなければならないし,つねにどんな模倣のなかでも,一種の言葉の流れ(ディスクール)が自然の声を補っていなければならない.雑音を雑音によって表現しようとする音楽家は間違っている.彼は自分の芸術の弱点も長所も分かっていないのだ.彼は趣味もなく,知識もなく,それを判断している.歌によって雑音を表現しなければならないこと,もし蛙を鳴かせたければ,蛙に歌わせなければならないということを,この人に教えてやるべきだ.というのは,模倣するだけでは十分でなく,心に触れ,心を動かさねばならないからだ.それなくして,彼の無愛想な模倣は無意味であり,だれの関心も引き起こさず,どんな印象も与えることはないであろう.

第15章
 私たちのもっとも生き生きとした感覚は多く精神的印象によって働くこと

   音が私たちの神経に引き起こす振動だけから音を考察しようとするかぎり,音楽および音楽が心に及ぼす力の真の原理を見出すことはないだろう.旋律のなかの音はたんに音として私たちに働きかけているだけでなく,私たちの情緒や感情のしるしとしても働きかけている.つまり,このようにして音は私たちのなかにそれが表現しているはずの心の動きを引き起こすのであり,また私たちは音にこのような心の動きのイメージを認めたりするのだ.こうした精神的効果のあるものは動物のなかにも認められる.犬の吠え声は他の犬の注意をよぶ.私の猫は私が猫の鳴き声を真似ているのを聞いた瞬間,注意深くなり,不安そうに,動揺する.だが仲間の鳴き声を真似ているのが私だと分かると,猫は座り直して,休息する.神経の振動に違いはなく,実際はじめは猫も勘違いしたのだから,どうしてこのような印象の違いが生じるのだろうか?
もし私たちの感覚が私たちを捉えるもっとも大きな力が精神的な原因によるものでないとしたら,どうして私たちがあれほど激しく感じる印象が野蛮人にとっては無意味であるということが起こるのだろうか? どうして私たちをもっとも感動させる音楽がカライブ人の耳には意味のない雑音にすぎないということが起こるのだろうか? 彼らの神経は私たちのとは別の性質のものなのだろうか? どうして彼らの神経は同じように振動しないのだろうか? あるいは言い換えれば,どうして同じ振動がある人々の心は大いに動かすのに,他の人々の心はほとんど動かすことがないのだろうか?
音がもっている生理的な力の証拠としてタランチュラに刺された者を音が治すという例が挙げられる.この例が証明しているのはまったく逆のことなのだ.この昆虫に刺された人をすべて治すには絶対に必要な音があるわけでも,同じ曲でみんなが治るわけでもない.それぞれの人に彼がよく知っている旋律をもった曲とか彼に理解されるフレーズが必要なのである.イタリア人にはイタリアの曲が,トルコ人にはトルコの曲が必要なのだ.だれしも自分の慣れ親しんだアクセントにしか心を動かされることはない.各人の神経は,精神がそのアクセントを受け入れるかぎりでしか,それに応じようとしないものなのだ.ある人になにかを言って,それで彼の心を動かそうとするには,この人がその言語を理解できなければならない.ベルニエのカンタータはあるフランスの音楽家の熱を下げたと言われるが,別の国の音楽家だったら,逆に熱を上げてしまっただろう.
他の感覚でも,そしてもっとも粗野な感覚においてまで,同じような違いが観察される.同一の対象に手を置き,じっと見つめていると,次々と生きているようにも生命がないようにも見える.感覚は同じ刺激を受けているにもかかわらず,印象はなんと違うことだろうか? 丸み,白さ,確かさ,穏やかなぬくもり,柔らかな弾力,すこしづつ変わるふくらみは,生命に満ちた心臓がそれらの下で動悸をうち,鼓動していることを感じていると思わなければ,柔らかいだけで味気ない感触を与えるだけだろう.
感覚が刺激を受けても精神的なものがまったく加わらないような感覚を私はひとつしか知らない.それは味覚である.したがって,食道楽はなにも感じることのない人々の主たる悪徳である.
したがって感覚の力について思索を深めようとする人は,純粋に生理的な感覚印象と,感覚を通して受け取るけれども,それをただの誘因にしているにすぎない知的で精神的な印象とを,はっきりと区別することから始めてほしいものである.知覚される対象がもちえない力,そうした対象が私たちのなかに再現する魂の作用から引き出す力を,もともとこうした対象がもっているのだと勘違いしないようにしてほしいものだ.色彩や音はなにかの再現やしるしとしては大きな力をもつが,たんなる感覚の対象としてはほとんどなんの力ももたない.一続きの音や和音はたぶんしばらくは私を愉しませるだろうが,私を魅了し,私を感動させるためには,これらの音の連続がただの音でも和音でもないなにか,私の意に反して私の心を動かしてしまうようななにかを私に与えてくれなければならない.歌でさえも,快適なだけで,何事も語らなければ,やはり退屈させる.というのは,耳が心に喜びをもたらすというよりも,心が耳に喜びをもたらすからである.このような考えをもっとよく推し進めれば,古代音楽に関する愚かな屁理屈をせずにすんだにと思う.だが,今世紀では,魂のはたらきを何でもかんでも物質によって説明し,人間の感情からあらゆる精神性を取り去ってしまおうとする努力がなされてきたので,この新しい哲学が徳にとってと同様,良き趣味にとっても不吉なものでないとすれば,間違いは私の方にあることになろう.

第16章
  色彩と音の偽のアナロジー

   芸術を考察するさいに物理的な見方はあらゆる種類の不条理を引き起こさずにはいなかった.音を分析して,人々は光の分析のときと同じ関係を見出した.するとすぐにこの類似に強く心を奪われ,経験も理性も考慮に入れようとはしなかった.体系の精神がすべてを混同させ,耳のために絵を描くことはできないので,目に見えるように歌うことを思いついた.色でもって音楽を作ると主張するあの有名なクラヴサンを見たことがある.色彩の効果はその持続性のなかにあり,音の効果はその連続性のなかにあるということを見ないというのは,自然の働きをまったく誤解することである.
豊かな彩りは同時に地表にくりひろげられる.最初の一目ですべてが見える.しかし多くを見れば見るほど,もっと魅了されるものである.もはや賛嘆し,見続けさえすればいい.
音については同じではない.自然は音を分析したりしないし,倍音に分けたりもしない.逆に,自然は倍音をユニゾンのしたに隠している.あるいはときに人間の転調した歌や鳥か何かのさえずりのなかでは分離することがあるとしても,それは同時ではなく,次々と連続させるようにしてである.自然は歌をわき上がらせるのであって,和音ではない.自然は和声ではなく,旋律を音にする.色彩は生命のない存在の装いである.確かにどんな物質も色をもっているが,音は運動があることを示し,声は感覚をもった存在を示す.歌うのは生命をもった身体だけである.自動人形の笛ふきがフルートを吹いているのではなく,風量を調節し,指を動かしているのは,技師なのである.
したがって,どの感覚にもそれ固有の領域がある.音楽の領域は時間であり,絵画のそれは空間である.同時に聞こえる音を増やしたり,次々と色を見せることはそれらの成り立ちを変えてしまうことになり,つまり眼に耳の役割をさせたり,耳に眼の役割をさせることになる.
次のような反論があるだろう.たとえば,どの色にもそれを作る光線の屈折角度によって決定されるように,どの音も一定時間内での音響体の振動数によって決定されるのだ.こうした角度とか振動数とかの比率はどちらの同じなので,類似は明白である,と.確かにそうだ.しかし,この類似は理性によるものであって,感覚にもとづくものではない.それに大事なのはそういうことではない.第一に,屈折角度は眼で見ることができるし,測定可能だが,振動数はそうはいかない.音響体は空気の作用に従属しているので,たえず大きさと音を変える.色は持続可能だが,音はすぐに消えてしまい,次の音がさっきの音と同じだという確信をだれももつことができない.それにどの色も絶対的で,自立しているが,それにたいしてどの音も私たちにとっては相対的でしかなく,比較によらなければ区別できない.音はそれ自体ではその音と識別させるような絶対的な特徴をまったくもたない.他の音との関係で,低かったり高かったり,強かったり弱かったりする.それ自体では,そういった性質をなにももたない.和声体系のなかでは,どの音ももともとなにものでもない.主音でもなければ,属音でもなく,倍音でもなければ,基礎音でもない.なぜならば,こうした特性はすべて関係でしかなく,音列全体が低音から高音へ変化するので,音列が音度を変えるのに応じて,どの音もその音列のなかでの順序と位置が変わるのだ.しかし,色の特性は関係のなかにはない.黄色は,赤や青とは独立した黄色であり,どこにあっても黄色として知覚され,それと識別される.その色が出るように屈折角度を固定すれば,いつだってこれと同じ黄色を確実に手に入れることができる.
色というのは色のついた物体のなかにあるのではなくて,光のなかにあるのだ.ある物を見るためには,それに光があてられなければならない.音にもまた動機が必要で,音が存在するためには,音響体に振動が与えられなければならない.これは視覚にとって有利なもう一つの点である.というのは,天体の永遠の発光は視覚に作用する自然の道具であるが,それにたいして自然だけではほとんど音を発生することがなく,天空に和声があるとでも考えないかぎり,それを生み出す生きた存在がいると言わなければならなくなるからである.
ここから,絵画のほうが自然に近く,音楽のほうは人為に依存しているということが分かる.また,音楽は,人間をいっそう人間に近づけ,つねに自分と同じ存在についての観念を私たちに与えるので,絵画よりも私たちたちの関心をより引きつけるということも感じとして分かる.絵画はしばしば死んだようで生命感がない.絵画は私たちを砂漠の奥に連れていくことができるが,人間の声のしるしが私たちの耳を捉えるや,それは私たちと同じような存在がいることを知らせる.いわば,人間の声のしるしは魂の器官であり,それが私たちに孤独を描いているときでも,それは私たちが一人ではないということを言っているようなものである.鳥はさえずるが,人間だけが歌う.だから,歌を聴いても,合奏を聴いても,すぐに,ここにはほかにも感じることのできる人がいると思わずにはいられないのである.
画家には見ることのできないものは描くことができないのにたいして,聴くことができないようなことでも描くことができるというのが,音楽家の大きな長所のひとつである.運動だけによって働きかける芸術のもっとも不思議なところは,休息のイメージにいたるまでも作り出せるということである.眠り,夜の静けさ,孤独,そして沈黙でさえも音楽による描写のなかに入ってくる.雑音が沈黙の効果を生みだし,沈黙が雑音の効果を生み出すことができるということは知られている.それはちょうど,単調で一様な読書をしていると眠り込んでしまうが,読書をやめた瞬間に目が覚めてしまうというのと同じである.だが,音楽は私たちにたいしてもっと内的な作用を及ぼし,ある感覚によって引き起こしうる情緒作用に類似した情緒作用を別の感覚によって引き起こすのである.この関係は印象が強い場合にしか感じられないので,この力をもたない絵画は,音楽が絵画から引き出しうる模倣を音楽に返すことができない.たとえ自然全体が眠りについているとしても,自然を見ている人は眠ってはいないし,音楽家の技術は対象の知覚し得ないイメージを,その対象を前にしたときに,それが見ている人の心に引き起こす動きのイメージに置き換えることなのである.音楽家は,生みを波立たせ,火災の炎を燃え上がらせ,小川の水を流れさせ,雨を降らせ,激流を溢れかえさせるだけではなく,恐ろしい砂漠の恐怖を描き,地下牢の壁を悲しげに見せ,嵐をしずめ,大気を穏やかで澄みきったものにし,オーケストラから小さな森へさわやかな冷気を送るだろう.音楽家はこれらを直接的に描くのではなくて,これらを見ているときに感じるのと同じ感情を,聴くものの魂に引き起こすのである.

第17章
 音楽家たちがもっている,その芸術に有害な間違い

    どの点から考えても私が言っている精神的効果に行きつくこと,そして音がもっている力というものを空気の作用や神経の振動からしか考えない音楽家たちが,いかにこの芸術の力の所在を知るところからかけ離れているかということに注目していただきたい.彼らがこの芸術を純粋に物理的な刻印に近づければ近づけるほど,彼らはこの芸術をその起源からますます遠ざける結果になってしまうし,この芸術の原初からの力強さを奪い去ってしまうことになる.声のアクセントを切り捨て,制度としての和声だけに結びつくことによって,音楽は耳にはより騒々しいものとなり,心にたいする甘美さは少なくなった.音楽はすでに語りかけるものではなくなっており,まもなくまったく歌わなくなるだろうが,そうなれば音楽は,そのすべての和音や和声をもってしても,私たちにたいしてもはやいかなる効果も発揮することがなくなるだろう.

第18章
 ギリシャ人の音楽体系は,私たちの音楽体系とは,いかなる関係もないということ

先のような変化がどうして起こったのだろうか? 諸言語の性格の自然な変化によるものなのだろうか? ご存じのように,私たちの和声はゴート人の発明である.私たちの体系のなかにはギリシャ人の体系があることを発見したと主張する人々は,私たちを馬鹿にしていることになる.ギリシャ人の体系には,今日私たちが使っている意味での和声的なものは,完全協和音にもとづいて楽器の調律をするために必要なもの以外は,絶対になかったからである.弦楽器をもっている民族はすべて,それを協和音によって調律せざるを得ないが,弦楽器をもたない民族は,その歌のなかに,私たちが偽の調子と名付けるような調子をもっている.私たちがそう名付けるのは,そうした調子が私たちの体系に収まりきらないし,それらを記譜することが私たちにはできないからからである.このことはアメリカの未開人の歌について指摘されたことだし,もっと私たちの音楽にたいする先入観をもたずにギリシャ人の音楽を研究していたら,この音楽のさまざまな音程に関しても同様に指摘できたはずのことである.
私たちが音域をオクターヴによって分割するように,ギリシャ人は彼らの音域をテトラコルドで分割していたし,今日ではオクターヴごとに同じ分割が繰り返されるように,テトラコルドごとに同じ分割が正確に繰り返されていた.これはよく似ているけれども,和声法というまとまりのなかに収めることができないものであり,和声法からは思いつくことができないようなものなのである.しかし話すときには歌うときよりも小さな音程を通るものなので,私たちが和声的な旋律のなかにオクターヴの繰り返しを見るのと同じように,彼らがその旋律のなかにテトラコルドの繰り返しを見ていたのは自然なことである.
私たちが完全協和音と呼んでいるものしか,彼らは協和音として認めていなかった.彼らは三度と六度を協和音から排除していたのだ.それはいったいなぜだろうか? 小全音の音程を彼らが知らなかったか,あるいは実践では禁止されていたし,彼らの協和音は平均律化されていなかったために,彼らの長三度は一コンマ分だけ広すぎ,短三度は一コンマ分だけ狭すぎ,その結果彼らの長六度と短六度はそれぞれ同じだけ異なっていたからである.三度と六度を協和音の列から排除したら,いったいどんな和声概念や,どんな和声法が作れるものか,考えてみていただきたい! もし彼らが認めている協和音そのものが真の和声感情によって知られていたのだとしたら,少なくとも彼らはその歌の下にそうした協和音を暗黙の内に聴いていただろうし,その結果,根音進行が暗黙の内に協和音をもつというので,根音進行がギリシャ人に示唆するはずの全音階的な進行に,協和音という名称が付けられていたことであろう.そうなれば,私たちより協和音が少ないどころか,もっと多くの協和音をもつことになり,たとえば,低音のド-ソが頭から離れなくて,彼らは二度のド-レにも協和音という名称を与えていたことだろう.
しかしどうして全音階的な進行が使われていたのかという人がいるだろう.抑揚があって歌うような言語では本能的にもっとも快適な調子を選んでしまうことになるからである.というのは,協和音のような広い音程を連続して音にするためには声門に与えなければならない変化が強すぎるし,他方,もっとも小さな音程の非常に人為的な比率のなかで音の上がり下がりを正しく出すのは困難であるので,器官がその中間をとって,協和音よりは狭くて,コンマよりは単純な音程に自然と落ち着いたのである.とはいえ,より情念が強く関わる主題においては,もっと小さな音程も使われていたことは言うまでもない.

第19章
 音楽はいかにして堕落したか

言語が完成するのにつれて,旋律は新たな規則を引き受けることになり,知らず知らずのうちにかつての力強さを失い,抑揚の繊細さに音程の計算がとってかわった.たとえばエンハーモニックの音階組織の使用が徐々に廃れていったのはこのようにしてなのである.劇場が決まった形を取るようになると,もはやだれも決められた様式でしか歌わなくなり,模倣の規則が増えていくのにつれて,模倣的言語は衰弱していった.
哲学の研究と理性的思考の進歩は,文法を完成させて,当初には言語をあれほど歌うようなものにしていたあの生き生きとして情熱的な調子を言語から奪うことになった.初めは詩人の言いなりで,詩人の目の前で,いわば彼らの言うがままにしか演奏していなかった楽器奏者たちは,メナリピデスやフィロクセノス[二人とも前五世紀のギリシャ詩人]の時代からは,彼らから独立してしまった.プルタルコスによって今日まで伝えられているフェラクレテス[前五世紀のギリシャの喜劇作家]の喜劇の一節では,音楽の女神がこの身勝手を苦々しく嘆いている.こうして旋律はもはや言葉の流れ[ディスクール]にあれほど密着したものではなくなり始め,知らず知らずのうちに別個の存在となり,音楽は言葉からより独立したものになっていった.音楽が詩の抑揚であり,詩の調べでしかなかった頃,また音楽が情念にたいする強い働きかけを詩に与えていた頃の,あの不思議な力も同じ頃に徐々になくなった.その後この強い働きかけは言葉が理性にたいして及ぼしているにすぎない.またギリシャにソフィストや哲学者がいっぱいになると,名高い詩人や音楽家は見られなくなった.人を説得する技術を開拓することによって,人を感動させる技術が失われたのである.プラトン自身もホメロスとエウリピデスを妬んで,ホメロスをけなしたし,エウリピデスを模倣しようとしたがそれもできなかった.
隷従はその影響力を哲学の隷従にまで広げた.鉄鎖につながれたギリシャは自由な魂しか熱くすることがないあの情熱の火をうしない,かつて英雄を歌ったときにもっていた調子を使おうとしても,もはは専制君主を称えるためにしか使いようがなかった.ローマ人との融合のために,調べと抑揚の言語に残っていたものもさらに弱まった.響きがなくてあまり音楽的でないラテン語は音楽を自分のものにしようとして,かえって音楽を台無しにしてしまった.首都で歌われていた歌は少しずつ地方の歌を変質させた.ローマの劇場はアテネの劇場に害をもたらした.ネロが賞をさらったとき,ギリシャは賞に値するような状態ではもはやなかったし,同じ旋律がどちらの言語でも使われるようになると,どちらの言語にも合わなくなった.
最後に破局がやってきた.それは人間精神の進歩は破壊したが,その産物である悪徳は取り除くことがなかった.ヨーロッパは野蛮人に侵略され,無知な人間に従属させられ,学問と芸術,そして学問と芸術の普遍的道具である完成された調和のとれた言語を同時に失った.北方が生み出したこうした粗野な人間たちは知らず知らずのうちに彼らの粗野な器官に人々の耳を慣れさせた.堅くて抑揚のない彼らの声は騒々しいだけで響きがなかった.ユリアヌス帝はゴール人の話し声を蛙の鳴き声にたとえた.彼らの声は鼻にかかって聞こえにくかったのと同じく,彼らの分節音はどれも耳障りだったので,彼らは歌に大音響のようなものしか与えることができなかったが,大音響のようなものとは,すなわちたくさんあって堅い子音をカバーするために母音の音を強めることから生じていたのである.
この騒々しい歌は柔軟性のない器官の結果であったが,この新参の民族と彼らに征服されて彼らの真似をした民族は,そのために理解されようとしてすべての音を長く引き延ばさざるを得なくなった.発音しにくい分節音と強く発音される音があいまって,どちらも旋律から拍子やリズムの感情を追放してしまった.より発音しにくかったのは,たいていある音から別の音への移動だったので,どの音にもできるだけ長くとどまり,それに力を込め,できるだけ輝かせること以上にうまい方法はなかった.まもなく歌はもはや,甘美さも,拍子も,魅力もない引きずるような叫ぶ音がだらだらと続くだけのものなった.ある学者たちはラテン語の歌では長格と短格を遵守しなければならないと言ったが,このことからして,確かに,少なくとも韻文が散文と同じように歌われ,もはや詩の脚も,リズムも問題でなく,いかなる種類の拍子であれ,拍子をもった歌も問題ではなくなっていたのである.
このようにしてまったく旋律を取り去られ,音の力と持続だけから成り立っている歌は,ついには協和音によって歌をもっと響きの良いものにするための方法を人々に思いつかせたに違いない.何人かの声が決まった長さなしに音をユニゾンで引き延ばしいると,偶然にいくつかの和音が見つかったが,これらの和音は雑音を強め,それゆえにこの雑音が彼らには快適だと思えた.こうしてディスカントゥスと対位法の実践が始まったのである.
効果は分かっているのに原理が分からないために生じた問題について,いかに多くの世紀を音楽家たちが無駄に議論してきたのか,私は知らない.ジャン・ド・ミュリスの著作のなかで,オクターヴ音程を二つの協和音に分割した場合に,下に置かねばならないのは五度のほうなのか四度のほうなのかを知るために,八章から十章もの長々とした無駄話が繰り広げられているが,もっとも疲れを知らぬ読者でもこれには耐えられないだろう.その400年後にはボンテンピの著作のなかには,五度のかわりに六度を置く必要がある低音のすべてがこれに劣らず長々と列挙されている.しかしながら,和声は知らず知らずのうちに分析によって命じられた道をたどるようになり,ついには短旋法と不協和音が発見されて和声に恣意性が持ち込まれるにいたった.今では和声は恣意性でいっぱいだが,私たちがそれに気づかないでいるのはもっぱら偏見のせいに他ならない*.
*(a)ラモー氏は,弦の共鳴は整分割された部分において起こるという非常に単純な原理に,すべての和声を関連づけることによって,短旋法と不協和音を,彼が実験と呼ぶものによって根拠づけているが,この実験というのは,振動する音響弦がそれの下方に12度と長17度にあたるもっと長い弦を振動させるというものである.彼の主張によれば,これらの弦はその全長さにおいて振動し,振るえつづけるが,共鳴はしない.これこそ奇妙な物理学だと私には思える.なぜなら,まるで太陽は光り輝いているが,なにも見えないと言っているようなものだからである.
これらのもっと長い弦は,元の弦のユニゾンに分割され,振動し,共鳴するために,もっとも高い音しか鳴らさないのでその音と元の音は混同されて,なんら別の音は鳴らしていないように思えるはずだ.したがってここでの間違いは,これらのもっと長い弦がその弦全体で振動しているのが見えたと思いこんでしまったことであり,振動の節を観察し損なったことにある.二つの音響弦が何らかの和声的音程を形成する場合,三本目の弦がなくても,それらは下方にその基礎音を鳴らすことができる.これはタルティーニ氏のよく知られた確証済みの実験である.だが,一本の弦ではその音以外には基礎音はあり得ないので,その倍音を共鳴させることも振動させることもなく,ただユニゾンと整分割音だけを響かせる.音は音響体の振動以外の原因をもたないものだし,原因が自由に働くところではつねに結果が伴うものなのだから,振動と共鳴を切り離すというのは,ばかげたことである.
旋律は忘れられ,音楽家の関心は完全に和声のほうに向いてしまったので,徐々にこの新しい対象を中心にしてすべてが動くようになった.音階組織,旋法,音階など,すべてが新しい姿を受け入れた.和声的連続が諸声部の進行を調整するようになった.この進行が旋律という名称を簒奪したが,実際この新しい旋律のなかにはその生みの親の特徴を認めないわけにははかなかった.このようにして私たちの音楽体系は少しずつ和声的なものとなり,ついには純粋に和声的なものとなったので,声の抑揚がそのために損害を受け,音楽が私たちにたいしてその力強さをほとんどすべて失ったのも驚くには値しない.
    以上が,いかにして歌がその起源であった言葉から徐々に離れて,ついには完全に分離してしまったか,いかにして音の倍音が声の抑揚を忘れさせたか,そして最後に,かつて音楽が二重の意味で自然の声であった頃に生み出していた精神的効果を,振動の協力という純粋に物理的な効果に限定されてしまったために,いかにして失うことになったか,その経過である.

第20章
 言語と政体との関係

以上のような展開は偶然によるものでも勝手気ままなものでもなく,ものごとの有為変転に起因している.諸言語はもともと人間の欲求にもとづいて形成され,この欲求の変化に応じて変化し変質する.説得することが公の権力の代わりをしていた古代においては,雄弁が必要であった.公の権力が説得力に取って代わってしまった今日では,説得することはいったい何の役に立つだろうか? 「以上が余の欲するところである」と言うためには技術も文彩も必要ではない.したがって,集まった民衆にすべき演説として,いったい何が残されているというのか? 説教がある.だが,説教をする人々にとって,彼らを聖職に任命してくれるのは民衆ではないのだから,民衆を説得することにいったいどんな価値があるというのか? 今日では民衆の言語は雄弁と同じくらい完全に無駄なものになった.社会はその最後の形態に行きついた.もはや大砲と金貨を使ってでなければなにも変わらないし,「金を出せ」以外には民衆に言うべきことはなにもないので,街角に看板を立てるか,兵士を家に入れてそう告げるだけである.そのためにだれも集める必要はなく,反対に,国民はバラバラにしておかねばならない.これが近代政治学の第一の確立である.
自由にふさわしい言語がある.それはよく響き,韻律的で,調和のとれた言語であって,そういった言語による演説は非常に遠くからでも聞き分けることができる.近代の諸言語は長椅子での低いささやき声に向いている.今日の説教師は教会のなかで苦しみ,汗まみれになって説教するのだが,彼らが何を言っているのかだれにも分からない.一時間も叫んでくたくたになって,半分死んだようになって説教壇から降りてくる.たしかにそんなに疲れるには及ばなかったのだが.
古代人の場合には,公共の広場に集まった民衆に話を聞いてもらうのは簡単なことだった.そういうところで一日中しゃべっても気分が悪くなるということはなかった.将軍たちは自分の部隊に演説をしたが,話は聞かれたし,将軍たちは疲れることもなかった.近代の歴史家がその歴史書のなかに演説を入れたがったが,馬鹿にされた.ヴァンドーム広場でパリの民衆にフランス語で演説をしている人がいると仮定してほしい.彼がいかに声をかぎりに叫んでも,彼が叫んでいることは聞こえても,一言も聞き取れないだろう.ヘロドトスは自分の書いた歴史を屋外に集まったギリシャの民衆に読んで聞かせたが,満場が拍手喝采にうまった.今日ではアカデミー会員が公開講演会で論文を読み上げても,会場の後ろではほとんど聞き取れない.フランスには広場の大道芸人がイタリアよりも少ないが,その理由は,フランスでは耳を傾けてもらえないからではなくて,ただあまりよく聞こえないからにすぎない.ダランベール氏はフランス語のレシタティフをイタリア風に発音することもできると考えている.つまり耳に合わせて発音しなければならないということだろう.そうでなかったら,まったくなにも聞こえないだろうから.ところで,集まった民衆に聞いてもらえない言語はすべて奴隷の言語だと,私は言おう.民衆が自由であるのに,こんな言語を話すということはあり得ない.
以上の考察は表面的ではあったが,もっと深い考察を引き出すきっかけにはなり得るだろう.この考察を終わるにあたって,私の以上のような考察のきっかけとなった一節を挙げておこう.
ひとつの民族の性格,風俗,関心がその言語にいかに影響を及ぼすかということを,事実において観察し,例をもって示すことは,十分に哲学的な検討の主題となろう.*」
*M.デュクロ,『一般的合理的文法についての考察』,11ページ.

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