『旋律の起源』
『旋律の起源』

純粋に自然の産物である旋律あるいは歌は、したがって学識のある人の場合であろうと無知な人の場合であろうと、人為の産物である和声に起源を持っているのではないと思われる。人為は美しい歌であることを証明するのには役立つが、けっしてその源になることはないし、人為のもっとも価値ある役目は美しい歌を目立たせることである。
しかし、もし可能なら、旋律の真の起源を探究してみよう。そしてラモー氏がそれについて持っている考えが、諸事実の正確な観察によって得られる考えと一致するものかどうか見てみよう。そのためには起源にさかのぼらなければならないので、私についてこようという読者には忍耐を覚悟してほしいということを初めに注意しておき、あとは私の意のままに、大胆にも、冗長にもなるつもりである。
人間の自然状態というものについてはわれわれはほとんど知らないので、そのような人間が固有の一種の叫びのようなものをもっていたのかどうかさえも分からない。反対に、私たちは人間を、他の動物たちを見本にするという能力をあっと言う間に身につける物真似のうまい動物として知っている。この動物は初めは自分のまわりにいる動物の叫びを模倣することができるだろうし、住んでいる地域の多様性にしたがって、言語をもつ以前の人間は、地域ごとに異なった叫びを持っていたのかもしれない。その上、器官は気候風土によって自由さ柔軟さに違いがあったので、言語の形成以前でもすでに国民ごとのアクセントの起源がこの点にあったのである。
私はルクレシウスによると歌の発明は鳥のさえずりの模倣によるのかどうか、あるいはディオドレウスの言うようにナイル川の葦を風が通ることから起こったのかどうかを検討するつもりはないし、また人間を長いあいだ恐れさせていたエコーが最後には人間を楽しませ知識を与えるのに貢献したのかどうかも検討するつもりはない。このような不確かな推論は芸術の完成に貢献することはできないだろうし、私が古代の研究のなかで必要としているのは、近代人がなんらかの成果を引き出しうる研究だけである。その上、事物の自然から引き出しうる結果に関係のない原因に頼っても無駄であるし、歌と呼ばれる声の変化、すなわち自然に言語とともに生まれ形成されたにちがいない変化はこのようなものであった。というのはどの言語も生まれたときには数の少なかった分節音を変化の多い響きでもって補い、語と音節のかわりに抑揚と語調(アクセント)を使い、語ることが少ない分だけ歌わなければならなかったということは明白だからである。この点についてももっと注意深く解明しよう。
楽音は鑑賞できるが雑音はそうではないという点で楽音は雑音と区別されるというのは、ラモー氏の非常に適切な考察である。だからといって、ちょっと考えれば分かるように、雑音は楽音の変化したものにほかならないということになんら不都合はない。ここでは、歌うときの音声は話すときの音声と同じだが、持続性があり、一貫しているのにたいして、話すときの音声は絶えず変動し、一貫していないということを指摘するだけで十分だろう。実際のところ、声門の構造には二種類の音声についてのイメージを与えるようなものはなにもない。話している人がある音節上で止まって、その音声を同じ高さに保って引き延ばせば、その瞬間に話す音声は歌う音声になって、音は鑑賞できるものになる。その上、話す音声は楽音とおなじように音響体を共鳴させ振動させるし、同時に複数の弦を共鳴させるのは、話す声の抑揚のためにこの声がほとんど同時に多数の連続した音を移動し、その様々な倍音が同時に呼応しているからである。最後に、弦楽器の弦の上で指を動かして狭い音程の音を出してみてほしい。そうすると弓から音が出てくるが、それは人間の声の音色と語の分節が欠けているだけで、言葉によく似ているのである。そこで、子どもが鳥の真似をするときに使う笛の栓に似た栓に分節を与える方法さえ見つかれば、これを使ってオルガンのリード管に喋らせるのは不可能な企てだとは私は思わないだろう。しかし旋律の起源に戻ろう。
もし歌う音声と話す音声とが絶対的にもともと同一だとしたら、喋っているときでさえも両者のあいだの行き来はもっとも心地よいものになるだろうし、意志疎通は言語が語調に富んだものになればなるだけ簡単なものになるだろう。その結果あらゆる言語のなかでギリシャ語は言うまでもなくもっとも響きと語調に富んでいるので、会話がもっとも歌に似ている言語であるにちがいない。
この瞬間からわれわれは推測の国を出て、真理の探究へ向けてもっとしっかりした足取りで進むことができる。
言語とともに生まれた旋律は、言わば言語の貧弱さのゆえに豊かになった。多くの観念を伝えなければならないのにほんのわずかな単語しかなかったときには、必然的にこのわずかな単語に多くの意味をもたせ、様々な方法で組合せ、調子だけで区別できる様々な意味を与え、比喩を使わなければならなかったし、なかなか理解してもらえにくいために、人の興味を引くことしか言うことができなかったので、伝えるのに苦労する分だけ一生懸命になったのである。熱意、語調、身振り、こうしたことがすべて会話を活気づけ、会話は理解されるよりも感じられなければならないものだった。かくして雄弁が理屈に先行し、人間は哲学者になるよりもまえに長い間弁論家であり詩人だったのである。
古代の全ての記念物がそのことを証明してくれているように、初期の知識とそれを広めた人間たちの称賛によって熱くなった魂が、言わば真理のパン種によって醗酵した時代があった。人類が自分自身に目を開いた最初の瞬間は忘我と熱狂の時代であり、その後の哲学者のあらゆる発見はそれを衰弱させ弱らることにしかならなかった。真の天才がつねに凡人にたいしてもつ支配力を野蛮の世紀に偉人たちが持ちはじめるとすぐに、彼らの命令は口から口に伝わって、当然のことながら彼らを突き動かす炎と彼らを記憶にとどめるのにもっとも都合のいい口調をとった。そしてまもなく階調と韻律をもつようになった。階調を命ずる自然な感情は拍と拍子の均等な繰り返しによってすぐに階調をリズムに変えた。オノマトペーと模倣の好みが、多少とも響きの悪い子音と様々な分節が単語の音に与える不均等な力と結びついて、文法的な語調を不変の規則に従わせた。情念の激しいアクセントはすべて活気づけた。なぜなら重要で必要なことしか言わないので、何かを言うときには必ず関心と熱気がともなっていたからだし、言葉が発声されるときの調子を韻文にとどめる努力から、模倣されたアクセントというよりも言葉の単純なアクセントである真の音楽の最初の芽が生まれたからある。
この天上の天才の最初の閃きが心を捕らえるやいなや、集まっていた人々は崇高な調子で彼らの想像力が生み出した神々や没落したことを彼らが悲しんでいた英雄たちや生まれつつある悪徳が必要に思わせていた徳を歌いはじめた。彼らの感情は全て恍惚とし、三つの穴の横笛の田園的な音だけで、彼らに我を忘れさせるのには十分だった。この沸き立つ熱気は全ての人に伝わって、最初の歩みを活気づけ、人々のしぐさはコリフェ[古代ギリシャの悲劇におけるコロスのリーダーのこと]の説話に答えて、全聴衆の拍手喝采を示した。和声の無駄な雑音がこのような神の協奏を乱したことは一度もなかった。このような古代の祭りにおいては全てが英雄的で偉大だった。この幸福な時代には法律と歌謡とが同じ名称を持っていた。それらは全ての人々の声のなかで斉唱され、全ての心に喜びをもって響き、だれもが徳の最初のイメージを熱愛し、無垢は喜びの声にもっと甘美な語調を与えた。読者よ。このような脱線を許していただきたい。人間の無垢と幸福の時代について、いったい誰が冷静に考えることができよう?
かくして考えを伝える技術がもつことのできる情熱的なものと感動的なものとはすべてこの偉大な技術の誕生以降に発展し、最初のアクセントを活気づけ、正確さと明晰さをもつよりも先に力と魅力を与えたのである。
かくして言語が階調的で歌うようなものになるのと同時に、音楽は特殊な芸術となるのでなく、文法の一部分となったし、最後にはその規則を知らない人はだれでも言語を知らないとみなされていた。実際ピタゴラスとフィロラウスは協和音やあらゆる音程の比率を計算した。そしてその知識は楽器の制作と演奏実践に必要になった。なぜならそれらの楽器は協和音によってしか調律できなかったからである。しかしギリシャ人の様々な体系の成り立ちは、ギリシャの著述家たちの誰一人として真の意味での和声に導かれたものはなかったことを明らかに証明しているし、これとは反対のことを敢えて主張しようとする人は誰でもすぐに証明を浴びせられて、沈黙と否認を余儀なくされるだろう。これほど長い間和声に関するギリシャ人の知識について論争がなされたのは、この論争がこの芸術に対して何の造詣もない文学者たちによってなされたからであり、彼らにもう少しでもギリシャ音楽に対する知識があればギリシャ音楽とわれわれの音楽とは比較できるような共通部分をまったく持っていないし、また持つこともありえないということが分かったかもしれないのに、われわれの音楽についてのいい加減な考えだけでギリシャ音楽を判断するのには十分だと勝手に思い込んでいたからである。
ギリシャ人はわれわれが完全協和音と呼んでいるものしか協和音として認めなかった。彼らは協和音から三度と六度を排除した。なぜだろうか? それは、短旋法の音程は彼らには知られていなかったか、あるいは少なくとも実践では禁じられていたし、彼らの共和音は平均律化されていなかったので、彼らの長三度はすべてコンマ一つ分だけ広かったし、短三度はその分狭かったし、その結果増六度と減六度の関係も同じだったからである。協和音から三度と六度を除いたらどんな和声の概念を持つことができるものか、どんな和声の様式を確立することができるものか考えてみてほしい。もし彼らが認めていた協和音が本当の意味で和声的感情によって彼らに知られていたとするならば、彼らは協和音を旋律とは別のところに感じていたに違いないし、いわば彼らの歌の下に暗黙のものとして協和音を聞いただろう。その結果、根音の進行の暗黙の協和関係はこの進行が生み出す全音階的な進行にこの名称を与えさせただろうし、彼らはわれわれよりも協和音が少なかったどころか、多かったことになるだろうし、ド−ソという低音の例に心奪われた彼らはド−レの音程に協和音の名称を与えたことだろう。
私がこれほど長々と脱線をするからといって読者にはいらいらを起こさないようにお願いする。私は論点を見失っているわけではなく、結論に到達するのにこれ以上に短い道は見当たらないからである。
私が先程論じた進歩の結果である旋律は拍と音程によって、つまり本来の意味でのアクセントとリズムによって構成されていた。アクセントは、声の上行・下行の規則であり、リズムは拍子と脚韻の規則であった。これらの原理は、抑揚の容易さ、言語の的確さ、耳の喜びであった。しかし特に原理としていたのは心にまで達するもっと生き生きとした喜びであり、耳の喜びはこの喜びのたんなる仲介でしかなかった。
脚韻と詩行はもともと一定のリズムを取るものなので、語調と音程も同様に一定のリズムを取るし、このリズムはピタゴラスの計算によって最後には確定され、これらの音程のもっとも共通する秩序から、ディアトニックと呼ばれるゲノスが生じたのである。このゲノスはいくつかの種類にさらに分割されたが、そのどれも和声的な基礎を持っている可能性のあるものはなかったし、その結果生まれてきた調性がわれわれの調性に近い関係を持っていたということが仮にあったとしても、それはギリシャの韻律法の本性の結果であり、ほかならぬこれらの音程を音にすることが簡単だということが分かったことの結果である。というのは、協和音の広い音程を連続して音にするために声門に加えなければならない余りにも強い変化と、非常に複雑な比率をもった抑揚を聞き取ることの困難さのあいだで、器官はその中間を取り、当然のことながら協和音の抑揚よりも声門を疲れさせることが少なく、もっと小さな音程よりも簡単に聞き取れる全音階的な進行に落ち着いたのである。だからと言って、このことは最小の音程がより情熱的なジャンルで使用されることの妨げになるものではない。
リズムあるいは拍子は旋律を構成する一要素だったということは、旋律というのは文法的で弁論のアクセントの強くて、一貫して、分かりやすい表現にほかならないという概念だけから引き出されるものである。というのは、このアクセントは音の高さにおとらず音の相対的な長さからも決まるのであり、脚数も抑揚に劣らず本質的だったからである。古代の著述家たちがその著書のなかで旋律をリズムから区別することがあっても、それはまれであり、純粋に形而上学的な区別においてのことであって、そこでは同じ主題の二つの特質としてであって、現実に異なった二つの部分としてではない。したがって、アリストテレスは旋律という名称のもとにメロスとハルモニア、つまり抑揚と脚韻を理解するとはっきりと述べている。
旋律の付属物として、拍子、高低や強弱の差をわたしたちに与えようとするラモー氏は、いったい何を考えているのだろうか? なぜなら、それとは反対に、こういったものはすべて旋律そのものだし、それらを分離してしまったら、旋律はもはや存在しなくなるだろうからである。高い音低い音は話し言葉における類似したアクセントを、短い音長い音は韻律法の音節の長短を、均等で変わらぬ拍子は詩句のリズムと韻脚を、音の強弱は話し手の声の激しさと落ち着きを表している。情熱のこもったことを言うのに、声を弱めることも強めることもしないほど感情にとぼしい人がこの世にいるだろうか?
言葉(パロール)は諸観念を伝える技術であるのと同じく、旋律は諸感情を伝える技術であると思われる。しかしながらラモー氏は、旋律から言語活動に役立つが、かといって和声に与えるわけにいかないものをすべて取り去ってしまいたがっている。
いま一度拍子に立ち戻ろう。時間的な長さが確定していない音符の連続とは、共通な効果を奪われ、孤立して、お互いにばらばらに聞こえ、そして和声の連続によって産出されたにもかかわらず、耳にはなんのまとまりも提供せず、ひとつのフレーズを形成し、何かを言うために、拍子が与えてくれるつながりを待っている音の連続とは、いったいなんだろうか? 音楽家に音価の確定していない音符の連続を示してご覧なさい。彼は幾通りもの方法でそれらに拍子をつけ、テンポを組み合わせたり変化させるだけで、まったく異なった旋律を50通りくらいも作るだろう。これこそ、旋律を確定するのは拍子の仕事であるということの動かしがたい証拠である。こうした旋律に与えることができる和声にも多様性があって、それが旋律の効果に変化を与えるのは、和声の変化は同じ音程に旋法の音階内での様々な位置づけを与え、そのために音の関係とフレーズにおける意味を変えてしまうことによって、同じだけの異なった旋律を現実に作りだすからである。しかし歴史に戻ろう。
しかしながら言語は完成されていった。旋律には新しい規則が課されることによって、知らず知らずのうちに昔の生命力を失い、音程の研鑽がついに声調の繊細さにとってかわった。かくしてたとえば、エンハーモニックなゲノスの実践は徐々に廃れていった。劇場がどこでも同じようなかたちをとりだしたので、決められた流儀でしか歌わなくなり、模倣による規則が完成するにつれて、模倣的言語は衰弱していった。
しかしこの進歩ははじめはゆっくりだったが、いくつかの特殊な原因がそれを速め、ついには旋律の魅力をすべて破壊してしまった。というのは動物の叫び声にほかならない自然言語以上にアクセント(語調)を持つものはないからである。哲学の発展は人間の作った言語をより冷たく、よりアクセントに乏しいものにした。論理が徐々に雄弁に、落ち着いた論証が熱狂の炎にとってかわり、考えることを学ばなければならなくなって、人はもはや感じないことを学んだのである。
哲学の研究と理性の進歩は、言語をいっそう完成させ、別の言い回しを言語に与えたので、はじめのうち言語を非常に歌うようなものにしていたあの生き生きとした情熱的な調子を、言語から奪い去ってしまった。この頃に、旋律はもはや朗唱における言語活動にそれほど密着したものでなくなりはじめ、音楽は言葉からしだいに独立したものになっていった。またこの頃に、音楽が詩の生き生きとした情熱的な語調(アクセント)でしかなく、音楽が情念に対する支配を詩に与えていたころに音楽が生み出した驚くべき力はは徐々に消えたのである。その後は、そのような支配力は人間の説話が理性に対してのみ及ぼしているのである。おなじくギリシャがソフィストと哲学者でいっぱいになると、もはや有名な詩人も音楽家も見られなくなった。人を説得する技術を開発することによって、人を感動させる技術は失ったのである。プラトン自身英知のただなかにありながら、ホメロスとエウリピデスをねたんで、前者をけなし、後者の真似をしようとしたができなかった。
やがて隷従の影響は哲学の上にも及んだ。鉄鎖につながれたギリシャは、自由な魂しか燃やすことのないあの天上の火を失い、専制君主を讃えようとしても、かつて英雄たちを歌っていたときのあの崇高な調子を、もはや見いだすことはなかった。ローマ人が混ざってくると、階調と語調の言語に残っていたものもさらに弱まっていった。より響きが悪くて音楽的でないラテン語は、音楽を自分のものにしようとして、かえって台無しにしてしまった。首都でもてはやされた歌がしだいに地方の歌を変質させた。ローマの劇場はアテナイの劇場に害をもたらした。ネロが賞をさらったとき、ギリシャはすでに賞に値するものを失っていたのであり、二つの言語で同じように歌われる旋律はもはやどちらにも適さなかった。
最後に、人間精神のあらゆる進歩を無に帰してしまう最後の破局がやってきた。野蛮人に侵入されたヨーロッパは無知な人々の下に従属し、学問・芸術とその両者の普遍的な道具である調和のとれた完成された言語を同時に失った。北国が生み出したこの粗野な人々は、知らず知らずのうちに彼らの器官の荒々しさに耳を慣れさせていた。ユリアヌス皇帝によると、彼らは話す代わりに言わば蛙が鳴くような声を出しており、堅くてアクセントのない彼らの声は騒々しくて調和のとれたものではなかった。彼らの分節は、その上に荒々しくて響きが悪かったし、彼らの母音はほとんど響かなかったので、彼らは歌に一種の甘美さを与えようとしたが、それは結局のところ子音の多さと堅さを補おうとして母音の音を強めることでしかなかった。
器官の堅さにこの騒々しい歌が加わったために、この侵入者たちも彼らを模倣した従属民族たちも音にもっと輝きを与えるためには音を遅くしなければならなかった。骨の折れる分節音と力んで出す音とが同じように協力して旋律から拍子とリズムの感覚をまったく追い出してしまった。ある音から別の音への移行には常になにかしら堅いところがあったので、可能な限りひとつの音の上に止まる以外にはなすすべがなかった。もはや歌は、引きずるような、声のかぎり叫ぶ、拍子も優雅さもない音の退屈でゆっくりとした連続でしかなくなった。そしてある学者たちがラテン語による歌では長格と短格を作らなければならないとときどき指摘したが、そのことからしても、もはや韻脚もリズムも、いかなる種類の拍子をもつ歌もほとんど問題になってはいなかったということが、はっきりしている。
このようにしてあらゆる旋律を奪われ、ただ音の強さと長さだけから成り立っている歌は、それをもっと響きのよいものにする手段として、協和音の助けを借りることを思いついたに違いない。というのは、いくつかの声が集まってある音のユニゾンをいつまでも出しているうちに、偶然にいつくかの和音がみつかり、その振動が様々なときには音響が強められるし、同じ振動が集まったときには音響が快適になることが分かったからである。かくして、ディスカントゥスと対位法の最初の実践が始まったのである。
結果は分かっているのに原因が分からないためにこれほど長く音楽家たちを悩ましてきたくだらない問題をめぐって、彼らが何世紀のあいだ虚しい努力をしてきたかはだれも分からないだろう。ジャン・ド・ミュリスの著書のなかで、オクターヴを二つの協和音に分けると、下にくるのは五度か四度かを知るために8章か10章もながながと無駄話が書かれているのには、どんなに疲れを知らない読者でも我慢することはできないだろう。そしてその四百年後にもまだボンテンピが、五度ではなくて六度をもつすべての低音を、これに劣らず延々と列挙しているのである。しかしながら和声はいつの間にか、自然が和声に命じた道筋を歩みだしており、ついには短旋法と不協和音、要する勝手な作り物の発見にいたった。和声はこのような作り物から出来上がっているのに、もっぱら偏見のためにわれわれは気がつかないでいるだけなのである。
こうして旋律はなくなり、音楽家の注意は完全に和声のほうへ分けられたので、すべてがこの新しい対象を中心に考えられるようになった。音階組織、旋法、音階、すべてがいつのまにか新しい姿をもつようになった。つまり諸声部の進行をつかさどるのは和声的連続ということになり、この諸声部の進行が旋律という名称を持つことになったけれども、この自称旋律のなかにもそれを生み出した母親の特徴を認めないわけにはいかない。そうしてわれわれの音楽体系はこのように純粋に和声的になったので、旋律がそれで損害を被り、音楽がかって持っていた力強さの大部分をわれわれに対しては失ってしまったとしても、それは驚くべきことではない。
以上は、いかにして歌が、言語を起源とするものでありながら、しだいに言語から完全に切り離された芸術になったか、いかにして音とその倍音の感覚が弁論的アクセントや韻の長短やその結果拍子とリズムの感覚をなくさせてしまったか、またいかにして振動の協力という純粋に物理的な効果に限られてしまったために、音楽がかつて二重に自然の声であったころに生み出していた精神的な効果を完全に奪われたか、その経過を示すものである。
しかし音楽がわれわれの劇場に導入されたとき、ひとびとは音楽を古代と同じ姿で再建し、音楽を情熱的な模倣の言語にしたいと考えた。そのときにしなければならなかったことは、音楽の第一の姿のもとになっている文法的言語に音楽を近づけることであった。そして、歌う声の音の動きを情念が話す声に与える様々な抑揚にもとづいて規定することで、旋律は言わば新しい実在と新しい力を、情熱的な弁論のアクセントとの一致のなかに見いだしたのである。そのとき、すでに歌は和声の進行に従属していたが、その両者は分離すべきでもなければ、だれもそんなことは望んでいなかったので、厳密に言語に従い、和声体系と朗唱とによって二重に窮屈な思いをしていた歌は、それぞれの国で自分を形作ってくれた言語の性格を受け継ぎ、国語がリズムとアクセントに富んでいる場合には階調的で変化の多いものになり、リズムもアクセントも乏しいために、言わば理性の器官でしかないような国語においては、歌は理屈ばかりこねている人々の口調のように、引きずるようで冷たいままであった。知恵のために作られたこれらの地域では、悟性が生き生きとした情念よりも支配力をもち、旋律はほとんど再興しなかったので、和声が支配力を維持した。そしてこのような地域で、生理的な喜びが精神的な喜びの代わりをしたので、人々は歌よりも和音を、情熱的な優しい声による感動的な音よりも大きな声や大合唱による騒々しい音を好むのである。
今まで述べてきた歴史は、事実にもとづいたものだが、お分かりのように、ラモー氏の体系とは正反対の結論を提供している。今や物事の本源にさかのぼり、詭弁を避けるために、その特徴をできるだけその本性(自然)によって考察してみよう。任意の音とその倍音の協力にもっとも快適な効果を与えよう。もっとも単純でもっとも調和のとれた和音の連続、あるいはできるかぎり堅くて自然さの少ない和音の連続を想像してみよう。これから純粋に生理的な感覚以外にどんな結果が生じるだろうか? 音響体の振動の一致が器官に生み出す快の印象であろうか、それとも不一致が生み出す不快の印象であろうか? 一致・不一致のある振動と、作曲家の好きなように正反対の情念の忘我に魂をつぎつぎと投げ込む感動とのあいだに理性はどんな連関を認めることができるだろうか? われわれの保存に直接係わる場合以外では、この点ではわれわれを感動させることができるのは純粋に生理的な原因ではない。色彩に陰影を与えたり組み合わせたりしても無駄である。どんなに学識のある画家でも、色彩の配列によって憐憫や怒りを引き起こすことは不可能である。われわれの情念を喚起したければ、デッサンによって精神的な効果をわれわれに思い起こさせるようにするためにこれらの色彩を利用してもらいたいものだ(n.4)。勇敢なアジャックスに勇敢賞をもたらす悪賢いユリシーズを描いてほしいものだ。息子の殺人者の足元に不運なプリアムを膝まづかせてほしいものだ。アンドロマックとヘクトールの別れを、この主人公が小さなアスティアナックスにする優しい愛撫を、ヘクトールの頭上に恐ろしい羽飾りが揺れているのを見ている子どもの恐怖心を、目の前にしているものと未来の予感とがもっとも純潔な女性ともっとも不幸な母親から絞り出した涙のまざった微笑みを、描いてほしいものだ。このような感動的な対象こそが、画家を助けて、彼らの色彩から関心、憐憫、恐怖、その他感じることのできるあらゆる心の動きをわれわれのなかに引き起こすものなのである。これがなかったら、どんなに学識のある物理学者でさえも、色彩の力や網膜の変化や視覚神経の揺れについて学識豊かな論文を書いたところで無駄である。角度とか屈折によって、視光線を大脳までつなげても無駄であろう。心にまで視覚的印象をつなげることはできないだろう。ここまでが物理学者の領分である。それ以上のことをするのは画家の仕事であり、それを説明するのは哲学者の仕事である。
和声と音を音楽における第一原因とみなすとき、同じ間違いをおかすことになる。なぜなら和声と音は結局のところ旋律の道具でしかないからである。旋律が自分自身のなかにこの原因をもっ体ルソーからではなくて、旋律は精神的な効果の反映であるので、旋律が精神的な効果から第一原因を引き出すからである。すなわち、心の動きが人間の声に与える自然の叫び声、アクセント(語調)、韻脚、拍子そして情念の情熱的な調子がそれである。
非常に明確で非常に単純なこのアナロジーは明らかに、模倣と感情の原理は旋律のなかにあること(n.4)、和声がそれに協力することができるのは、感覚を明確にしたり、その結果もっと人の関心を引きつけるものにするという方法や、あるいは雑音を多少変化させて、歌の表現を強めることによってでしかないということ、そしてとりわけここにこそ模倣音楽における和声の有用性があるということを示している。というのは、和声は模倣音楽の源泉ではないので、そのようなものとして位置づけられていると考えるならば、大変な間違いになるからである。そうではない。和声の働きは、旋律を支えること、もっとも正確な規定力によって音の動きを確定すること、音の動きの感情を常に存在感のあるものにすること、音程の感じやすさに変化を加えて音を強めたり弱めたりすること、拍子とリズムを明確に示すること、最後に旋律および旋律が模倣している話し言葉(discours)の魂である強・弱に人をもっと敏感にすることである。このようにして和声は、自分が規則からはずれた多数の音程を排除することによって音楽の力強さから奪ったものを部分的にでも音楽に返しているのである。しかしもし音楽家が和声のことしか念頭に置かなかったり、歌という本質的な部分を無視して、埋め草や和音だけを追求したりすれば、結局彼の作るものは雑音ばかりで効果はほとんどないだろうし、耳をつんざく彼の音楽は心に感動を与えるよりも頭痛をいっそう与えるだけだろう。
したがって、音楽が情念に対して持っている支配力が、比例関係とか数字によって説明できるなどとは考えないようにしよう。このような説明はすべて、たわごとにすぎず、疑り深い人間しか作らないだろう。なぜなら、経験が彼らを絶えず裏切るからだし、人間の本性とのいかなる種類の連関もそこには発見することができないからである。原理や規則というものは芸術の物質面にすぎず、芸術の偉大な効果を説明するためにはもっと繊細な形而上学が必要なのである。

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