DVpastoral
ルソーの『村の占い師』はなぜパストラルなのか?

                         
1.序文
 ルソーは幼少の頃からデュルフェの『アストレ』をはじめとするパストラル文学に親しんできた。たとえばジャン=ジャックが2歳半から7歳までのあいだに父親と読んだバロック小説(とりわけ『アストレ』)の読書体験が彼のなかに人生というものについての奇妙な観念を植え付けることになったと『告白』のなかで述べているし
(註1)、ジャン・ルーセもその『フランスバロック期の文学』のなかで、17世紀初頭のパストラル文学の精神がルソーのなかにゆがんだ形で投影されていると指摘している(註2)
 パストラルはテオクリトスやウェルギリウスの作品をその起源とするが、彼らの作品がルネッサンス期のイタリアに受容され、タッソの『アミンタ』やグアリーニの『忠実な羊飼い』を生み出し、それらがフランスに受け継がれ、17世紀の最初の30年のあいだに爆発的な流行を見たのち急速に衰退した。しかし演劇の世界で衰退したパストラルは、音楽劇のジャンルにおいて生き残り、17世紀後半におけるモリエールのコメディ=バレの幕間劇に使われたり(註3)、フランス・オペラ創設当初からの形式となって(註4)、貴族的世界を表象するコードと見なされるようになった(註5)
 ルソーが職業音楽家となることを夢見てパリに上京したが、ラモーとの軋轢のゆえにそのキャリアを断念し、上流階級の一使用人として雌伏していた頃、自ら歌い踊ることで国王の心を独り占めしようとするポンパドゥール夫人が国王の愛人となり、この女性の求めに応じてパストラル・オペラが多数作られるようになった。こうしてパストラルが音楽劇の分野で最後の全盛期を迎える。1747年から1753年にかけて宮廷ではポンパドゥール夫人が宮廷人を組織して、アマチュアの劇団・楽団を結成し、喜劇やオペラを上演した。もちろんその中心はポンパドゥール夫人であり、ルイ15世を楽しませることをその目的としていた(註6)
 幼少の頃からパストラル文学に親しんできたルソーが、ポンパドゥール夫人のヴェルサイユ入りによって迎えたパストラル・オペラの全盛期に、まさにパストラル・オペラ『村の占い師』を上演し、ポンパドゥール夫人やルイ15世をはじめとする宮廷人の大喝采を受けたとして、そこになんら不自然さはないように見える。エリアスがデュルフェを例にあげて指摘したように(註7)、パストラルを使うことによってルソーは没落しつつある貴族的なものへのノスタルジーや失われつつある田園生活への憧れを表明していたと考えるべきだろうか? 


2.ルソーとパストラル
『告白』を読むと、ルソーとパストラルのかかわりについてじつに多くの記述を見出すことができる。たとえば、ジャン=ジャックの母親はジャン=ジャックを出産した直後に産褥熱で亡くなったため、叔母のシュザンヌが彼を育てたのだが、彼女は多くのシャンソンを彼に歌ってくれた。そのなかで忘れられない曲をルソーは記しているが、それは次のような歌詞である。「ティルシスさん,楡の木の下で/あなたのシャリュモーを/聞く勇気がありません。/すでにうちの村では/噂になっていますから。/心は,羊飼いと/あまり関わり合い過ぎると/危険をおかすことになります。/そしていつも,薔薇の下にはとげがあるものです。」(註8)ティルシスは、パストラルに一般的な羊飼いの名前だし、シャリュモーはクラリネットまたはオーボエの原型と一般的に言われるが,16〜17世紀には羊飼いが使う笛を意味した(註9)
 ジャン=ジャックの父親が彼に読み方を教えるために、一緒に本を読み始め、それが嵩じて明け方まで読みつづけることもあったというエピソードも有名な個所であるが、それはおよそ2歳半から7歳までのことであった。その時期によく読んだ小説としてラ・カルプルネードの『カサンドル』や『クレオパトラ』、スキュデリ夫人の『グラン・シリュス』、デュルフェの『アストレ』などが挙げられている(註10)。後にジュネーヴを出奔した時の旅行のところで述べるように(註11)、こうした読書がルソーの理性を形成するのに大きな影響を与え、「人生について奇妙で小説的な観念を与え」(註12)ることになった。またこのとき読んだ『アストレ』はずっと後までルソーのなかに残り、1739年にヴァランス夫人を探して、パリからリヨンに戻ってきたときに、『アストレ』のことを思い出し、その舞台となったリニヨン川やラ・フォレを訪れようとしたりしている(註13)
 さらに、ヴァランス夫人のもとを去って、パリに上がったルソーが、科学アカデミーで数字記譜法の発表を行ったが失敗した後、熱心に取り組んでいたのが、ラテン語の勉強のためにウェルギリウスの『牧歌』を暗記することだった(註14)


3.十八世紀前半のフランス音楽とパストラル
 今日ではまったく省みられることのないパストラルというジャンルはフランスの17世紀,とりわけその前半に小説や芝居の世界で隆盛を極めたが,その社会的背景について、ボーサンは次のような分析を行っている。

17世紀には、パストラルは貴族階級の白昼夢である。なぜなら、彼等はその政治的敗北と社会的凋落の大きさを、まだ十分には理解していないとはいえ、はっきりと予感しているからである。それゆえに、パストラルは貴族階級の現象であり、したがってバロック的なのであって、社会のそれ以外の部分が模倣によってしか採用し得ないものなのである。この点をモリエールはジュルダン氏に語らせることでよく理解していたのだ。こうした好戦的な封建貴族たちは、かつてはまだ自立していたが、その権力を奪われ、それが彼らに残された唯一のチャンスなので、それをどうすることもできずに、徐々にコード、標章、従属のなかに閉じ込められた宮廷貴族になり、見せびらかし、無駄遣い、(レース飾り、噴水、花火のように、血と決闘のように、名誉の)浪費によって自分自身にまだ幻想を抱き、ときには騎士道的叙事詩や、フィリスやクロリスやセラドンやアリメーヌたちが愛と真水と驚異を糧にして生きている自由な世界を夢見ているのだ。これは現実から完全に遊離した精神の遊び(それゆえに合理的な古典主義的精神から軽蔑されることになる)であるが、思った以上の苦悩を内包している。これが、パストラルに着想をうけた詩や無数の音楽つき文学がメランコリックな香りを振りまいていた理由である。それはたえず不平を言ったり、泣いたり、死にたがったりする。だが、これは表現しがたい生の苦しみの偽装なのである。(註15)
 ボーサンのこの分析は,言うまでもなく,先に引用したエリアスのそれの延長上にあるが,彼らはともにパストラルを没落しつつある貴族階級の精神性を反映したものと見ている。たしかにフランスにおける絶対王制の成立期,とりわけ16世紀の後半の領主制の崩壊状況はすざまじかった。16世紀のフランスでは地代の金納化の進行とともに貨幣価値が急激に低下したことによって,領主が手にする地代収入が急激に低水準化した。それは多少とも裕福になった農民や商人の間での土地売買の横行を可能にし,「自らの保有地が如何なる領主に属しているか不明になるような事態すら、しばしば見られるに」なったという(註16)。その上,宗教戦争によってこうした事態の進行に歯止めをかけることを期待していた中小の領主貴族は,宗教戦争のための多大な出費によってかえって自らの没落を早めることになった。この時期に中小の封建領主の土地は成功した大商人や裕福な農民によって次々と買収され,不在地主的な半封建的大土地所有が急速に拡大した。こうして一方には領主と言っても名ばかりで、いったい自分の土地を誰が耕作し,どの程度の収益をあげているのかさえ掌握できなくなり,生活にも事欠くほどに没落していく中小の領主貴族が、他方には家内工業での成功を皮切りにして土地所有を拡大し,その莫大な収入で高等法院官僚職を買収して,国家的ヒエラルキーの頂点にまで上り詰めた法服貴族が誕生することになる。ところが大土地所有を基盤にして高等法院職をカースト的に独占した,これらの上層新地主層は地方分立を要求したり法的権限を盾に王権弱体化の動きを見せるにいたる。他方、後進の大商人層は,先行の巨大地主層による高等法院官僚ポストのカースト的独占のために、官僚職を買うことができず、そのまま巨大商人として王権と手を結んで政商化するようになる。大きな視点から見れば、フロンドの乱は自らの力を威にきて王権を凌駕しようとした高等法院派法服貴族による反乱と昔日の栄光を取り戻そうとする旧貴族による反乱を,政商化した巨大商人の財政力を借りた王権が鎮圧したと分析することができるという。フロンドの乱を鎮圧して誕生したルイ14世の親政は,知事制を中核とした絶対主義的新官僚システムと重商主義政策を強力に推し進めていくことになる。こうして宗教戦争とフロンドの乱によって中小の領主貴族層は完全に没落していったのである(註17)。したがって17世紀初頭のパストラルが,現実から目をそむけ,穏やかな昔日へのノスタルジーのなかに生きる没落貴族層の精神性を反映しているとするエリアスやボーサンの見方は正鵠をえている。
 パストラルはルイ14世の統治下にモリエールとリュリのコメディ=バレのなかで音楽劇としての新たな形態を模索することになるが,彼らのパストラルに関して興味深いことは,モリエールがパストラルを若い羊飼いの恋愛遊戯―恋愛だけに生きている恋する男女,しつこく愛する相手を追いかける男または女,拒否されるとすぐ死ぬ覚悟ができている恋する男女,絶望して川に身を投げた相手を見て,真実の心に気づく男女,等―としてコード化されたものとして見ていることである。そしてパストラルを,その頃同時に衰退しつつあったバレ・ド・クールと結びつけ,新たな音楽劇創始の道を模索していたということである(註18)。しかしこの方向は明確な形を取るまえに,モリエールの死によって絶たれた。これにとって代わったリュリは、神話的世界とパストラルを結びつけることによって独自のパストラル・エロイック(神話的牧歌劇)を作った。それはすでに『イシーのパストラル』や『ポモーヌ』でペランとカンベールが進めつつあった方向でもあるが,リュリは王立音楽アカデミーを彼らから奪い取ることで,この方向を独占的に推し進めることになる。
 パストラル・エロイックはアポロン,ヴェニュス,キューピッドといった神話的登場人物とシルヴィー、シルヴァンドルといったパストラル固有の登場人物が共存するパストラルであるが,その多くは愛の神キューピッドを中心として恋の喜びや苦悩をテーマとしている。フランス・オペラの最初の作品といわれるペランとカンベールの『ポモーヌ』や『キューピッドの苦しみと喜び』をはじめ、リュリの最初と最後のオペラ作品(『キューピッドとバッカスの祭典』(1672年)と『アシスとガラテ』(1686年))もパストラル・エロイックである。その後、17世紀末から18世紀前半にかけて、デトゥッシュの『イッセ』(1697年),カンプラの『アレトゥーズ』(1701年),『ミューズたちのバレのパストラル』(1703年),クレランボーの『イリスの勝利』(1706年),フランクールの『至福』(1746年),ラガルドの『エグレ』(1748年),ラモーの『ナイス』(1748年),『ザイス』(1749年)など,多くのパストラル・エロイックが上演されている。
 18世紀前半のフランスにおけるパストラル趣味の隆盛はオペラだけでなく、器楽音楽の分野にも見られる現象である。それはパストラルにつきものの楽器と見なされていたミュゼット(バグパイプの一種)の流行として現われている。ミュゼットの名手と言われたシェドヴィル兄弟(註19)が多くの作品をミュゼット,オーボエ、フルートなどの楽器による合奏曲用に編曲している(註20)。また1728年にコンセール・スピリチュエルで初演されてから何度も演奏されつづけたヴィヴァルディの『四季』の流行もフランスにおけるパストラル趣味の一端を示している。とくに「春」は熱狂的に受容され、先に挙げたシュドヴィルによるミュゼットを含む楽器への編曲をはじめ、珍しいものではルソーによるフルート独奏曲への編曲など、多くの編曲がなされた(註21)
 18世紀前半のフランスにおけるパストラル趣味の流行は,磯山が指摘するように(註22),自然に対する見方の変化と関係している。デカルト主義の時代には自然はあるがままでは美しいものではなくて、理知的操作によってその裏にある真実の自然,美しい自然を抽出してくることが必要だと考えられていた。それが科学であり、芸術の仕事である。18世紀になると,自然をあるがままに捉えようとする傾向が強くなり、それが貴族社会における田園趣味として現われるようになったと考えることができよう。
 さらに,パストラル・オペラに焦点を絞ってみると、1747年から1753年の間にパストラル・オペラの初演が急増していることが分かる。じつはこれにはポンパドゥール夫人がルイ15世の愛人としてヴェルサイユ入りしたことと大きな関係がある。1745年にルイ15世の寵愛を勝ち取りヴェルサイユ入りしたポンパドゥール夫人は,歌と踊りに秀でていたこともあり,自ら舞台に上がってその優美な姿を国王に見せることで,彼の寵愛を維持しつづけようと考えた。彼女は宮廷人を組織して劇団や楽団を結成し,10月〜3月にかけての演劇シーズンに数多くの喜劇やパストラル・オペラを上演した。もちろん出来合いの作品も多く上演されているが,新作も多く作られている(註23)。ポンパドゥール夫人がともにオペラを歌うのに最もふさわしいと見なしていた宮廷人の人数から,三人もしくは四人の登場人物しかいないパストラル・オペラが多数作曲されている。なかでも繰り返し上演された作品として,『エリゴーヌ』(詩:ラ・ブリュエール、音楽:モンドンヴィル)、『エグレ』(ロージョン、ラガルド)、『イスメーヌ』(モンクリフ、ルベル&フランクール)があるが,これらはいずれも登場人物が三人ないしは四人だけである。それはブランカ公爵夫人、ポンパドゥール夫人、デヤン公爵の三人を主な歌い手とするla troupe des petits cabinetsによる上演に適していたからである(註24)
 ルイ15世は膨大な戦費を費やしたにもかかわらずエクス=ラ=シャペルの和平で望ましい結果が得られず、負担増大に対する国民の不満・反発を懸念して、1750年春の演劇シーズン終了をもってディヴェルティスマンの上演をヴェルサイユでは行わないことにした。ただその後も、彼がポンパドゥール夫人のために作ったベルヴュ城ではオペラ等の上演が行われた。こうして,例外的にフォンテーヌブローで1752年10月18日と24日に上演されたルソーの『村の占い師』は国王とポンパドゥール夫人を魅了し,さらにこの年の演劇シーズンのトリとして翌53年3月4日と6日にコラン役をポンパドゥール夫人自身が演じた。


4.『村の占い師』とパストラル
 以上見てきたような時代の潮流からするとルソーがパストラルというジャンルで『村の占い師』を作ったこと自体はなんら奇異なところは認められない。ルソーは幼少の頃からパストラルに慣れ親しんできたのだし,この時期は小ぶりのパストラル・オペラ全盛の時代だったのである。だが,ルソーが『村の占い師』を書いたのが,1751年出版の『学問芸術論』にたいする大きな反響と論争からルソー内部でなされた文明批判の深化や,『百科全書』の音楽関係項目執筆がきっかけとなった反フランス音楽的思想の形成といった,ルソーが急速に反近代のほうへ傾斜しつつあった時期であってみれば,たんなる時代潮流に乗って作られたものだと読み流すわけにはいかないだろう。『村の占い師』と従来のパストラルを比較してみることが,ルソーのパストラル・オペラの特徴を浮き彫りにする最も適当な方法だと思われる。ここでは比較の対象として,1751年9月21日にパリ・オペラ座で上演された『花飾り,別名,魔法の花』(台本:マルモンテル、音楽:ラモー)を取り上げる。その理由としては,ルソーが『村の占い師』を作った時期(1752年春)とこのオペラの上演時期がそれほど離れていないことと,とりわけその内容・構成が類似しており、比較に適していることが挙げられる(註25)
 まず両者のあらすじから比較してみる。
『村の占い師』:コランとコレットは愛を誓った仲だが、コランが町の貴婦人とのアヴァンチュールを求めて村を不在にしたため、コランに捨てられたと思ったコレットが占い師に相談に行く。占い師は,コランが冷たくなったのは一時的な気の迷いだから、コレットも同じように町の紳士に惹かれているようなところを見せてやれば、コランはすぐにコレットのもとにもどってくると約束する。そこでコランに対して冷たくするようにという策略をコレットにさずける。二人の本当の気持ちを知っているのは占い師だけなので、彼はこの恋人たちの感情を好きなように操りつつ、二人が真の愛情に目覚めるように仕向ける。コランと再会したコレットは浮気な男は嫌いと最初はコランにつれなくする。その頑なさにコランは村を捨てて出て行こうとするが、コレットがコランを許し、仲直りする。
『花飾り』:羊飼いのミルティルとゼリードは、かつて変わらぬ愛を誓い合っており,互いの気持ちが変わらずにいるかぎりは枯れることのない花飾りを二つ編み,それぞれが一つずつ持っているのだが,ミルティルの花飾りは今は枯れている。ミルティルがゼリードを裏切って、羊飼いの娘アマリリスに夢中になっていたからである。アマリリスとの愛がさめて、森に帰ってきたミルティルは涸れてしまった花飾りをキューピッドの祭壇において、この愛の神に助けてくれるように懇願する。そこへゼリードがやってきたのを見て,ミルティルは身を隠す。彼が戻ってくるのを待ち焦がれ、羊飼いイラスのプロポーズを拒否したゼリードは、枯れた花飾りを見つけ,ミルティルの愛が涸れたのではないかと怖れる。ゼリードは愛する気持ちから、まだ枯れていない自分の花飾りをミルティルの枯れた花飾りと置き換えて、ミルティルを試練にかけることにする。祭壇の前の花飾りが咲き乱れているのを見たミルティルはキューピッドが許してくれたのだと思う。二人が再会すると、ゼリードは自分がもっている花飾りを見せることを拒否し、ある不行状をしたと嘘を告げる。ミルティルが即座に彼女を許すのを見て,ゼリードがじつはこれは策略だったことを打ち明けると、その瞬間にミルティルの花飾りが変化し、花々が咲き乱れる。二人ともあらたに永遠の愛をキューピッドに誓う。
 愛し合う二人の羊飼いの男女,浮気心を起こした羊飼いの男を見て,愛が失われたのではないかと怖れている羊飼いの娘,策略によって男の気持ちを確かめようとする羊飼いの娘,その策略は下手をすれば永遠に愛を失わせかねないものであるが,二人の愛が真実であればこそ,その策略は成功し,二人は永遠の愛を誓う。以上のように,この二つのパストラル・オペラの基本構造の類似性は両者の比較を有効のものにするのに十分であると思われる。
 まず,象徴性をになうべき道具立てについて検討してみよう。『花飾り』では登場人物がその名前からしてすでにコード化されたパストラルの世界にいることが分かる。登場人物としては出てこないが、キューピッドが愛を支配するものとして全編に強力な磁力を働かせているのも従来のパストラルの伝統である。「互いの気持ちが変わらずにいるかぎり枯れることのない花飾り」という道具立ては,いかにも『アストレ』における恋愛感情を映し出す鏡という魔術的道具立てを連想させる。このように『花飾り』がコードとしてのパストラルを遵守していることは容易に理解される。他方、『村の占い師』ではコランとかコレットといった名前の象徴性はここでは置くとしても,愛を支配するものとしてのキューピッドは、コラン、コレット、占い師が順番に歌うヴォードヴィルで何度も提示される「キューピッドは愛の真実を何もわかっていない子どもに過ぎない」というフレーズによって(註26)、その象徴性が消去されている。さらに『村の占い師』では,「立派なリボン」(コランが町の貴婦人からもらったリボン)と「質素なリボン」(コレットが自分を飾るために付けているリボン)が町の貴婦人と羊飼いの娘という社会的階層をそのまま指示している。『花飾り』が通常のパストラルと同じように羊飼いの世界で完結しているのに対して、『村の占い師』では羊飼いの世界とは別に,町の貴婦人とか紳士といった現実社会の存在が提示されており、パストラルとしてのコードが遵守されていない。この点は,パストラルの世界と神話的世界が融合している神話的牧歌劇とも,またパストラルの世界と現実の世界が並置され,作品上の交接はあるが,コードとしては独立しているモリエールのコメディ=バレとも異なっている。このように,従来のパストラルが遵守してきたコードが『村の占い師』では侵犯されているとするならば,コランやコレット、そして村の占い師とはいったい何者なのだろうか?
 そもそも従来のパストラルにおいて羊飼いたちが恋愛遊戯だけをこととしているのは,すでにボーサンの指摘をもって示したように,パストラルの羊飼いは,17世紀初頭のフランスにおいて隆盛をきわめたパストラル劇が形成してきたようなコード化された貴族を指示しているのであって、実際の羊飼いを指示しているわけではないからである。16・17世紀の人々が実際の羊飼いにそのような繊細な恋愛感情を認めていたわけではなかった。だが,ルソーの羊飼いたちは,上にも指摘したように、コード化された貴族でもなければ,本当の羊飼いでもない。筆者は,農民を描いているという仮説をここで提示したいと思うが、その根拠は,ルソーが1756年頃に書いた『クレールとマルスランの恋』という物語にある。そこに描かれている恋愛は,『新エロイーズ』の前半を髣髴とさせるような,「感じやすい魂」の交感ともいうべきものである。われわれがここで注目したいのは、ルソーがそうした魂の持ち主,そしてこの恋愛物語の主人公を,『新エロイーズ』のような貴族の娘と教養ある平民にではなく,教養のない農民の子に設定していることである。たとえばマルスランのほうはLaboureur à son aiseの一人息子ということになっている(註27)。Laboureurは,零細な農民の土地を購入・集積することによって自己の家族労働力だけでは耕作するには広すぎる農地を所有するようになった富裕な農民層のことであり,彼らはその土地を、生産物折半地代で零細な農民に貸し与える地主的特質をも併せもっていた(註28)。このような富裕な農民の子であるマルスランに結婚が決まり、その準備の買い物のために出かけた町の店で働くクレールを見初める。クレールのほうもけっして町人の子ではなく、じつはマルスランと同じ村の農民の子なのだが、家庭の事情で二人が知り合ったときには町の叔母の家に住んでいた。マルスランは頑固な父親にクレールのことを話すことができず,婚礼を延期できると考えて婚礼の日の直前に母親の薬を飲んで危篤状態に陥る。母親の機転によって死の危険は逃れたが,心の傷は癒えない。「感じやすい魂」が引き起こした情念に忠実で、死の危険も顧みないで行動するような繊細な恋愛感情を農民にも可能だとルソーは考えるていたと言えるだろう。「立派なリボン」と「質素なリボン」という対立や,コラン・コレットの愛と町の貴婦人・紳士の愛の対比は、農民の恋愛にこそ真実の姿があるとルソーが考えていたという仮説を可能にしてはくれないだろうか。
 では村の占い師とは誰なのだろうか? 劇中で占い師がもつ役割から考えて、『花飾り』と『村の占い師』を登場人物の羊飼いの男女の恋愛を左右するものという視点から比較してみると,『花飾り』では愛の神キューピッドが登場することはないが、全編を支配していることが分かる。一般的にはキューピッドはその矢の一撃でもって恋愛関係を作り出す存在であるが,『花飾り』のように登場人物として登場することがない場合は、愛する男女の愛の成就を見守る存在として物語進行に強力な磁場を働かせることが多い。オペラの最後で歌われる"L'Amour triomphe"が作曲家にとってアリア作曲の腕の見せ所となることが多いのはそういうわけである(註29)。他方、『村の占い師』ではキューピッドは恋愛の本質を理解しない「子ども」にすぎないとして物語から排除されており、従来のパストラル・オペラではキューピッドが演じるべき役柄を村の占い師が演じていることになる。村の占い師は羊飼いの男女の愛を左右する立場にある。彼は表向きは羊飼いの男女や村の若者たちの恋愛の相談を受けて、占いによってあれこれとアドバイスをする役回りを演じているが、彼自身が台詞のなかで言うように(註30)、じつは様々な情報を収集することですべてのことを掌握した上で、さらに彼らにアドバイスを吹き込み彼らの恋愛感情―愛情、疑惑、妬み、怖れ,喜び―を操作しているのだ。
 18世紀のフランスの農村ではほとんどすべての農地が大都市に住む貴族や都市ブルジョワによって所有されていた。彼らは寄生地主・不在地主である。小作農民は生産物の二分の一とか三分の一を地代として地主に物納する。しかしそうした農村においても、都市ブルジョワによる土地集積を逃れた自営農民のなかから、零細な農民の土地を購入してある程度の土地を集積したり、絶対王制によるギルド的規制を逃れて、その枠外で、それぞれの地方独特の織物工業や金属工業の小規模マニュファクチャーとして独自の商品生産・商品流通を形成した農民たちが誕生した。またこのような自然発生的農村小規模マニュファクチャーの間の流通を支える近代的商人層も形成された(註31)
 彼らは絶対王政下では王権によって守られることはなく、絶対王制および特権層がその独占的利益を維持するために強要した「産業規制システム」の網の目をかいくぐるようにして形成・発展していった。彼らは村から出ることはないが、王権によって守られることがないだけに、社会的動向に対しても敏感にならざるをえなかった。彼等は、王権的市場の外に形成された地域的市場圏の流通を支える近代商人層をとおして独自に多くの情報を収集し、分析力をつけることで先を見通す洞察力も身につける必要があった。彼らは村に住んで、農村の事情だけでなく、それをとりまく広い世界の情報も豊富に持つことで、農民の進むべき道を見抜いてdeviner、提示する存在なのであり、こうして村の顔役"coq du village"となっていった言えよう(註32)


5.最後に
 ルソーはその生涯において、未完のものも含めて三曲のパストラル・オペラの作曲に手をつけている。『優雅な詩の女神たち』(1745年)、『村の占い師』(1752年)、『ダフニスとクロエ』(1774-1776年、詩:コランセ)である。ルソーがオペラの製作にあたって、たえずパストラルというジャンルを選択しつづけたのは、ルソー自身が言うように(註33)、「習慣と先入観の力」によるものかもしれない。そのうえ、ルソーは、未完の『ダフニスとクロエ』は別として、前記の二作品を短期間で完成している。たとえば、『優雅な詩の女神たち』のなかで現存する「ヘシオドス」のアントレは、全曲演奏を聞いたリシュリュー公の勧めで「タッソ」のアントレの代わりに三週間で詩と曲を書いているし、『村の占い師』も同じく三週間で完成させている。ルソーが幼少の頃からパストラルになじんできたことを考えれば、パストラルというジャンルを選び取ったがゆえにこれほどのスピードで詩と音楽を書くことができたのだと考えるべきだろう。
 ルソーにとってパストラルとはなんだったのか? フォントネルが新旧論争の過程で『牧歌の自然に関する論説』(1688年)において、ウェルギリウスやテオクリトスにおける田園生活の粗野さと牧歌詩の本質的虚構性を指摘して(註34)以降、パストラルのコード性という考え方は定着した。だがルソーのパストラルは、二重の意味で、従来のパストラルのコードを侵犯している。第一に、パストラルは、ルソー固有の起源=本質論によって、古代の自然の中で生きていた羊飼いのなかにこそ人間の本質があるということを意味するからである。羊飼いの愛こそ真実の愛であるのは、それがルソー固有の自然人神話の一つの現われと考えられるからである。第二に、近代社会においてこのような自然人に近い存在としては、現実の羊飼いでも、従来のパストラルのコードによって指示される宮廷人でもなく、上に指摘したように、自然の中で生きる農民たちを指示していると考えられるからである。したがって、ルソーにとってパストラルとは、けっして没落しつつある貴族のノスタルジーではなく、新しい時代を予告しつつある存在の、まだ萌芽的であるがゆえに非現実的色彩をたぶんに帯びたユートピア的表象であると言える。


<註>
(註1)Jean-Jacques Rousseau, Les Confessions, OCI, p.8.
(註2)Jean Rousset, La littérature de l'âge baroque en France, Circé et le Paon, Jose Corti, 1954, p.32.(邦訳『フランスバロック期の文学』伊東廣太他訳,筑摩書房,1970年,p.36-37)
(註3)モリエールとリュリの合作によるコメディ=バレの多くは幕間劇にパストラルを用いているが,この点については次のものを参照のこと。Helen Purkis, "Les Intermèdes musicaux de George Dandin", Revue internationale du Baroque, 1972, pp.63-69; --"Le chant pastoral chez Moli%egrave;re ", Cahiers de l'Association internationale des études françaises, mai 1976, pp.133-144; Fanny Nepote-Desmarres, "Molière, auteur pastoral? Aperçu sur quelques rapports avec la politique de Louis XIV", Littératures classiques, 11, 1989, pp.245-257; Jacques Morel, "Le mod`le pastoral dans l'oeuvre de Molière", Le Genre pastoral en Europe du XVe au XVIIe siècle, Publications de l'Université de Saint-Etienne, 1980, pp.337-347; Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, ch.X-XIII, Gallimard, 1992.
(註4)フランス語によるレシタティフを基調にして,その間にエールや合唱をちりばめたフランス・オペラという形式の最初のものは1659年にごく限られた人々を観客に上演された『イシーのパストラル』(台本ピエール・ペラン,音楽ロベール・カンベール)であるが,一般の人々を観客にしたものとしては1672年に上演された『ポモーヌ』(台本ピエール・ペラン、音楽ロベール・カンベール)と『キューピッドの苦悩と喜び』(台本ガブリエル・ジルベール、音楽ロベール・カンベール)である。またフランス・オペラを創始したと言われるリュリとキノーの場合もきしくもその最初と最後の作品がパストラル(1672年『キューピッドとバッカスの祭典』と1686年『アシスとガラテ』)になっている。Cf. Robert Cambert, Pomone, pastorale mise en musique, précédé du livret de Pierre Perrin, Les Peines et les Plaisirs de l'Amour, pastorale, précédé du livret de Gabriel Gilbert, Ballard, 1672, Minkoff Reprint, Genève, 1980; Philippe Quinault, Théâtre, contenant ses tragédies, comédies et opéras. Nouvelle édition, augmentée de sa vie, d'une dissertation sur ses ouvrages, et de l'origine de l'opéra, 5 tomes en 1 vol, reimpr., 1778, Slatkine Reprints, 1969.
(註5)Philippe Beaussant, op.cit., p.355.
(註6)ポンパドゥール夫人が組織した劇団に関しては,次のものを参照のこと。Philippe Beaussant, Les plaisirs de Versailles, théâtre et musique, Chapitre III, Le théâtre de la Pompadour, Fayard, 1996; Adolphe Jullien, Histoire du théâtre de Madame de Pompadour, Paris, 1874, Minkoff reprint, Genève, 1978.
(註7)『宮廷社会』第8章「宮廷化の過程における貴族的ロマン主義の社会発生について」,波田,中埜,吉田訳,《叢書・ウニベルシタス》,法政大学出版局,1981年.
(註8)Jean-Jacques Rousseau, OCI, p.1240.
(註9)Article "Chalumeau", Dictionnaire de la musique en France aux XVIIe et XVIIIe siècles, Fayard, 1992, p.123.
(註10)OCI, p.8-9 et p.1237.
(註11)OCI, p.45 et 48.
(註12)OCI, p.8.
(註13)OCI, p.164.
(註14)OCI, p.239, 242, 288.
(註15)Beaussant(1992), op.cit., p.356.
(註16)二宮宏之「領主制の「危機」と半封建的土地所有の形成」『西洋経済史講座』V-(一)岩波書店,1960年,p.89.
(註17)中小領主貴族の没落過程の素描には,中木康夫『フランス絶対王制の構造』未来社,1963年に多くを負っている。
(註18)モリエールによる音楽と言語の統合のための様々な試みについては,内藤義博「フランス・オペラの誕生―その1―」『りべるたす』第16号,りべるたすの会,2002年を参照のこと。
(註19)ピエール(1694-1725),エスプリ=フィリップ(1696-1762),ニコラ(1705-1782)の三兄弟である。三人とも早くからパリ・オペラ座のオーボエ奏者をしながら,オーボエ奏者で有名なオトテール家と結びついて、国王大厩舎音楽隊のオーボエ奏者にもなっている。またニコラは1750年頃ルイ15世王妃やその娘たちのミュゼット教師となっている。宮廷でミュゼットがいかに流行していたかがこれによっても理解できよう。Cf.Article "Chedeville", Dictionnaire de la musique en France aux XVIIe et XVIIIe siècles, op.cit., pp.137-8.
(註20)たとえば従来ヴィヴァルディの作品とされていた『忠実な羊飼い』もニコラ・シェドヴィルの作品である。この作品はミュゼット、ヴィエル、フルート、オーボエ、バイオリン用の伝統的な形式をもつ魅力的な室内ソナタ六曲で構成される。あとで取り上げるラモーの『花飾り』でも主人公のゼリードが羊飼いの一群とともに登場する場面冒頭のAir gracieuxやMenuetでミュゼットが使われ、パストラルの雰囲気を出している。
(註21)Claude et Jean-François Labie, Vivaldi, des saisons à Venise, Gallimard, 1996, p.104.
(註22)礒山雅「楽曲解説」Antonio Vivaldi, Il Pastor fido, Archiv, POCA-3057, 1998年,p.2.
(註23)たとえばファジョンは,パリ・オペラ座のレパートリーをジャンル別で1671年から1750年まで10年ごとに一覧表にしている。それを見ると,悲劇やバレはこの80年間にコンスタントに作られている。パストラルに関しては1670年代に3曲あっただけで,それ以降は1740年までほとんど上演されていなかったが,1740年代に5曲に急増している。もちろんヴェルサイユもしくはフォンテーヌブローで上演されたものがすべてパリ・オペラ座で上演されたわけではないので,この数字よりもっと多くのパストラルが作られたのである。Cf. Robert Fajon, L'opéra à Paris du Roi Soleil à Louis le Bien-Aimé, Slatkine, 1984, p.71.
(註24)Adolphe Jullien, op.cit., p.7.
(註25)Jean-Jacques Rousseau, Le Devin du village, OCII, pp.1093-1114; Jean-François Marmontel, La Guirlande ou Les Fleurs enchantées, in OEuvres complètes, t.VII, 1819-20, Slatkine reprints, Genève, 1968. また録音資料としては,Le Devin du village, Nuova Era 7335, 1999 (cond. René Clémencic, orc. Alpe Adria Ensemble, Colette:Eva Kirchner, Colin:Dongkyu Choy, Le devin:Thomas Muller De Vries); La Guirlande, Erato 8573-85774-2, 2001 (con. William Christie, orc. Les Arts Florissants, Zélide:Sophie Daneman, Myrtil:Paul Agnew, Hylas:François Bazola)が、楽譜としてはLe Devin du village, edited by Charlotte Kaufman, A-R Editions, 1998がある。
(註26)L'Amour ne sait guère / Ce qu'il permet, ce qu'il défend; / C'est un enfant, c'est un enfantというフレーズが1111-3頁にかけて四回繰り返される。
(註27)Jean-Jacques Rousseau, Les Amours de Claire et de Marcellin, OCII, p.1193.
(註28)高橋幸八郎『市民革命の構造』(増補版)御茶の水書房,1966年,p.94-5.
(註29)パストラルではないが、ラモーの『ピグマリオン』のそれが有名である。
(註30)"J'ai tout su de Colin et ces pauvres enfants / Admirent tous les deux la science profonde / Qui me fait deviner tout ce qu'ils m'ont appris. / Leur amour à propos en ce jour me seconde;"(OCII, p.1102、強調は筆者).
(註31)Cf. 中木康夫「マニュファクチャーの成長と市場関係の深化」『西洋経済史講座』U,岩波書店,1960年,pp.133-166.
(註32)もし『村の占い師』がこのように反王権的なものなのだとしたら、なぜこのパストラルをルイ15世もポンパドゥール夫人も気にってしまったのかという問題が生じるだろうが、これは複雑な問題である。とりあえず、ここでは、初版のレシタティフが、後にルソーが『告白』の中で述べるのとは違って、まったくフランス音楽の伝統に根ざした旧来のスタイルをもっていたという事実を紹介しておく。Cf. Jacqueline Waeber, "'Cette horrible innovation' : the first version of the recitative parts of Rousseau's 'Le Devin du village'", Music & Letters, 82-2, 2001, pp.177-213.
(註33)Jean-Jacques Rousseau, "Avertissement" pour Les Muses galantes, OCII, p.1051: 「この作品はそのジャンルのなかでも非常に平凡な出来だし、そのジャンルそのものも大変悪いものなので、どうしてこんなものが私の気に入ったのかを理解するには、習慣と先入観の力をきちんと捉える必要がある。幼少の頃からフランス音楽とそれに固有の詩に対する好みを受けて育った私は、和声を騒音だと、人の関心を引くものを驚異だと、オペラを小唄だと勘違いしていたのである。」
(註34)Fontenelle, "Discours sur la nature de l'eglogue". OEuvres complètes, t.II, texte revu par Alain Niderst, Fayard, 1991.

[初出掲載誌:関西大学フランス語フランス文学会編『仏語仏文学』第31号,2004年2月]

to TOP

to Page d'accueil inserted by FC2 system