ルソーの音楽論(1)

−《旋律の統一性》−


1.はじめに
ルソーの音楽思想の研究は政治・経済思想、宗教思想、文学などの分野における研究に 比べると格段の後れを取っていることは明瞭である。たしかに、これらの諸分野では詳細 な校訂を付したプレイアッド版のルソー全集が出て久しいのに対して、音楽関係を収録予 定の第五巻が未刊であることが大きな原因となっている。しかし「たしかに私は、この芸 術のために生まれてきたに違いない」(註1) と『告白』のなかで述べているように、ルソー にとって音楽は重要な位置を占めている。したがって、いま現在の限られた資料のなかで もルソーの音楽思想をできるだけ究明していくことは大変重要なことだと思われる。
フラ ンスでは音楽家ルソー研究の古典であるティエルソの『ジャン=ジャック・ルソー』は、 音楽家としてのルソーの生涯を詳細に跡付けているという点で大変価値のあるものである が、ルソーの音楽思想を深く究明したとは言いがたい。近年の収穫としては、1884年 にヤンゼンによって初めて≪未刊の手稿報告≫のなかで1750年のグリム宛書簡と推定 されて公表され、長くそう信じられてきた草稿が、実はヴェネツィアからの帰還(174 4年)とラモーから手ひどい侮辱をうけた事件(1745年)のあいだのものであること 、しかも宛名人はグリムではなく、リヨンで知り合ったマブリ師であろうということを説 得力をもって推定したボー=ボヴィの『ジャン=ジャック・ルソーとフランス音楽』(『 ジャン=ジャック・ルソー年報第38号 1969−1971)である(註2) 。この研究は ルソーの音楽思想がいかにラモーとの確執によって影響を被ったかをまざまざとわれわれ に見せてくれるのである。日本では海老沢敏の研究を忘れることはできない。彼は196 2年にはすでに「ルソーの音楽的模倣論」(註3) によってルソーの音楽思想の重要な一つで ある音楽模倣論を詳細にまとめあげている。そしてその後の研究をまとめた『ルソーと音 楽』(1981年)ではルソーの作曲家および思想家としてのほぼすべての活動を網羅し ている。ルソーの音楽活動という、とかく見過ごされがちな分野を丁寧にまとめた意義は 大きく、非常に重要な文献となっている。
しかしこの分野での研究には、ルソーの音楽論 が音楽史のなかで持つ意義やラモーとの論争の詳細な研究など、完全に明らかになったと はまだまだ言えない部分、宗教思想の分野ではよく取り上げられるが音楽論ではまったく 取り上げられることがないカルヴィニズムとの関係など未開拓の部分なども多いのである 。後に見るように、ルソーの音楽論が形成され公にされていく時期は、ほぼルソーの政治 ・哲学分野における思想家としての開花の時期と重なっており、音楽論をたんに音楽の分 野だけに限定して論じるだけでは不十分であることは、明らかである。またルソーの音楽 論を明らかにすることは、彼の文学・哲学・宗教・政治思想に逆照射を及ぼすに違いない 。いま求められるのはそのような視点に立ったルソー研究であろう。
ここで取り上げる≪旋律の統一性≫は、ルソー自身が「だれからも理解されず、守られ ず、あるいは読まれもしなかった」(註4) と慨嘆しているように、ルソーが『フランス音楽 に関する手紙』や『音楽辞典』のなかで論じたときにも何の反応もなかったようだし、今 日までルソーの音楽に関する研究でもその対象とされることはなかった。しかしすでに筆 者が簡単ではあるが、触れたことがあるように(註5) 、この概念はルソーの全思想に通低す る独自の思考方法に係わっている重要な概念である。本論ではこの≪旋律の統一性≫につ いて、その形成、この概念の内包と周辺、およびその実践を明らかにすることを目的とす る。

2.≪旋律の統一性≫をめぐる音楽関係年譜
まず≪旋律の統一性≫に係わる事実関係から確認しておこう。
1749年
1月〜3月--『百科全書』の音楽関係項目の執筆をする。この時期には主にAではじまる 諸項目。
8月--------グリムと知り合う。
10月--------ヴァンセンヌの霊感。ディジョン・アカデミーの懸賞論文を執筆。
11月〜12月--グリムとの友情が深まり、イタリアの音楽や舟歌などを共に楽しむ。
1750年
1月--------テレーズと所帯を持つ。
7月--------ルソーの論文が入選する。一躍有名人になる。
1751年
6月--------ダランベールへの手紙で『百科全書』のCの項目を送り返したことを告げる とともに、ダランベールの『百科全書序論』を読んで、音楽模倣論を大いに 評価する。
7月--------『百科全書』第一巻出版。
1752年
1月--------グリムが『オンファルに関する手紙』を出す。『百科全書』第二巻出版。
4月--------ルソー『「オンファルに関する書簡考」についてグリム氏に寄せる手紙』を 出す。親イタリア音楽、反フランス音楽、反ラモーの態度を表明する。
春----------『村の占い師』を作曲する。
6月24日--村の占い師』の初稽古がシャイヨで行われる。
8月1日----ペルゴレージ『奥様女中』初演され、≪ブッフォン論争≫始まる。
10月18日----フォンテーヌブローで『村の占い師』初演される。
冬〜翌年----ルソー『フランス音楽に関する手紙』を執筆している。
1753年
1月--------グリムが『ベーミッシュ=ブロダの小予言者』でイタリア音楽を擁護し、反 フランス音楽の態度を表明する。ただし、これはルソー作と思われていた。
9月--------ルソー『同僚たちに寄せるオペラ座管弦楽団員の手紙』を出す。(ヨメッリ のオペラがオペラ座管弦楽団のひどい演奏によって失敗したことにルソーが 腹を立てたためである。)
11月------『百科全書』第三巻出版。
--ディジョン・アカデミーの懸賞論文の執筆を始める。したがって『言語起源 論』の執筆もこの頃からか。(?)
--『フランス音楽に関する手紙』出版され、大反響を呼ぶ。
1754年
6月〜10月--ジュネーヴ旅行。
--ラモーが『音楽における私たちの本能について』で『フランス音楽に関する 手紙』の「アルミッド」分析を批判する。
10月------『百科全書』第四巻出版。
1755年
------------『音楽辞典』を書きはじめる。
------------ラモーが『百科全書』の音楽に関する誤謬』でルソーが『百科全書』にかい たAからDの項目について批判する。また≪旋律の統一性≫も批判している 。
8月〜9月--ルソーもそれに反論するため『ラモー氏が「『百科全書』の音楽に関する誤 謬」と題された小冊子で主張する二つの原理を吟味する』を書くが、公刊し ない。
11月------『百科全書』第五巻出版。
1767年
11月26日----『音楽辞典』がパリで発売される。
ルソーは1745年にヴォルテールとラモーの合作のオペラ『ナヴァールの王女』の改 作である『ラミールの饗宴』の修正を引き受けたために、ラモーおよびその取り巻きから の様々な干渉や圧力に疲れ果てて、音楽家としてのキャリアを断念したようになっていた 。ディドロとダランベールから依頼された『百科全書』の音楽関係の項目の執筆は、その ようなルソーにとって復讐の意味を持っていた。この仕事のために集中的に取り組んでい た頃にヴァランス夫人に宛てた手紙がそれを雄弁に物語っている。

「ふってわいた異常な仕事とそれに耐えたために非常に健康を悪くし、ママン、 私は一月前からあなたに対する義務を怠っていました。まもなく印刷に回される 予定の芸術と学問の大辞典のために幾つかの項目を引き受けたのです。仕事は私 の手元で増えていき、それを期日までに提出しなければならないのです。その結 果、自分の通常の仕事〔当時ルソーはデュパン夫人、デュパン氏、ド・フランク ールの秘書であった・・・引用者〕の他に、さらにこの仕事を引き受けたので、 睡眠時間を削ってそれにあてざるをえないのです。疲れ切っているのですが、約 束したので、それを果たさなければなりません。それに、私を苦しめた人々をぎ ゅーという目にあわせてやります。怒りが私に精神と知識の力を与えてくれます 。
怒りだけで十分、アポロンの代わりになる。
〔ボワロー、Satires I, 146. 〕
私は本を読み、ギリシャ語の勉強をしています。誰でも自分の武器を持ってい るものです。私の敵たちにはシャンソンを歌うかわりに、辞典の項目を作ってや ります。一つの武器で別のものに値するだろうし、その方がもっと長く続くだろ うと期待しています。」(註6)
またグリムと知り合った頃からはグリムにもイタリア音楽に対する趣味があったことが 影響して、イタリア音楽に対する情熱も再燃しており、イタリア歌謡を集めた『カンツォ ーニ、古きわが歌集』も出版している。当時のフランス人にとってイタリア音楽は未知の 世界であり、実際にイタリアに行ってそれに触れたものしか知らない世界であった。した がって当時のルソーの周囲には音楽の趣味を持つ人々は多くいた(例えばデピネ夫妻、フ ランクイユ氏など)が、イタリア音楽を話題にするようなことはなかっただろう。それだ けにヴェネツィアでイタリア音楽の洗礼を受けてきたルソーにとって、イタリア音楽を知 り、それに対する好みを共有できるグリムとの交際がイタリア音楽への傾斜をルソーのな かで強めたことは想像に難くない。少し年代は戻るが、ヴェネツィアから帰ってきたルソ ーが作曲家としてもイタリア風の音楽を作曲するのに十分な力量を得てきたことを物語る エピソードがある。数字による新しい音楽の記譜法を考案したルソーはそれで一花咲かせ ようとパリに上がってきたのだが、それは失敗した。1742年から43年にかけてのこ とである。ある熱意も魅力もないオペラを見たのがきっかけとなって、ルソーは『優雅な 詩の女神たち』というオペラを書きかけていた。このオペラはフランス大使の秘書として ヴェネツィアに行くことになったために一時中断されていたが、一年後にフランスに帰国 してから完成された。1745年の7月に完成したこのオペラは9月にはラ・プープリニ エール氏の邸宅において、しかもラモーも立会いの上で部分的に演奏された。この時のこ とをラモーは次のように回想している。
「十年か十二年前、ある人が彼の作曲になるバレエをM***氏の所で演奏させた が、その曲はその後オペラ座に提出され拒否された。私が驚いたことには、その曲 には完全にイタリア様式の非常に美しいバイオリンの曲があるかと思えば、同時に 、声楽と器楽とを問わずフランス風音楽のなかには、最も美しいイタリア式伴奏に 助けられながら最も平板な声のアリエットを含む、より悪いもののすべてがあった のである。この対照に私は驚き、その作者に幾つかの質問をしたところ、その返事 が非常に下手だったので、私は、既に気がついてはいたのだが、彼が作ったのはフ ランス風の音楽の部分だけで、イタリア風の部分は盗用したのだということが分か ったのである。」(註7)
ルソーがここで言われているように盗用したのかどうか確かめようもないのだが、もし そうではなかったとしたら、ラモーも認めるようにルソーが書いたイタリア風の曲には「 非常に美しいバイオリンの曲」や、「最も美しいイタリア式の伴奏」などがあったことに なる。このことはルソーがイタリア様式の音楽を書く上で十分な力量を持っていたこと、 しかもフランス音楽を書く力量よりも抜きんでていたことをラモー自身が認めていたこと を表している。
さて年代を元に戻すと、仕事のために「デュパン夫人の家にいなければ、グリムのとこ ろか、あるいは少なくとも彼と一緒に散歩か劇場に」(註8) いたというようなグリムとの蜜 月の時期であった1749年を越すと、7月にはディジョン・アカデミーの懸賞論文に入 選し、一躍有名になる。次の年の1751年は『学問芸術論』が大きな反響を呼び、多方 面からの反論が巻き起こり、それに対する反論で過ぎる。しかし6月26日のダランベー ル宛の手紙に見られるように音楽論についての考察も忘れてはない。
「Cの文字をあなたに送ります。私はずっと病気をしていたので、再読すること ができませんでした。あなたが私に手紙を書いてくださった有り様にはどうやっ て抵抗したらいいのか私には分かりません。したがって私はあなたの考えを認め 、あなたが適当と判断された変更を認めます。しかし私はあなたが削除された一 つか二つの部分を再度いれました。というのはあれらの部分も全然気分に左右さ れておらず、中傷は言っていないと私に思えたからです。しかしあなたが完全に 最終的な決定者だと望んでいますから、あなたの公平さと知識に全てを従わせま す。
あなたの序文にはいくらお礼を言ってもいいたりないでしょう。あなたがそれ をすることによって私がそれを読むときの喜びより多くの喜びを感じたなんて私 には信じがたいことです。『百科全書』は私に多くのことを教え、啓蒙してくれ ました。私は一度ならずそれを読み返してみるつもりです。私はと言えば、音楽 的模倣についてのあなたの考えは非常に正当で、非常に新しいと思います。結局 、そしてごくわずかのことを除いて、音楽家の技術は対象を直接的に描くことに ではなく、対象の前に出たときに魂が置かれる状態と同じ状態に魂を置くことに あるのです。あなたの文章を読めばそのことは誰でも感じるでしょう。そしても しあなたがいなかったら、誰もそんなことは考えつかなかったでしょう。それこ そ、ラ・モットが言ったように。
すべての精神が自分のなかに
その種子をもっているあの真について、
それを感じるが、それを考えたときに、
真だと分かって驚く」(註9)
ルソーはここで「私は一度ならずそれを読み返してみるつもりです」と述べているよう に、これがきっかけとなってルソーは音楽模倣論について深く考察することになり、それ は『言語起源論』として結実することになる。またこの問題は『ラモー氏が「『百科全書 』の音楽に関する誤謬」と題された小冊子で主張する二つの原理を吟味する』(1755 年)のなかでも取り上げられている。
翌1752年の春には『村の占い師』を一週間ほどで作曲し、その成功によって音楽家 としても時代の寵児となる。 『村の占い師』は10月18日フォンテーヌブローの国王 の御前で初演され、国王の絶賛を得て、大成功する。その後も何度も再演され、翌3月1 日にはオペラ座で上演されて、大衆の前にもルソーは大作曲家として現れることになる。
『村の占い師』の稽古が行われていた8月1日オペラ座でリュリの『アシスとガラテ』 の幕間劇としてペルゴレージの『奥様女中』が上演された。この上演は二つの音楽の様式 の違いを明らかにして、イタリア音楽に対するフランス人の目を開かせた。人々はイタリ ア音楽を支持する≪王妃派≫とフランス音楽を擁護する≪国王派≫とに別れて、対立する ことになった。このような状況のなかでルソーは『フランス音楽に関する手紙』を書き、 イタリア音楽の表現力の豊かさを示し、その理由として≪旋律の統一性≫について初めて 触れることになる。ルソーは後に『音楽辞典』の≪旋律の統一性≫の項目のなかで「私が この原理を発見したとき、それを提案する前に、私は私自身によってその応用を試みてみ ようと思ったのである。この試みは『村の占い師』を生んだが、成功のあとで、私はそれ については『フランス音楽に関する手紙』で語ったのである」(註10)と回想している。したが ってこの『手紙』は≪ブッフォン論争≫の渦中でイタリア音楽とフランス音楽を比較して みせるという意義の他に、ルソーにとっては自分が発見したばかりの重要な原理を提案す る場でもあったのである。ルソーがこの『手紙』を書いた時期については、ルソーの「緒 言」を信ずるならば(註11)、1752年の10月から11月頃になるが、本文で指摘されてい るパンフレットやオペラ・ブッファの作品名(註12)などからすると、1753年の2月前後と も考えられる。1753年11月の末にこの『手紙』が出版されると、大変な反響を呼び 、ルソーはフランスの敵であるかのような攻撃を受けることになる。それはもちろんルソ ーが≪旋律の統一性≫の原理を主張したせいではなく、フランス音楽がまるで存在しえな いと結論したからであった(註13)。また『手紙』が出版される少し前には、ディジョン・アカ デミーが出した懸賞課題をめぐって言語・音楽の起源と音楽模倣論について論ずる『言語 起源論』が書かれている。
翌年の1754年の4月から10月にかけてルソーはジュネーヴを訪問する。その間に ラモーは『音楽に対する私たちの本能についての考察』でルソーによる『アルミッド』の モノローグをめぐる主張を批判する。ラモーはさらに『「百科全書」の音楽に関する誤謬 』でルソーおよび≪旋律の統一性≫を批判したため、ルソーも反論のために筆をとり、音 楽の本質は和声にではなく旋律にこそあることを論じるが、出版はしなかった。そして『 百科全書』に書いた項目を不満として1755年頃より『音楽辞典』を書きはじた。そこ にはもちろん≪旋律の統一性≫の項目をもうけ、詳しく論じている。また≪デュオ≫≪フ ーガ≫≪トリオ≫の諸項目においても触れられている(註14)。これ以外にルソーが≪旋律の統 一性≫について触れているのは、『百科全書』の第四巻に収録された≪デュオ≫の項目に おいてである。ルソーが『百科全書』のなかで≪旋律の統一性≫について触れたのは実は これ限りで、これ以外の巻では一切触れられなかった。不思議なことに、『百科全書』に もルソーは≪フーガ≫と≪トリオ≫の項目を書いているにもかかわらず、そこでは≪旋律 の統一性≫については一言も触れられていない。ルソーが『ルソー ジャン=ジャックを 裁く』のなかで「それ〔≪旋律の統一性≫・・・引用者〕を小耳にはさんだ人たちからは 鼻先であしらわれ」(註15)たと述べているような反応を周辺の人々からは受けたらしいこと、 またラモーからは『「百科全書」の音楽に関する誤謬』のなかでまったく馬鹿馬鹿しい妄 想と批判されたことから考えて、おそらく当初からルソーの執筆分の担当であったダラン ベールがこれ以上ラモーの感情を逆撫でしないようにと考えて削ってしまったと考えられ る。ダランベールはラモーの難解な『和声論』を分かりやすく解説した『音楽提要Elemens de musique 』を書いているように、音楽理論に関してラモーを評価しており(註16)、ルソ ーが『百科全書』の音楽関係の項目のなかに挿入したラモー批判をできるだけ排除しよう としていたのである。先に引用したダランベール宛のルソーの手紙のなかで、彼が最終的 にはダランベールの判断に任せると言っているのは、このことを指すのである。
以上見てきたように、ルソーの≪旋律の統一性≫という概念が論じられたのは量的には 少ないし、しかも体系的というわけでもない。しかし、それはルソーのイタリア音楽への 情熱や旋律論・和声論と深く係わっており、きちんとルソーの音楽観のなかに位置づけて みることが必要な概念である。

3.≪旋律の統一性≫概念の内包
『フランス音楽に関する手紙』の検討から始めよう。ルソーはまず音楽の構成部分とし て、「旋律ないし歌、和声ないし伴奏、テンポないし拍子」(註17)の三つを挙げる。次いで、 「和声はその原理を自然のうちに持っているので、あらゆる国民にとって同一」(註18)である のに対して、旋律のほうは言語によってもっとも大きな影響を受けているので、それぞれ の言語の性格(韻律法)が音楽の旋律の性格を決定することになると主張する。そこでル ソーは音楽に最も相応しい言語とそうでない言語があるとして、音楽に相応しくない言語 とはどんなものであるか、明らかにフランス語を念頭に置きながら説明していく。ルソー によればそのような言語とは、「混成音、無音の音節、鈍重な、あるいは鼻にかかるよう な音節、響きのよい母音がわずかしかなく、たくさんの子音や文節だけから成っており、 さらに、私が後に拍子の項で述べることになるようなその他の本質的な条件にも欠けるよ うな、そんな言語」(註19)である。このような言語の影響を受ける音楽について、ルソーは「 快い旋律が全く欠けることになるので人工的で不自然な美でそれを補おう」(註20)として装飾 音が多用され、また「快い歌を作りだすことができないので」(註21)作曲家の関心は和声の 方に向き、劣悪な声部が乱造されるが、それらには音楽の力と効果は何もないと断定する 。次に、「歌の美と表現力の大部分」(註22)を担っている拍子については、言語の持つ韻律 法の影響がもっとも大きい部分であるので、音節の長短のはっきりしない言語から生まれ る音楽では、「拍子も、またむらのない反復ももはや感じ取られることなく、演奏家の気 まぐれにだけ委ねられ」(註23)、その結果「器楽は拍子をきちんと取って進もうとしますが 、歌はいかなる拷問にも耐えられないので、同じ曲のなかで、役者とオーケストラがおた がいに対立しあい」、「音楽をして一つの大きな化け物にしてしまう」(註23)と結論する。
それにたいして音楽に最も相応しい言語としてイタリア語が挙げられ、「この言語は、 他のどの言語にもまして、甘美で、響き豊かで、階調があり、かつアクセントがはっきり している」(註24)という理由が提示される。ルソーはイタリア音楽の旋律の美しさの理由を 「言語の甘美さ」、「転調の大胆さ」、「拍子の最大限の明確さ」(註25)にまとめた上で、 さらにこれらを統括する根本的な原理として≪旋律の統一性≫を提案し、それについて論 述していく。

「ある曲が人々の関心をひきつけるものとなるには、つまりその曲が魂に引き起こ したいと望む感情をそれにもたらすには、全部の声部が主題の表現を強化すべく協力 することが必要です。和声が主題をもっと力強いものにするのにだけ役立つことが必 要です。伴奏が主題を覆い隠すことも、変形してしまうこともなしに、それを美しく することが必要です。低音が、終始一貫した単純な歩みで、歌う者、聴く者をいわば 導き、しかも、両者のいずれもがそれに気がつかないことが必要です。要するに、全 体のアンサンブルが、同時に耳には一つだけの旋律を、精神には一つだけの想念をも たらすことが必要です。
この旋律の統一性は、必要不可欠で、音楽においては、劇における筋の統一性と同 じくらい重要な規則であるように私には思われます。」(註26)
ルソーの考えでは、フランス音楽とイタリア音楽の違いは旋律の性格である。装飾音や 音のいっぱい詰まった伴奏によって補ってやらざるをえないような旋律とそれ自体で十分 な表現力をもつ美しい旋律との違いである。したがって、このような美しい旋律をもつイ タリア音楽ではいかに旋律を際立たせるかが問題になってくるだろう。そこでルソーはこ の≪旋律の統一性≫がいかにイタリア音楽において実現されているかを示すために、イタ リア式の伴奏の特徴を分析する。ルソーがまず指摘するのは独唱声部とのユニゾンによる 伴奏である。全ての声部が同時に同じ旋律を歌うユニゾンでの演奏は美しい旋律を際立た せるもっとも簡単な方法であることは言うまでもないが、それだけではないとルソーは言 う。
「そこからはさらに、器楽部分と歌とのあの完璧な応答関係が生まれてきますが、 この関係のおかげで、器楽部分のなかの素晴らしい特色のすべては歌が展開させた ものにすぎないのです。ですから、伴奏のあらゆる美の源は声楽パートのなかに求 めるべきなのですが、この伴奏は歌とまことに見事に一体となり、かつ歌詞にまこ とに正確に相対しているので、しばしば伴奏の方が演奏の性格を決定し、役者がや らねばならない仕種を彼に指示しているように見えるのです。」(註27)
要するに、『フランス音楽に関する手紙』の著者によれば、旋律にもとづいて伴奏は形 成されるにもかかわらず、イタリア式の伴奏のようにユニゾンで、しかもそれが歌唱声部 と掛け合いのように作られると、まるで伴奏が歌を導いているかのように見え、そうする ことによって歌による主題の提示が明確になるということである。まさにこれこそがユニ ゾンによる伴奏というイタリア的な方法が≪旋律の統一性≫の規則にもとづいているとい う理由である。ただ指摘しておかなければならないことは、1749年の1月から3月に かけて執筆した『百科全書』の≪伴奏≫の項目のなかでは、ルソーはユニゾンによる伴奏 を確かに効果があるとしながらも、たいていはイタリア人の音楽家の無知に由来すると否 定的に見ていたということである(註28)。この間に、どのような理由でかは不明だが、考え が変わったらしい。もちろん『音楽辞典』のために書き直した際にはその部分は削除され ている。
伴奏がユニゾンによるものばかりではないこともルソーは指摘している。それは歌詞の 意味に歌だけでは表現できないような付随的な想念が含まれている場合である。このよう な場合にイタリア式の伴奏では、声楽パートの方が休止していたり、長く引き延ばされた 音の上にあるような時に、伴奏声部でその付随的な想念を表現させる方法と、歌と伴奏を まったく切り離して、伴奏に付随的な想念を表現させる「執拗で連続的伴奏」(註29)による 方法とを挙げている。いずれにしても、この方法では歌唱声部も伴奏声部もそれぞれの旋 律を持つことになるので、その成否は作曲家の腕にかかっているとルソーは言う。これら は、言わばイタリアの優れた音楽家たちが、旋律をいっそう表現力のある甘美なものにす るような伴奏を追求することによって、知らず知らずのうちに≪旋律の統一性≫という規 則に従って考えだした方法なのである。
≪旋律の統一性≫の原理は、旋律と伴奏の関係からだけでなく、複数の旋律を持つこと に対する否定からも導き出される。前者が同時代的な展望において見ているのに対して、 後者は言わばポリフォニーからホモフォニー(註30)へという音楽史の流れに関係している。 ルソーが否定すべきものとして挙げているのは、「フーガ、模倣、複主題、その外のまっ たく約束事の美の濫用」(註31)である。
「ある声部から別の声部へと、主題がそこを移動するにつれて、聞き手の注意力を 巧みに導くことによって、フーガでも旋律の統一性を失わずにいることが全く不可 能だとは申しません。(・・・)こうしたものは、明らかに野蛮さと悪趣味の残骸 であって、私たちの国のゴシック式の教会の正門のように、今でも残っているのは 、そうしたものを辛抱強く造った者の恥を晒すためだけなのです。」(註31)
『音楽辞典』の≪フーガ≫においても≪旋律の統一性≫に触れて、まったく同じことを 述べているように、ルソーは全くポリフォニー様式を認めていない。それはまことに徹底 しているので、ついでに『音楽辞典』の著者が多声様式の音楽ジャンルについてどのよう に説明しているかを見てみよう。三重唱については、三音によって構成される完全和音を 三つの声部にうまく配分できても、不協和音については簡単にはいかないため細々とした 規則が生じるが、「これらの規則は旋律の統一性と両立しえないし、規則に適い、調和の とれたトリオが演奏において限定され、明確な旋律線をもつとは誰も考えないので、その 結果トリオは音楽ジャンルとしては悪い」(註32)とルソーは結論する。次に四重唱(奏)に ついては「本当の四重唱(奏)は存在しない」と言い放ち、理由として「どんな和音でも 同時に耳が聞き分けることができ、旋律を形成するのはせいぜい二声部だけだからである 」(註33)と言う。ルソーが多声様式の音楽として二重唱しか取り上げようとしない理由もこ こにあると言っていいだろう。合唱については、「人は合唱に、耳を魅了し、耳を満たす 和声的な快適な雑音を求める。美しい合唱は初心者の傑作(『百科全書』では「巧みな作 曲家の傑作」(註34)となっていた)であって、彼が和声のすべての規則をじゅぶんに知って いることが示されるのは、まさにこのジャンルの作品によってなのである」(註35)と軽蔑的 に述べている。以上の例からも分かるように、ルソーはポリフォニー様式のジャンルに全 くといっていいほど音楽としての意義を認めていない。いったいその理由は何だろうか。
「いずれもよく歌う幾つかの声部が一緒になって、どんな和声を作りだすことがで きても、これらの美しい歌の効果は、それらが同時に聞こえるやいなや、ただちに 消え去って、一連の和音の効果しか残りません(・・・)というのは同じ瞬間に幾 つもの旋律についていくのは耳には不可能なのであって、一つの旋律が別の旋律の 印象を消し去って、全体から生じるのは混乱と騒音だけということになるからです 。」(註36)
ここで否定的に述べられているポリフォニー(多声様式)はルネッサンスからバロック にかけて隆盛をきわめた音楽書法で、ルソーは『音楽辞典』の≪旋律の統一性≫の項目で はその例として「四声で書かれた私たちの詩篇歌」を挙げている。ポリフォニー音楽では たいてい歌詞がずれていき、歌詞の意味を聞き取るのが困難な場合が多いため、神の言葉 である歌詞に聞き手が集中することができないとして、プロテスタントのカルヴァン派の 教会では禁止されていた(註37)。ルソーの考えでは、このような音楽は、たとえ個々の声部 の歌がいくら美しくても、それぞれが勝手気ままな関係にあったのでは、聴く側からは単 なる音の重なりあいになってしまい、なんら旋律線を形成しないので、効果は相殺されて しまうのである。そのような音楽が与えることができるものは「一連の和音の効果」、『 音楽辞典』での説明によれば、「純粋に感覚の快感」である。それは持続力がなく、すぐ に倦怠を引き起こすだけで、心に訴えてくるものは何もないことになる。
≪旋律の統一性≫の原理と両立させるのが難しいが、不可能ではない唯一のジャンルと してルソーが挙げているのは二重唱である。どう言うわけかルソーは二重唱に対して一種 の偏愛を持っているようで(註38)、あえてそれを両立させる方法として、イタリア語のオペ ラの優れた二重唱が実践している方法を分析している。それによれば、二つの声部が交互 に歌うことによって、全体としては一つの旋律が形成されるようにすること。二つめに、 二つの声部が同時に歌うことはまれにすべきで、もしあっても長くは続かないようにすべ きであること。その場合には三度ないしは六度によって進むような歌にすることなどをル ソーは挙げている(註39)
『フランス音楽に関する手紙』の著者がこのような二重唱のもっとも優れた例として挙 げるのが、ペルゴレージの『奥様女中』のなかのそれである。ルソーはこのような二重唱 のあるべき姿については『百科全書』の≪二重唱≫でも『音楽辞典』の同じ項目でも述べ ている。( ≪資料≫を参照のこと。)
二重唱を唯一の例外とするが、その他のポリフォニー様式を全く認めていないルソーは 、この様式の基礎となっている和声の意義を認めていないのだろうか。これについて検討 するために、再び『フランス音楽に関する手紙』の著者は和声の問題に戻る。
「私は和声を犠牲にして旋律にあらゆる優位を認めてきたように見えるかもしれま せんが、この〔≪旋律の統一性≫の・・・引用者〕規則から和声そのものにたいす る新たな評価が生じてくること、また歌の表現力は、作曲家に和音を大事に扱うこ とを余儀なくさせることで、和音の表現力も生み出すことを証明することが私には 残っているのです。」(註40)
≪ブッフォン論争≫を引き起こしたイタリアの幕間劇の興行師バンビーニ氏の息子がク ラヴサンで伴奏をする際に、ほとんど二本の指で低音とそのオクターブしか鳴らしていな いのに気づいたルソーは、このようなイタリア式の伴奏における和声の単純さがイタリア 音楽の持つ表現力の豊かさとどう関係があるのか考える。ルソーの推論によれば、「それ ぞれの協和音にはそれぞれの独自の性格、つまりそれぞれに特有な魂への影響の仕方」(註41)があり、それは不協和音やその他の音程においても同じである。それゆえに必要とする 表現のために用いるべき和音は一つなのに、和音の規則に従うために和音を増やしていけ ば、逆に効果は相殺されて、表現力は弱められるのである。そこでルソーはこう結論する 。
「和声が細心の注意を払って満たされている音楽はすべて、またあらゆる和音が全 部揃った伴奏はすべて、大いに騒がしいものであるが、表現力は非常にわずかなは ずだというのが、確実で、自然にもとづいた原理なのです。」(註42)
『フランス音楽に関する手紙』では、それゆえに作曲家は和音と声部を取り扱う際には 自分の表現しようとしていることのためにはどの音が必要かを見抜いて、必要最小限の和 音を使うべきであるという、言わば伴奏声部の作曲の仕方を提示してこの問題を終わって いる。しかし『フランス音楽に関する手紙』でのこの結論は、確かに旋律と和声の関係を 排他的にではなく、整合性をもって説明するには不十分であろう。それを完成させたのは 『音楽辞典』の≪旋律の統一性≫の項目である。ルソーはまず旋律と和声の対立関係を次 のように提示する。
「音楽は、感動させ、気持ちとらえ、関心と注意を維持するためには、どうしても 歌わなければならない。しかしわれわれの和音や和声の体系では、個々の声部が固有 の歌を持ち、全ての歌が同時に聞こえてきて、相互に打ち消しあい、もはや歌をなし ていないのに、いったい音楽はどう振る舞ったらいいのだろうか。全ての声部が同じ 歌を鳴らせば、もはや和声は成り立たず、合唱はユニゾンになるだろう。
ある音楽的本能、天才のある種の隠れた感情がこの困難をこともなげに取り去り、 そこから利点さえも引き出したその方法は、まったく驚くべきものである。旋律を圧 しつぶしてしまうはずの和声がそれを活気づけ、強化し、決定する。様々な声部は、 混同することもなく、同じ効果のために協力する。そして声部のどれもがそれぞれの 歌をもっているように見えて、結合された全ての声部からはたった一つの同じ歌が出 てくるのしか聞こえない。これこそが私が旋律の統一性と呼ぶものである。
和声がそれ自身この統一性を壊すのでなく、それに協力する方法はこうである。つ まりわれわれの歌を性格づけているのはわれわれの旋法であり、われわれの旋法はわ れわれの和声に基礎づけられている。したがって和声が旋法または転調の感情を強め たり決定する場合には常に、和声は歌を覆いさえしなければ、歌の表現を補うのであ る。」(註43)
ここには二つの視点が混在していることに注意しよう。一つは和声体系からの視点で、 この観点からすれば旋律は和声に規定されている。したがって旋律の性格を確定するのは 和声だということになる。二つめの視点は音楽表現からのそれである。音楽は何かを表現 する芸術であり、その担い手は旋律であるという考えである。ルソーはこの説明において 、二つめの視点を本質的と考え、第一の視点をから見た関係を下位におくことによって、 旋律と和声の関係に整合性を与えているのである。旋律線を担う一つの声部を中心にして 、他の諸声部がその声部を和声的に支え、補強するようにして全体から一つの統一された 旋律が生まれるという音楽様式(ホモフォニー・・・ルソー自身はホモフォニーという用 語について先に指摘したように、ギリシャ音楽についての概念しか持っていなかった。ル ソーの音楽論の音楽史における位置づけについては稿を改めて論ずる予定である)によっ て、ルソーは旋律と和声を整合的に関係づけるのである。
これは旋律と和声とどちらが音楽における規定力を持つのかという問題で、ルソーが随 所でラモーと対立した論点である。この問題については別稿を用意しているので、詳細は そこに譲り、ここでは『音楽辞典』の≪旋律≫の項目においてコンパクトにまとめられた ルソーの考えを見ておく。これは≪旋律の統一性≫を中心とした旋律と和声の整合的なと らえ方を補うものになるだろう。ルソーの考えでは、旋律はそれを考察する方法によって 二つの異なった原理に属していると述べる。一つは旋律を「音の関係や旋法の規則として 見ると、旋律はその原理を和声のなかに持っている」(註44)という側面である。そもそも近 代西洋音楽の和声体系は、そこに固有の音感覚をもった人々の音楽行為の蓄積のなかから 演繹的に導き出されたものであるので、ちょうどラングとパロールの関係と同じで、この 和声体系のなかで音楽行為を使用とすればこの体系を制度として遵守しなければ何ら音楽 を作ることも演奏することもできない。この意味でなら確かにラモーの言うように、和声 が旋律を生み出すと言えるかもしれない。「しかし」とルソーはもう一つの視点を提示し てい言う。「様々なイメージによって精神に影響を与え、様々な感情によって心を動かし 、情念をかきたてたり静めたり、一言で言って、感覚的な直接の支配を超えた精神的な効 果を及ぼすための模倣芸術として見なすならば、別の原理をさがさなければならない。と いうのは、そこには和声およびそこから派生するすべてのもののなかには、われわれに影 響を及ぼす手掛かりは何ら見つからないからである」(註44)このもう一つの原理こそルソー が『言語起源論』によって考察することになる音楽模倣の思想である。旋律はその起源か らして一種の言語であり、音楽の一切の表現力は旋律にあるという原理である。そして音 楽にとって本質的な原理を中心において両者を整合的に統一させるのが、≪旋律の統一性 ≫の原理であったことは言うまでもない(註45)
最後に、『音楽辞典』のなかの≪DESSEIN ≫なる項目がここの主題に大いに関係がある ので、これを見ておこう。これは≪構想≫とでも訳すべき概念かと思われる。
「≪DESSEIN デッサン≫
それは主題の創案と誘導、個 々のパートの配置、全体の設計である。
きれいな旋律や和声を作るだけでは充分ではなく、これら全てを主要な主題によ って結び付けねばならない。そしてこの主題に作品の全パートが関連し、その主題 によって作品は一つになるのである。この統一は旋律、テンポ、性格、和声、転調 を支配すべきである。つまり、これら全てはそれを統一する共通の想念に関連しな ければならない。難しいのはこれらの規則を優雅に変化を付けてまとめあげること である。この変化がなかったら、全ては退屈なものになってしまうのである。恐ら く、音楽家も、詩人、画家同様、対比を与えるという口実の下に、よく主題の整っ た作品のために、集めたら恐ろしい全体ができるくらい対立した性格と窮屈な楽曲 から構成された、全くばらばらな音楽をわれわれに与えさえしなければ、この魅力 的な多様性を利用してどんなことでもあえてしてみることができるのである。 (中略)
デッサンの完璧さは、したがって当を得た配置やあらゆるパートの間の正しい釣 り合いにこそある。そしてとりわけこの点においてこそ、不滅のペルゴレージがそ の判断やその様式感を示し、彼のライバルを大きく引き離したのである。彼の『ス ターバト・マーテル』『オルフェオ』『奥様女中』は三つの違ったジャンルでの等 しく完全なデッサンの傑作である。
作品の全体的デッサンというこの観念は特殊にそれを構成する個々の曲にもまた 適用される。したがってエール、デュオ、合唱などはデッサンされるのである。そ のためには、その主題を想像した後で、すぐれた転調の規則に従って、その主題が 聴衆の精神から消えないくらい、また彼らの耳には斬新さの魅力をもって提示され るくらい、釣り合いよく、主題が入れこまれるべき全てのパートに配分される。主 題を聴衆に忘れさせるのはデッサンが欠如しているからである。またそれをうんざ りするまで追求するのはそれ以上に欠けていることになる。」(註46)
楽曲と楽曲、あるいは個々の楽曲が提示する主題の間の統一を作品全体のなかでとるの が、この≪デッサン≫という概念である。いくら個々の楽曲が≪旋律の統一性≫によって 統一的に作曲され、主題が明確に聞き手に伝わってくるように作られていても、楽曲と楽 曲の間の連関、転調のむすびつきなどに統一感がなければ、そのような作品は作品全体と しては訴えてくることができないだろう。したがって≪デッサン≫とは、≪旋律の統一性 ≫が縦の主題統一のための手段であるとすれば、音楽の流れにおける横のつながりの主題 統一のための規範と考えることができるのではないだろうか。

4.『村の占い師』における≪旋律の統一性≫

「この原理はペルゴレージやレーオによってあまりにもきちんとしすぎるくらいに 守られはしましたが、彼らはこの原理を知っていたわけではありません。さらにま ことにしばしば現代のイタリア人作曲家たちによって、それも本能的に、知らず知 らずのうちに守られています。この原理は、きわめてまれであるにはせよ、はから ずも若干のドイツ人作曲家たちによって守られていますが、フランス人音楽家はだ れ一人この原理を知らず、また『村の占い師』ただ一曲以外のいかなるフランス音 楽のなかでも守られておりません。」(註47)
≪旋律の統一性≫の規則をきちんと遵守して音楽を作ったイタリア人作曲家のなかで ルソーがもっとも優れていると考えていたのはペルゴレージであった。しかし彼にせよ、 その他のイタリア人作曲家たちにせよ、この原理を認識した上で音楽を作っていたものは 一人もいなかったとルソーは言う。いわんやフランスではこの原理はだれも知りもしない し実践もされなかった。ルソーによれば、この原理を認識した上で音楽を作ったのはルソ ーだけであり、フランス音楽のなかではこの原理が遵守されているのは『村の占い師』だ けである。では『村の占い師』のどの部分にこの原理の反映があるのだろうか。これがこ こでの問題である。とはいえ、≪旋律の統一性≫概念が「声部のどれもがそれぞれの歌を もっているように見えて、結合された全ての声部からはたった一つの同じ歌が出てくるの しか聞こえない」(註48)という簡単な表現で言い表されるように、この概念の内包は非常に 狭い。このことは、逆にこの概念の外縁が非常に広いことを意味する。したがって『村の 占い師』においてこの原理がどのように遵守されているかについて網羅的に検討すること は不可能であり、二・三の点で満足しなければならない。
まず『村の占い師』そのものについてどんなオペラなのか梗概を記しておこう。
ルソーが『村の占い師』を作曲したのは1752年の春のことで、パリ近郊のパッシー にある同郷のミュサールの家に養生のために滞在した折に、ともにイタリア音楽を愛する 二人が夢中になってオペラ・ブッファの話をしたのがきっかけになったと『告白』には述 べられている。
「ミュサールはチェロを弾き、イタリア音楽が熱狂的に好きだった。ある晩、寝る前 にわれわれは、大いにその話をした。とりわけわれわれがそれぞれイタリアで見て、 二人とも夢中になっていたオペラ・ブッファの話をした。その夜眠らずに、どうした らこの種の劇の観念をフランスに与えることができるだろうか、を考えていた。とい うのは、『ラゴンドの恋』などは、それとは全然似てもいなかったからだ。朝、散歩 をして水を飲みながら、大急ぎで詩句のようなものを作り、そのあいだ頭に浮かんだ 曲をそれに合わせてみた。私は庭の高みにある丸屋根の、一種のサロンのなかで、そ れをすべてなぐり書きした。」(註49)
この時ルソーが作曲したのは、第一曲 "J'ai perdu tout mon bonheur"と占い師のエー ル"L'amour croit s'il s'inquiete" 、および二重唱"A jamais Colin t'engage" の三曲 だった。そしてルソーがミュサールの家族の勧めと励ましに気を良くして全曲をオペラの 形に仕上げたのは一週間後であった。もちろんルソー自身がその初版本の扉にも印刷させ ているように幕間劇であるため、全曲でも一時間とかからない短い作品である上に、後で も述べるように≪ディヴェルティスマン≫はこの時ではなく、翌年のパリ・オペラ座での 初演のために後になって作曲されているので、最初に出来上がった形では、40分前後の 短い作品である。そのことを割り引いて考えても、一週間という作曲のスピードは、まる でルソーの頭のなかにすでに曲想が鳴っていたかのような速さである。このことは当時パ リではイタリア音楽はほとんど上演されていなかったことを考えると、1749年にイタ リア音楽に対する同じ趣味を持っていたグリムと知り合って以降、ともにクラヴサンを弾 きながらイタリアの曲や舟歌を歌ったりしたこと、そのことによって自分が数年前にヴェ ネツィアで聴いてきた音楽も含めて、イタリア音楽がルソーのなかで響きを再生していた ことが大いに影響があったと思われる。というのはいくらその当時からルソーがフランス 音楽を批判的に見ており≪旋律の統一性≫という原理を確立していたとしても、その理屈 だけでは作曲は不可能だからである。その例を一つ挙げると、『村の占い師』の最後の場 である第八場でオーケストラが村の青年や娘たちの入場を描いたあとに彼らによって歌わ れる合唱曲は、ルソーがヴェネツィアから帰還して一年足らずのうちに作曲した『優雅な 詩の女神たち』のなかの合唱曲とほとんど同じ旋律を持っている。この曲はヘシオドスの 幕の最終場に置かれている。この二つの合唱曲は、ややテンポに違いがある以外にはとも に主人公たちの抱える問題が解決をして、それを村の若者や羊飼いの若者たちが祝うとい うシチュエーションに置かれているという点でも共通している。『優雅な詩の女神たち』 はルソーがヴェネツィアに旅立つ以前から書きはじめられ、パリに帰ってきてから完成さ れたオペラであるが、このヘシオドスの幕はその時にはなく、これを聴いたリシュリュー 公によって書換えを命ぜられたルソーが急いで作曲した幕であり、おそらく『優雅な詩の 女神たち』全編のなかでもっともイタリア音楽の影響をとどめていると思われる幕である 。数年を経ても、類似したシチュエーションに付けられた曲が類似した曲であるというこ とを、ルソーの創意の貧弱さと見るか、イタリア音楽の影響力の強さと見るか簡単には断 定しがたいが、よほど強くこの曲想がルソーの頭のなかで鳴っていたことだけは確かであ る。
こうして出来上がった『村の占い師』は友人のデュクロや宮中演芸官のドゥ・キュリー の助けによってフォンテーヌブローにある国王の離宮で初演が行われた。10月18日の ことである。この時の歌手は、コラン役がジェリオット、コレット役がフェル嬢、占い師 役がキュヴィリエであった。この初演は国王をはじめとして、そこに参列していた上流階 級の人々を感動させ、国王にいたっては一日中調子のはずれた声でコレットの最初のエー ル"J'ai perdu tout mon bonheur" を歌うほどであった。その後国王の御前で何度も再演 されたほか、1753年3月1日にはオペラ座での初演によってパリ市民の前に初めて登 場した。
このパリ初演の際には、オペラ座のために幕中に≪ディヴェルティスマン≫が挿入され ている。≪ディヴェルティスマン≫というのは、ルソーの『音楽辞典』によれば「ひとま とまりの舞踏曲とシャンソンに与えられる名称で、オペラ・バレエであれ、オペラ・トラ ジェディであれ、それらの各幕中にそれらを挿入するのがパリでの規則である」(50)とあ るように、これをオペラの中に挿入するということが当時のオペラ座のしきたりで、その 偏執的な習慣はそれから一世紀以上の19世紀後半までも続いていた。そのためにあのワ グナーでさえ『タンホイザー』のパリ初演のときにはわざわざバレエを挿入せざるをえな かったほどである。しかしこの≪ディヴェルティスマン≫は、『音楽辞典』が「ディベル ティスマンは邪魔者で、作者はわざわざ面白くなった時に筋の進行をそれによって中断す るように作るので、俳優は座って、観衆は立ったままで、辛抱してこれを見たり聞いたり するのである」(註50)と説明しているように、オペラの速やかな進行やオペラに感情移入を している観衆の感情の流れを寸断する「邪魔者」でしかなかったのである。そこでルソー はこの慣習を逆手にとって、オペラの前半で演じられた羊飼いの男女と仲介者の占い師の 物語に似た物語をパントマイムによって演じさせた。このことによって≪ディヴェルティ スマン≫のあいだ「俳優は座って、観衆は立ったままで、辛抱してこれを見たり聞いたり する」必要がないばかりか、オペラの流れは寸断されず、全体として統一された主題が観 衆に提示されるという効果をもつことになったのである。これこそ横の線での主題の統一 の概念である≪デッサン≫の実践であると言えるだろう。
次にレシタティーフ(叙唱)の問題がある。ルソーの『告白』によれば、ルソーが『村 の占い師』で使ったレシタティーフはまったく革新的な方法で作られており、通常のレシ タティーフとかけ離れていたために、フォンテーヌブローでの上演に関係した人たちから 不安の声が上がり、フランクイユとジェリオットによって普通のレシタティーフに置き換 えられていた。ルソーはパリ初演では、それを自分のものにもう一度差し替えている(註51) 。ではルソーの作った「革新的」なレシタティーフとはどんなものだったのだろうか。そ れはクラヴサンによって幾つかの和音をスタッカートで鳴らす、ルソーが言うところのイ タリア式の伴奏にのったレシタティーフである。ここで、ルソーが『フランス音楽に関す る手紙』のなかでフランス語のオペラに相応しいレシタティーフについて述べていたこと を思い起こそう。ルソーはオペラでレシタティーフが必要となる理由として、第一に筋の 運びを作ること、第二にエールとエールのあいだの耳休め、第三にエールでは表現できな いことを表現する、を挙げている(註52)。したがって、「最良のレシタティーフは、(・・ ・)それに相応しい和声を保ちながら、耳ないしは頭が勘違いしてしまうほどに、話し言 葉に近い」(註52)ものであると一般化し、さらに「アクセントがこんなにも一様で、単純で 、控えめで、しかもこんなにも歌わない」(註52)フランス語に適する最良のレシタティーフ を次のように提案した。
「フランス語に適する最良のレシタティーフは、ほとんどすべての点で実際に使わ れているものとは反対のものでなければならないのはまったく明白です。つまり、 それは極めて小さな音程のあいだをころがり、声を大いに上下させたりはせず、保 持音はわずかで、きらびやかさもまったくなければ、いわんや叫び声もありません が、とりわけ歌に似たものは何もなく、音符の度合いと同じく長さや音価にも不揃 いはないのです。」(註53)
『村の占い師』のレシタティーフは、たしかに叫び声はないし、きらびやかさはないけ れども、やはりルソーが目標としたペルゴレージの『奥様女中』のレシタティーフにくら べると、やはりまだ話し言葉に限りなく近いとは言いがたいようである。しかし特徴的な ことは、ルソーが『音楽辞典』その他のところで指摘しているイタリア式の伴奏のしかた 、つまり「低音部の音符を単純にスタッカートで弾き、トリルも装飾音もいらない、低音 部にふさわしい単純で規則正しい進行を残してやらねばならない。したがって伴奏は、V の場合や持続、フェルマータの場合以外は完全で冷たく、アルペジオはない」(註54)と述べ た伴奏の仕方を忠実に守っている点である。
レシタティーフに関して最後に指摘しておかなければならないことは、ルソーが『音楽 辞典』のなかで『村の占い師』について触れている項目があることである。
「《オブリガート付レシタティーフ》 これはリ トルネッロや合奏の運び具合と混ぜ合わさって、言わば独唱者とオーケストラがお 互いに拘束しあい、その結果彼らが注意深くなり、お互いに待ち合わねばならなく なるようなレシタチーフである。レシタチーフとオーケストラの輝かしさをまとっ た旋律との交互の絡みは近代音楽において最も感動的で、魅力的で、力強いもので ある。俳優は全てを言うことが許されていない情念によって興奮し忘我の状態にな り、中断し、立ち止まり、故意の言落としをするが、そのあいだオーケストラは彼 のために歌う。そしてこうして満たされた沈黙は、俳優が音楽に言わせていること を自分で全て言う場合よりも無限に聞き手を感動させるのである。これまでフラン ス音楽はオブリガート付レシタチーフをまったく利用することを知らなかった。『 村の占師』のある場面でそのイメージを与える努力がなされたことはある。そして 大衆はこのように扱われると、生き生きとした状況はもっと面白くなるということ が分かったと思われる。もし田舎風のひょうきんなジャンルでこれを利用すること ができなかったら、偉大で悲壮な場面でオブリガート付レシタチーフが一体何の役 に立とうか。」(註55)
ルソーがここで挙げている場面とは、おそらく第六場のことで、愛するコランが近頃自 分に冷たくなったので相談にきたコレットと、同じようにコレットが自分から離れていく のではないかと心配して相談に来たコランとに占い師は別々に忠告を与え、二人が仲直り をする機会を作ってやる。占い師はコレットには、コランに冷たくするようにという戦術 を、コランには、コレットに真心を示すようにという忠告を与えたところである。二人は 占い師の与えた忠告が果してうまく行くだろうかという期待と、失敗したら永久に恋人を 失ってしまうという不安とを抱いて再会する。第六場の始まりはそういうシチュエーショ ンであり、そこにレシタティーフと交互にオーケストラ伴奏が挟まれるオブリガート付レ シタティーフが置かれているのである。二人のはやる気持ちと不安を表すこの音楽は見事 というほかないだろう。
次に二重唱の問題に移ろう。ルソーは『フランス音楽に関する手紙』のなかで、二重唱 というのは≪旋律の統一性≫の原理を逸脱せずに扱うことがもっとも難しい部門であると 指摘した上で、二重唱を作曲する際の諸注意を与えている。
「音楽家に関わりがあるのは、主題にふさわしく、また以下のように割りふられた 歌を作ることです。すなわち、対話者のそれぞれが交互に語って、対話の続き全体 が一つの旋律だけを形作り、この旋律は主題を変えないか、あるいは少なくともテ ンポを変化させないで、たえず一つの旋律のままで、またがったりせずに、声部の 間を移動するのです。二つの声部が一緒に進むことは、滅多にあってはならないし 、あまり長く続くべきではありませんが、祖の場合には、三度ないし六度による進 行がしやすい歌を作る必要があり、この歌では、第二声部は、耳を第一声部からそ らさせることなしに、自分のほうへ注意を引くのです。」(註56)
『村の占い師』のなかで二重唱が歌われるのは、第六場である。再会したコランとコレ ットが占い師の与えた戦術と助言にしたがって、それぞれ心情を吐露したり、それを突っ ぱねたりしたあとで、二人の心が透明につながっていた頃を懐かしむようにコレットが"Tant qu'a mon Colin j'ai su plaire" と歌いだし、それをコランが歌いつぎ、次いで二 人が声を合わせて歌う二重唱。そしてついにコレットがコランの望みを聞き入れ、コラン がコレットの許しを得たところで、二人が永遠の愛を誓って歌う" A jamais Colin t'eng age"で始まる二重唱。この二曲である。まず後者の二重唱を検討してみる。二人が同じ歌 詞を同時に歌う部分では『フランス音楽に関する手紙』で指示されていたように三度音程 で進行するように書かれている。二人が交互に歌い交わす箇所では、一方が歌っているあ いだ、他方は二小節から三小節音を引き延ばしおり、しかもその音はたいてい属音または 上中音に置かれることによって、相手が歌いやすくなるように作られているだけでなく、 声部の入れ替わりの音を同音にすることによって交替が容易になるような配慮もされてい る。したがって三度音程を中心にこの二重唱ではルソー自信が≪旋律の統一性 ≫のためにあげた規則が遵守され、永遠の愛を誓う二人の心がぴったりと寄り添っている 状態をうまく音楽によって描出しえていると言えるのである。それはこの二重唱で使われ ている協和的三度が醸しだす情緒である。
「協和的三度は和声の魂であり、とりわけ長三度は響きがよく、輝かしいのでそう である。短三度はもっと優しく物悲しい。それは、音程が倍になるとき、つまり十 度になると甘美さを増す。一般的に三度は上声部で用いられるのを好む。下声部で はくぐもり、調和がよくない。そういう訳で決してバスの二重唱はよい効果をもた らさないのである。
われわれの古い音楽家たちは三度に関して五度に関してと同じくらい厳しい規則 を持っていた。三度を続けて二つ使うことは、たとえ異なった種類であれ,特に類 似したテンポでは禁じられていた。今日では和音の特殊な規則が旋法の優れた規則 によって一般化されており、転調がもたらしうるだけの三度が、テンポの類似、別 の区別なく、連続・不連続の度によって間違いなく、作られる。そして始めから終 わりまで三度によってのみ処理される非常に心地好い二重唱もある。」((註57)
これに対して二人の心が透明に結ばれていた頃を懐かしむようにして歌われる二重唱" Tant qu'a mon Colin j'ai su plaire" の方は、短調で歌われ、上に指摘されたように、 同じ三度でも短三度を使用することによって、「もっと優しく物悲しい」二人の心情を表 現する効果を与えている。このようなところにも、『村の占い師』は≪旋律の 統一性≫の原理にもとづいて書かれたルソーに言わせるだけの音楽作りの特徴を見ること ができるのである。

《註》
使用したテキストは、ルソーの音楽関係の著作については、J.-J. ROUSSEAU ; Ecrits sur la musique, in Oeuvres de J.-J. ROUSSEAU, t.VIII, Chez Lefevre, Paris, 1819.(以下EMと略記)である。ただし、『音楽辞典』は、J.-J. ROUSSEAU ; Dictionnaire de musique, Chez Duchesne, Paris, 1768, Reprint, Olms, Hildesheim, 1969.(以下DMと略記)、『言語起源論』は、J.-J. ROUSSEAU ; Essai sur l'origine des langues ou il est parle de la melodie et de l'imitation musicale, Edition, introduction et notes par Charles Porset, Nizet, 1986.(以下OLと略記)を使用した。また音楽関係以外では、J.-J. ROUSSEAU ; Oeuvres Completes, ≪Bibliotheque de la Pleiade≫, t.I〜IV, Gallimard.(以下OCI〜IVと略記)を使用した。書簡については、Correspondance complete de J.-J. Rousseau, Edition critique, etablie et annotee par R. A. Leigh, Oxford. を使用した。
(註1) 『告白』OCI.p.181.
(註2) Samuel BAUD-BOVY;"Jean-Jacques Rousseau et la musique francaise", Textes recueillis et presentes par Jean-Jacques Eigeldinger, A La Baconniere, Paris, 1988.
(註3) 海老沢敏『音楽の思想−西洋音楽思想の流れ』、音楽之友社、1972年所収
(註4) ルソー『音楽に関するバーニーへの手紙』EM.p.364.
(註5) 拙論『ルソーと隠された≪手≫その六−まとめとして−』「大阪千代田短期 大学紀要」第二十号、1990年を参照されたい。
(註6) 『ルソー書簡全集』第二巻手紙146[1749年1月27日]p.112−11 3.
(註7) OCI.p.1409.
(註8) 『告白』OCI.p.352.
(註10) DM.p.539.
(註11) 筆者の使用した Lefevre版には第二版の「緒言」しか載っておらず、初版の「緒言」については白水社版『ルソー全集』第十二巻を参考にした。
「この手紙は、ほとんどの行が一年以上前に書かれ・・・」(p.357)
(註12) 例えば分かりやすい例では、1752年12月19日初演のオペラ・ブッファ『高慢 ちきな女』の四重唱を挙げている箇所(EM.p.277)や1753年2月21日刊 行の『ベーミッシュ=ブロダの小予言者に、大予言者モネに』を挙げている箇所(p. 296)がある。
(註13) 『フランス音楽に関する手紙』の結論はこうであった。

「私はフランス音楽には拍子もなければ旋律もないことを証明してみせたと思いま す。というのは、言語がそうしたものを受け入れないからです。また、フランス語の 歌が、先入観を持たないどんな耳にも耐えがたい、絶えず吠えまくる犬の鳴き声にす ぎないこと、その和声は粗雑で、表現力を欠き、生徒による和声の埋め合わせを思わ せるだけであり、フランス語のエールは、いささかもエールではなく、フランス語の レシタティーフは決してレシタティーフの性格を持っていないことも証明したと思い ます。こうしたことから結論するのですが、フランス人にはまったく音楽が欠けてお り、またそれを持ちえませんし、あるいはもっているとしたら、それは彼らにとって お気の毒ということになるでしょう。」( EM.p.306)
(註14) 『音楽辞典』のこの三項目を資料として掲載しておく。
(註15) 『ルソー ジャン=ジャックを裁く』「第一対話」OCI.p.682.
(註16) ダランベール『百科全書序論』
(註17) 『フランス音楽に関する手紙』EM.p.248.
(註18) Ibid.,p.249.
(註19) Ibid.,p.249.
(註20) Ibid.,p.250.
(註21)Ibid.,p.251.
(註22)Ibid.,p.253.
(註23)Ibid.,p.255.
(註24)Ibid.,p.257.
(註25)Ibid.,p.266−267.
(註26)Ibid.,p.269−230.
(註27)Ibid.,p.271.
(註28)「イタリア人は時には伴奏部の代わりに旋律部をそのまま演奏する。彼らの音楽ジャ ンルではかなり効果がある。しかし彼らが何といおうと、この伴奏の仕方にはセンス のよさよりも無知のほうが多くある。」(『百科全書』第一巻≪伴奏≫p.77)
(註29)『フランス音楽に関する手紙』EM.p.273.
(註30)上声部の旋律が優位を占め、他の声部はこれを和弦として支えるために、その旋律的 な独立性が従属的に扱われるような音楽書法をここでは意味するが、ルソーは『音楽 辞典』によればこの用語にまったく異なった理解をしているので、注意を要する。
「≪ホモフォニー≫ ギリシャ音楽において、この種の合奏は、 オクターブで演奏されるAntiphonieアンチフォニーに対してユニゾンで演奏されてい た。この語はομοζ( 似たような) とψωη( 音) からできている。」DM.p.245-246.
(註31)『フランス音楽に関する手紙』EM.p.274−5.
(註32) DM.p.524 .
(註33) Ibid.,p.394.
(註34)『百科全書』第三巻p.362.
(註35) DM.p.96.
(註36)『フランス音楽に関する手紙』EM.p.269.
(註37)『音楽史』マルク・パンシェルル、皆川達夫監修・訳、p.59,PARCO出版局、1975年
(註38)音楽と愛の最初の導き手であったヴァランス夫人とよく二重唱を歌った楽しい思い出 がこの偏愛に反映していると見ることは、充分可能であるように思われる。(OCI.p.181 を見よ)
(註39)『フランス音楽に関する手紙』EM.p.278.
(註40) Ibid.,p.280.
(註41) Ibid.,p.282.
(註42) Ibid.,p.283-284.
(註43)≪旋律の統一性≫ DM. p.537.
.
(註44)≪旋律≫ DM.p.274-275.
(註45)旋律と和声という、一見して対立しているものを統一する、このような手法について は、ルソーの全思想に通低する手法だとして、すでに論じたことがある。前掲書『ルソ ーと隠された≪手≫ その六−まとめとして−』を参照のこと。
(註46)≪デッサン≫ DM.p.142-143.
(註47)ルソー『音楽に関するバーニーへの手紙』EM.p.364.
(註48)≪旋律の統一性≫ DM.p.537.
(註49) OCI.p.374-375.
.
(註50)≪ディヴェルティスマン≫ DM.p.166-167.
.
(註51)『告白』 OCI.p.376.
「私がもっとも気を配り、しかも普通のやり方からもっとも離れている部分は、レシ タティーフだった。私のレシタティーフにはまったく新しい抑揚がつき、台詞の調子と ともに進んでいくのだった。こんな恐ろしい革新がそのままになることはなく、人々は それが従順な耳に逆らうのではないかと心配した。私はフランクイユとジェリオットが 、別のレシタティーフを作るのに賛成したが、しかし自分は関わり合いたくなかった。 」
(註52)『フランス音楽に関する手紙』EM.p.292-293.
(註53) Ibid.,p.294.
(註54)≪伴奏≫ DM.p.13.
(註55) DM.p.404-405.
(註56)『フランス音楽に関する手紙』 EM.p.278.
(註57)≪三度≫ DM.p.514.


≪資料≫
≪デュオ・二重唱( 奏 )≫
この名称は一般的にあらゆる二 声部の音楽に与えられるが、今日では数には入れられない伴奏を除いて、叙唱的、声 楽のまたは器楽の二つの声部に意味が限定されている。したがって、通奏低音やシン フォニーのためにいくつかの声部があるにも関わらず、二声の音楽をデュオと呼んで いる。一言で言って、デュオを構成するためには主たる二つの声部があり、その間で 歌がおなじように分配されていなければならないのである。
デュオの規則は、また一般的な二声部の音楽の規則は和声にたいしてもっとも厳格 である。もっと多数の声部でなら許されるが、そこでは禁じられているパッセージや 動きがいくつかある。というのは第三音や第四音のおかげで人の気に入るパッセージ や和音もそれがなければ耳ざわりになるであろう。その上、どの和音にも二つの音し か使いようがないので、下手な選択は許されないであろう。これらの規則は以前はも っと厳しかったが、誰でもこれを作曲するようになってきたここ数年ではこういった ことはすべての点で緩められてきた。
テュオは二つの面で検討することができる。つまり、単に二声部の歌として。たと えば、いかなる音楽家のペンから出てきたものより最も完璧で最も感動的なデュオで あるペルゴレージの『スターバット・マーテル』の第一節のようなもの。または模倣 的演劇的音楽の一部として。オペラの場面のデュオのようなもの。どちらの場合でも 、デュオはあらゆる種類の音楽のなかで、最高度の様式感と選択感を要求するもので 、旋律の統一性から逸れずに扱うのがもっとも難しいものである。ここで演劇におけ るデュオについていくつかの考察をすることは許されるだろう。というのもこのデュ オの特殊な困難さはあらゆるデュオに共通な困難さに結び付いているからである。 『オンファールに関する手紙』の著者が、デュオは模倣的音楽において自然から外 れていると指摘したが、それは当を得たことであった。というのは二人の登場人物が 一定時間同時に喋り合う、たとえ同じことを言うためであれ、言い合いをするためで あれ、相手の言うことに耳を貸すことも、返事をすることもなく、そうするのを見る こと以上に不自然なことはないからである。このような仮定がある場合に認められる としても、それは少なくとも悲劇においでではないだろう。というのはそこでは、こ のような不作法は喋っている人物の尊厳にも、彼らに仮定されている教育にも相応し くないからである。したがって二人の主な対話者にお互い話を中断させたり、同時に 二人とも喋らせたりすることが可能なのは烈しい情念の興奮状態でしかない。そして このような場合に、これらの同時に発せられる言葉がどちらの側からも一連のものを 作るように長引かせられるのは非常に滑稽である。
こうした馬鹿らしさを救う第一の方法は、デュオを激烈で感動的な場面、対話者の 興奮が彼らを、聴衆にも自分自身にも、冷静な場面では幻想を強め、情念の熱気のな かではそれを破壊してしまう演劇的な礼儀を忘れさせることが可能な一種の精神錯乱 に彼らを投げ込むような場面にしか置かないことである。第二の方法は出来るだけデ ュオを対話として扱うことである。この対話は叙唱のそれのように大きな枠でフレー ジングしたり、分割したりすべきではなく、いきいきとして短い質問、返事、感嘆に よって構成され、それらが旋律にある声部から別の声部へ、たえず耳が捕らえること のできる連鎖を形成しつつ、交互に迅速に移行することを可能にする。第三の注意点 は全ての烈しい情念を無分別に主題とすべきではなく、歌を抑揚のあるものにし、和 声を快適なものにするためにデュオに相応しい柔らかくてすこしは対比の明らかな旋 律の可能な情念のみを採用することである。怒りや忘我はあまりに速く進行する。な にも区別がつかず、混乱した叫びだけが聞こえる。そしてデュオは何の効果も生まな い。その上、中傷、ののしりあいの尽きることのない繰り返しは英雄によりも牛飼に 相応しいものだろうし、それは痛い目よりは怖いものを受けたがっている人の空威張 りに似ている。魅力とかきずなとか炎といった甘ったるい言葉、情熱の知らない、そ してよい音楽もよい詩と同様に必要としない平板で冷たい特殊語を使うことを必要と はしていないのである。別れの時、二人の恋人たちの一方が死にかけているとか、相 手の腕に入る瞬間、忘恩息子の真の帰還、相手のために死にたがっている母親や息子 の感動的な戦い。心からの涙を流さずにはおれないこうした感動的な場面。ここにこ そ、心の言葉に相応しい台詞の単純さをもってデュオで取り扱うべき真の主題がある 。叙情的演劇にしばしば通った人々は誰でも、addio (さよなら)の一言がいかに全 聴衆のなかに同情や感動を引き起こすかを知っている。しかし皮肉や気取った言い回 しが気付かれるやいなや、すぐに魅力は消え失せ、うんざりするか笑うかしなければ ならなくなる。
ここに詩人に関する考察がいくつかある。音楽家に関しては、主題に相応しい歌を 見つけ出し、対話者のそれぞれが順番に喋りながら、対話の連鎖が全体としては一つ の旋律しか形成せず、しかもその旋律が主題を変えず、少なくともテンポを変えるこ となく、その進行において一方から他方へ絶えず一つのままで、寸断しあうことなく 進むように配分された歌を作るのは音楽家の仕事である。最も大きな効果を上げるデ ュオは和声が接近しているので、同じ声のそれである。同じ声の間では最も効果があ るのは上声部である。それはより高いそれらの音域がより明確になるからだし、その 音はより感動的であるからだ。したがってこの種のデュオはイタリア人によって悲劇 で使われた唯一のものである。男の役にカストラートを使うことが部分的にはこの考 察に負っていることを私は疑わない。しかし声の間に平等があり、旋律には統一があ るべきであるにも関わらず、これは二つの声部が歌い回しにおいても似ていなければ ならなということを意味しはしない。というのは、それらに相応しいスタイルの多様 さを別にしても、二人の俳優の状況が完璧に同じなので、彼らが同じ方法で感情を表 明しなければならないということは非常に稀なのである。したがって、音楽家は彼ら の抑揚に変化をつけ、それぞれに、とりわけ交代の叙唱においてはその魂の状態を最 もよく描きだす特徴を与えなければならない。
二つの声部を同時に歌わせるときには(そういう事は稀になされるべきだし、あま り続かないようにすべきだが)第二の声部が第一の声部を台無しにすることなくその 効果を上げるように、三度または六度による進行の可能な歌を作らねばならない。( ≪旋律の統一性≫を見よ)不協和音の堅さ、突き刺すような強い音、オーケストラの フォルティッシモは無秩序と忘我の瞬間のために残しておかねばならない。その瞬間 には俳優は、自分をも忘れたようになり、感じやすい聴衆の魂に彼らの錯乱を持ち込 み、聴衆に控え目に配置された和声の力を感じさせるのである。しかしこの瞬間は稀 で、短く、技巧を凝らして導かれなければならない。耳も心もこれらの烈しい動揺に たいして準備ができているためには、どちらもが甘美で感動的な音楽によって、すで に感動にたいする覚悟ができていなければならないし、我々の弱さに相応しい迅速さ でもってそうした烈しい動揺は過ぎ去らなければならない。というのは動揺が強すぎ ると、それは続かないし、自然を超えるものは全てもはや人の心を動かすことはない からである。
この項目において私は自分の考えを十分理解してもらったなどと自惚れているつも りはないので、例を付け加え、それに基づいて読者が私の考えを比較し、もっと容易 にそれらを理解することができるようにすべきだと考えている。その例は メタスタジオの『オリンピアド』から引用されている。興味のある読者な ら、ペルゴレージによる同じオペラの音楽のなかに、いかに彼の時代の、そしてわれ われの時代の第一のこの音楽家が次のような主題のデュオを扱ったかを調べるといい だろう。
メガクレスは友人のために、勝者の賞品が美しいアリステ嬢であ るという試合にでて戦うことを約束したのだが、このアリステ嬢に彼が熱愛している 女性を見出す。彼が耐えようとするこの試合、彼女は彼の自分にたいする愛が彼を向 かわしめたと思っているこの試合に魅せられた、アリステ嬢は最も優しい言葉を彼に 言う。それにたいして彼はやはり優しく答えるが、彼の言葉を撤回することも、自分 の幸福を犠牲にして、自分の命の恩人である友人の幸福をつくることから免れること もできないという絶望が伴っているのである。アリステは彼の目に読み取った苦悩、 そして彼の曖昧で途切れがちな話に確信を得た苦悩に心を動かされて、彼女の不安を 教える。メガクレスはもはや絶望感にも彼の愛人の混乱にも耐えることができず、説 明もせずに立ち去ってしまい、彼女を最も烈しい恐怖のなかに閉じ込めてしまう。こ のような状況において彼らは次のデュオを歌うのである。
メガクレス
わが命よ...さようなら
お前の幸福な日々には
私のことを思い出しておくれ。
アリステ
なぜ私にそのようなことを仰るのです、
私の魂よ、なぜです。
メガクレス
お黙り、わが美しき偶像よ。
アリステ
仰って、私のいとしいお方。
一緒に
(メガクレス)ああ、だれが喋れようか、 おお、神よ
(アリステ) ああ、だれが黙っておれようか、
お前に(あなたに)私の心は強く動かされる。
アリステ
敬愛するお方が衰弱していくのが見える、
あの方の衰弱がよく分かる。
メガクレス
嫉妬で、私は死にそうだ、
そしてそれを口にすることもできない!
一緒に
いったいだれが、あえて
こんな恐ろしい不安、
こんな激しい苦悩を試してみるだろうか。

この対話の全体が一連の場面でしかないように見えるにも関わらず、一つのデュオ のなかにそれを集めているものは、デッサンの統一性であり、それによって音楽家は 詩人の意図にしたがって、全ての部分を統一するのである。
幕間劇や他のオペラ・コミックにおいて使われる道化的デュオに関しては、それら は通常同じ声部ではなく、低音と高音である。それらは悲劇的デュオの悲壮さは持た ないが、反対にもっと多様な抑揚や、特徴的な性格の、もっと刺激的な変化が可能で ある。コケットリーの優しさ、年配の役の重責、われわれの性の滑稽さと女性の愚か さの対比、最後に主題が受け入れることのできる装飾的観念。これらは全てデュオの なかに魅力と興味を入れるのに協力する。そしてデュオの規則は対話と旋律の統一性 に関しては前のものと同じである。どちらの声部も私の好みにあった完璧なデュオ・ コミックを見出すためには、私は他の二つの例を示してくれた不滅の作者を見捨てる ことはないだろう。そして私は『奥様女中』の第一のデュオ、「lo conosco a quegl 'occhiettiあの目配せで彼のことを理解した」を引用する。私はこれを快適な歌、旋 律の統一性、単純で輝かしく純粋な和声、抑揚、対話、様式感のモデルとして引用す る。そしてそれがうまく上演されるとき、それを聞き、それが持つ価値を評価するこ とのできる聴衆以外にはなにも欠けたものがないのである。」

≪フーガ≫
和声や転調のある種の規則に従って、主題と 呼ばれる歌を、連続してまたは交互に進行させることによって、取り扱う曲または曲 の一部分。
以下にフーガの主要な諸規則を挙げるが、そのあるものはフーガに固有なもので、 他のものは模倣と共通するものである。 I.主題は、主音から属音へ、属音から主音へ、上行また下行によって生じる。
II.どんなフーガでも、それが始まった部分にすぐ続く部分においてその応答があ る。
III.この応答は、できる限り正確に、また似たテンポで、主題をその四度または五 度で提示すべきである。属音から主音への処理を行う場合、主題は主音から属音へ示 されていたのだから、逆向きになる。ある部分が同じ主題を先行の部分のオクターブ またはユニゾンで繰り返すこともできる。しかしその場合は本当の応答と言うよりは 繰り返しである。
IV.オクターブは不均等な二つの部分、すなわち一方は主音から属音へと上行する ことによる四度を含み、他方は属音から主音へ上行し続けることによって三度を含む という二つの部分に分割されるので、このことから主題の表現においてこの違いを考 慮に入れることや、その旋法に本質的な諸音を離れないためには応答においていくら かの変更をすることなどが必要になってくる。調を変えようとする場合にはまた別で ある。その場合、別の音上でつくられた応答の正確さそのものがこの変化に相応しい 変化音を作り出すのである。
V.応答が最初の歌の終わる前に入ってきて、部分的にはどちらもが同時に聞こえ るように、またこのこの先取りによって主題が言わば自分自身に関係するように、ま た作曲家の技巧がこの協力のなかに示されるように、フーガというものは着想されて いなければならない。ある部分から別の部分に引き回し、次いで自分の好きなように それについて回る以外の配慮しかないような歌をフーガとして提示するのは人を馬鹿 にすることである。それはせいぜい模倣の名に値するだけだ。(IMITATION を見よ)
これらの主要な規則以外に、このジャンルの作曲において成功するためには、様式 の問題でしかないが、かえって本質的な他の規則もある。フーガは一般的に音楽を快 適というより騒音のようにする。それは他のどの分野より合唱に相応しい。ところで 、その主たる長所はいつも耳を主要な歌、主題に固定することであるので、そのため に主題は絶えずある声部から別の声部へ、調から調へ移されるけれども、作曲家はこ の歌をいつも非常にはっきりしたものにするか、他の声部と混同されたり、おえつけ られたりしないようにする配慮をしなければならない。そのためには二つの方法があ る。一つは、絶えず対比をつけるべきテンポにおいて。その結果、フーガの動きが速 い場合には、他の声部は落ち着いて長い音符によって処理される。また反対に、フー ガがどっしりと動く場合、伴奏はもっとよく動く。二つ目の方法は、他の声部が主題 を歌っている声部と近すぎるために主題と混同されたり、主題がはっきり聞こえるこ との妨げとなったりすることの心配から、和声を遠ざけることである。その結果、他 のところではどこでも欠点となるものがここでは美になるのである。
旋律の統一性。これが、様々な方法によって実践しなければならないよく知られた 大規則である。ある音が、別の音ではなく、主要な効果を発揮するためには和音、音 程が選択されなければならない。それが旋律の統一性である。
時には、支配的な声部がより簡単に区別されるように、違った種類の楽器、声を使 わねばならない。これが旋律の統一性である。それに劣らず必要な別の注意とは、フ ーガの動きや進行が導く転調の様々な連鎖において、全ての転調が同時に他の声部と 呼応しているようにすること、ある声部はある調にあり、他の声部は別の調にあるた めに、和声全体がいかなる調にもなく、もはや耳には単純な効果を、精神には単純な 想念を提示しなくなるということにならないように、調の正確な固定によって全体を その進行のなかで関わらせることである。これが旋律の統一性である。一言で言って 、どんなフーガにも旋律と音の動きの混乱はより恐れるべきことであると同時に避け るのが難しことでもある。このジャンルの音楽が与える喜びは常に馬鹿げたものであ るので、美しいフーガは優れた和声主義者の恩知らずの傑作であると言える。
まだ他の種類のフーガがある。例えば、カノンと呼ばれる永遠フーガ、二重フーガ 、反行フーガ、反転フーガなどで、それぞれの項で見ることができる。これらは聞き 手の耳を楽しませるよりは作曲家の技巧をひけらかすことに役に立つのである。
フーガはラテン語のFuga逃げることから来ている。というのは、声部がこうして次 々に出発していくので、次々と逃げては追いかけるのに似ているからだ。」

≪トリオ、三重唱(奏)≫
イタリア語のテルツェット。主要 なまたは独奏の三声部の音楽。この種の作曲は最も素晴らしいものと見なされ、全て のなかで最も規則に適っていなければならない。対位法の一般的な諸規則以外に、ト リオのためのより厳格な規則があり、それを完璧に遵守することによって全ての和声 のなかで最も快適なものを引き出すことにつながっている。これらの諸規則は、全て 次の原理,つまり完全和音は三つの異なった音によって構成されるので、どの和音に おいても、和声を満たすためには、出来る限りトリオの三声部にこれら三音を配分し なければならないという原理から生じる。不協和音に関しては、それらは決して二重 化されるべきではないし、それらの和音は三音以上によって構成されるので、それら を様々に変化させ、不協和音は別として、それの伴奏にとりわけ好ましい音をうまく 選択することが、より必要である。
そこから、三度または六度を聞かれることなしにはいかなる和音も通らない、その 結果同時に五度とオクターブ、または四度と五度を鳴らすのを避ける、オクターブは 充分な注意をもって使う、たとえ異なった声部の間のことでもオクターブを二つ続け て鳴らさない、出来るだけ四度は避ける、といった、様々な規則が生じる。というの は、トリオの全ての声部は、二つづつ取り出すと、完全なデュオを形成すべきだから である。ここから、一言で言って、その原理は知っていても、知らずに実践されてい る細々とした詳細な規則が出てくるのである。
これらの規則は旋律の統一性と両立しえないし、規則に適い、調和のとれたトリオ が演奏において限定され、明確な旋律線をもつとは誰も考えないので、その結果トリ オは音楽ジャンルとしては悪いということになる。そこで、かくも厳格な規則はずい ぶん前からイタリアでは廃止されており、そこではたとえそれが調和がとれていよう とも、そして作曲するのにどれほどの苦労が必要であろうとも、歌わない音楽はよい ものとは見なされない国なのである。
ここで私がデュオの項で述べたことが思い出されるべきである。デュオとトリオと いう項目は主要などうしても必要な声部とのみ理解され、伴奏も埋め合わせも含まれ ない。その結果四声または五声の音楽はトリオにほかならないのである。
声部を増やすのが大好きなフランス人は、彼らが旋律よりも容易に和音を見出すこ とを考えると、通常のトリオの難しさには満足せず、彼らが二重トリオと呼ぶものを 考え出したのである。そこでの声部は全て二重化され、どうしても必要なものである 。彼らは和声の傑作として知られているデュッシェ氏の二重トリオを持っている。
[初出掲載誌 大阪千代田短期大学紀要第22号(1993年12月)]

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