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 ルソーにおける音楽的模倣と言語の起源(註1)


1.はじめに
 1755年の暮れから1756年の初めにかけて,ルソーは『旋律原理論,あるいはラモーにたいする反論』を執筆している。これは1755年に出版されたラモーの『「百科全書」における音楽に関する誤謬』にたいする反論のためである。それは大きく分けて三つの部分から構成されていた。最初の部分は,ラモーの和声主義にたいする批判である。和声が音楽のすべての源であり,旋律は和声の派生物にすぎないというラモーの主張にたいする反論である。第二の部分は,ラモーによる旋律主義批判を受けて,旋律が音楽の起源から音楽の表現力を担っていたことの解明に当てられている。この中に,1753年暮れから1754年にかけて『人間不平等起源論』を書いたときの断片である音楽の堕落の歴史も挿入された。第三の部分はラモーの音響体理論にたいする批判である。音響体の共鳴が音楽のすべてを導き出すとラモーは主張するが,不協和音の成り立ちも短調のそれも説明できないことを明らかにして,ラモーの主張が戯れ言であると指摘している。第一と第三の部分,つまり音楽理論に関わる部分は後に『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』として一つの論文にまとめられていたが,生前には出版されず,ルソーの死後すぐに出版された。そして残った真ん中の部分,デュッシェの研究から『旋律起源論』と呼ばれている部分は,少なくとも1761年までのあいだに書き直されて,『言語起源論』となった。(註2)
 『旋律起源論』は,旋律こそが音楽における表現力の源であることを示すために,旋律の起源にまで遡って,旋律が音楽の起源の形態であり,音楽にとって本質的なものであることを解明するために書かれたものであるにもかかわらず,旋律の起源は扱われていない。旋律の起源を扱うことによって言語の起源が明らかにされるはずであったにもかかわらず,言語の起源については動物の叫び声の模倣であると簡単に触れられるだけで,すぐに古代ギリシャ語の音楽的特徴に議論が飛んでしまう。『旋律起源論』と『言語起源論』を対比してみるとき,もっとも大きな相違点は,明らかに,『旋律起源論』では言語の生成過程(それは旋律の生成過程出もあるのだが)が解明されていないことである。言い換えるなら,ルソーは1755年暮れの時点ではまだ言語生成のメカニズム(註3)をつかんでいなかったと言える。そこで,本論の目的は,『旋律起源論』と『言語起源論』の比較を通して,両者の間にあるルソーの思想的深化を探ろうとするものである。

2.『言語起源論』と『旋律起源論』の対比
 ここでは『言語起源論』と『旋律起源論』のあいだにどのような相違があるのかを明らかにしよう。まずそれぞれの構成を検討してみる。
 『言語起源論』は次のような構成になっている。第1章〜第4章では,最初の言語の生成とその特徴がテーマになっている。人間は生まれながらにして言語能力をもっており,感覚器官をつかって,自分の意志,観念,感情を伝えることができる。感覚器官をコミュニケーションのために使うことで,身振り言語と音声言語が可能だが,身振り言語は観念の伝達の正確さ,音声言語は情念の伝達に適合するという特徴がある(EOL第1章)。最初の言語として身振り言語と音声言語という二つの言語が考えられるが,そもそも人間にとって情念のほうが観念よりも本源的であるし歴史的にも先行するので,最初に形成されたのは,情念の伝達に関わる音声言語のほうだったはずだ(EOL第2章)。最初の言語では,まだ観念が発達しておらず,対象にたいする認識が曖昧であり,感じたままを表現していたので比喩的であった(EOL第3章)。それでは最初の言語の特徴はどういうものだったのかというと,わずかの分節音,これに変化に富んだ抑揚,同じ声に変化を付けるアクセント,音の長短やリズムを組み合わせることによって,対象によって引き起こされた心の動き,情念,感情を表現するものであった。したがって,最初の言語の特徴は,旋律的であった。こうした組み合わせは無数に可能で,現代語に劣らないくらい豊かな表現力をもっていた(EOL第4章)。これは,最初の言語が旋律的であったこと,すなわち言語と音楽が一体になっていたことを示している。
第5章〜第7章では,最初の言語の通時的変質過程が提示されている。第5章の冒頭には,第4章で提示された最初の言語がこうむる変化が記述されている。「音声が単調になればなるほど,子音の数が増えること,アクセントが消え,長短が平均化するので,それを文法的な組み合わせや新しい分節音によって補」(EOL, 384)うことになる。つまり最初の言語がもっていた旋律的な要素が失われていく。こうした言語の変化は,欲求の増大,知識の拡大,仕事の複雑化を反映して正確になっていく観念を表すのに適合するための変化である。この冒頭のパラグラフの内容は,第5章から第7章全体を統括するまとめとなっている。つまり,最初の言語の変質─言語の感情表現力の低下と観念表現力の増大,それと相関関係にある文字言語化というのがこの三つの章の主題である。
第8章〜第11章では,地理的風土的相違にもとづく諸言語の空間的変質過程がテーマとなっている。ルソーが人類は温かい土地で発生し,寒い土地に広がっていったと説明していることに注意する必要がある。なぜならばルソーの記述は,一見すると,南方諸言語と北方諸言語が同時的に発生したと説明しているように見えるが,じつは南方で発生した旋律的な最初の言語が,明確な観念が必要とされる生存に厳しい気候風土のもとで,分節音の増大,アクセントの単調化によって─つまり第5章〜第7章で提示された通時的変質過程と同じ過程を経て─非旋律的になって,北方諸言語を形成したことが示されていると考えられる。ここでは,同一の風土内での時間軸に沿った変質過程ではなく,空間的移動による変質過程が描かれていると言っていいだろう。
第12章〜第19章では,旋律を音楽の本質的要素と位置づけた音楽本質論が主題となっている。まず第12章では,南の言語の生成の場となった泉のほとりで使われた言語こそ,その「リズムの周期的で規則正しい反復,アクセントの旋律に似た抑揚」(EOL, 410)のために詩=歌=言葉であり,ここに音楽と言語の共通の起源があること,さらに起源において,音楽には旋律しかなかったこと,古代ギリシャ音楽の驚異的な力は感情や情念を表すリズムと抑揚(=旋律,アクセント)をもっていたからだということが示される。第13章から第18章までは,情念,感情,心の動きを表すリズムと抑揚=旋律こそが音楽の本質的要素であることが,音楽の効果を物理的生理的側面に求めようとする潮流にたいする批判(第13章,15章),和声批判(第14章,17章,18章),デッサンによる模倣よりも旋律による模倣の優位性の主張(第16章)によって深められている。第19章ではまとめの章として第1章から第11章において記述されてきた旋律的な最初の言語の変質過程のつづきが記述される。つまり旋律的な南方諸言語の一つであった古代ギリシャ語が変質することによって音楽が言語から分離・独立する。この時期の音楽は最初の言語(=音楽)に比較すれば,変質しているとはいえ,まだ言語に密着したものであったが,北方諸言語を使う「野蛮人」の侵入によって音楽に和声体系ができあがり,言語と音楽が完全に分離することになると,音楽は精神的効果を失うことになる。
 以上のまとめを概略的に示すと次のようになる。初めの数章で最初の言語が旋律的であったこと,つまり言語=音楽であったことが示され,次に最初の言語が時間的空間的移動によって変質する過程(音楽的な南方諸言語そのものの変質,つまり言語からの音楽の分離的形成と,人類の北方への拡散による非音楽的な北方諸言語の形成)が示され,最後に南方諸言語から分離して形成されてきた音楽(古代ギリシャ音楽)が非音楽的な北方諸言語との遭遇によって,和声体系をもつまったく異質な音楽が形成される過程が示されている。このように見てくると,『言語起源論』は非常に論理的な構成になっているし,しかも旋律こそが音楽の本質をなしているということを徹底的に明らかにするような構成になっていると言うことができる。
 他方,『旋律起源論』は次のような構成になっている。まずその議論の流れをまとめてみると次のようになる。
 パラグラフ1〜3(註4)…最初にも明らかにしたように『旋律起源論』は一つの独立した著作ではなく,ラモーの音楽理論を批判するもっと大きな著作の真ん中の部分にはさまれていた断片である。『旋律起源論』を元の位置においてみると,ルソーはこの直前の個所で,和声は人為であるのに対して,旋律は自然に根ざしていると繰り返し述べていることが分かる。そこでこのパラグラフでルソーは,旋律の起源に遡って旋律がどうやって形成されたかを明らかにしようと提起する。ルソーは,旋律を純粋に自然の産物だと規定し,まず言語以前の状態に触れ,人間の模倣本能,動物の叫び声の模倣に言及し,風土の違いに応じて,言語以前の状態からすでに地域ごとの特徴をもっていたと主張している。
パラグラフ4〜6…ここでは,人間の声は歌う声も話す声も本質的には同じだという音声学的議論が行われている。最初の言語においては言語と音楽が一体だったということを主張するための前提条件を確立するための議論だと考えられる。こうした議論は『音楽辞典』の《声》にはあるが,『言語起源論』にはまったく見あたらない。
パラグラフ7〜11…パラグラフ7で,言語生成過程に関する記述なしに,突然,最初の言語の特徴が記述されている。このパラグラフは『言語起源論』の第4章に該当個所を見いだすことができるが,『言語起源論』の第1章,第2章に該当するような,最初の言語が音声言語となった理由を説明する議論は完全に欠落している。パラグラフ8以降はギリシャ語と思われる古代の言語についての記述になっている。

多くの観念を伝えなければならないのにほんのわずかな単語しかなかったときには,必然的にこのわずかな単語に多くの意味をもたせ,様々な方法で組合せ,調子だけで区別できる様々な意味を与え,比喩を使わなければならなかったし,なかなか理解してもらえにくいために,人の興味を引くことしか言うことができなかったので,伝えるのに苦労する分だけ一生懸命になったのである。熱意,語調,身振り,こうしたことがすべて会話を活気づけ,会話は理解されるよりも感じられなければならないものだった。かくして雄弁が理屈に先行し,人間は哲学者になるよりもまえに長いあいだ弁論家であり詩人だったのである。(OM, 333)

一見すると,『言語起源論』に似ているが,『言語起源論』とは因果関係が逆になっていることに注意する必要がある。感情,情念,心の動きを反映した音声による言語だったから,比喩的で,旋律的特徴をもち,表現力が豊かだったというのが『言語起源論』の説明だが,ここでは逆に言語がまだ貧弱だったので旋律的になったのであり,比喩的で理解しにくいので言表行為に熱意,語調,身振りがともない感じ取られるべき言語となったという説明がされている。
パラグラフ12〜20…古代ギリシャでは,音楽は独立した芸術ではなく,文法の一部であったことやギリシャ音楽では近代的な意味での和声は存在しなかったことなど,古代ギリシャにおける言語と音楽の特徴が記述されているパラグラフ群であるが,その理由を協和音にたいする捉え方が近代音楽とは違うということから説明した箇所と同じ文章が,『言語起源論』第18章「ギリシャ人の音楽体系は,私たちの音楽体系とは,いかなる関係もないということ」の第三パラグラフにある。さらに古代ギリシャ語を構成する音楽的要素であるアクセントとリズムを説明する記述のあと,旋律的要素を旋律から分離するラモーにたいする批判(パラグラフ18)があるが,これは『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』に移される(註5)
パラグラフ21〜30…古代ギリシャにおける言語と音楽の変質過程に関する記述で,これはほぼ同じものが『言語起源論』第19章にもある。
パラグラフ31…17世紀に始まる音楽劇とその後の国民音楽の特徴についての記述。音楽的言語をもつ国々では階調的な音楽が,フランス語のような非音楽的言語のもとでは和声が支配力を維持している。
パラグラフ32〜34…音楽の本質的効果である精神的効果を中心にして,旋律と和声を対比させて論じている。絵画と音楽のアナロジーにも言及されている。内容的には『言語起源論』の第13章「旋律について」,第14章「和声について」,第15章「私たちのもっとも生き生きとした感覚は多く精神的印象によって働くこと」,第17章「音楽家たちがもっている,その芸術に有害な間違い」に共通するところが見受けられるが,まったく同じ文章は存在しない。とくに,パラグラフ34には近代音楽において和声をどのように位置づけるべきかについての議論があるが,『言語起源論』第14章が和声の有害さを強調しているのに対して,『旋律起源論』は,音楽の真の力である精神的効果を生みだしているのは旋律であるが,和声は旋律のもつ効果を強めるところにその有用性があると,和声の補強的役割に焦点を当てることで,断定的に否定していないという違いがある。さらに,『言語起源論』第16章「色彩と音の偽のアナロジー」で提起されるような新しい形の音楽模倣論は『旋律起源論』には見受けられない。
 両者を対比することによって,次の点が明らかになるだろう。
  1. 『旋律起源論』には旋律の起源(すなわち言語の起源)に遡ることでラモーの和声優位論を批判するという意図があったにもかかわらず,最初の言語において言語=音楽(旋律的言語)となるような契機に関する説明が完全に欠落している。つまり言語生成のシステムに関する記述がない。
  2. 1と連動することだが,音楽は心の動きを模倣するので,どんな対象でも描くことが可能であり,視覚的な対象しか描くことができない絵画よりも優れているという,従来の模倣芸術の序列を逆転する模倣論が『言語起源論』では提起されているが,これが『旋律起源論』にはない。
  3. 人間の声は歌う声も話す声も本質的には同じだという音声学的議論が『言語起源論』にはない。
  4. 南方諸言語と北方諸言語の生成と特徴,文字言語化に関する議論が『旋律起源論』にはない。
  5. 音楽史の記述の中に言語と国民音楽の相関関係に関する議論が『言語起源論』にはない。

 そもそもラモーにたいするルソーの反論の目的の一つは,音楽が聴くものに驚異的な効果を持ちうるのは,音楽が旋律を通して精神的な効果によって聞き手の心に働きかけているからであって,和声がもつ生理的物理的な効果によってではないということを明らかにすることあった。その際にキー・ワードとなるのが旋律である。なぜなら,ルソーとしては音楽のもつ精神的効果を担っているのが旋律であるということを音楽の本質論として明らかにしなければ,和声が音楽のすべての生みの親であると主張するラモーに対抗することはできないからである。ルソーにとって本質は起源にあるので,起源に遡って,起源において音楽は旋律であったことを解明することが肝要になる。したがって『旋律起源論』が,起源に遡ることを提起したにもかかわらず,言語の生成過程を明らかにできていないことは決定的な弱点だったのである。それにたいして,『言語起源論』は最初の数章でこの責務を果たしている。したがって,上に挙げた『旋律起源論』と『言語起源論』の相違点は,『言語起源論』が言語の生成過程を解明する章を最初にもってくることによって生じたと考えられる。順を追って検討してみよう。
 3に見られるように,人間の声は歌う声も話す声も本質的には同じだという音声学的議論が『旋律起源論』にあるのは,人間にとって話すことと歌うことは本質的に同じだということを示すことで,音楽と言語はその起源から一体であるという点を強調したかったからに他ならない。ところが言語の生成過程を解明し,そこで音楽と言語の一体性が示されていれば,こうした音声学的議論は必要ではなくなる。その結果として『言語起源論』では削除されたのだと考えられる(註6)
 4でまとめたように,南方諸言語と北方諸言語の生成と特徴,文字言語に関する議論が『旋律起源論』にはないのはなぜだろうか。『旋律起源論』では,最初の言語と古代ギリシャ語がほとんど同列に扱われ記述されている。そしてパラグラフ25で突然に「野蛮人」の侵入による音楽と言語の変質が記述されている。こうした記述の仕方は,『学問芸術論』のそれに類似している(註7)。この文明批判の書においてルソーは古代ギリシャこそ人間の自然な状態であるかのように近代と比較して記述しているが,じつは古代と未開の違いがここでは未解明で,たんに古代と近代を比較して,近代の堕落した状態を批判するだけで,その原因も過程も明らかになっていなかったのである。その点を明らかにしたのは,言うまでもなく,『人間不平等起源論』であった。この論文のなかでルソーは古代と未開を社会状態と自然状態として分離し,純粋な自然状態から堕落した自然状態へ,純粋な社会状態から堕落した社会状態へという螺旋的な歴史観を確立するにいたった。『言語起源論』も同じことで,『旋律起源論』では解明されていなかった言語生成のメカニズムを明らかにして,南方において形成された最初の言語とそこから歴史的変質過程によって形成された古代ギリシャ語を分離することで,最初の言語の形成から南方諸言語内部での歴史的変質過程と北方への空間的移動による変質過程を別々のものとして描き,さらに両者の合流によって近代の諸言語と音楽が,南方諸言語のもとでの音楽とはまったく違ったものとして形成されるという音楽と言語の歴史の記述が可能になったと言えるだろう。
 じつは,5の『言語起源論』における音楽史の記述の中に言語と国民音楽の相関関係に関する議論がないのは,これに関連している。南方諸言語と北方諸言語との合流によって形成された近代ヨーロッパの諸言語(ルソーによればフランス語もイタリア語も)は,原初の言語がもっていた特徴─旋律性─を完全に失っている。その結果,古代ギリシャ語ではテクストが決まれば,旋律も決まっていたのにたいして,近代ヨーロッパ諸言語では一つのテクストにどんな旋律でもつけることが可能になった(註8)。このことはこれらの言語のもとでは,言語がそれに固有の旋律を持つことによって成り立つ国民音楽などというものが成り立ち得ないことを意味する。『旋律起源論』や『フランス音楽に関する手紙』が問題にしたような国民音楽はあり得ない。『言語起源論』のルソーによれば,和声体系の確立によって近代ヨーロッパの音楽は古代ギリシャを代表とする音楽とはまったく質的に異なったものになったのと同じように,言語のほうも音楽性を完全に失って,質的に異なったものになったのである。そういう言語,音楽に関して,もはや国民音楽は問題にならない。ルソーが『言語起源論』から国民音楽の議論を削除したのはこうした理由によると考えられる。
 2の新しい音楽模倣論の確立が『言語起源論』成立の重要な契機になっているが,この点については他のところで詳述したので(註9),ここでは触れない。

3.『旋律起源論』から『言語起源論』へ
 以上の考察から,『旋律起源論』から『言語起源論』成立の間にルソーの中でどのような思想的な深化があったのかが明らかになったが,本章では,そのような深化を促すことになったと思われる思想的契機を周辺の思想家との関係において検討しよう。
言語生成システムに関する思索と音楽模倣論に関するそれは,最終的には『言語起源論』のなかで同一のものになるとはいえ,本来別々の主題であってみれば,当然ルソーも別々のところで,それぞれに固有の問題意識をもって思索していたはずであるので,ここでも別々に検討することから始めよう。まず音楽模倣論であるが,ルソーの初期の著作において音楽模倣論が問題になるということはほとんどなかった。その理由は,音楽が言語の抑揚を模倣することで詩の表現力を助けるという意味での伝統的な音楽模倣論にたつ以上,そこに議論の余地は生じないからである。したがってルソーは音楽的模倣という意味でのimitationあるいはimiterという語を『旋律起源論』までほとんど使っていない。それでは何が問題になっていたかといえば,こうした言語の抑揚の模倣を担うのは旋律であるのかそれとも和声であるのかという問題であった。『百科全書』の《音楽》では,詩を目立たせることだけを目的として作られた単旋律の古代ギリシャ音楽と和声が豊かであるのに表現力を失っている近代フランス音楽の対比という形で,旋律と和声が対比されていると見ることができる。「驚異的な効果」という語が古代ギリシャ音楽の特徴を示すものとして多用されるが,精神的効果と生理的物理的効果という対比はない。『フランス音楽に関する手紙』になると旋律と和声という対立軸がはっきりと立てられて,旋律は言語の抑揚の反映の結果であり,旋律が音楽の表現力を担っているというテーゼが主張される。その結果,言語の抑揚をもたないフランス語は旋律がない,すなわちフランスには音楽がないという結論が提示されることになる。そして『ラモ―氏が主張する二つの原理の検討』では旋律と和声の対立は精神的効果と生理的効果の対立になり,和声によって音楽の効果を説明しようとするラモーの科学主義的音楽論が批判されることになる。『旋律起源論』では精神的効果のありようとして,ついに旋律と心の動きが結び付けられる。
和声と音を音楽における第一原因とみなすとき,同じ間違いをおかすことになる。なぜなら和声と音は結局のところ旋律の道具でしかないからである。旋律が自分自身のなかにこの原因を持っているからではなくて,旋律は精神的な効果の反映であるので,旋律が精神的な効果から第一原因を引き出すからである。すなわち,心の動きが人間の声に与える自然の叫び声,アクセント(語調),韻脚,拍子そして情念の情熱的な調子がそれである。(OM, 342)

旋律が精神的効果をもちうるのは,人間の心の動きが人間の声に与える調子を旋律が模倣するからだというこの規定は,『言語起源論』に見られるような音楽模倣論の規定―音楽家の技術は対象の知覚し得ないイメージを,その対象を前にしたときに,それが見ている人の心に引き起こす動きのイメージに置き換えること―の一歩手前に到達していると見ることができる。ラモーにたいする反論を準備する過程で,旋律がなぜ精神的効果(つまり心への作用)をもちうるのかということが問題になったのであり,このときやっとルソーは1751年にダランベールの『百科全書序論』における音楽的模倣に関する記述から受けた示唆を利用することができる段階に達したと言える。
 次に言語の起源に関する問題である。ルソーが言語の起源に関して考察を始めるきっかけになったのは,言うまでもなく『人間不平等起源論』の執筆であった。このなかでルソーはコンディヤックの名前を挙げて言語の起源の問題を議論することの困難さの理由を二つ挙げる。第一は,言語の使用は人間が社会化することが前提であるが,人間は自然状態においては散在しており言語使用の必要性がなかった。第二に,言語使用が必要になったと仮定しても,相手の注意を喚起するという点で身振りよりも優位な音声は,分節音と観念を結びつけるのに全員の合意が必要である。したがって,これには言語の確立に言語を必要とするという自家撞着の困難が生じる。ルソーは,第一の困難を,大洪水や地震という天変地異によって人々が共同の生活を余儀なくされたということでクリアーしたが,第二の困難は『人間不平等起源論』では解決できなかった。『人間不平等起源論』では原初の言語が次のように説明されている。
このような人間関係においては,ほとんど同じような集団を作っている鳥や猿に比べて,ずっと洗練された言語活動が必要とされていたわけではなかったということは,容易に理解されよう。音節化されない叫び声,多くの身振り,いくつかの模倣音が長いあいだ普遍的な言語を構成していたに違いない。この普遍的な言語に,いくつかの音節化された約束による音が加わって,粗野で不完全な個別言語ができたのである。これらの個別言語がどのようにして制定されたかを説明するのは,すでに述べたように,それほど簡単なことではないが,それらは今日のさまざまな未開の国民が持っているのとおおよそ同じである。(OCIII, 167)

ここで「普遍的な言語」として説明されている原初の言語の特徴は,ルソー独自のものではない。このような認識は『旋律起源論』でもほぼ同じである。
人間の自然状態というものについてはわれわれはほとんど知らないので,そのような人間が固有の一種の叫びのようなものをもっていたのかどうかさえも分からない。反対に,私たちは人間を,他の動物たちを見本にするという能力をあっという間に身につける物真似のうまい動物として知っている。この動物ははじめは自分のまわりにいる動物の叫びを模倣することができるだろうし,住んでいる地域の多様性にしたがって,言語をもつ以前の人間は,地域ごとに異なった叫びを持っていたのかもしれない。その上,器官は気候風土によって自由さ柔軟さに違いがあったので,言語の形成以前でもすでに国民ごとのアクセントの起源がこの点にあったのである。(OM, 331)

両者の間にはほとんど進展が見られない。『旋律起源論』における議論は,この後すぐに古代ギリシャにおける音楽と言語の同一性の提示に移行するが,そのことでルソーは言語と旋律の共通の起源を例証したと見なしているかのようである。このことは,ルソーが『人間不平等起源論』から『旋律起源論』の執筆を中断するまで,言語の起源の問題に関してこれをさらに深めるような考察を行わなかったことを示している。ただ『旋律起源論』で目新しい点は,旋律の起源と言語の起源の同一性を歌う声と話す声の同一性によって説明しようとしていることであるが,これはデュクロの影響とみることができる。
 『村の占い師』上演のために尽力したことでルソーと非常に親しい関係にあったデュクロは,1754年10月に出版された『百科全書』第4巻に《古代人の朗唱》という項目を書いている。これは,デリダが指摘するように(註10),同じく1754年に出版された『ポール=ロワイヤル一般的・合理的文法注解』(註11)とともに,ルソーに大きな影響を及ぼしていると考えられる。たとえば,《古代人の朗唱》のなかの声の四つの分類と『エミール』第二篇のそれの類似(註12),1620もの音符をもっていた古代ギリシャでは音楽を修得することが困難で,プラトンが若者に音楽の学習には二・三年程度当てるだけにしておくことを勧めているという一節がほぼそのまま『音楽辞典』の《音符》にある(註13)など,ルソーがデュクロを参照して書いた個所がいくつか指摘できる。『百科全書』第4巻の《古代人の朗誦》のなかで,デュクロは発声における声帯の機能に関するドダールの研究を利用して,歌う声と話す声の相違を示した。これに示唆を受けたルソーは,『旋律起源論』で歌う声と話す声の本質的同一性を用いて,言語と音楽の起源の同一性を引き出そうとしてる。
しかし旋律の起源に戻ろう。/もし歌う音声と話す音声とが絶対的にもともと同一だとしたら,喋っているときでさえも両者のあいだの行き来はもっとも心地よいものになるだろうし,意志疎通は言語が語調に富んだものになればなるだけ簡単なものになるだろう。その結果あらゆる言語のなかでギリシャ語は言うまでもなくもっとも響きと語調に富んでいるので,会話がもっとも歌に似ている言語であるにちがいない。/この瞬間からわれわれは推測の国を出て,真理の探究へ向けてもっとしっかりした足取りで進むことができる。(OM, 333)

ルソーが,『音楽辞典』の《声》でも,デュクロの《古代人の朗誦》を引用して,この議論を繰り返しているということは,音楽と言語の起源の同一性と,歌う声と話す声の同一性の関連の問題をルソーが間違いとは思っていなかったということを示している。しかしこの議論は,上で指摘したように,『言語起源論』では削除される。それは,この議論でもって音楽と言語の共通の起源の証明とすることはできないという判断があったのだと考えられるし,言語生成のシステムが提示されることで,不要になったということもその理由だろう。
 『旋律起源論』と『言語起源論』の相違として先に指摘したいくつかの点のうち,南方諸言語と北方諸言語の生成と特徴,文字言語化に関する議論が『旋律起源論』にはないが『言語起源論』にはある点については,ルソーの思考をコンディヤックとの関係においてたどってみることが可能だと思われる。ルソーがコンディヤックと知り合ったのは,ルソーがリヨンのマブリ家で家庭教師をしていた時代であるが,その後ルソーがパリに出てからいっそう親しくなり,1745年には定期的に昼食をするようになり,その頃完成した『人間認識起源論』の出版のためにルソーが尽力している。『人間認識起源論』はルソーの『人間不平等起源論』との関連で持ち出されることが多いが,『言語起源論』から振り返ってみると,とくに『人間認識起源論』第二部第一章「言語の起源と進歩について」14との類似には驚かされる。身振り言語と音声言語の起源とそれぞれの特徴,古代人(ギリシャ,ローマ)の言語の特徴と,そこから導き出される彼らの演劇(音楽的朗唱)と近代のオペラの違い,音楽や詩の起源と変質,南方諸言語と北方諸言語の相違,そして南方言語であるラテン語が蛮族の侵入によってその特徴を失ったという記述など,もちろんその構成はまったく同じではないが,第二部第一章で論じられている問題はルソーの『言語起源論』と重なっている。このことは,ルソーが『言語起源論』を書くにあたって,コンディヤックの『人間認識起源論』第二部第一章を利用したことを意味している(註15)。しかしルソーとしては,原初の言語に関しては,独自の立場を表明している。
 コンディヤックは情念の叫びとしての音声言語を否定してはいないが,言語の起源としては重視しておらず,身振り言語のほうを自然で,初期から完成したものと考えている。そしてこの身振り言語を音声によって模倣することで分節言語が誕生したと主張する。他方,ルソーは身振り言語は観念を伝えるのに適し,音声言語は情念や感情を伝えるのに適していると区分した上で,人間は感じることから始めたのであり,観念はずっと後になってから形成されたのだから,最初の言語は情念や感情を伝える音声言語だったと主張する。ここで言語の起源が実際はどうであったかを議論する余地はないが,一般に認められているように,人間はまず観念よりも先に感じることから始めたとするなら,その感情の自然な表出はそれを耳にした人間の中に同じ感情を誘発しただろうから,そこにはなんら約束とか契約を介さずに,言語行為(ある素材を使ってその素材そのものとは別の意味を伝えること)が成り立つことになる。一見すると,身振り言語も同様に約束を介さずになにかを伝えることが可能だが,上に記したような情念や感情の自然の発露に比べれば,ずっと想像力に頼らなければならない。想像力は,当然のことながら,知覚の蓄積を前提とした比較・対照の積み重ねの上に可能になる能力である。身振り言語あるいはその延長上に位置づけられる符牒やしるしが想像力を喚起するということはコンディヤックだけでなく,ルソーも『言語起源論』のなかで指摘していることだが,このことは逆に見ると,身振り言語には多大な想像力が前提になっていることを示している。ルソーが『言語起源論』の冒頭で確認しているように,言語が最初の社会制度であるとすれば,「その形成は自然にもとづく原因だけに依って」(EOL, 375)いなければならないのだから,最初の言語は情念や感情の発露であり,想像力の発達を前提とする身振り言語によってさらに豊かにされたと考えるルソーの主張のほうが論理的だと思われる。しかし,ルソーがコンディヤックを利用したやり方を見ると,まさに換骨奪胎という言葉がふさわしい。
 人間の情念に結びついた最初の言語を身振り言語ではなく音声言語として提示するにいたるルソーの思考の歩みに影響を与えたものとして,カユザックとの関係を検討しよう。カユザックはラモーの後期のオペラのために台本を書いたことでも知られているが,『百科全書』にもオペラ関係の項目をいくつか執筆した。その一つに1753年10月出版された『百科全書』第三巻の《歌》という項目があり,そのなかで彼は歌を「自然が与えた感情表現の最初の二種類のうちの一つ」として,とくに声音の役割を「人間が内部に感じる苦しみ喜び快感などの感情や人間をせき立てる欲求や欲望を外にむかって描きだす」(註16)ことにあると規定した。そしてその普遍的な最初の自然言語を,言葉を習得する以前の幼児の言語として説明した。これは後に『エミール』の第一部で利用することになる。(註17)
 さらにカユザックはこの項目の中で,言葉ができて以降の,二種類の歌―言葉の歌と音楽の歌―の区別が生じることまで述べている。この区別は,おそらくルソーのなかで,歌う声と話す声の違いの問題と結びついて,近代における音楽と言語の分離(つまり歌の規定の変化)の議論から,さらに新しい音楽模倣論の確立へとつながっていったと思われる。

  4.結びにかえて
 『言語起源論』と『旋律起源論』との対比的検討から,両者を隔てるものは,言語生成システムの有無にあることが分かった。ルソーにとってそれは同時に旋律生成のシステムであるとすれば,この相違は非常に大きな重要性をもっていると言える。それにしても,ルソーはなぜこのように重要な意義をもつ『言語起源論』の出版を断念したのだろうか? 『旋律起源論』と同じ時に書かれた『ラモー氏の主張する原理の検討』も生前には出版されていない。どちらもラモーに対する反論であったことを考えると,1762年のラモーの死が,ルソー自身も「序文草稿」で述べているような,言語の起源を論じるという大胆な試みに水をさす形になったと考えるべきかもしれない。

<註> 註1 本論文は,7月27日に行われた十八世紀の会例会(青山学院大学)での口頭発表を大幅に加筆したものである。
註2 使用したテクストは,Jean-Jacques Rousseau, Oeuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, tome V, Gallimard, 1995である。OCVと略記する。『言語起源論』と『旋律起源論』からの本文中での引用に際しては,それぞれEOLとOMと略記し,ページ数を付記する。
註3 ここで言う言語生成のメカニズムとは,ルソーが『言語起源論』第4章で記述する最初の言語の特徴から筆者が引き出したもので,同じく『言語起源論』の第16章「色彩と音の偽のアナロジー」で提示した新しい音楽模倣論と同じメカニズムを持っている。この点については,拙論『ルソーの音楽思想』(駿河台出版社)第5章を参照のこと。
註4 『旋律起源論』は章に分けられていないので,パラグラフに前から順次1,2,・・・の番号を振ることで,特定できるようにした。
註5 Examen de deux principes avancés par M. Rameau, OCV, p.357.
註6 ルソーは『言語起源論』では原初の歌ないしは古代ギリシャでの歌は近代における歌と異なるという認識に達しており,この点を明確に区別しないで,歌う声と話す声の同一性を主張することは混乱を与えるという危惧から,こうした議論を削除したとも考えられる。
註7 このように『旋律起源論』の議論の仕方は『学問芸術論』のそれに類似した個所がいくつかあり,それがウォクラーをして『旋律起源論』をラモーの『和声原理の証明』(1750年)に対する挑戦のための草稿だと主張させている所以である。Cf, Robert Wokler, <Essai sur l'origine des langues>>, Studies on Voltaire and the Eighteenth Century, 117, 1974, pp.179-238.
註8 「同一の歌詞に複数の曲をつけることができるような言語はすべて,決まった音楽的アクセントをもたない。アクセントが決まっているということは,曲も決まっているということだからである。旋律がどんなものでもいいのであれば,アクセントは意味をもたない。/近代のヨーロッパ諸言語はすべて多かれ少なかれ同じ事情にある。イタリア語さえもその例外ではない。イタリア語もフランス語と同様にそれ自体では音楽的言語ではない。違いは前者が音楽に適しているのにたいして,後者が適していないというだけのことである。」(EOL, 392)
註9 『ルソーの音楽思想』(前掲書)第5章を見よ。
註10 Jacques Derrida, De la grammatologie, Minuit, 1967, p.240.(邦訳,『根源の彼方に―グラマトロジーについて』(上),足立和浩訳,現代思潮社,1983年)
註11 Duclos, <>, Grammaire générale et raisonnée de Port-royal, Paris, 1846, Slatkine reprints, Genève, 1968.
註12 Duclos, <>, Encylopédie, t.IV, p.687およびJean-Jacques Rousseau, Emile, OCIV, p.404.
註13 Duclos, op.cit., p.689およびJean-Jacques Rousseau, Dictionnaire de musique, <>, OCV, pp.932-933.
註14 Condillac, Essai sur l'origine des connaissances humaines, Galilee, 1973。(邦訳,『人間認識起源論』上・下,古茂田宏訳,岩波文庫,1994年)
註15 唯一の目立った相違は,コンディヤックがラモーの音楽理論をもとにしていることである。ルソーが『言語起源論』を書いた目的の一つはラモー批判にあったのだから,この相違の意味は大きい。
註16 Cahusac, <>, Encylopédie, t.III, p.141-142.
註17 Jean-Jacques Rousseau, Emile, op.cit., p.285.

[初出掲載誌:関西大学フランス語フランス文学会編,「仏語仏文学第30号」20032年]

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