ルソーの音楽思想の形成 (3)

−『百科全書』の《音楽》について−


1.はじめに
『優雅な詩の女神たち』と『ラミールの饗宴』におけるたび重なるラモーとラ・ププリニエール夫人からの妨害によって音楽家としての登竜門を閉ざされたルソーは、生活のためにデュパン夫人とフランクイユに共同の秘書として雇われる。この秘書時代は1745年から1751年まで続いた(註1)。この7年におよぶ時期が思想家ルソーを形成する上でいかに重要であったかについては、一般的に次の二点があげられる。第一に、著作活動をしていたデュパン夫人の指示にもとづいてのことであったとはいえ、古代から近代にいたるさまざまな分野の文献を読み、抜粋や要約を作ることによって、ルソーのなかに新たな知的蓄積がおこなわれたこと。第二に、デュパン夫妻の住んでいたランベール館は当時の最も華やかなサロンのひとつであり、そこで使用人として上流階級の生活を内側から見るという経験が、文明批評的態度を形成する契機となったこと(註2)
しかし、文筆活動をしている上流階級の知的女性の秘書という立場から引き出される上のような一般的な利点のほかに思想家ルソーの形成にとって重要な意味を持ったのは、まさにデュパン夫人の秘書であったというところにある。徴税請負人の妻であった彼女は、当時としてはかなり先進的なフェミニズム思想を持っていた。近代女性の奴隷的な立場に憤りを感じ、その不当性を感情的にではなく、博物誌、解剖学、生理学、歴史学、地理学、法学、宗教史などを援用することによって科学的に立証しようとした。女性の劣等性という根強い伝統的な原理を批判するためにデュパン夫人が用いた方法こそ、ルソーに大きな、しかしルソーがまったく自分では気づかなかったと思われる影響を与えた。彼女のフェミニズム思想は時代を先取りした内容をもっており(註3)、その先進性が奥深いところでルソーの思想とつながっているように思われる。それが最も鮮明な形で現われているのは、『人間不平等起源論』であり、ラモーとの論争であるが、その原型はすでに秘書時代のルソーに見ることができる。それが『百科全書』のために書いた項目《音楽》である。
本論は、『百科全書』の《音楽》がいかなる点において音楽思想家ルソーの誕生を予告する重要な意義をもつものであるかを明らかにするとともに、その一部に見られるデュパン夫人のフェミニズム思想との影響関係の解明を目的としている。

2.『百科全書』におけるルソーの音楽思想
この時期にルソーが『百科全書』のために執筆した400近い音楽関係の項目の多くは、締切間際になって急に依頼されたことや、ルソーが執筆していた時期にデュパン夫人の秘書としての多忙な仕事も重なったため、ブロッサールの『音楽辞典』やチェンバーズの辞典を利用せざるをえなかった。しかし、この時期にヴァランス夫人に送った手紙に記しているように(註4)、ラモーへの復讐心によってつきうごかされて書いたオリジナルな項目も存在する(註5)。この時期のルソーの音楽思想が明確に表明されているのはこのような項目である。これらの項目が、みずからの意志による著作がわずかしか存在しない秘書時代におけるルソーの音楽思想や音楽美学を知るうえで格好の資料であることは、言うまでもない。
ここでおもに取り上げる項目は、《音楽》である。そのなかでも注目したいのは、古代ギリシャ音楽と近代フランス音楽を対比的に論じた長い議論である。この議論は、『音楽辞典』においては削除されることになる。それには次のような理由があった。まず音楽辞典という著作の体裁上、個人的な主張をながながと続けるべきではないという判断からであり、さらにこの部分は『言語起源論』に引き継がれることになるからである。この点については、ルソー自身が「私はこうした考えをまだ刊行していない著作に投げ込んだことがあるが、私の考えは、私の主張を議論するために読者を煩わせるのを目的としていないこの作品よりも、そこでの方がよく整理されるだろう」(註6)と述べていることからも明白である。つまり、『百科全書』にあった古代ギリシャ音楽に関する議論の削除は、けっしてその内容にたいする不満が理由ではなく、その内容をもっと発展させた著作を別個に予定しているという理由によるものである。したがって、この議論を検討することは、デュパン夫人の思想との「影響関係」をはかる上でも、『フランス音楽に関する手紙』を経て『言語起源論』に発展していくルソーの音楽思想の出発点を知る上でも、充分意義のあるものだと考えることができる。
『百科全書』の《音楽》は、音楽の定義から始まり、旋律と和声という音楽の分類の紹介、古代の音楽家、理論家、著述家の解説、楽器の分類のあと、古代ギリシャ音楽が持っていたとされる驚異的な効果の問題に議論が移る。ルソーはまずこの驚異的な効果を物理的生理的効果(ある種の音響が泣く・笑う・利尿などの生理的な影響を引き起こすとか、教会の敷石を動かすなど)と分離し、さらに古代ギリシャの新奇さ、ギリシャ人特有の敏感さが原因だとする主張も否定し、古代の音楽の驚異的な精神的効果の原因・理由を説明できたものはそれまで誰一人としていないと断言する。そこで彼は、古代の資料が不十分であるため、不完全にならざるを得ないと断りつつも、なぜ古代では音楽が驚異的な精神的効果をもっていたのかという問題を近代フランス音楽との対比によって解明しようとする。いかにその対比を列挙してみよう。
@総音域については、古代ギリシャ音楽では狭かった(3オクターヴ)が、近代音楽では広い(5オクターヴ )。
A音の数や和音(音程)の数については、古代ギリシャでは相当多かった(3つのゲノスのそれぞれが16の音で構成されるが、そのうちの半数の和音はゲノスごとに異なるため)が、近代音楽では平均律の採用のために少ない(1オクターヴに12音のみ、エンハーモニックの消滅)。
B旋律の多様性に関係する旋法については、古代ギリシャでは15の旋法があり、それぞれに固有の性格があったが、近代音楽では平均律がそれを長旋法と短旋法のみにした。
Cリズムに関しては、古代ギリシャ音楽では脚韻の性格、その混合のさせ方、音節の時間・速度によって多様(16種)であったが、近代フランス音楽では理論上は多数あっても、実際には二拍子と三拍子のみ。
D楽器に関しては、古代ギリシャ音楽では単純で、未完成(なぜなら楽器は声を目立たせるための役割しか持っていなかったから)だが、近代フランス音楽では複雑化し、完成の域に達し、器楽が逆に歌を伴奏にしている。
E多声音楽または対位法という意味での和声に関しては、古代ギリシャ音楽は和声を持たない単旋律の音楽であったが、近代音楽は和声が旋律と転調の基礎となっているだけでなく、特にフランス音楽では声部どうしが互いに圧倒し合い、旋律を押しつぶしている。そこで、ここで同じ近代の音楽でありながら、和声の適確な選択によって簡素な伴奏を持つイタリア音楽との比較が行われる。
F詩と音楽の関係については、古代ギリシャでは音楽は完全に詩の従者であった(「古代音楽はつねに詩と結びついているので、詩に完全に従い、詩の韻の数とリズムを正確に表現し、輝きと荘重さを詩により多く与えることだけに専念していた」(X901))が、近代フランス音楽では音楽が主人で音楽は従者であり、しかもフランス語は韻律が不明確なため、韻文のリズムと音楽のリズムが無関係になり、その結果歌詞と音楽が対立関係にある。
G最後に、旋律に関しては、古代ギリシャ音楽では非常に変化に富み、多様であった(その理由は、上記ABCにある)が、近代音楽では画一的である。なぜなら近代音楽では、旋律の動きは和声進行によって決められる上に、和声進行には調や旋法に関係のない一定の決まりがあるから。そこで、フランス音楽では旋律の性格に変化を与えることができるのはテンポの違いだけである。
以上のような対比からルソーは次のような結論を引き出す。古代のギリシャ音楽が驚異的な精神的効果を持ち得たのは、近代音楽のように音楽が知識の点でも楽器の点でも完成して、耳を喜ばせるという「歌の本性」(X902)に合致していたからではなくて、反対に不完全であったけれども、音楽を言語に従わせ、音楽を朗唱に近づけることによって引き出される、単旋律の音楽であったからである。ルソーは、さらにそれに付け加えて、ある民族の音楽を真に正しく評価できるためには、その言語を正しく理解していることが必要であること(X902)、他の民族の音楽に近代フランス音楽の旋律に似たところがあるからと言って、そこから近代フランス音楽が普遍性を持っているなどと結論すべきではないと指摘している(X902)。
ルソーが古代ギリシャ音楽の持っていた驚異的な精神的効果の原因を説明するという意図から提示した古代ギリシャ音楽と近代フランス音楽の対比のなかには、これ以降のルソーの音楽思想の軌跡を考えるならば、まさに音楽思想家ルソーの誕生(それはまた思想家ルソーの誕生でもある)と言える立脚点を指摘することができる。それは三点ある。
第一に、言語と音楽の関係に関する論点である。ルソーは、『イタリア・オペラとフランス・オペラに関する手紙』において、第三のジャンルとしてのオペラという伝統的立場から、音楽が主人で、言語は従者であり、音楽の存在に調和できる主題、登場人物、ギャラントな言語のみが用いられるべきだと主張した。その観点からリュリ・キノーのオペラを称賛し、イタリア・オペラは悲劇を目指して言語と音楽のあいだに乖離状態を引き起こしたとして否定した。さらに、ルソーは、歌いながら芝居をすることによって生じる滑稽さを取り除くために用いられる幻想こそがオペラのドラマトゥルギーの根本原理を形成するのだとすれば、逆に音楽だけがもつ特質―一挙に感覚を捉える―を充分に利用すべきだとして、合唱をはじめとした和声の豊かな音楽を評価した。これは、ルソー独自の音楽論と言うよりも、むしろ当時の音楽論の反芻に過ぎなかったと言える(註7)
ところが、『百科全書』の《音楽》ではルソーの立脚点はまったく逆転する。ルソーは、音楽とは言語を支えるものという立場から出発する。言語を音楽によって支えるとは、旋律が言語の韻律法を正確に反映することである。つまり音楽の精神的効果を担っているのは、旋律なのである。このような立場は、フランス音楽の音楽性を問題にするとしながら、まずフランス語の韻律法を論じた『フランス音楽に関する手紙』の立場と共通している。
古代ギリシャ音楽では詩を支える伴奏すなわち旋律以外に旋律をもたなかった(単旋律音楽)。その旋律(メロペー)は、そのもとになっている言語の韻律やリズムの多様さを反映して、非常に多様で豊かであり、さらに15の旋法が固有の性格を持っていたので、聴くものの心を直接動かすような驚異的な精神的効果が生じたというのが、ルソーの結論である。それにたいして、主旋律の他に旋律(伴奏=和声)を持つ近代音楽(多声音楽)では、旋律と和声との関係という問題が生じる。そこで、ルソーは、近代音楽に目を移し、フランス音楽とイタリア音楽におけるこの関係を論ずる。ルソーは、近代音楽では旋律と転調を確定するのが和声であることを確認した上で、しかし音楽の精神的効果をもたらすのは旋律であるという先の立場から、和声はあくまでも旋律を支える役目に徹するように適切に配置されなければならず、旋律を覆い隠してしまってはならないと主張する(X900-901)。そしてこの立場から、イタリア音楽の優秀性を適切に選択された和声の簡素さによって説明しているが、この説明に、同じく『百科全書』の《伴奏》の項目で主題の提示の仕方について述べた「イタリア人は伴奏のなかにも、バスのなかにも、主題から一瞬でも耳を逸らされるようなものがなにも聞こえないことを要求する。そして彼らは注意は分散されると消失するという考えを持っている」(註8)という一節を加味してみるなら、ルソーが『フランス音楽に関する手紙』において《旋律の統一性》の名のもとに規定することになる概念がすでにここで表明されていることが分かる。それだけではなく、上で指摘したような、音楽を言語の韻律法を反映したものと見る見方、旋律と和声の関係、音楽的言語と非音楽的言語(ルソーはフランス音楽の悪をフランス語の悪から説明している)の対比(p.901)など、ルソーはここですでに『フランス音楽に関する手紙』と同じ立場に立っていると言うことができる(註9)
第二の論点は、音楽を言語の従者と見る第一の立脚点から必然的に引き出されたと考えることができるのだが、音楽の地理的歴史的相対主義の立場である。『イタリア・オペラとフランス・オペラに関する手紙』のルソーは、イタリア音楽の優秀性=普遍性を、その音楽がイタリア語の特性とは全く関係ないところで成立しているところにあると考えていた。
それにたいして、『百科全書』の《音楽》では、このような普遍的=絶対主義的音楽観は否定される。音楽は言語の韻律法を反映した旋律なのだから、それぞれの民族の音楽はそれぞれの民族の言語の韻律法を反映している、したがってある民族の音楽を知るにはその言語を充分に熟知する必要があると指摘したのは、このような立場からのことであった。唯一絶対の普遍的な音楽はない。これが『百科全書』におけるルソーの立場であり、それをわれわれは音楽の地理的歴史的相対主義と呼ぶ(註10)
では、ルソーがフランス音楽を否定するのはなぜだろうか? 言語の韻律法が不明確で、音楽が反映しにくい場合、つまり言語が非音楽的である場合、音楽は言語を反映できず、言語から分離し、音楽と言語の対立が生じる。フランス音楽はこのような音楽であるというのが、ルソーの主張である。つまり、ルソーがフランス音楽を否定するのは、言語の韻律法の反映という音楽の本来の状態を逸脱していると見るからである。そして、音楽本来の状態からの逸脱として近代フランス音楽を否定するこの立場は、第三の立脚点を導くことになる。
『百科全書』の《音楽》のルソーによれば、古代ギリシャ音楽は、言語を支えるものとしての単旋律以外には和声を持たず、そのための楽器も未完成であったけれども、言語を支えるための旋律(メロペー)そのものは多様性に富んでいた。この意味において、音楽本来の状態に最も近かったのが、古代ギリシャ音楽である。他方、近代フランス音楽は、その原因が言語そのものの非音楽性にあるにせよ、言語を支えるための旋律を覆い隠してしまうほどに和声を複雑化・肥大化させ、音楽本来の状態から逸脱した。その結果、近代フランス音楽は、精神的効果を失い、たんに耳を喜ばすだけの音楽になった。換言すれば、和声の複雑化・肥大化と器楽の発達は、一見すると音楽の進歩に見えるが、音楽の本来の状態から見れば、堕落した状態にある。これをわれわれは進歩=堕落のテーゼと呼ぶ。これと同じものを、『学問芸術論』に見ることができるだろう。『学問芸術論』のルソーは、古代ギリシャの都市国家を共和国の純粋状態としてとらえ、学問・芸術の進歩と引き換えに、この純粋状態から逸脱して習俗を堕落させていった近代フランスを批判することになるのだが、まさに同じ論理がすでに『百科全書』の《音楽》にあると言っていいだろう。
以上三点にわたって見てきたように、『学問芸術論』と『フランス音楽に関する手紙』を思想家ルソーの出発点と見なす一般的な見方とすれば、それに先立つ時期に書かれた『百科全書』のための項目のなかにすでにそれは予告されている。ルソーにこのような視点の転換、あるいは新たな視点の導入を促したのは、『百科全書』の執筆によるラモーへの復讐であり、「ヴァンセンヌの啓示」であったには違いないが、それはあくまでもきっかけにすぎない。そのためにはそれを可能にするような論理の獲得が必要である。そのような論理の獲得を可能にしたのが、デュパン夫人のフェミニズム思想の影響ではなかったのだろうか。

3.デュパン夫人のフェミニズム思想
ルソーが秘書をしている時期に徴税請負人の妻が取り組んでいた著作の仕事は、友情に関する著作、『法の精神』批判のための著作、そして女性に関する著作の三つであったが、デュパン夫人が最も熱心に取り組み、それゆえルソーが最も深く関わっていたのは、女性に関する著作である。この著作は47章で構成される予定であったが、そのシステマティックな構造を見ると、デュパン夫人がいかにしっかりした問題意識と方法論をもっていたかが窺われる。近代の女性、とりわけ結婚後の女性のおかれた立場は奴隷に等しいという強烈な問題意識をもっていたデュパン夫人は男女不平等論の論拠を批判するための著書を、次の二つの視点から組み立てようとしていた。
第一の視点は、このような男女不平等の根拠とされてきた身体的精神的差異、すなわち女性の劣等性が本当に自然の中に客観的なものとして存在するのかどうかを問う視点である。第1章「両性の平等とその相違に関する考察」、第2章「生殖について」、第3章「気質について」、第4章「力について」、第5章「動物と植物のアナロジー」、第6章「旧約聖書について」など、どの章でも男性の優位性・女性の劣等性を正当化するような根拠は自然の中には存在しないことを示そうとするデュパン夫人の熱意は激しい。デュパン夫人によれば、女性不利の根拠にされている事象は、男性が自分たちの優位な立場をあたかも自然が根拠づけているかのように見せかけるために作りだしたものにすぎず、実際には男性優位・女性劣等を根拠づけることができるような差異は自然の中には存在しない。したがって、デュパン夫人は、男女間のさまざまな差異・不平等は自然に根差した、それゆえに人間の手ではどうにも変えようのない原理にもとづいているのではなく、まったく人為的なものであると主張する。
第二の視点は、近代社会に根強く見られる男女間の不平等や女性差別が、自然に根拠をもつものでないとするならば、歴史的に見て、そのような不平等や差別が人為的にもちこまれた時代があるのでないかということを問う視点である(S186)。そこで、デュパン夫人は、古代においては女性が男性と同等の資格で政治や軍事に参加していたし(S254-255)、キリスト教会においてもその初期には男女同等の権利があったけれども(S237)、トレント公会議以降、すなわち17世紀以降に女性にたいする意識が変質したことを解明する(S238)。
さらに、徴税請負人の妻は、男女の不平等論が歴史的に形成されたものであるだけでなく、地理的にも限定された人間関係の姿であることを、ヨーロッパ文化圏以外の世界各地の調査によって証明しようとする(第17章「ヨーロッパの諸国」、第18章「トルコとペルシャについて」、第19章「大タタール、中国、日本について」、第20章「その他の諸国(サブタイトル・「アジア」―「アフリカ」―「アメリカ」―「インド」―「ペルー」)」)。そして「世界の全ての地域に関する様々な報告の中から、女性が自由を失っている国々の数と同じくらいの数の国々で、まだ女性が自由を保持していること、女性が市民的宗教的役割の権威を奪われている国々よりももっと多くの国でそれを共有していること、男性だけの仕事がある以上に男性の仕事を共有している国があることがおそらく分かるだろう」(S240)と結論した。
デュパン夫人によれば、歴史的に見れば古代や中世の社会では女性も男性と同等の資格と権利で軍事や政治に参加していたこと、また地理的に見ても女性が男性と同等の立場に置かれている地域が多く存在する。女性の奴隷状態は決して自然に根拠をもつ普遍的本質的状態ではなく、近代西洋という歴史的にも地理的にも限定された文化においてのみ見られる特殊な現象である。このような見方を地理的歴史的相対主義と呼ぶことができるだろう。
ところで、デュパン夫人の秘書としてのルソーの仕事は、二つの性質を持っていた。その一つは、デュパン夫人の口述筆記あるいは彼女の書いたものの清書である。もう一つは、自らの著作を学問的価値のあるものにしようとして、一次資料からの引用を重視するデュパン夫人の指示に従って、彼女の蔵書や場合によっては王立図書館から借り出された書物に目を通して、内容を要約したり、抜粋を作ったりする仕事である。これがルソーの「観念の貯蔵庫」を豊かにすることに大いに貢献したであろうことは論を待たない。それだけでなく、この仕事はルソーにデュパン夫人の計画している著作の方針についての十分な理解を必要とさせたであろうから、それがルソーの思想形成にとって大きな影響を与えたであろうことが予想される。

4.結論
ルソーは『百科全書』においてラモーを批判するために、かつて自分がとっていた主張を投げ捨て、180度転換する立場に立った。ラモーは、音楽とは自然の音響現象を客観的に反映した和声体系であると考え、音楽の精神的効果を作り出しているのは和声であると考えていた(註12)。音楽行為を自然に根拠をもつと考え、それゆえに唯一絶対的な判断基準があると見なすラモーの絶対主義的な視点にたいして、ラモーに代表される和声豊かなフランス音楽を否定し、言語の韻律法を反映した旋律と古代ギリシャ音楽を対置しようとするルソーにとって必要なものは、音楽は言語の韻律法を反映した旋律であると見る音楽行為の非自然性の視点であり、相対主義の視点である。上に見てきたように、デュパン夫人の女性に関する著作は、まさにそのような視点から男女不平等論を突き崩そうとする意図を持ったものであった。秘書としてこの仕事に深く関わっていた、それに通暁していたルソーが、自らの新たな論理の構築にあたって、それを無意識的にせよ利用したとしても不思議ではないだろう。

《註》
ルソーの著作については、以下のものを利用した。
1.J.-J. Rousseau, Oeuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, t.I,1959, t.II,1964, t.III,1964, t.IV,1969, t.V,1995. (以下OCI-Vと略記する)
2.Encyclopédie, Compact Edition, Pergamon Press.(特に第]巻からの引用については、]ページ数というふうに記す)
3.Correspondance complète de J.-J. Rousseau, Édition critique, ´tablie et annotée par R.A. Leigh, Oxford.
デュパン夫人の著作と彼女のフェミニズム思想の説明にあたっては、すべてセネシャルとル・ブレの研究の成果を利用したものであることを断っておく。参照した文献は以下のものである。
1.Sénéchal, Anicet, "J.-J. Rousseau, secrétaire de Madame Dupin, avec un inventaire des papiers Dupin dispersés en 1957 et 1958", Annales de la Société Jean-Jacques Rousseau, t.36, 1963-1965. (本文中ではSの記号を持って記す)
2.Le Bouler, Jean-Pierre, "Un chapitre inédit de l'Ouvrage sur les femmes de Mme Dupin", Studies on Voltaire and the Eighteenth Century, 241, 1986.
(註1)これには諸説あるが、ここでは最も新しいル・ブレとラファルジュの説を取った。Cf. Le Bouler et Lafarge, "Les emprunts de Mme Dupin à la Bibliothèque du roi dans les années 1748-1750", Studies on Voltaire and the Eighteenth Century, 182, 1979, p.109.
(註2)小笠原弘親、『初期ルソーの政治思想』、御茶の水書房、1979年、pp.30-31。
(註3)Sénéchal, op.cit., pp.185-186.
(註4)手紙149、1749年1月27日。
(註5)その例としては、Accompagnement, Cadence, Consonance, Dissonance, Enharmonique, Fugue, Genre, Mode, Systèmeなどが挙げられるだろう。
(註6)《Musique》, Dictionnaire de musique, OCV, p.923.
(註7)拙論「ルソーの音楽思想の形成 その2 ―『イタリア・オペラとフランス・オペラに関する手紙』をめぐる問題―」、『りべるたす』第12号、1998年12月(予定)を参考のこと。
(註8)《Accompagnement》, Encyclopédie, t. I, p.77.
(註9)『百科全書』のためのルソーの項目が持つ重要性を指摘するような研究はほとんどない。オリヴァーはルソーをラモー理論の解説者としてしか評価していない。Oliver, Alfred Richard, The encyclopedists as critics of music, Colombia University Press, 1947, AMS, 1966, p.112.
(註10)Wokler, Robert, "Rameau, Rousseau, and the Essai sur l'origine des langues", Studies on Voltaire and the Eighteenth Century 117, 1974, p.232. O'Dea, Michael, Jean-Jacques Rousseau, music, illusions and desire, St.Martin's Press, New York, 1995, p.22.
プレイアッド版の『フランス音楽に関する手紙』に付けられた注によると、このような関心はルソーに絶えずあったものだとしているが、『百科全書』の「音楽」の項目にすでに見られるという言及はない(OCV, p.300のためのn.1, p.1464)。
(註12)Jean-philippe Rameau, Démonstration du principe de l'harmonie, Musique raisonnée, Testes choisis, présentés par Catherine Kintzler et Jean-Claude Malgoire, Stock, 1980, pp.66-67. C. Kintzler, Poétique de l'opéra français de Corneille à Rousseau, Minerve, 1991, pp.410-413.
[初出掲載誌 関西大学仏語仏文学第号(1998年12月)]

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