imitation
ルソーにおける音楽模倣論の系譜と展開

1.はじめに
   ルソーの音楽美学を構成するものといえば,《旋律の統一性》というルソー独特の概念と,音楽模倣論である.とくに本論が取り上げる音楽模倣論に関しては,もともとフランスの古典主義美学の主要概念の一つであるだけに,それとの関連を多くの研究書が問題にしている.ルソーは当初は古典主義的な音楽模倣論に依拠していたが,ブッフォン論争やラモーとの論争によって引き起こされた問題意識に促されて,それを大きく超越した音楽模倣論を展開することになる.しかしそれは決して当初の立場の放棄というかたちを取っていないために,ルソーには二つの音楽模倣論が存在すると見る研究者もいれば,ルソーの音楽模倣論は基本的に変わっておらず,当初から革新的であったと見る研究者もいる
(註1)
   本論ではまずフランスにおける音楽模倣論の流れを瞥見し,ルソーの当初の音楽模倣論をその中に位置づける.さらに,ルソーが新たに提示した音楽模倣論に見られるシステム,およびそれがルソーの提示する言語生成のシステムと同一であることを解明し,ルソーの新たな音楽模倣論の確立がどのような問題意識にもとづいていたのかを明らかにするとともに,彼の音楽模倣論がどのような意味において現代性をもつものであるのかを明らかにしたいと考えている.

2.音楽模倣論の系譜
   古典主義美学がフランスにおいて「美しい自然」および古代ギリシャ・ローマの古典の模倣を芸術の本旨として打ち出したときに(註2),音楽に関しては事情が若干異なっていた.というのはすでにデカルトが音楽には言語ほどの明確な意味作用や表現力がないし、音響現象と心理的分析のあいだには明確な相関関係が成り立ち得ないと主張していたため(註3),音楽がそれ自体でなにかを模倣することは不可能だと考えられ,韻文と結びついて韻文が表現する登場人物の行為にともなう情念を韻文のリズムや韻律を浮き彫りにすることによって模倣すべきだと考えられていたからである.このように音楽がつねに韻文と表裏一体のように捉えられていたのは,当時からすでに古代ギリシャにおいては詩と音楽が不可分のもので,詩はつねに歌われており,そのことによって驚異的な効果を生みだしていたということが知られていたからである(註4)
   そこでメネストリエ、デュボス、ルセール・ド・ラ・ヴィエヴィル、バトゥー、マブリ(註5)に代表されるように,音楽の目的は、韻文が描き出す典型的な人間行動に伴う魂の動きや情念を,歌や合奏を韻文に従わせることによって,描き出すことだという音楽模倣論が一般的になった.もともと演劇を情念と情念のぶつかりあいとみなす古典主義的演劇観から出発していることもあり,音楽は情念と強く結びつけて捉えられていた.それゆえに,フランス語の韻律法に合わせて,フランス音楽特有の音楽語法を作ろうとしたリュリがフランス最大の音楽家と見なされたのはこのような音楽模倣論のもとでは当然のことであった(註6).ダランベールが『百科全書序論』で,音楽の模倣の対象を情念だけに限定せず,感覚的対象,すなわち自然現象などにも拡大することを提唱したのは(註7),それだけ音楽における模倣の対象が演劇における情念と密接に結びついていたことを示しているが,同時にダランベールの時代には古典主義的音楽模倣論が転機を迎えていたことの現れでもあった.それを準備したのはラモーの音楽である.
   古典主義的な音楽模倣論は二つの方向を可能性としてもっていた.第一の方向はフランスにおける音楽美学の伝統であり,いわば本流であるが,韻文のもつリズム,拍子,抑揚を模倣し,その効果を最大限に生かすとなると,当然和声は少なく,旋律が韻文を効果的に支える音楽が優れた音楽だという考えにもとづいている.そこから上に挙げた音楽美学家たちは,過剰な和声を排撃し,ポリフォニックな音楽を否定的に見るようになる.韻文の韻律を最大限に尊重し,簡素な和声をもつリュリの音楽が模範とされ,あらゆる和音を十全に鳴らすことをよしとしたラモーの過剰な和声的音楽が批判されたのは,このような視点からである(註8).第二の方向は,情念は和音と密接に結びついており,ある特定の和音によってある特定の情念を喚起することができると主張するラモーの音楽模倣論の立場である.デカルトを師と仰ぐラモーは,音楽とりわけ和声に明確な情緒作用を認め,和音の中のたった一つの音を変えてやるだけで,どんな情念でも描き出すことができるし,猥雑な自然現象の中から特定の和音を抽出し,それを楽音に置き換えることで,「美しい自然」を描くことができると考えた(註9).そしてこのような考えにもとづいたラモーの音楽実践が,ダランベールによる音楽模倣の対象の拡大という提唱をなさせることになったのである.さらにラモーの音楽や当時のソナタの隆盛が音楽は言葉の助けを借りなくても自らの力によって対象を表現することができるとする「純粋音楽」という考え方さえ引き起こすことになった(註10)
   ルソーが『百科全書』や『フランス音楽に関する手紙』において主張した音楽模倣論は前者のような伝統的な古典主義的音楽模倣論であった.ルソーが『百科全書』で近代フランス音楽として批判しているのは,リュリの音楽ではなく,ラモーのそれであることがそれを示している(註11).もし彼に独自性があるとすれば,旋律だけを音楽的模倣の担い手に位置づけて,和声をそこから排除したことにある.当時のルソーは音楽とは本来どうあるべきかという音楽本質論の立場から議論を進めてはいるが,旋律に優位性を認めるにしても,きちんとした理論的根拠にもとづいているのではなく,当時一般的に認められていた古代ギリシャ音楽やイタリア音楽の優秀性をその根拠にしているにすぎない.それゆえに,ルソーの立論の決定的な弱点は,なぜ旋律だけが音楽表現の担い手となりうるのかという点についての解明がまったく行われていないということであった.この弱点を衝いたのがラモーであった.ラモーは普遍主義的で超歴史的な立場から和声が音楽行為の土台であって,旋律はたんなる付属物にすぎないと主張した(註12)
   ルソーがラモーからの批判に反論するために取りかかり,出版のめどが立つまでに仕上げたのが『言語起源論』である(註13).この著作においてルソーはまったく新たな音楽模倣論を完成させることになるのだが,それを可能にした契機としては二点が考えられる.第一の契機は,ルソーがダランベールの『百科全書序論』を読んで,新たな音楽模倣論の示唆とも言えるものをつかんでいたことである.1751年6月26日付の手紙のなかでルソーは「私はといえば,音楽的模倣についてのあなたの考えは非常に正当で,非常に新しいと思います」とダランベールに謝意を表している.ルソーがダランベールの論説に啓発されてこの手紙で要約した「音楽家の技術は対象を直接的に描くことにではなく,対象の前に出たときに魂が置かれる状態と同じ状態に魂を置くことにあるのです」という音楽模倣に関する新しい考え方は,『言語起源論』のなかで生かされることになる(註14).だが,この時点では,ルソーにはこの考えを用いて新たな音楽模倣論を構築することができるほどに,思想的に成熟してはいなかった.実際にはそこからなんの進展もなかったのである.そのような進展を可能にしたのが,『人間不平等起源論』という第二の契機である.ルソーは『人間不平等起源論』の執筆を通して,本質=起源という認識を獲得する.これ以降,ルソーは考察の対象の本質を捉えようとする場合に,つねに起源に遡ることになる.こうして,ルソーが言語生成のシステムを解明したとき,ルソーの新たな音楽模倣論が誕生することになる.

3.言語生成と音楽模倣のシステムの同一性
   『言語起源論』が言語の起源を論じる著作でありながら,音楽模倣論という次元の異なる議論を内包していることに,奇妙な著作であるという感想を持つ人は多いかもしれないが,そもそもルソーが言語の起源にまで遡って原初の言語の状態を解明しなければならないと考えたのは,旋律による言語の模倣という『フランス音楽に関する手紙』の音楽模倣論に理論的な根拠を与えるためであったのだから,それは当然のことであった.ところが,この著作で論じられている言語起源論と音楽模倣論が同一のシステムをもっていることにだれも注意を向けたとは思われない(註15)
   まず『言語起源論』で提示された言語生成のシステムを明らかにしよう.ルソーはまず,どんな手段をもコミュニケーションのために利用することを可能にするランガージュ能力を動物にはない人間固有の能力であると規定する.次に人間が利用できる感覚器官の区別から,身振り言語と音声言語を区別し,視覚は一度に多くの情報を受容することが可能なので,たんに物事を正確に伝えるということだけで考えるならば,視覚にもとづく身振り言語のほうが優位にあるが,それにたいして,情念,心情,感情という精神的なものを伝達・受容する場合には声の抑揚にもとづく音声言語のほうがそれを表現し,喚起するのにふさわしいと見なす.ルソーはこの二種類の言語活動の特徴から,身体的欲求を身振り言語に,精神的欲求を音声言語に振り分け,すでに『人間不平等起源論』で明らかにしたように,身体的欲求は人間を遠ざけたはずだし,人を遠ざけるものから言語が生まれるはずはないから,精神的欲求を満たそうとして人びとが近づいたときに言語の起源を求めるべきだと主張する.
    さらにルソーは最初の言語の特徴として,音節はごくわずかであること,そのかわり音色と語調や抑揚は変化に富んでいること,音の長短やリズムがそれに組合わさって,語の多様性を作っていたことを挙げている.音節というものがないかわりに,わずかに音の音色を変えたり,抑揚をつけたり,短く区切ったり長く引き延ばしたり,それを一定の規則性をもって繰り返したりすることが原初の言語だったと想定するが,音色,抑揚,長短,リズムをもった音声とは旋律にほかならない.そしてルソーによれば,「根源的な語の大部分は情念のアクセントの模倣音とか,感覚に訴えてくる事物の印象を模倣した音」(p.383)であった.こうしてルソーは,音声の発声の契機を情念という精神的な欲求に位置づけただけでなく,そうして生まれた音声言語の特徴を情念の抑揚,あるいは外的な刺激によって引き起こされた心の動き,印象を模倣し,旋律と同じ諸特徴をもつ(音色,抑揚,長短,リズムをもった)音声であると規定することによって,その起源から言語は旋律であり,情念の抑揚と切り離すことのできないものだということを解明したのである.原初の言語=旋律と同じ諸特徴をもった音声という規定は,ルソーの「本質=起源」論から,音楽の本質は旋律であり,言語の本質は音楽性であるという,音楽と言語についての本質規定をルソーに与えることになる.
    ルソーが解明した原初の言語における伝達のシステムをまとめるならば,対象によって引き起こされた情念の抑揚,または事物から受け取った印象(心の動き)→情念の抑揚,印象,心の動きなどの音声による模倣(言語の抑揚・リズム・音色・音の長短)→聴く人の内部で同じ心の動きが引き起こされる→対象あるいは事物の想起,という図式ができあがる.このような原初の言語は貧弱な表現力しか持っていなかったわけではなく,ルソーの考えでは,確かに音節の数はわずかであるが,音の抑揚・リズム・音色・音の長短を無数に組み合わせることによって,もっとも豊かな言語に劣らないくらいの表現力を持っていた(p.382).
    つぎに,同じ『言語起源論』のなかでルソーが提示した音楽模倣論がどのようなシステムによって成り立っているか検討してみよう.ルソーが提示する音楽模倣論は二つの部分から構成されている.
(a)「彼[音楽家]はこれらの事物を直接に再現するのではなくて,それを見た時に体験する感情と同じものを魂に引き起こすのである」(p.422).
(b)「音楽家の技術は対象の知覚し得ないイメージをその存在が見ている人の心に引き起こす動きのイメージに置き換えることなのである」(p.422).
   (a)から見ていこう.この文章の含む模倣のシステムを図式すれば,事物→観察者の内部に引き起こされた感情→音楽によるこの感情の模倣→音楽の聴き手の内部に観察者と同じ感情が喚起される→聴き手の中での事物の想起,ということになる.ところがこれの弱点は,模倣の仲介をとる箇所において必ずしも旋律を必要とせず,ラモーのように和声そのものに感情を喚起する機能があると考える人にとっては,和声によってもこれが可能だと主張できることである.そのような曖昧さを断ち切るための規定が(b)の部分である.「対象の知覚し得ないイメージをその存在が見ている人の心に引き起こす動きのイメージに置き換えること」という規定こそ,音楽家が音楽によって模倣の対象とすべきなのは,事物を見ている人の心の中に引き起こされる心の動きなのである.心の動き(ルソーは『言語起源論』の第4章で心の動き=旋律の形をしていることを明らかにしたのだから)こそが模倣の対象であり,同時に音楽的模倣の手段でもあるという規定こそダランベールが考えつきもしなかった点であり,以前のルソーに欠けていた点である.先の図式は,事物→観察者の内部に引き起こされる心の動き→旋律によるこの心の動きの模倣→音楽の聴き手の内部に観察者と同じ心の動きが喚起される→聴き手の中での事物の想起,と変更されなければならない.ここにおいて,この音楽模倣のシステムと言語生成のシステムがまったく同一のものであることが理解されるだろう.
実はここには大きな問題がある.このような言語生成や音楽模倣のシステムが成り立つためには、ある種の旋律が同一のイメージを複数の聞き手にたいして喚起するのでなければならない。それはどのようにして可能なのだろうか? 通常,言語によるコミュニケーションにおいてはある音の音響映像が特定の観念を喚起するのは,その音響映像と観念のあいだにその言語共同体においてだけ流通する必然性が成り立っているからである.言語共同体が変わると,当然その必然性は成り立たなくなる.したがって,広い視点から見れば,音響映像と観念のあいだの結びつきは恣意的だということになる.ルソーは,音楽における模倣についても同様のことを考えている.音楽が何らかの精神的な感動を聞くものに与えるのは,音が音として機能しているからではなく,旋律が「声に現れてくる情念のしるし」(第14章),「私たちの思いや感情のしるし」(第15章)として働きかけるからである.音楽は言語共同体の中では一種の言葉として機能して,聞くものに大きな精神的印象を引き起こすが,この音楽言語共同体に属していない人間にとっては,その音楽言語は解読できず,理解されない(『言語起源論』第15章).ラモーは人間に普遍的に組み込まれた和声と情念の関係によって,ある種の和音はかならず特定の情念を喚起すると考えた.しかしそれを否定するとすれば,複数の感じる主体のあいだいにのみ成立する必然性、すなわち共同主観的必然性が存在すると考えなければならない(註16).したがって音響体系の成り立ちについても観念の作られ方についても,けっして唯一で普遍的なものはあり得ない.だからこそルソーは古代ギリシャの音響体系と近代ヨーロッパのそれとの違いを強調したし(『言語起源論』第18章),それぞれの民族音楽がもつ抑揚の違いを強調したのである(『言語起源論』第15章).
    さて,以上のように言語生成のシステムと音楽模倣のシステムとが同一であるとすれば,ルソーが『言語起源論』のなかで両者を論じたことは,なんら奇妙なことでも不自然なことでもない.それどころか,この二つのシステムの同一性を明らかにすることによって,音楽が進むべき方向を提示したとも言えるのである.
    ルソーの音楽思想の展開に限っていえば,彼がこのような音楽模倣のシステムを獲得したことについて,次の三点の意義があると考えられる.第一の意義は,ラモーからの批判に答えるという本来の目的に沿ったものであるが,ルソーが『百科全書』や『フランス音楽に関する手紙』で主張していた伝統的な音楽模倣論の根拠が本質論的視点から与えられたことである.なぜ旋律は言語の抑揚を模倣すべきなのか,なぜ言語の抑揚を模倣したとき,音楽は精神的効果を持ちうるのかという問題を,言語と音楽の共通の起源にまでさかのぼって解明し,その根拠を与えることが可能になった(註17)
    第二の意義は,言語と音楽が共通の起源をもっていたということの解明から導かれる帰結として,言語が音楽的抑揚をもっていたと考えられていた古代ギリシャ語は言語=音楽という純粋状態に近かったということの解明である.さらにここからは,近代の諸言語においては言語と音楽が分離していることが音楽と言語にとっての究極の堕落状態として規定される(註18)
    第三に,その結果として,歌=旋律の意味が,古代ギリシャと近代では異なることが解明された.古代では,情念を表現するには言語の抑揚を模倣すればよかった.言語が音楽的なので,それにリズムとテンポを加えてやれば,それが旋律になったのである.しかし近代では,言語は音楽的抑揚を持たず,それ自体では旋律を形成することはない.したがって,言語の抑揚とはまったく関係のない和声体系の支配下に入り,それとは関係のない旋律を作ることによって,対象を前にした人の心の動きと同じものを聴く人の心にも引き起こすことが必要になる.このことは,ルソーの音楽模倣論が,言語の模倣としての音楽という伝統的な音楽模倣論を超えた新たな音楽表現の可能性を指し示すものになったことを意味する.この点について次章で考えてみよう.

4.《歌》概念の問題
    起源の状態では言語=旋律(歌)であったという『言語起源論』における解明にたいして,『音楽辞典』の中でわれわれはこれとまったく矛盾するような発言にたびたび遭遇する.そのもっともはっきりした例は《歌》という項目のなかの「歌は人間に自然なものとは思えない」(p.695)という主張である(註19).われわれはここでルソーの「歌」という用語には二種類の使い方があることを明らかにしながら,古代ギリシャと近代ヨーロッパにおける言語と音楽の関係の問題をルソーがどのようにとらえていたかを検討してみたいと考える.
    ルソーはしばしば古代ギリシャ語を音楽的言語と呼ぶが,その最大の理由は,ルソーの主張によれば,古代ギリシャ語では言語がもつ抑揚そのものが古代ギリシャの音楽体系のなかを動いていたので,記譜可能であったし,言語が本来もっているリズムにテンポを加えてやるだけで,韻文の朗読が歌になるという点にある.
    「言語が旋律的なので,独唱(レシタシオン)を全く音楽的にするためには,言語に韻律によるリズムと持続的な独唱を付け加えるだけで充分だったからである.そこから詩を書く人々はそれを《歌う》と呼んでいたのである.」《レシタティフ》(p.1008)
    そもそも音楽的という言葉をルソーはどのような意味で用いているのだろうか? 言語の音楽性は言語に音楽をつけることと深く関連しており,ルソーが歌をどのようなものと考えていたのかということと関わっている.ルソーは歌を形成するために必要なものは何かという問いにたいして,「真の歌を形成するために,言葉を形成する音に欠けているものは,ただ永続性だけであるように思える.また喋るときに声に与えられる様々な抑揚はなんらかの音程を形成するようにもおもわれるが,それらは和声的ではないし,私たちの音楽の体系にも属していないし,その結果,音符に表現されることができないので,私たちにとっていわゆる歌ではない」《歌》(p.695)と答えている.ルソーはここで音符にすることができるような抑揚をもっているものが歌だと主張していることに注意しよう.その前の文では音楽の体系に属すという言い方もしている.ルソーが古代ギリシャ語を音楽的と呼ぶのは,古代ギリシャ語においては言語がそれ自体としてもっている抑揚が古代ギリシャの音楽体系に属する音程の上がり下がりをもっており,何か特別のことをしなくても,そのままで記譜可能であったという理由からである.したがって,このような音楽的な抑揚と言語そのものがもつリズムにテンポを加えてやれば,それは音楽で言うところの旋律にほからないものになる(註20)
    ところで,このように古代ギリシャ語が彼らの音楽体系と同一の音楽体系をもっていたのは,ルソーによれば,偶然ではなく,まさに古代ギリシャ語が原初の言語の状態に近かったことの証拠である.つまり古代ギリシャ語は言語=音楽に近い状態にあり,彼らの音楽体系は言語の抑揚にたいする観察から引き出されたものである.この点についてはルソーは『言語起源論』で詳述しているが,それによれば,ギリシャ人が音階をテトラコルドで分割していたのは,「言葉を話すときの音程は,歌うときの音程よりもずっと狭いものであるから」,「ギリシャ人の語りかける旋律にとってはテトラコルドの繰り返しが,彼らの音楽にふさわしい」(p.423)ものであったからであり,彼らが全音階律を採用していたのは,三度や五度といった近代におけるような協和音も最小の音程を声で普通に出すには無理があるために,「抑揚のある歌うような言語においては,本能的により快適な音調を選ぼうとする傾向」(p.424)があったからであり,彼らが五度だけを協和音と見なしていたのは弦楽器を調弦するためという理由からだけであって,決して近代的な意味での和声という意識をもっていたからではない(pp.423-424).
    したがって,ルソーが古代ギリシャに関して「歌」あるいは「歌う」という用語を用いる場合には,言語の抑揚そのものとしての歌であり,決して言語の抑揚と別のものを意味しているのではない.それゆえにルソーは古代ギリシャ語に関して何度となく,「ギリシャ人は喋りながら歌うことができた」《レシタティフ》(p.1008),「彼らの歌はほとんど音楽的に支えられた説話(ディスクール)にほかならず,彼らは詩の冒頭でそう予告したように,韻文を本当に歌った」《オペラ》(p.949),「ギリシャ語の初期がそうであったような,まったく階調に富んだ言語があるとすれば,そういう言語での言葉の声と歌の声との差は零になるだろう.話すためにも歌うためにも同じ声になるだろう」《声》(p.1149)と主張したのである.
   ところが,近代の諸言語では事情がまったく異なる.近代のヨーロッパ諸言語においては,言語=旋律という原初の言語の状態から完全にかけ離れ,言語と音楽が完全に分離した状態にある.『言語起源論』のルソーによれば,古代ギリシャやローマですでに始まっていた言語と音楽の分離は北方の民族の侵入によって決定的なものとなり,その結果,近代ヨーロッパ諸言語は抑揚も響きもなくなり,音楽的な要素を完全に失うことになった.他方,音楽の方は言語の抑揚を失い,それに対して偶然に見つかった協和音の積み重ねから引き出された和声体系が導入されることになった(『言語起源論』第19章).
   非音楽的な北方の言語の侵入と,言語の抑揚とはなんの関係も持たない和声体系の導入によって,近代のヨーロッパ諸言語では,古代ギリシャ語とはまったく違って,話し言葉がもつ音響の体系が,音楽がもつ音響体系とまったく異なるものとなったのである.その結果,「私たちは歌うか喋るかのどちらかにしなければならない.だれも同時に両方することはできない」《レシタティフ》(p.1008)という事態が生じた.つまり一方では,「喋るときに声に与えられる様々な抑揚はなんらかの音程を形成するようにもおもわれるが,それらは和声的ではないし,私たちの音楽の体系にも属しておらず,その結果,音符に表現されることができないので,私たちにとっていわゆる歌ではない」《歌》(p.695)のであり,他方,「歌の声の真の性格は,そのユニゾンをとらえ感じることができるような楽音を形成すること,そして和声的で通約可能な音程によってある音から別の音へ移行すること」《声》(p.1149)であるから,歌うためには話し言葉の抑揚がもつ音響体系を離れて,これとはまったく別の音響体系である和声体系の中に入り,その支配に従属しなければならないのである.これが近代における「歌」の意味であり,それゆえにルソーは「歌は人間に自然なものとは思えない」と主張したのである.この意味での「歌」は,言語の抑揚そのものであった古代ギリシャ語の歌,あるいは中国語やアラビア語の歌(ルソーによれば,近代まで原初の特質を維持している)とは違って,言語の抑揚とまったく関係のない音響体系のもとに成り立っている「歌」なのである.
   以上のことから,オペラに関するいくつかの点が明確になる.第一に,ルソーが古代ギリシャの「演劇作品は一種のオペラであった」《オペラ》(p.949)と言ったのは,古代ギリシャではすべての演劇作品は歌われていたという意味する.これは,演劇の構成の問題ではなく,たんに古代ギリシャ語の音楽性についての言及である.ルソーによれば,古代ギリシャの演劇は,現代の用語で言えば,すべてレシタティフで成り立っていたのである.それゆえに,オペラと言っても,アリアとレシタティフの交代によって構成される近代オペラではないので,ルソーは「そして彼らの間に本来の意味でのオペラがあり得なかったのはそのためである」《オペラ》(p.949)と説明している(註21)
   第二に,ルソーによれば,近代においては話し言葉と歌とが完全に分離したために,その間を埋めるためのレシタティフが必要になったのである.レシタティフが必要なのは,言語と音楽のそれぞれの音響体系が,古代ギリシャの場合とは違って,別々のものとなっている近代のオペラにおいてである.非音楽的な近代の言語は,その抑揚に従い,テンポを付けたところで,決してそのままではレシタティフにはならない(註22).それゆえに,古代ギリシャ語と近代言語とのこのような根本的な相違を勘案せずに,古代ギリシャの方法を真似たカメラータの運動を,ルソーは『旋律起源論』では言及していたが,『言語起源論』では削除することになる(註23)
   ルソーによって音楽的な抑揚をまったくもたないと見なされているフランス語においては,音楽による言語の抑揚の模倣という主張がまったく意味をなさないことが分かる.言語の抑揚の模倣によって模倣芸術の一つとなるべき音楽が,そのような音楽模倣の不可能性のゆえに,ついには言語から独立して,音楽が独自の模倣の原理をもつことはできないのだろうか? このような疑問に対する回答をルソーは『言語起源論』で提示している.それがルソーの新たな音楽模倣論である.

5.絵画と音楽のアナロジー
    音楽を模倣芸術にしているものはなにかについて説明するときにルソーが,音楽と絵画のアナロジーを用いていることはよく知られている.音楽と絵画のアナロジーは『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』(註24),『言語起源論』の第13章「旋律について」に見られる.旋律=精神的効果,和声=物理的生理的効果という対比を説明するために,絵画におけるデッサンと色彩という対比とのアナロジーが利用されている.この模倣論は,音楽の中の旋律だけをその模倣の担い手に限定する点で伝統的な模倣論と大きな違いを示しているだけでなく,ついには同じ『言語起源論』の第16章「色彩と音の偽のアナロジー」に見られるように,模倣芸術としての音楽と絵画のあいだに伝統的なヒエラルキーとは異なったそれを導入することになる.このことは,ルソーの模倣概念が,彼の旋律概念も含めて,古典主義的な模倣概念から大きく離脱していることを示している.ルソーにおける絵画と音楽のアナロジーの意味を探りながら,ルソーの新たな模倣概念,旋律概念を明らかにしてみよう.
    ルソーが『言語起源論』第13章「旋律について」において絵画と音楽のアナロジーを用いて説明しようとしたことは,模倣芸術と言われるさまざまなジャンルの中には,そのジャンルを模倣芸術にしている部門があり,精神的効果を与える部門がそれにあたるということであった.音楽では旋律,絵画ではデッサンがそのような部門である.旋律とデッサンの特徴は,両者とも形だという点にある.デッサンは色彩の輪郭ないしは描線が描く形であり,旋律は音の連続が作り出す形である.ルソーはこのような形による対象の模倣こそが絵画と音楽を芸術の域に高めているものであり,それゆえに,その形を担っているものが何であれ,それは問題にならないと主張する.
    ところが,この二つの芸術ジャンルにおける形の特質について検討すると,たちまちこのような対等の関係は成り立たなくなる.絵画ではこの形は空間的であるのにたいして,音楽では時間的であり,それゆえに運動的である.ここでルソーが『言語起源論』の冒頭において身振り言語と音声言語の違いについて与えていた説明を思い起こそう.身振りによる形ははるかに多様で,表現力に富み,短い時間でより多くのことを言い表せるので,身振り言語は情報伝達のために適している.それにたいして,音声言語は声がもつ抑揚が心の底まで入り込んで聴くものの心を感動させるので,関心を強くかき立てるのに適している.最後にルソーは絵画と音楽という二つの模倣芸術の対等性を否定する.それによれば,絵画は,視覚に限定され,しかも模倣の対象が静的な形に限定されるから,情報伝達には優れているが,人の心を動かすことはなく,冷たい.それに対して,音楽は聴覚を利用するけれども,聴覚に限定されず,心の動きを模倣の対象とすることによって,フィードバック的に,人間の心に動きを与えるものなら何でも描くことが可能である.そして最大の相違点は,デッサンが模倣の対象に直接的であるのにたいして,旋律は模倣の対象に間接的であり,旋律は記号・しるしとして機能しているということである.ルソーは同じ音楽模倣論を『音楽辞典』の《オペラ》と《模倣》でも提示しているが,三カ所とも必ず絵画とのアナロジーの否定をその導入部においていることに注目しよう.次の文がその導入部にあたる.
    「画家の模倣は常に冷たい,というのは徐々に魂を興奮させる想念と印象の持続を欠いているからだし,全てが一目で述べられるからである.この芸術の模倣力というのは,多くの外見的な対象とともに結局,非常に弱い再現力に制限される.聞くことができないことでも描くことができるというのが音楽家の大きな長所のひとつであり,それに対して見ることのできないものを画家は描くことができない.運動によってしかその活動力をもたない芸術の最大の驚異は休息のイメージさえも形づくることができるということである.眠り,夜の静けさ,孤独,沈黙でさえも音楽の描く情景のなかに入る.」《オペラ》(p.958-959)
これらの箇所で提示された新しいルソーの音楽模倣論には二つの特徴がある.第一は,音楽における模倣を運動にもとづく模倣と考えている点であるが,これはルソーにとって音楽における模倣を担っているのは旋律であるという考えから引き出されるものである.第二は,それの敷衍されたものとして論じられる音楽模倣論が,ルソーがそれまで主張していたような,音楽と言語の一体化というタイプの音楽模倣,つまり人間の音声による模倣から完全に離脱しているということである.
「音楽家の技術は対象の知覚しえないイメージをその存在が見ている人の心に引き起こす動きのイメージに置き換えることなのである.それは単に海を動かし,火災の炎を勢いづけ,小川を流し,雨を降らし,急流を激しくするだけではない.それは恐ろしい砂漠の恐怖を描き,地下牢の壁を陰気な色にし,落ち着いた天上の様子を与え,オーケストラから木陰の新しい爽やかな風を送ることができる.それはこれらのものを直接には表現しないが,魂のなかにそれらを見た時と同じ心の動きを引き起こすであろう.」《模倣》(p.861)
「オーケストラから木陰の新しい爽やかな風を送ることができる」という一節に明らかなように,ここでルソーがイメージしている模倣はオーケストラによるものであって,人間の歌によるものではない.ここでは,『音楽辞典』の《ソナタ》における純粋音楽に対する否定的言辞とは裏腹に,純粋音楽がもつ模倣力を明確に打ち出している(註25)
ルソーは音楽的模倣が絵画的模倣と異なるのは,運動による模倣だからだと言う.「眠り,夜の静けさ,孤独,沈黙でさえも音楽の描く情景のなかに入る」《オペラ》(p.959)と言っているように,このようなそれ自体としては「動き」をもたない対象でも音楽によって描けるのは,ルソーによれば,音楽が模倣の直接の対象とするのは,「眠り,夜の静けさ,孤独,沈黙」といった対象そのものではなく,そのような状態や自然現象が,そのような状態に置かれている人の心や自然現象を「見ている人の心に引き起こす動きのイメージ」,「心の動き」だからである.ルソーにおける音楽模倣のシステムを再度確認すれば,自然現象(A)を前にした音楽家の心に自然現象(A)が何らかの心の動きを引き起こす→音楽家はこの心の動きを旋律という音の動きに置き換える→その作品を聴いた聴衆の心の中に,作曲のときに音楽家の中で起こったのと逆の作用によって,音楽家の心の動きと同じものが生じる→聴衆の心の中に起こった心の動きが自然現象(A)に類似したものを聴衆に想起させる,ということである.したがって音楽的模倣はつねに人間の心の動きが模倣の対象であり,音楽が働きかける対象でもある.
ではなぜ音の動きにすぎない旋律に心の動きを模倣することができるのか? この問題意識こそ,ルソーに音楽模倣論が言語起源論と一体になった『言語起源論』を書かせた理由であることはすでに明らかにした.音声言語が形成されたのは,ルソーによれば言語の生成のシステムにおいて心の動きを旋律が模倣することによってであった.原初の言語では,心の動き=旋律=言語となったのは,まさに心の動きが旋律に似た形をもったものだったからである.言い換えれば,ルソーにとっては,心の動きは一種の旋律なのである.
ところが,近代ヨーロッパ諸言語には,もはや心の動きを模倣するだけの力はなく(「私たちの言語では,そのような情念はそれ表現する音楽的抑揚をもたない」『言語起源論』第14章,p.416),心の動きを模倣することが可能なのは,言語とは無縁なところに成り立つ旋律だけなのである.原初の言語における分節をもたない人間の音声によって行われた模倣と,同じく分節をもたないが多様な響きをもつ楽器の音による模倣とが同じシステムにもとづいて成り立っているということは,ルソーが音楽模倣論によって目指していたものが,じつは楽音による原初の言語システムの再現だったのではないかと,われわれに想像させるのである(註26).
ここにまったく新たな模倣論の展開を見ることができる.ルソーの音楽模倣論が,原初の言語と同じように,分節化されない楽音による原初の言語システムの再現であるとするなら,音楽における模倣はまさに一種の言語に他ならないと考えることができるからである.そうだとすれば,それを担う旋律は一種のディスクールなのである.「どんな模倣においても必ず,一種のディスクールが自然の声の代わりをしなければならない」(『言語起源論』第14章,p.417).このようなルソーの音楽模倣論は,もはや模倣論の枠を越えて,音楽における表現システムを明らかにする音楽本質論となっている.現代では音楽も一種の言語をもっていること,音楽は内面のイメージを表現する手段であることは常識となっているが,それがどのようなシステムによって成り立っているかをすでにルソーの音楽模倣論が予告していたと言えるだろう.

6.結論
   伝統的な古典主義的音楽模倣論から出発したルソーの音楽模倣論は,本論で明らかにしたように,『言語起源論』で大きく変貌した.当初ルソーが主張してきた言語の抑揚の模倣というのは,フランス語においては言語が抑揚をもたない以上,本来言語の抑揚に表されてきた心の抑揚,「心の動き」の模倣へと変貌せざるをえないからである.ルソーによれば,音楽は,言語生成のシステムと同じ模倣システムをもつことによって,音楽それ自体でディスクールの一種になりうる.このことは,ごくわずかの音節しかもたなかったにもかかわらず非常に豊かな表現をもっていた原初の言語を,音楽によって再現することを意味する.それは音楽が,比喩的な意味ではなく,本来の意味での言語となる瞬間である.この場合,このような分節をもたない言語ははたして普遍的言語となり得ないのかどうかという問題が生じると思われるが,この問題については稿を改めて考えてみたい.
   

《註》
ルソーの著作については,以下のものを利用した.
1.J.-J. Rousseau, Oeuvres complètes, Bibliotheque de la Pléiade, Gallimard, t.I,1959, t.II,1964, t.III,1964, t.IV,1969, t.V,1995. (以下OCI-Vと略記する)
2.Encyclopédie, Compact Edition, Pergamon Press.
3.Correspondance complète de J.-J. Rousseau, Edition critique, établie et annotée par R.A. Leigh, Oxford.
とくに,『言語起源論』からの引用については,煩瑣を避けるために,本文中にページ数のみを記す.また,『音楽辞典』からの引用についても,同様に項目名とページ数を本文中に記す.

  1.  おおざっぱな分類であることを前提にして言えば,前者はMichel Murat, "Jean-Jacques Rousseau: Imitation musicale et origine des langues", Travaux de linguistique et de littérature publiée par le Centre de philologie et de littératures romanes de l'Université de Strasbourg, XVIII, 2, pp.155-161およびPhilip Robinson, Jean-Jacques Rousseau's Doctrine of the Arts, Berne,1984, p.42(その他,chapter 7, Imitation and expression: the place of ut pictura poesisも見よ) あるいはJean-Jacques Robrieux, "Jean-philippe Rameau et l'opinion philosophique en France au dix-huitième siècle", Studies on Voltaire and the Eighteenth Century, 238, 1985, pp.321-322であり,後者はCatherine Kintzler, Poétique de l'opéra fran&ccdil;ais de Corneille à Rousseau, Minerve, 1991, pp.457-461, pp.478-480またはMichael O'Dea, Jean-Jacques Rousseau, music, illusions and desire, St.Martin's Press, New York, 1995, p.49である.
  2. 芸術が模倣すべき対象としての「美しい自然」とは,ありのままの自然のことではなくて,ありのままの自然から理性によって引き出された本質的な自然のことである.Cf. 「天才の仕事は必然的に、自然らしさを壊すことなく自然そのものよりももっと完璧な優れたひとつの全体を作り出すために、自然の最も美しい部分を選び出すことに帰着した」(Charles Batteux, Les Beaux-Arts réduits à un même principe, Paris, 1746, Édition critique de Jean-Rémy Mantion, Aux amateurs de livres, Paris, 1989, p.82). 「したがって、自然という言葉を、選ばれた自然、すなわち注意に値する特徴、快適な印象を作り出すことができる対象という意味に理解しなければならない」(Houdar de la Motte, Réflexions sur la critique, Paris, 1716, IIIe partie).
    その他,17世紀から18世中頃までの音楽美学に関わる問題については,Belinda Cannone, Philosophies de la musique (1752-1780), Paris, Aux Amateurs de livres, 1990,また百科全書派の音楽模倣論に関しては,Béatrice Didier, La musique des Lumières, PUF, 1985, pp.19-33,古典主義美学一般に関しては,Catherine Kintzler, Jean-Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l'esthétique du plaisir à l'âge classique, Minerve, 1988を参照のこと.
  3.  Cf. Introduction par Olivier Pot, Oeuvres complètes de Rousseau, op.cit., OCV, p.LXXVII. デカルトのこの考えは,しかしながら,百科全書派の思想家も含めて,フランスの音楽美学に伝統的な考え方であった.たとえば,Etienne Haeringer, " L'Esthétique de l'opéra en France au temps de Jean-Philippe Rameau", Studies on Voltaire and the Eighteenth Century, 279, 1990, pp.11-13やCatherine Kintzler, Poétique de l'opéra fran&ccdil;ais de Corneille à Rousseau, op.cit., pp.362-363,またはBelinda Cannone, op.cit., p.14,とくにディドロやダランベールについては,Jacques Chouillet, "D'Alembert et l'esthétique", Dix-huitiète siècle, Numéro spécial, No.16, 1984, PUF, pp.140, 142を見よ.
  4.  Cf. Louis Striffling, Esquisse d'une histoire du goût musical en France au XVIIIe siècle, 1912, AMS, 1978, pp.41-42 et 44-46.
  5.  C.-F. M´nestrier, Des représentations en musique anciennes et modernes, Paris, 1681, Minkoff, Genève, 1992, pp.6-7, 77-79, 82-83, 134-135.
    Le cerf de la Vi´ville, Comparaison de la musique italienne et de la musique française, I(1705), II(1705), III(1706), Bruxelles, Minkoff, Genève, 1972.
    Du Bos, Réflexions critiques sur la poésie et sur la peinture,i, ii, iii, 1719, Slatkine Reprint, Gen`ve, 1993, pp.27-28, 44-48, 466-468, 484-486.
    Gbriel Bonnot de Mably, Lettres à Madame la marquise de P*** sur l'opéra, 1741, Chez Didot, Paris, 1978, AMS PRESS, New York, pp.31-33, 74-75.
    Charles Batteux, Les Beaux-Arts réduits à un même principe, op.cit.
  6.  「ここではリュリとキノーの協力が非常に明快である。ご存じのように、レシタティフを対象とするパッセージに関しては、キノーが韻文を提供し、それをリュリが、場合によっては俳優に朗唱してもらいながら、音楽を付けていた。では音楽家は何を《記譜する》ことができたのだろうか? 朗唱に固有の《興奮・熱意》ではないことは確かで、それよりもむしろ《言葉》の実際の使用によりはっきりと現れてくる韻律の関係をである。メタフォールの次元に関しては、書かれたテキストで十分であった。記譜の対象としてのレシタティフはしたがってある種の言語的体系(プロソディ、メトリック、記号学的なもの)に従属した音楽的扱い(旋律、リズム、和声的なもの)を表している。反対に、エールの場合は、リュリはキノーにリズムの図式であるカヌヴァスを送り、詩人は音楽が先に存在するので、それにもとづいてテキストをそれに合わせるように努めた。」(C. Kintzler, Poétique de l'opéra fran&ccdil;ais de Corneille à Rousseau, op.cit., p.392) その他次のものも参照のこと,Samuel Baud-Bovy, "De l'Armide de Lully à l'Armide de Gluck : un siècle de récitatif à la françise", Jean-Jacques Rousseau et la musique, A La Baconnière, Neuchâtel, 1988, pp.66-68.
  7.  D'Alembert, "Discours préliminaire", Encyclopédie, tome I, p.xii, Compact Edition, tome I, p.11. 「おそらくその起源においては物音を再現するためだけのものでしかなかった音楽は,じょじょに一種のディスクールあるいは言語にさえなったが,それによって魂の多様な感情とか,多様な情念を表現するようになった.だが,どうしてこの表現を情念にだけにとどめて,できるだけ,感覚そのものに拡大しないのだろうか?」
  8.  過剰な和声,ポリフォニックな音楽の否定に関しては,Le cerf de la Vi´ville, Comparaison, I, op.cit., p.72,リュリの音楽に対する讃辞については,Le cerf de la Vi´ville, ibid., pp.25, 34, 57, 98, 101,ラモーの過剰な和声的音楽に対する批判に関しては,Gabriel Bonnot de Mably, op.cit., pp.47-54を見よ.また,Etienne Haeringer, op.cit., p.15も参照せよ.
  9.  「情念を動かすのは,和声だけの仕事である」(Jean-Philippe Rameau, Observations sur notre instinct pour la musique et sur son principe, Paris, 1754, Slatkine reprints, Genève,1971, p.vj).Cf. Belinda Cannone, op.cit., p.81. このような音楽美学の変化についてヘリンガーはバトゥーの模倣論に典型的な現れ方をしていると指摘している(Cf, Etienne Haeringer, op.cit., pp.17-18).
      ラモーの自然観に関しては,次のものを参照のこと.C. Kintzler, Jean-Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l'esthétique du plaisir à l'âge classique, op.cit., p.44. M. Baridon, "Le concept de nature dans l'esthétique de Rameau", Jean-Philippe Rameau, colloque international à Dijon en 1983, Champoin-Slatkine, Paris-Genève, 1987, p.449 et p.453.
  10.  「純粋音楽」という概念が現れた時期から見ても,またこの概念がラモー派によって支持されたことから見ても,「純粋音楽」という概念がラモーの音楽の隆盛と関係していることは,明らかである.Cf, Oeuvres complètes de Rousseau, OCV, op.cit., pp.1459-1460.
  11.  Encyclopédie, 《Musique》, t.X, p.902. 「なぜリュリの古い音楽がこれほどわれわれの関心を引くのだろうか? なぜ彼の競争者たちがみんな彼にこれほど大きく引き離されてしまったのだろうか? それは彼らのなかの誰ひとりとして、音楽を歌詞に一致させるという技術をリュリと同じように理解しているものがなかったからである。そしてリュリのレシタティフは自然の調子とよき朗唱にもっとも近いものだったからである。」
  12.  『フランス音楽に関する手紙』の理論的到達点について,ミュラは,1)旋律の優位を主張してはいるが、その根拠をまだ示せないこと,2)言語と音楽の関係は、旋律の面から主張されるのみで、まだ模倣とアクサンの関連が理論化できてきていない点を挙げている.Cf. Murat, op.cit., p.148.
     また,ラモーによるルソー批判については,次のものを見よ.「われわれが音楽において感じる様々な効果は,まさにこの旋律の産みの親である和声から直接に生じるのである.和声の付属物である旋律とか拍子は音楽の効果にはなんら寄与していないし,和声がなかったら,これらの付属物はまったく無益になる」(Jean-Philippe Rameau, Erreurs sur la musique dans l'Encyclop´die, Paris, 1755, Broude brothers, New York, 1969, p.46).
  13.  『言語起源論』執筆にいたる経過の研究については,ウォクラーとデュシェがほぼ同時期に発表したルソーの『旋律起源論』とこれに関する注釈によってかなり進んだと言えるが(これについては,スタロバンスキによるプレイアッド版第5巻への解説を参照されたい),『言語起源論』そのものは決して一気に書かれたわけではないので,どの部分がどの時期に書かれたのということはまだかなり不明なままである.ここではミュラの仮説を紹介しておこう.ミュラによれば,1755年秋→第18・19章,1756年→第1章〜7章と第20章,1758年末〜1759年初頭→第13章〜16章,1759−60年→第8章〜11章となっている.Cf. Michel Murat, op.cit., p.153.
  14.  『ルソー書簡全集』第2巻、手紙162 [1751,年6 月26日], p.159-160. ダランベールの音楽模倣論については,Cannone, op.cit., pp.89-93を参照せよ.ダランベールの音楽模倣論は,音楽を一種の記号として機能するものと見なすが,そこにあるのは形態的な類似性であり(たとえば,「急速に上昇する炎」と「急速に上行する音」),それゆえに音楽を聞き取ることを,隠喩を解読するのと同じ精神的操作を必要とする行為と考えていた.したがって,後で詳述するが,ルソーの音楽模倣論に見られる「心の動き」というようなものは問題にならない.
  15.  ただし,言語の起源の問題の解明が,ルソーの音楽思想,つまり旋律中心主義の思想の理論的根拠を提供するという点で,音楽模倣論と言語起源論が密接に関連していることを理解している例としては,Michel Murat, op.cit., p.146およびPhilip Robinson, op.cit., p.177を挙げておく.
  16.  Makoto Masuda, "Métaphores et notions morales--Rousseau contre la théorie sensualiste de l'origine du langage--", Equinoxe, No.9, Rinsen-books, Kyoto, 1992, p.33および Philip Robinson,op.cit., p.179では,「相互主観性 intersubjectivité」が言語に先立って仮定されていることが指摘されている.
  17. Cf. C. Kintzler, Jean-Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l'esthétique du plaisir à l'âge classique, op.cit., p.144.
  18.  『人間不平等起源論』は『学問・芸術論』の思想的深化であったと同時に,理論的正当化でもあった.これと同じことが,『言語起源論』と『フランス音楽に関する手紙』の関係にも当てはまる.
  19. これに似たものに,フランス音楽は「歌の本性」にもっとも一致しているという『百科全書』《音楽》におけるルソーの言及がある.Cf. Encyclopédie, Compact Edition, Pergamon Press, 《Musique》, t.X, p.902.
  20.  一般的に『言語起源論』の言語生成を扱った部分はデュクロの影響関係が認められるが(たとえば,Michel Murat, op.cit., pp.152-153),オッディアは,ルソーが古代ギリシャ語ではディスクールが記譜可能だったと考えていることを挙げて,デュクロとの影響関係を否定している.Cf. Michael O'Dea, op.cit., pp.220-221.
  21.  古代ギリシャ演劇が歌われていたらしいということはルソー以前から知られており,古代ギリシャ演劇と近代オペラを比較する議論もデュボス師やマブリ師などに見られるが,言語の違いをもとにした議論は,おそらくルソーが最初である.
  22.  「ギリシャ人は喋りながら歌うことができた.しかし私たちは歌うか喋るかのどちらかにしなければならない.だれも同時に両方することはできない.この区別があるからこそ,私たちはレシタティフが必要になったのである.私たちのエールでは音楽が支配的すぎ,詩はほとんど忘れられている.(...) レシタティフは歌と台詞を統一する手段である.これこそがエールを分離し区別し,先行のエールに驚かされた耳を休め,次のエールを味わえる状態に耳を持って行くのである.」《レシタティフ》(p.1008)
  23.  ルソーが『旋律起源論』でフィレンツェのカメラータについて触れている箇所は,次のようになっている.
    「しかし音楽がわれわれの劇場に導入されたとき,ひとびとは音楽を古代と同じ姿で再建し,音楽を情熱的な模倣の言語にしたいと考えた.そのときにしなければならなかったことは,音楽の第一の姿のもとになっている文法的言語に音楽を近づけることであった.そして,歌う声の音の動きを情念が話す声に与える様々な抑揚にもとづいて規定することで,旋律は言わば新しい実在と新しい力を,情熱的な弁論の語調(アクセント)との一致のなかに見いだしたのである.そのとき,すでに歌は和声の進行に従属していたが,その両者は分離すべきでもなければ,だれもそんなことは望んでいなかったので,厳密に言語に従い,和声体系と朗唱とによって二重に窮屈な思いをしていた歌は,それぞれの国で自分を形作ってくれた言語の性格を受け継ぎ,国語がリズムとアクセントに富んでいる場合には階調的で変化の多いものになり,リズムもアクセントも乏しいために,言わば理性の器官でしかないような国語においては,歌は理屈ばかりこねている人々の口調のように,引きずるようで冷たいままであった.」(『旋律起源論』,OCV,pp.340-341)
  24.  『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』,OCV, pp.358-359.
  25.  ルソーは《ソナタ》では器楽曲の表現力を否定しているが,他のいくつかの項目では表現力を肯定する主張をしているということを忘れてはならない.たとえば,すでに『百科全書』《和音》という項目では,音楽は一種のディスクールだという考えを表明している.
        「音楽のなかには,言語のように一つの意味,連結が必要なのである.それが不協和音の効果なのである.不協和音によって,耳は和声的文節を聞き取り,フレーズ,休止,始まりと終わりを区別するのだ」というように,音楽を一種のディスクールと考えている.
       『音楽辞典』《幕間》という項目では,合奏曲も劇的音楽と同じ模倣音楽だという観点から幕間における器楽曲の意義について論じている.
      「この問題に関する困難さは,舞台ではもはや何も起こっていない時に,音楽家が何をオーケストラに語らせるべきかを知ることなのである.というのは,もし合奏曲が劇的音楽とおなじように,連続した模倣にほかならないとすれば,だれも喋っていないときに,それは一体何を言うべきだろうか.筋の展開がなにもないときにそれは何をすべきだろうか.これに対して私は,舞台は空でも観衆の心はそうではないと答えよう.彼らが見,聞いたばかりのものに対する強い印象がまだ残っているはずである.観衆を,次の幕が始まるときに作品が始まるときの覚めた状態にしないように,言わば事件が描かれる筋のなかで結び付いているように,言わば関心が彼らの魂のなかで連続しているようにするために,この印象を幕間のあいだ育て支えるのはオーケストラの仕事である./これこそ音楽家が,登場人物の状況にであれ,観衆のそれにであれ,模倣の対象を持つのを止めない理由なのである.観衆はオーケストラから出てくるものといえば,彼らが感じている感情の表現しか耳にしないのだから,言わば彼らの聞いているものと一体化する.そして彼らの状態は,彼らの感覚に訴えるものと心に感動を与えるものとの間にもっと完全な一致が支配しているだけに,いっそう味わい深いものになるのである. 巧みな音楽家は自分のオーケストラから上演作品が持ちうる効果の全てを作品に与えるためのもう一つ別の利点を引き出すのである.それは暇な観衆を,彼が次の幕で見ることになる場面の効果に最も好ましい魂の状態に徐々に導くことによってなのである.」『音楽辞典』《幕間》(OCV,p.811)
     また,《オペラ》の項目では,当初のオペラの性格から,音楽は感覚を喜ばせるためのものとしか考えられていなかったが,器楽音楽も一種の言語を獲得して独立していく次第が次のように説明されている.
      「まもなく人々は,しばしば言語が持ちにくい音楽的な朗読とは独立して,テンポ,和声,歌の選択は言わなければならないことと無関係ではないこと,その結果それまで感覚にだけ限られていた音楽だけの効果は心にまで伝わることができることを感じ始めたのである.必要上から始め詩から分離されていた旋律は,絶対的で純粋に音楽的な美を身にまとうためにこの独立を利用した.和声が発見され,完成されると,人を楽しませ,感動させるための新しい道を旋律に開いた.そして詩的リズムの拘束から解放された拍子は自分自身からしか引きだしえない一種の調子を別に獲得した./音楽はこうして第三の模倣芸術になったので,まもなくその言語,表現,詩とは全く独立した描写を持った.器楽合奏そのものも言葉の助けなしに語ることを学び,歌手の口と劣らぬくらい生き生きとした感情を生み出した.」『音楽辞典』《オペラ》(OCV,p.953)
    そして実践的にも,『ピグマリオン』という当時としては非常に斬新な形式の音楽劇を作ることによって,このことを証明している.なぜなら,この音楽劇では音楽と台詞が交互に置かれ,「 詩人は登場人物の情念や動きの一部の表現を音楽家に委ねる」(ボー=ボヴィ,「音楽家ルソー[I]」,p.27)ようになっているからである.さらに,後年にいたっても,「どれくらいまで人は言語に歌わせ,音楽に喋らせることができるかを確定することは,解明すべき大問題である」(『「アルセスト」に関する考察の断片』,p.445)と,『百科全書』を書いた頃に抱いていたディスクールとしての音楽という考えを捨ててはいない.
  26.  「後者は,音楽を恣意的で,所与の言語の現実に密着したという意味でつねに特殊な言語の物質性のさまざまな拘束から解放された根元的な言語活動にする.これは『言語起源論』の主張の一つである.これは,音楽を表現とコミュニケーションの原型として永遠に神聖視し,それ以上に表現とコミュニケーションを音楽の起源と終わりと見なし,言語の沈黙を音楽的美の極みと見なす.」(C. Kintzler, Poétique de l'opéra fran&ccdil;ais de Corneille à Rousseau, op.cit., p.357)

    [初出掲載誌:関西大学フランス語フランス文学会編,「仏語仏文学第27号」2000年,りべるたすの会編「りべるたす第13号」1999年]

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