ルソーの音楽論(3)

−『百科全書』と『音楽辞典』の比較研究−


1.はじめに
ディドロから『百科全書』の音楽関係の項目を依頼されたルソーがそれを執筆したのは 、1749年1月から3月という短期間であった。そしてこの内容を不満に感じて、この 項目を書き直しはじめたのが1755年(註1)、このようにして書き直した項目に、新たな項 目を追加して、『音楽辞典』という形として完成したのが1764年のことであった。『 百科全書』の音楽関係の項目の執筆と『音楽辞典』の完成をへだてる、50年代の10年と いう年月が、ルソーにとっていかに重要であるかは論を待たない。1750年のディジョ ン・アカデミー懸賞入選と『学問芸術論』の出版によって一躍文壇の寵児になって以降、 『人間不平等起源論』(1755年)、『新エロイーズ』(1761年)、『エミール』 (1762年)、『社会契約論』(1762年)といったルソーの主な著作は、すべてこ の時期に構想され、執筆されている。さらに、音楽関係でも、『村の占い師』(1752 年)を作曲して大評判をとり、『フランス音楽に関する手紙』(1753年)でフランス 国民の恨みをかった。また生前には出版されなかったけれども、『言語起源論』やラモー との論争関係の著作などの執筆もこの時期である。したがって、『百科全書』と『音楽辞 典』という二つの著作を比較研究することは、たんに『音楽辞典』の生成過程を明らかに するというようなことよりももっと重要な意義をもつ。すなわち、ルソーの音楽思想の究 明を通して、ルソーの全思想に通底する概念の形成を把握する上での大きな手掛かりを得 るということを意味する。
したがって、この論文の目的は、『百科全書』から『音楽辞典』へのルソーの音楽思想 の発展をあとづけることである。そのために、(a)≪旋律の統一性≫、(b)音楽模倣論、(c)ギ リシャ音楽に対する評価、(d)ラモーとの論争という四つの事項を軸に、検討する。ただし 、(d)ラモーとの論争については、別稿を用意しており、ここでは取り上げない。

2.ルソーと『百科全書』
様々な紆余曲折を経て、ディドロとダランベールが『百科全書』の共同編集者になった のは、1747年10月16日であった。この組合せの利点は、ダランベールの方につい ていえば、アカデミストやヴォルテールといった当代の名士をもっていたので、彼らの精 神的支援や執筆という形での協力および予約講読による金銭的な支援を得ることができた こと、ディドロの方からみると、細々とした項目や図版の執筆を無報酬で引き受けてくれ る無名の若手や職人の協力を得ることができたということにある。音楽関係に限って言え ば、二人はどのような人間関係をもっていたのだろうか?
まず、ディドロと交際のあった人物では、やはりルソーである。ルソーがディドロと知 り合ったのは、1742年科学アカデミーで『新記号案』を朗読した時期のことである(註2) 。1743年には『近代音楽論究』を出版し、1745年には『優雅な詩の女神たち』を 作曲し、1745年には『ナヴールの王女』の改作である『ラミールの饗宴』の作詩・作 曲をしている。したがって、ディドロにとってルソーは、新進の音楽家だったのである。 しかも音楽理論の著書も出せば、オペラの作曲もするという、いわば実践と理論の統一を 体現した人物であった。ディドロがルソーを『百科全書』の仲間に入れたがったとしても 不思議なことではない。だが、当時のルソーはまったくの無名であった。
他方ダランベールの側ではどうであっただろうか? まず挙げられるのは、ラモーであ る。ダランベールがラモーと知り合いになったのは、1745−1748年のあいだのこ とであったらしい(註3)。ラモーと言えば、『優雅なインドの国々』(1735年)をはじめ とするオペラやクラヴサンの作曲家にしてオルガニストであり、同時に近代和声学を確立 したとされる『自然の諸原理に還元された和声論』(1722年)をはじめとして、『理 論的音楽の新体系』(1726年)、『和声の生成』(1737年)などの著書をもつ音 楽理論家でもあった。ルソーも音楽実践と理論を統一していたとはいえ、ラモーのほうは 音楽実践においても理論においても当時圧倒的な名声を誇る第一級の人物であった。ラモ ーの理論的著作に傾倒していたダランベールは、科学アカデミーでラモーの理論的発見を 朗読するようすすめた。その結果ラモーは1749年にそれを行い、その時の論文が17 50年に『和声原理の証明』として出版された。また1752年にはラモーの理論を分か りやすくコンパクトにまとめた『音楽提要』を出版している。
他方、ディドロがラモー といつ知り合いになったかは不明だが、ラモーが『和声原理の証明』を執筆するときにデ ィドロが手伝ったらしいので(註4)、おそらくダランベールを通じてのことだろう。以上のこ とから考えると、ダランベールが、1747年に『百科全書』の編集を引き受けたときに 、音楽項目の執筆を依頼しようとしてまず候補に挙げたのは、ラモーだったのではないだ ろうか? この仮説を支えるもう一つの根拠は、『百科全書』で音楽関係の項目を執筆し ているのが、ルソーとダランベールの他にカユザックだという事実である。ルイ・ド・カ ユザックは1745年からラモーのオペラの台本作家であったし、ラモーのお気に入りで 、カユザックが1759年に発狂するまで、コンビをくんでいた。彼が≪BALLET バレエ ≫、≪DIVERTISSEMENT ディヴェルティスマン≫、≪ENTREE アントレ≫、≪EXPRESSION 表現≫、≪INTERMEDE 幕間劇≫、≪FETE フェート≫、≪OPERA オペラ≫(ただしこの 項目は、カユザックが書く前に発狂してしまったので、代わりにジョクールが書いている )を担当したのも、ラモーの紹介があったからだと考えるのが妥当だろう(註5)
ダランベールがルソーといつ知り合ったかという点については、確定的なことは不明で ある。ルソー自身は『告白』に「そこではディドロと私が交代で書くはずの『嘲笑屋』と いう題の雑誌の計画を立てた。私はその最初の草稿を書き、ディドロがその話をしたとこ ろからダランベールと知り合いになった」(註6)と述べている。この時期は1746年とも1 749年とも言われ確定していないが、少なくともはっきり言えることは、『百科全書』 の出版が目の前に迫り、原稿の依頼や校正などで忙しくしていた1749年という時期で はないはずである。したがって消去法でいけば、1746年ということになる。この仮定 にたてば、『百科全書』の編集を引き受けた時期のダランベールには、ルソーという人物 は、たしかにオペラも書いていれば著書もあるが、まったく実績に乏しく、書生のような ことをして食いつないでいる人間でしかなかっただろう(註7)。しかもルソーにとって悪いこ とには、その前年の1745年には自作の『優雅な詩の女神たち』が、ラモーに認めても らうべく彼の立会いのもとに部分演奏されたのに、ラモーに酷評されたことや、ヴォルテ ール作詩、ラモー作曲の『ナヴァールの王女』の改作を引き受けたが、できあがった『ラ ミールの饗宴』の上演に際してラモーの側がさまざまな圧力をかけたことから、両者の関 係は険悪になっていた。したがってラモーを尊敬していたダランベールの目に、ルソーな る人物がどのように写っていたかは、想像に難くない。
以上のことから考えて、ダランベールにとって、実践と理論を統一するという百科全書 的知性と言えば音楽関係ではラモーをおいて他には考えられなかったはずなので、彼が当 初執筆を依頼したのはラモーに違いないという推論には十分な妥当性がある。しかし、当 時アカデミー入りを狙って、Memoire ou l'on expose les fondements d'un systeme de musiqueを準備中だったラモーは、本業のオペラ制作についても、1748年にはZais, Pygmalion, Les Surprises de l'Amourを作曲していることを見ても分かるように、忙し かったにちがいない。ダランベールから執筆を求められたときに断ったが、おそらく原稿 に手を入れるというような監修ぐらいのことならできると言っていたにちがいない。それ ゆえに、それを代わりに引き受けたルソーの項目をめぐってダランベールともめたときに 、次のようにダランベールをなじることになる。

「執筆を引き受けることについては断ったけれども、原稿には目を通してあげる と言っておいたのだから、それを私に回してくれていたら、それら〔『百科全書 』における間違い〕は避けることができただろうに。」(註8)
こうして音楽関係項目の担当は、ディドロを通して、ルソーのほうにお鉢がまわってき たということではなかっただろうか。そうでなかったら、ディドロとダランベールが編集 を引き受けた1747年10月16日から一年以上も経って、原稿の締切りまで三ヵ月し かないというような切羽詰まった時期(1748年の暮れから1749年の年頭にかけて )に急にルソーに依頼してくるというようなことはなかっただろう。しかもそんな無理難 題を頼めるのは、お互い無名ながら、将来を語り合った仲であるディドロ以外にはなかっ たはずである。
「降って湧いた異常な仕事とそれに耐えて非常に健康を悪くしたために、ママン 、私は一月前からあなたに対する義務を怠っていました。まもなく印刷に回され る予定の芸術と学問の大辞典のためにいくつかの項目を引き受けたのです。仕事 は私の手元で増えていき、それを期日までに提出しなければならないのです。そ の結果、自分の通常の仕事の他に、さらにこの仕事を引き受けたので、睡眠時間 を削ってそれにあてざるをえないのです。疲れ切っているのですが、約束したの で、それを果たさなければなりません。それに、私を苦しめた人々をぎゅーとい う目にあわせてやります。怒りが私に精神と知識の力を与えてくれます。
怒りだけで十分、アポロンの代わりになる。
〔ボワロー、Satires I, 146. 〕
私は本を読み、ギリシャ語の勉強をしています。誰でも自分の武器を持ってい るものです。私の敵たちには歌を歌うかわりに、辞典の項目を作ってやります。 一つの武器で別のものに値するだろうし、もっと長く続くだろうと期待していま す。」(註9)
ルソーは『告白』では、「ディドロはこの企画に私を入れたがり、音楽の部分はどうか と申し出た。私はそれを引受け、三ヵ月のうちに大急ぎで、しかも実に下手に書いた」(OCI, p.348)
と述べている。先のヴァランス夫人への手紙とこれとを考え合わせると、ルソーは174 9年の3月か4月までには『百科全書』のための項目を書き上げたことになる。
当初『百科全書』の発行予定は、年に二巻づつで、全部で十巻というものであったが、 実際の発行は以下のとおりであった。
1751年6月 第一巻 A
1752年1月 第二巻 BC
1753年10月第三巻 C
1754年10月第四巻 CD
1755年11月第五巻 DE
1756年5月 第六巻 EF
1757年11月第七巻 FG
1766年3月 第八巻−第十七巻
ルソーが『百科全書』に執筆した項目数は385項目である。もちろん一行だけの項目 から≪音楽≫のように717行(二段組一頁74行)の大項目まである。ちなみに『音楽 辞典』の項目数は873である。

3.編集者ダランベール
各論に入る前に、『百科全書』のなかで音楽関係の編集を担当していたダランベールが 、ルソーの原稿を編集する際の取り扱い方について、明らかにしておかなければならない 。というのはディドロの場合は、返ってきた原稿がどんな内容であれ、ほとんど手を加え なかったようだが、ダランベールは気に入らないとみると、平気で原稿に手を加えている 。その方法には二通りある。第一のやり方は、ルソーが書いた文章そのものに手を加えて いることである。たいていの場合にルソーが書いた項目の一部を削除している。第二に、 ルソーの書いた文章の最後または途中に、自分の書いたものやカユザックの書いたものを 追加したり挿入している(註10)
ダランベールがこのようなことをする目的には、二つ考えられる。ひとつは、『百科全 書』の音楽関係にたいするルソーとダランベールのスタンスの違いである。それは、言い 換えれば、ラモーという音楽の巨人にたいする態度の現れである。さきに引用したルソー からヴァランス夫人への手紙にも分かるように、ルソーは『百科全書』に音楽関係の項目 を書くことによって、ラモーにたいする遺恨を晴らすことを狙っていた。音楽項目を書く 際にはラモーに言及しないわけにはいかない。そこでルソーはラモーをできるだけ貶めよ うと考えたのである。それにたいして編集者のダランベールのラモーに対する態度は、『 百科全書序論』の「哲学者である芸術家」という言葉に示されている。ラモーを理論と実 践を統一した百科全書派的知性のひとりと見るダランベールにとって、何の業績も持たぬ ルソーのラモー批判は、我慢ならぬものだったのだろう。
ふたつめは、ひとつめの理由の裏返しになるが、ダランベールのルソーに対する蔑視で ある。ラモーの音楽理論を分かりやすく解説するために『音楽提要』を書いたことからも 分かるように、ラモーの難解な音楽理論の解説者を自認するダランベールにとって、ルソ ーの書いた項目の内容はあまりに幼稚で粗雑に見えたのだろう。
では、ダランベールによる編集の仕方を具体的に見てみよう。
まず、≪ACCOMPAGNEMENT 伴奏≫をみてみよう。
この項目全体にわたってラモーの名前が何度も挙げられているし、彼の果たした役割( たとえば和音を数字で表す方法についてのラモーの改革など)にたいする評価が目立つが 、『百科全書』のパラグラフ全体が『音楽辞典』では削除されている箇所がある。その部 分はこうである(註11)

「新しい記号の考案と運指法の完成によってわれわれに伴奏を簡単にする手段を 示してくれたのはラモー氏である。いいかえれば、いままでわれわれが使ってき たいかなる方法にもつきまとっていた不便からわれわれを解放してくれる新しい メソッドをわれわれが手にすることができたのは、まさに彼のおかげなのである 。最初に根音バスを解明し、いままではすべてが恣意的だと思われてきたこの芸 術の真の基礎を明らかにしてくれたのが、彼だからである。」(註12)
このパラグラフがラモーを絶賛していることは一読すれば明らかである。ところが、『 音楽辞典』ではこのパラグラフがそっくり削除されて、「以上のような諸困難にたいして 、ラモー氏は新しい数字記号と伴奏規則を提案して、簡単なものにしようとした」という そっけない説明にとってかえられている。
ルソーが『音楽辞典』を書く際に、『百科全書』に書いたものをベースにして、それに 追加をくわえたり、同じことを多少異なった表現に変えることはあっても、パラグラフ全 体を削除するというのは、そこでの記述に明らかな間違いが認められた場合や、他の項目 にその部分を移した場合などである。しかしこの箇所にはたして間違いがあるだろうか? ルソーにとって意に沿わぬ文章であったからではないだろうか。その理由は、おそらく ダランベールが勝手に書き加えたか、ルソーに無理やり書かせた部分だったからであろう 。
『百科全書』でもルソーはすでに「ラモー氏の原理にしたがって和音のすべての音を鳴 らしていたのではうるさくてたまらないので、不協和和音や仮定による和音では七度や五 度を省略すべきだ」と述べたあとで、全ての和音を満たすかどうかという点について、「 ラモー氏がすべての和音を鳴らすように要求しているのは、和声の純粋さを重視している からではなくて、運指の簡単さと彼固有の伴奏方法を重視しているからだ」という『百科 全書』の部分に続けて、『音楽辞典』では「追求すべきは、このような伴奏が引き起こす 混乱した雑音ではなく、伴奏を心地よく、響きのよいものにすることであり、低音部をお おいつくしたり圧迫するような伴奏ではなく、豊かで力強いものにすることである」と いう部分を追加している。論旨の流れから見て、この部分は、これに先行する部分ととも に当初『百科全書』の原稿のなかにあったが、ダランベールによって削除されていたもの ではないだろうか。
次に、≪CADENCE 終止形≫という項目を見ていただきたい。完全終止形と不完全終止形 の説明に続く部分では次のようになっている。
『百科全書』
ラモー氏はこの終止形について触れた最初の人であるが、この終止形のいくつかの 転回形を認めながら、『和声論』の117 頁では、付加された音が低音部で七の和音を もつような転回を禁じている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・彼はこの七の和音を基礎和音と間違えたのだ。その 結果、七度音を別の七度音によって、つまり不協和音を類似した不協和音によって、 根音バス上の似たような動きによって解決させることになる。・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・しかし、この著者がこのような根音バスを据えたこの和声は、明らかに二番目 の音符上に付加された七度音によって避けられた不規則終止形の転回したものである。(同じ図を見よ) 以上のことは全くの真実なので、不協和音を鳴らす通奏低音 は必然的にそれを解決するために全音階的に上行せざるを得ない。そうでなかったら 、このパッセージに何の意味もなくなるだろう。そして・・・・・・・ラモー氏は同 書の272 頁で、真の根音バスをつかった類似した例を示している。・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして後の著作(『和 声の生成』186 頁)では同じ人がこのパッセージの真の基礎を彼が二重使用と呼んでいる概念を使って承認しているように思われるということも指摘することができる。(二重使用を見よ)(S) 〔ここダランベールの解説が挿入されている。〕
『音楽辞典』
ラモー氏はこの終止形について触れた最初の人であるが、この終止形のいくつかの 転回形を認めながら、『和声論』の117 頁では、付加された音が低音部で七の和音を もつような転回を禁じている。しかも私が≪和音≫の項目で述べたようにしっかりし た根拠がまったくないのである。彼はこの七の和音を基礎和音と間違えたのだ。その 結果、七度音を別の七度音によって、つまり不協和音を類似した不協和音によって、 根音バス上の似たような動きによって解決させることになる。もしこのような不協和 音の扱い方が許されるとしたら、耳をふさぎ、規則を火に投じなければならないだろ う。しかし、この著者がこんな奇妙な根音バスを据えたこの和声は、明らかに二番目 の音符上に付加された七度音によって避けられた不完全終止形の転回したものである 。(表A図4を見よ) 以上のことは全くの真実なので、不協和音を鳴らす通奏低音 は必然的にそれを解決するために全音階的に上行せざるを得ない。そうでなかったら 、このパッセージに何の意味もなくなるだろう。それにあえて言えば、ラモー氏は同 書の272 頁で、真の根音バスをつかった類似した例を示している。しかし、彼はこの バスから生じる転回形にきっぱりと異を唱えているのだから、このようなパッセージ は彼の著作のなかではさらなる矛盾をさらけだすことにしかならない。そして後の著 作( 『和声の生成』186 頁) では同じ人がそのパッセージの真の基礎を認めているよ うであるにもかかわらず、触れ方が非常に曖昧で、かつ七度音は別の七度音によって 解決されると明言しているので、ここでは軽く触れてみただけのことに過ぎず、結局 のところ彼は考えを変えていないということがよく分かる。したがって、転回のひと つのなかに不完全和音を見ることができなかったといってマソンにたいしてなしたラ モー氏の非難を、われわれは彼自身にたいして向けることができるのである
まず指摘しておかねばならないことは、『百科全書』ではルソーは≪DOUBLE EMPLOI 二 重使用≫という項目は執筆しておらず、これを書いたのはダランベールだということだ。 そもそも自分の書いていない項目を参照せよと指示することは、すべての原稿に目を通す ことができる編集者以外には、不可能である。したがって『百科全書』のこの部分はダラ ンベールによって書き換えられたと考えられる。おそらくルソーの書いた原稿は『音楽辞 典』で復元されたようなラモー批判の烈しいものだったのであろう。ダランベールはそれ を削除して上の部分と置き換えたばかりでなく、(S)の記号をつけて、一応ルソーの項 目を終えたことにして、そのあとに自ら「ラモー氏は、さまざまな種類の終止形にいまま で与えられてきた名称についてつぎのような論拠を示している」ではじまる長い解説を挿 入している。このなかで、ダランベールはラモーの二重使用の原理を分かりやすく解説し ているのだ。
ダランベールによる解説の分かりやすさは、彼の音楽理論にたいする造詣の深さをよく 示しているが、同時に実践経験にもとづかない思弁的な側面が強かったようで(註13)、ルソー は『音楽辞典』を書く際にはその点をしっかり突いている。たとえば、ルソーは上にあげ たダランベールによる解説部分をそのまま引用しているが、そのあとにつけた解説では、 ダランベールの説明はたしかに二重使用をつかった上手な説明ではあるが、実践の意図の ない、たんなる知識のためのものにすぎないと揶揄したり(「ダランベール氏の意図は確 かに、実践のために現実にそれらが利用されることではなく、ただ転回の理解のためでし かない。」)、その具体例を示す際にまるでダランベールが初心者であるかのような言い 方をしている。(「一般的に初心者は、・・・の場合には、二重使用は行われないという ことを知らねばならない。」)
これは『百科全書』の編集段階でダランベールに自尊心を傷つけられたルソーの意趣返 しであることは、明白である。ダランベールによって削除されたり、まるでルソーの書い た内容では不十分だと言わんばかりに、解説を追加したり挿入したりするような仕打ちが ルソーにとって辛かったにもかかわらず、無名のルソーにとっては、ただ耐えるしかなか ったということを、次の手紙はよく示している。
「Cの文字をあなたに送りますが、私はずっと病気をしていたので、再読するこ とができませんでした。あなたが私に手紙を書いてくださった有り様にはどうや って抵抗したらいいのか私には分かりません。したがって私はあなたの考えを認 め、あなたが適当と判断された変更を認めます。しかし私はあなたが削除された 一つか二つの部分を再度いれました。というのはあれらの部分も全然気分に左右 されておらず、中傷にはなっていないと私に思えたからです。しかしあなたが完 全に最終的な決定者になることを望んでいますから、あなたの公平さと知識に全 てを従わせます。」(註14)
この手紙のなかでルソーはCで始まる項目について触れているとおり、とくにCの項目 にはダランベールによる改変、追加、挿入が多く見られるので、以下それをまとめておく 。
≪CLEF TRANSPOSEE 移調された音部記号≫
両者ともほぼ同じであるが、『百科全書』には最後にダランベールによるラモーの原理 の称賛が追加されている。その内容は、ルソーの説明を妥当だと認めながらも、この原理 のために貢献したラモーに対する言及がないのを不満に感じたダランベールがラモーの名 を顕彰するためだけに追加したというようなものである。
「ここに紹介した方法から、ラモー氏を除いて、フランスのどの作曲家もニ短調 の音部記号になにもつけないけれども、この調には♭を一つつけなければならな いということが簡単に分かるだろう。ラモー氏の方法の根拠になっているのは、 (...)という非常に簡単で正しい規則なのである。(MODE, ECHELLE, GAMME を見よ)(O)」
≪COMPOSITEUR 作曲家≫
この項目は両者であまり変更はない。内容的には、『音楽辞典』の≪天才≫という項目 (『百科全書』ではこの項目は、サン・ランベール、ディドロらの執筆によると見られ、 ルソーは担当していない)に似て、優れた音楽を書かせるのは作曲家の内的な火であって 、作曲のための規則を知っているというだけでは下らない作品しかできない、というよう なものである。
そのような天性の作曲家として名前が挙げられているのは、和声の分野ではコレッリ、 ヴィンチ、ハッセ、グルック、リナルド。表現と美しい旋律ではレオ、ペルゴレージ、テ ッラデーラス。フランスの作曲家は一人も挙げられていないのに腹を立てたダランベール は、『百科全書』の項目の最後に、「音楽がまだ未熟な時代にリュリに霊感を与え、今で はフランスのラモーのオペラに栄光を与えているのは、この内部の火である。われわれの 耳は彼らから非常に大きな恩義を受けている」という記述を追加している。
≪CONCERT コンサート≫
まず冒頭と最後に置かれたカユザックによるパラグラフによってルソーの書いた部分が 挟まれるかたちになっている。カユザックの後半部分では地方におけるコンサートのこと が触れられている。
≪CONJOINT 結合した≫
『百科全書』では二箇所においてダランベールがルソーの書いた部分を補足している。 まずギリシャにおけるテトラコルドの配列の仕方に関して、ダランベールは四つのテトラ コルドのうち第一と第二、第三と第四はCONJOINTだが、第二と第三はDISJOINTであると説 明している。
近代では音度についてCONJOINT,DISJOINT を使うというルソーの解説のあと、ダランベ ールが具体的に音符をあげて説明している。
≪DISSONANCE 不協和音≫
次の例は、『百科全書』のルソーの書いた部分から、ラモーに都合の悪い部分をダラン ベールが削除したと思われる部分である(註15)
『百科全書』
ラモー氏はお決まりの言葉で、不協和音は和声にたいし て不自然であること、技巧の助けによらなければ使用できないことを挙げている。し かしながら、別の著作では、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・数字の関係と和声的で算術的な比例とのなかにその原理を見出そ うと試みている。しかし様々な類推をやってみた後で、つまり両者の様々な比率を変 形した後で、またたくさんの操作や・・・計算をした後で、彼はあれほど捜すのに苦 労した不協和音をたいした根拠もなく確立して終わるのである。したがって、倍音の 順序において算術的な比例は、彼の主張では、・・低音部に短三度を与えてくれるの で、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼 はサブ・ドミナントの低音部に新しい短三度を付け加える。和声的比例から高音部に 短三度が与えられ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼は・・・・・・高 音部に新しい短三度を付け加えるのだ。こうして付加された三度は、本当のところ、 前の比率と釣り合いがとれない。これら三度が持つべき比率そのものが変わっている のだ。しかしラモー氏はすべてうまくいくと信じているのだ。・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・比例は不協和音を導入するために彼に使われ、比例の欠如はそれ を感じさせるために使われるというわけである。
『音楽辞典』
ラモー氏はお決まりの言葉で、不協和音は和声にたいして不自然であること、技巧の助けによらなければ使用できないことを挙げている。しかしながら、別の著作では、まるで抽象的量の特性と聴覚の間になんらかの一致があるかのように、数字の関係と和声的で 算術的な比例とのなかにその原理を見出そうと試みている。しかし様々な類推をやっ てみた後で、つまり両者の様々な比率を変形した後で、またたくさんの操作や無駄な 計算をした後で、彼はあれほど捜すのに苦労した不協和音をたいした根拠もなく確立 して終わるのである。したがって、倍音の順序において算術的な比例は、弦の長さに よって、低音部に短三度を与えてくれるので(それは振動数の計算からは高音部に与 えられるということに注意されたい)、彼はサブ・ドミナントの低音部に新しい短三 度を付け加える。和声的比例から高音部に短三度が与えられ(それは振動数からは低 音部に与えられる)、彼はドミナントの高音部に新しい短三度を付け加えるのだ。こ うして付加された三度は、本当のところ、前の比率と釣り合いがとれない。これら三 度が持つべき比率そのものが変わっているのだ。しかしそんなことはどうでもいい。 ラモー氏は最善をつくしてそれらをうまく活用するのである。比例は不協和音を導入 するために彼に使われ、比例の欠如はそれを感じさせるために使われるというわけで である。
さらに、『百科全書』では和声において使われる不協和音の物理的な原理を説明しえた ものは誰もいないのだから、その生成について説明しておくだけにしようとルソーが述べ ているのにたいして、ダランベールが、それを不満とするかのように、進級 progression という方法によらなくても、ラモーの原理を用いれば不協和音を説明することができると して、その解説をながながと追加説明している。
≪ GENRE ゲノス、音階組織≫
『百科全書』ではルソーの項目のあとにダランベールによる長大な補足説明が付けられ ている。このなかでダランベールは、『フランス音楽に関する手紙』における『アルミッ ド』に関するルソー批判をしている(註16)
このあたりになると、ダランベールの編集の仕方はだいぶ変化している。ルソーを不当 に扱うことができなくなっている。その決定的な契機となったのは、おそらく1753年 の『村の占い師』と『フランス音楽に関する手紙』であろう。これによってルソーは音楽 家としても社会的に認められたといえるからだ。それをよく示しているのは、『百科全書 』の≪二重唱≫の項目(1755年に出版の第5巻掲載)に、もちろんこれはルソーの項 目なのだが、『フランス音楽に関する手紙』からの一節がそのまま掲載され、しかもその なかではそれを読んだラモーに激しく批判された≪旋律の統一性≫と いう概念について触れているからである。明らかにダランベールは、この時点では、ルソ ーにたいして優位な立場を下りて、敬意は抱いていないにしても、少なくとも対等に扱う べき人物としての扱い方を取っているように思える(註17)
最後にダランベールが何らかのかたちで手を加えた項目は、以下のものである。 ≪ACCOMPAGNEMENT 伴奏≫、≪APOTOME アポトーム≫、≪BASSE FONDAMENTALE 根音バス ≫、≪CADENCE 終止形≫、≪CHANSON 歌謡、シャンソン≫(この項目では、カユザックの 書いた文章が三箇所において挿入されている)、≪CHANT 歌≫(この項目もカユザックの 文章が追加されている)、≪CHOEUR 合唱曲≫(この項目にもカユザックによる文章が挿 入されている)、≪CLEF TRANSPOSEE 移調された音部記号≫、≪COMPOSITEUR 作曲家≫、 ≪CONCERT コンサート≫(この項目ではカユザックの文章がルソーの書いた部分をはさむ かたちになっている)、≪CONCORDANT コンコルダン≫、≪CONJOINT 結合した≫、≪CO NSONANCE 協和音≫、≪COURANTE クーラント≫(カユザックによる追加)、≪DISSONAN CE 不協和音≫、≪DOMINANTE 属音≫、≪ECHELLE 音階≫、≪ENHARMONIQUE エンハーモ ニック的音階組織≫、≪GAMME 音階≫、≪GAVOTTE ガヴォット≫、≪GENRE ゲノス、音階 組織≫、≪HARMONIQUE 倍音≫、≪MODE 旋法≫、≪NOTE SENSIBLE 導音≫、≪SEPTIEME 七度、七の和音≫。

4.『百科全書』から『音楽辞典』へ
ここでは『百科全書』から『音楽辞典』へのルソーの音楽思想の展開を、三つのポイン トに絞って見ていく。その際に、それぞれのポイントについて代表的な項目を取り上げて 調べることにするが、その項目は、以下のとおりである。
(1)≪旋律の統一性≫・・・≪ACCOMPAGNEMENT 伴奏≫、≪CHOEUR 合唱≫、≪DUO 二重唱 ≫、≪FUGUE フーガ≫。
(2)音楽模倣論・・・≪AIR エール≫、≪CANTATE カンタータ≫、≪COMPOSITION 作曲≫、 ≪SONATE ソナタ≫。
(3)ギリシャ音楽に対する評価・・・≪HAUT 高い≫、≪HYPATE ヒパテ≫、≪HYPO-DORIE N ヒポ・ドリア旋法≫、≪MUSIQUE 音楽≫。

(a)≪旋律の統一性≫ まず≪ACCOMPAGNEMENT 伴奏≫をみてみよう。ルソーが伴奏する際に一般的に遵守すべ きこととして挙げている項目のなかには見るべきものが多い。
この項目の1においてルソーはすでに「ラモー氏の原理にしたがって和音のすべての音を鳴らし ていたのではうるさくてたまらないので、不協和和音や仮定による和音では七度や五度を 省略すべきだ」と述べたあとで、全ての和音を満たすかどうかという点について、「ラモ ーがすべての和音を鳴らすように要求しているのは、和声の純粋さを重視しているからで はなくて、運指の簡単さと彼固有の伴奏方法を重視しているからだ」と述べている。5で も、ルソーは、基本的に1で述べたことと同じ内容のことを、つまり和音のなかの音はす べて鳴らすべきではなく、選択されなければならないという原理を、イタリア音楽におけ る伴奏を仕方を例にして説明している。ここで重要なことは、なぜイタリア人がそのよう にするのかということについての理由として、ルソーが「彼らは主題から耳を逸らさせる ようなものが伴奏からも低音部からも聞こえないことを望んでいるからだし、注意という ものは対象が増えると失われてしまうというのが彼らの一般的考えだからである」という ことを挙げている点である。このような和音の簡素化の主張を、そのまま≪旋律の統一性 ≫の主張だと断定することは避けなければならないが、このような主張は『フランス音楽 に関する手紙』のなかにもある。

「ところで、と、こうした仮定にしたがって推論を進めながら、私は自ら思いま した。二つの協和音は、たとえそれが和音の規則にしたがってしても、互いに不 適切に加えられると、和声は増やしながらも、その効果を互いに弱め、効果に反 し、あるいは効果をばらばらにしてしまうことがあるのが私にははっきりと分か る。(...)したがって、和声が細心な注意を払って満たされている音楽はま ことにわずかなはずだというのが、確実で、自然にもとづいた原理なのです。こ れこそまさにフランス音楽の性格なのです。和音と声部を取り扱う場合、その選 択はむずかしく、いつもきちんと行われるには大変な経験と鑑識力とが要求され ます。でも、こんな場合に、作曲家を助けてたくみに振る舞わせる規則があると すれば、それこそたしかに、私がうち立てようとした旋律の統一性のそれなので す。それこそ、イタリア音楽の性格に関係があり、イタリア音楽を支配している 歌の甘美さと表現の力のいずれをも説明しています。」(註18)
和音の簡素化の原理をイタリア音楽の特徴と結びつけて論じている点でも、なぜ和声の 簡素化が重要なのかということについても、『百科全書』はすでに『フランス音楽に関す る手紙』で≪旋律の統一性≫を説明する際の論旨と同じ地点にいると言っていいだろう。 違いは ≪旋律の統一性≫という語が使われているかどうかということだけである。
次に、≪旋律の統一性≫という語が使われている項目として、≪DUO 二重唱≫、≪FUGUE フーガ≫、≪TRIO 三重唱≫を取り上げてみる。≪DUO 二重唱≫では、冒頭に数行を除 いて、以下『フランス音楽に関する手紙』の二重唱に関する説明の部分がそのまま使われ ているし、最後に出典が明記されている。したがって、『百科全書』のなかで≪旋律の統 一性≫という語が唯一使われているとはいっても、『フランス音楽に関する手紙』からの 転記ということを考えると、1749年の時点でルソーが≪旋律の統一性≫という語を自 分のものとしていたとは考えられない。
≪FUGUE フーガ≫では、フーガについての一般的な規則について述べたあとで、ルソー は「フーガは一般的には美しい旋律を作るよりは、騒々しい音を作るのに役立つものであ る。そういう理由から、フーガは合唱にもっとも合っている。ところでフーガの主なメリ ットというのは、主題となる旋律がつねに聞き手の耳に聞こえているようにすることにあ り、そのために声部から声部へ転調から転調へとたえずその主題を引き継いでいくように 作られているので、作曲家はこの旋律が浮き立つように、他の声部によって押し殺された り分かりにくくなったりすることがないようにあらゆる配慮をしなければならない。その ためには二つの方法がある」と述べたあとで、第一にはテンポにたえず対比をもたせるこ とだという指摘についで、第二として和声を広げることだと指摘している。それは要する に声部間の音程の幅を広げるという意味のことである。「したがってフーガ以外の音楽で は悪であることが、フーガでは美となる。」ここまでは『百科全書』と『音楽辞典』もほ ぼ同じ記述であるが、『百科全書』ではこの指摘を引き継いだ形で個々の声部を際立たせ るためにさまざまな種類の声や楽器が使われる、それだけフーガでは声部の混同というこ とが避けるべきだけれども、避けにくいものだという指摘が続いてそのパラグラフが終わ っている。
それにたいして、『音楽辞典』ではこの指摘の前後に≪旋律の統一性≫に関する記述が 挿入されている。ルソーはここでフーガとは関係のないかたちで≪旋律の統一性≫につい て説明しているのだろうか。そうではなさそうだ。つまりルソーは≪旋律の統一性≫をフ ーガにおいても守られるべき規則として説明しているのだ。というのはひとつの声部が浮 き彫りになるように音程や和声が選ばれなければならないという指摘に続いて、それ以上 にもっと大事な注意として、「フーガの進行がひきおこす転調のさまざまな連鎖のなかで 、すべての転調が同時にすべての声部で対応関係にあるようにすること、声部ごとに調が 違うために和声全体としてはどの調にも属していないということがないように、また和声 が耳には単純な効果を、精神には単純な想念を提示するように、調の正確な一致によって フーガの進行のなかで全体を連関させること」を指摘している。そしてルソーはそれを≪ 旋律の統一性≫だと説明しているのだ。そして『百科全書』とおなじ記述に戻って、「要 するに、どんなフーガでも〔旋律と音の動きの〕混同は心配の種だけれども避けるのが難 しいものである」という指摘に続いている。
まず指摘しておきたいことは、たしかに≪旋律の統一性≫という語の置き方は唐突であ るけれども、論旨の流れという点から見ると、フーガのあるべき姿と≪旋律の統一性≫と はけっして相反するものではないということである。そうであるならば、なぜ『音楽辞典 』にはこの語が使われ、『百科全書』では使われていないのかということを、逆に自問し てみることもできるだろう。すでに≪二重唱≫の項目でこの語は使われたことがあるのだ から。そこで問題になるのは、ルソーがフーガを『フランス音楽に関する手紙』でどのよ うに記述していたかということである。
「私がうち立てたばかりの規則に対して、声部の増加と同じくらい有害なもう一 つのもの、それはフーガ、模倣、複主題、その他の恣意的でまったく約束事の美 を濫用すること、あるいはむしろ使用することですが、こうしたものには困難を 克服したという以外にほとんどメリットはありませんし、またこうしたものはす べて、天才が問題になるまでのあいだ、学識をひけらかすための技術が生まれた ときに考案されたものなのです。ある声部から別の声部へと、主題がそこを移動 するに連れて、聞き手の注意力をたくみに導くことによって、フーガでも旋律の 統一性を失わずにいることがまったく不可能だとは申しません。」(註19)
ルソーは、ここで、フーガを≪旋律の統一性≫に有害だとは言っているが、≪旋律の統 一性≫とフーガとはまったく相いれないものだとは、断定していない。それどころか、大 変骨は折れる仕事だけれども、両者を両立させることは不可能ではないと述べているので ある。たしかに力点の置き方は違うにせよ、フーガと≪旋律の統一性≫との関係は『百科 全書』、『フランス音楽に関する手紙』、『音楽辞典』と同じ観点から記述されており、 『百科全書』が『音楽辞典』と同じ記述になっていてもおかしくはなかったであろう。お そらく、『百科全書』執筆の時点ではまだ≪旋律の統一性≫という語そのものをルソーは 使っていなかったために『百科全書』には見られないこと、また後日追加しようとしたと しても、おそらくダランベールから拒否されたにちがいないことなどが考えられる。とい うのはこの項目は1757年出版の第5巻に収録されているが、この時点ではすでに『フ ランス音楽に関する手紙』の≪旋律の統一性≫を批判したラモーの『「百科全書」におけ る音楽の誤謬』(1755年)(註20)がでており、これを真っ向から否定するラモーの態度が 明確になっていたからである。
最後に≪MUSIQUE 音楽≫の項目を見ておく。この項目で特筆すべき点は、『百科全書』 にはあったが、『音楽辞典』では削除されてしまった長大な部分のなかで、ルソーが明ら かに≪旋律の統一性≫について述べている箇所があるということである。ギリシャ音楽で は、声楽こそが音楽の唯一の方法なので、器楽は声楽を目立たせるためにしか存在しない 。いくら和声体系をもっていることでルソーの時代の音楽が優れていても、和声を増やせ ばいい音楽になるわけではないという説明のあとで、ルソーは言う。
「和声は適切に配置されれば素晴らしいものになる。だれでも分かる魅力がそこ にはある。しかし和声が旋律や美しい歌をのみこんでしまうことがあってはなら ない。世界でもっとも美しい和音でさえ美しい声による感動的でうまく作られた 抑揚ほどには人の心を動かすことはない。うまく演奏された美しい音楽において いったいなにがもっとも強く人の心をつかむのかということについて公平な目で 考える人ならだれでも、人が何といおうと、真に人の心を支配するものは旋律で あると感じるだろう。」
それに続けて、ルソーがギリシャ音楽と当時のフランス音楽の相違点として挙げている のは、音楽と言語の関係である。ギリシャ音楽では音楽のリズムは言語のリズムに従って いると説明したあとで、「このようにして演奏された素晴らしい詩は感じやすい聞き手に どんな印象を及ぼしただろうか? 簡単な朗唱でさえも涙を流させるとしたら、和声が朗 唱を押し殺すことなく美化するときには、和声の魅力はそれにどんな力を与えることだろ う?」と述べる。それにたいして、フランス音楽については、フランス音楽では詩のリズ ムと音楽のリズムが対立しており、「フランス語の韻律はギリシャ語の韻律ほど明確でな いし、われわれの音楽家たちは音のことだけで頭がいっぱいで、それ以外のことには気が 向かないので、意味と表現に関しても、韻の数とリズムに関しても同様に、音楽と歌詞の あいだに関係がないのである」と指摘しているところは、まさに『フランス音楽に関する 手紙』のレベルの認識にあると言っていいだろう。
以上のことから見て、『百科全書』の時点でルソーはすでに≪旋律の統一性≫と後年に 呼ぶことになる概念をもっていたと考えてもいいのではないだろうか。ただ、それを≪旋 律の統一性≫と呼ぶことになるのは、『フランス音楽に関する手紙』を待たなければなら ない。

(b)音楽模倣論
ルソーは、いわゆる音楽的模倣を主題とする≪模倣≫の項目を『百科全書』には書いて いない。そのことは、必ずしも、『百科全書』を書いた時期のルソーに音楽的模倣につい ての概念がなかったことを意味するわけではないので、『音楽辞典』において音楽模倣論 に触れている項目について、『百科全書』と『音楽辞典』との記述を比較してみよう。先 に挙げたように、ここでは、≪AIR エール≫、≪CANTATE カンタータ≫、≪COMPOSITION 作曲≫、≪SONATE ソナタ≫を取り上げる。
まず≪AIR エール≫であるが、『音楽辞典』では、この項目の最後に、音楽模倣論に関 連する記述がある。「近代オペラのエール(アリア)は、いわばカンバスあるいは生地で あって、その上に模倣音楽という絵が描かれる。旋律はデッサンであり、和声は色彩であ る。美しい自然の絵画的なあらゆる対象、人間の心を写し出すすべての感情が芸術家の模 倣の対象である」という音楽模倣論を述べたあと、アリアがいかに音楽的模倣に優れてい るかを、レシタティーフとの違いを指摘しながら説明している。アリアはたんなる語りで はなく、「ひとつの主題」である。アリアはそれを「さまざまな視点から見て」描いてい る。「アリアにさまざまなフレーズがあるのは同一のイメージを描くための方法がそれだ けさまざまにあるということに他ならない」。『百科全書』にはこのような音楽模倣論の 論述はない。
次に≪CANTATE カンタータ≫であるが、この項目は両者で完全に書き換えられたものの ひとつである。『百科全書』では簡単にカンタータの定義をしたあとで、ベルニエ、カン プラ、モンテクレール、バティスタン、クレランボーなどフランスの作曲家の名前を挙げ て、特にクレランボーを評価している。『音楽辞典』では、そもそも定義からして、すで に「室内楽用に作られてはいるけれど、音楽家から劇場用の模倣音楽の熱気と魅力を受け 取るための一種の叙情詩」というように、模倣音楽論の影響が見られる。レシタティフと アリアによって構成されるが、格言によって作られるので冷たいものになるという理由を 挙げて、流行遅れになり、コンサートでもオペラのシーンに取って代わられたのはゆえな きことではないと述べている。ルソーは模倣的という言葉を常に、musique theatrale ou drmatique ou imitative という連関でとらえているが、そのことがここからもよく分か る。
≪COMPOSITION 作曲≫では、『音楽辞典』の最後で、作曲は基本的には耳の喜びのため に物理的な意味での音を使ってするものだが、模倣的音楽にまで意識が高まった場合には 、精神的な効果によって聞き手を感動させることが目的となる、というような音楽模倣論 にふれた記述が追加されている。

「作曲にあたって作曲家は物理的に考えられた音を主たる対象とし、耳の喜びを 目的として作曲する。あるいは作曲家が模倣音楽にまで自らを高める場合には、 精神的な効果によって聞き手を感動させることを目指す。」
以上のように、ルソーの音楽模倣論には、三つのポイントがある。第一に、生理的で感 覚的な快・不快しか与えない和声的音楽と対比して、旋律による精神的感動を与える模倣 音楽という見方。この場合には、旋律とデッサン、和声と色彩が対比されることが多い。 第二に、「模倣的imitatif」という言葉を「演劇的theatral ou dramatique」と同義に使 うことがあるということ。つまり、音楽模倣という概念を声楽にしか使わない場合がある 。第三に、音楽による模倣は、絵画や詩とちがって、直接的な模倣ではなく、ある対象が 人間の心に引き起こす印象と同じ印象を音によって引き起こすという、間接的な模倣だと いうことである。第一のポイントに関しては、ラモーの信奉者であったダランベールはこ のような考え方をもっていなかったはずである。第二のポイントに関しては言えば、音楽 を模倣芸術の一つと考えるということはなにもダランベールが始めてなのではない。当時 の音楽的模倣の概念が、オペラ、あるいはフランス風に言えばtheatre lyrique における情念の模倣ということを問題にしていたということは、1747年に出版された バトゥーの『同一の原理に還元された諸芸術』を見れば、一目瞭然である。したがって、 ルソーが「模倣的」を「演劇的」と同じ意味で使うのは、このような状況があったからで ある。音楽的模倣を声楽に限るのか、器楽も含めるのかという点については、ルソーは曖 昧である。というのは、≪ソナタ≫の項目に見られるように、純粋器楽における音楽模倣 を批判しているかと思えば、第三のポイントに関連するが、嵐や休息まで描けるのが音楽 的模倣の特徴だというように、器楽を想定した議論もしているからである(註21)。ダランベ ールが『百科全書序論』で提案したのは、従来の音楽的模倣が情念ばかりを対象にしてき たことにたいする不満から、自然(いわゆる古典主義的な「美しい自然」だと思われる) を対象にすることによって音楽的模倣の領域を拡大することであった。
「その起源においてただ物音を再現するためのものでしかなかった音楽は、徐々    に、心の様々な感情や、むしろ様々な情念を表現する一種の話法あるいは一 種の言語にさえなった。しかしなぜ情念にだけ表現を限定するのだろうか? ど うして、できるだけそれを拡大して、印象そのものにまで及ぼさないのだろうか ? われわれが様々な器官をとおして受け取る知覚は、その対象の数ほどの多様 性をもつけれども、それらに共通するある観点、つまりそのような知覚がわれわ れの心に与える快・不快によって判断することができる。ある恐ろしい対象も恐 ろしい音もどちらもわれわれの心に同じ情緒を引き起こすので、それでわれわれ はそれらを関係づけることができるし、それらを同じ名前ないしは同義語で示す のである。したがって、音楽家が恐ろしい対象を描かなければならない場合に、 この対象がわれわれのなかに引き起こす情緒にもっとも類似した情緒を生み出す ことができるような音を自然のなかに探して使えば、、どうして対象の描写に成 功しないことがあろうか、と私は思う。快い感覚についても私は同じ考えである 。」(註22)
このようにダランベールは、情念や心の動きが音楽によって描けるのなら、一歩進んで 、そのような情念や心の動きを引き起こす外的な対象物を思い起こさせることによって、 間接的に対象物を「描く」ことができるのではないかと主張したのである。それに賛意を 表明したルソーではあるが、彼が後に展開することになる音楽模倣論では、対象物の間接 的模倣という議論が、常に第一のポイントである情念の抑揚=声の抑揚=旋律という図式 と連動している。
「和声だけでは、和声だけに依拠しているように思える表現の場合にも、不十分 である。雷、小川のせせらぎ、風、嵐などは、たんなる和音だけではうまく表現 できない。どうやってみたところで、騒音だけでは精神になにも表現できない。 理解されるためには事物が語らなければならないし、どんな模倣でも常に一種の 話法が自然の声を補ってやらなければならない。騒音で騒音を表現しようとする 音楽家は間違っている。自分の芸術の弱点も長所も知らず、趣味も知識ももたず に判断しているのだ。騒音を表現するには歌をもってしなければならないこと、 蛙を鳴かせたければ、蛙に歌わせなければならないということを教えてやってほ しい。というのは模倣するだけでは十分でなく、心を動かし、喜びを与えなけれ ばならないからだ。それがなければ、彼の無愛想な模倣には何の価値もなく、だ れの関心もひかず、どんな印象も与えることがないだろう。」(註23)
ルソーの論理のなかでは常に和声=生理的、旋律=精神的という図式が先験的な定立と して存在する。ダランベールの『百科全書序論』を読む以前から、ルソーはおそらく模倣 芸術ということについては知っていただろうが、それは古典主義美学の定義によるものだ ったので、ルソーの上の図式では和声に属することになるから、ルソーの関心を引くこと はなかっただろう。ルソー自身も『近代音楽論究』でならべあげたごとく、イ長調が輝か しさ、ヘ長調が荘重などの特徴をもつと主張することは、情念を調性の研究という物理学 に従属するものと見なすことを意味するからである。では、ダランベールの『序論』がこ のような古典主義美学を抜け出した主張をもっているのかというと、そうではない。論理 的には、けっしてそこから出てはない。したがって、ルソーが情念や心の動きの描写を旋 律の側に置き換えることができたのは、ルソーのなかですでに第一のポイントである情念 の抑揚=声の抑揚=旋律という図式ができあがっていたからであろう。

(c)ギリシャ音楽に対する評価
ルソーが、ギリシャ音楽を音楽の誕生から発展という歴史のなかに位置づけて、音楽の 本質により近い音楽として明確に規定したのは、『言語起源論』においてであった。しか し、ギリシャ音楽に対してこのような見方をしていたのは、なにもこの時期からのことで はなく、『百科全書』を書いている時期からすでにこのような評価をもっていたことが、 うかがわれる。このことを最もよく示している項目は、≪MUSIQUE 音楽≫である。≪MUSI QUE 音楽≫は長大な項目なので、ここでは一部分にだけ触れるが、まず次の箇所を見てい ただきたい。

「こうした感情の大部分は [我々が持っている我々の音楽に対する自信] 、古代 人の音楽にたいして我々が持っている軽蔑にもとづいている。しかしこの軽蔑は それ自体我々が主張しているほど確かなものだろうか。」
この箇所でルソーは、当時の音楽家のなかにあった( もちろんラモーをはじめとして) 過去の音楽を軽蔑する風潮に対してそれを相対化してみる視点を持っていたことを示して いる。これは、古代社会を人間の自然状態により近い社会として位置づけていた『学問芸 術論』と同じ視点であると言えよう。『百科全書』を書く時点で、すでにルソーはこのよ うな見方をもっていた。
ところが、『百科全書』のほうは、ここからギリシャ音楽の特徴に関する長大な記述が 始まるが、他方『音楽辞典』のほうは、「この検討に今まで関わってきた全ての人々のう ち、フォシウスはその理論書『詩歌と人間のリズムについて』で、この問題を最もよく論 じ、真実に最も近づいた人であるようにおもわれる。私はこうした考えをまだ刊行してい ない著作〔『言語起源論』のことか・・・引用者〕に投げ込んだことがあるが、そこでの ほうが、私の考えはよく示されていると思う。それにこの著作は、読者を引き止めて、私 の意見を披瀝する場ではないから」という理由をあげて、『百科全書』にあったこの長大 な記述をそっくり削除している。
このなかでルソーはギリシャ音楽とルソーの時代のフランス音楽における音階組織の特 徴、旋法、リズムなどについてそれぞれの特徴を説明しつつ、音楽は本来どうあるべきか ということについて論じているように思われる。それが≪旋律の統一性≫という用語は使 っていないけれども、結局は≪旋律の統一性≫の概念の説明になっているということにつ いては、先に述べた。ここで指摘したいのは、この長大な論述の結論部分である。
「以上のことから私はどう結論を出せばいいのだろうか? 古代の音楽はわれわ れの音楽よりも完全だったという結論だろうか? まったくそんなことはない。 反対に、われわれの音楽は快適で多くの知識にもとづいているという点で並ぶも のがないと思う。しかし、ギリシャ音楽はもっと表現に富み、力強かったと思う 。われわれの音楽のほうが歌の本性に合致している。ギリシャ音楽のほうが朗唱 にもっと近い。彼らは魂をつき動かすことだけを探究していたが、われわれは耳 を喜ばせることだけを求める。要するに、われわれの音楽の悪弊は豊かさだけが 原因なのである。そしておそらく、ギリシャ音楽がその不完全さゆえの限界をも っていなかったとしたら、逆に今日に報告されているような驚異的な効果を、ギ リシャ音楽は生みだすことはなかっただろう。」
ルソーの時代の音楽は豊かになったがゆえに堕落した。それにたいしてギリシャ音楽は 音楽体系としては様々の限界を持っていたが、それゆえに音楽の本質に忠実であり、驚異 的な力を持つことができた。ここに、学問芸術が豊かに発達したがゆえに人間が堕落した という『学問芸術論』のそれと同じ論理を見るのは容易なことであろう。当たり前のこと であるが、「ヴァンセンヌの啓示」のような事態はけっして突発的に起きるわけではなく 、ディジョン・アカデミーの提起したテーマを読んだときに直観的に新しい世界が見える ためには、それなりの下地が事前にできあがっていたと、考えるべきであろう。その一つ が(あくまでもその一つにすぎないが)、ここに見るようなギリシャ音楽に対するルソー の評価であろう。それは、『フランス音楽に関する手紙』や『言語起源論』におけるよう な、ギリシャ音楽を音楽のあるべき姿にもっとも近いものとして位置づける見方に直接つ ながっていることは、論を待たない。
その他ギリシャ音楽に関係する多くの項目でルソーは書き直しをしているが、それは『 百科全書』を三ヵ月という短期間のうちに資料を読み書き上げなければならなかったため に不十分さや間違いが多くできてしまったということなのだと思われる。特徴的なものを 一つだけ紹介しておく。たとえば、≪HYPO-DORIEN ヒポ・ドリア旋法≫という項目を見る と、『百科全書』では、この旋法はもっとも低いものの一つであるのに、ユークリッドは もっとも高い旋法だと説明していることを紹介し、これは印刷の間違いか写本家の間違い だと考えるべきだと指摘しているが、『音楽辞典』では、なぜこんなことになるのかは≪ HYPATE ヒパテ≫を参照せよと指示している。そこでこの項目を見ると、音階の配列の仕 方が現代とギリシャでは反対であったということが分かる。要するに、『百科全書』のル ソーはこの事実をまだ知らなかったと思われる。

5.おわりに
ルソーが『百科全書』のために書いた膨大な項目のなかからごくわずかなものだけを取 り上げて見てきたわけであるが、ルソーが1750年代の音楽関係の執筆活動をとおして 『音楽辞典』として結実させることになる音楽観はほぼすべて『百科全書』を執筆する時 点ではルソーのなかにできあがっていたことが分かる。≪旋律の統一性≫については、こ の用語こそまだ使われてはいないが、この語が後に含むことになる音楽様式、とくにイタ リア音楽の特徴としての様式についての概念は明確になっていたと言えよう。またギリシ ャ音楽にたいする評価の点でも、ギリシャ音楽を音楽のあるべきすがたにもっとも近いも のとして位置づけていることは、『学問芸術論』におけるギリシャ社会にたいする見方が 、音楽における評価と別々のものではなかったことが理解できるだろう。ただ、音楽の本 源としての音楽と言語の表裏一体となった状態、言語の起源への洞察は、人類社会の起源 まで洞察を深めていった『人間不平等起源論』と連動して生まれた『言語起源論』を待た なければならなかった。そして音楽模倣論に関してルソーがダランベールに負っているも のは、模倣の間接性であった。それは、要するに、対象を直接に模倣するのではなく、対 象が与える心的印象と同じ印象を与えるような音楽を作ることが、対象を模倣することに なるということであった。しかしルソーはそこに音楽的模倣において心的印象がもつ意義 をつかんだだけでなく、そこに止まらず、対象が与える心的印象と同じ印象を与えるもの を旋律と読みかえることによって、旋律の本源性、一次性を説くことになる。しかしこれ もやはり『言語起源論』を待たなければならなかったのである。

≪註≫
使用したテキストは、J.-J. ROUSSEAU ;Oeuvres Completes,≪Bibliotheque de la Pleiade ≫, t.I〜V, Gallimard .(以下 OCI〜OCV と略記する)である。また書簡に 関しては、Correspondance complete de J.-J. Rousseau, Edition critique, etablie et annotee par R. A. Leigh, Oxford. である。資料篇の『百科全書』の部分については 、Encyclopedie, Compacte edition, Pergamon Press. を利用した。
(註1) 『音楽辞典』にかんするルソーの最初の言及は、当時『人間不平等起源論』の印刷の 件で頻繁に手紙を交わしていたレイへの書簡のなかに見られる。
「今年の夏には印刷に回せるように私の『音楽辞典』の準備をしています。」(ルソ ーからマルク=ミシェル・レイへ、1755年1月3日、手紙269)
(註2) たとえば『告白』を見よ。OCI,P.287.
(註3) Philippe BEAUSSANT ; Rameau de A a Z, Fayard/IMDA, 1983, p.39.
(註4) Ibid., p.122.
(註5) Ibid., p.75.
(註6) Op.cit., p.347.
(註7) この時期から1751年まで、デピネ夫人とフランクイユの秘書をしていた。
(註8) ラモー『「百科全書」の編集者への手紙』(1757年)、OCV, p.1669 から引用し た。
(註9) ルソーからヴァランス夫人へ、1749年1月27日、手紙146.
(註10) ダランベールによるルソーの書いた項目への介入については次のものを参照せよ。O'Dea, Michael, Jean-Jacques Rousseau, music, illusions and desire, St.Martin's Press, New York, 1995, pp.16-17 and note 28. C. Kintzler, "Les articles Cadence de J.-J. Rousseau dans l'Encyclop馘ie et dans le Dictionnaire de musique", L'Encyclop馘ie, Diderot, l'esth騁ique, M駘anges en hommage Jacques Chouillet 1915-1990, Textes r騏nis et publi駸 par Sylvain Auroux, Dominique Bourel et Charles Porset, PUF, 1991.
(註11) 以下、〔〕の部分は、『百科全書』にはなくて、『音楽辞典』で追加された部分を示 す。
(註12) 『百科全書』および『音楽辞典』からの引用はすべて資料編を参照されたい。
(註13) Xavier Bouvier ;"Rousseau et la theorie ramiste",in OCV, p.1683-1684.
(註14) ルソーからジャン・ル・ロン・ダランベールへ、1751年6月26日、手紙162.
(註15) 下線部は、相違する箇所を示す。下線部が抜けている場合は・・・で示す。
(註16) このなかでダランベールはフランス語のレシタティーフをイタリア風に歌うことはで きないだろうかと提起している。
「ついでに言えば、われわれのレシタティフをイタリア風に歌う方法がもしあったと したら、われわれの劇場ではそれは実践不可能なのかどうか、私には分からない。良 くできたレシタティフで、私はそれをかつて試みたことがあるが、それを聞いた優秀 な識者たちが不快な思いをしたようには思われなかった。(...)私に断言できる ことは、レシタティフが優れていれば、そのようなレシタティフの歌い方はレシタテ ィフを優れて朗唱に近づけるということである。」
これについてルソーは『言語起源論』のなかで触れている。
「今日では、アカデミー会員が公開の場で論文を読みあげても、部屋の後ろのほうで はほとんど聞きとれない。フランスではイタリアほど市場に山師は見られないが、そ れはフランスでは山師の言うことなどだれも耳を傾けないということではなくて、た だたんに彼らの声がよく聞きとれないだけのことなのである。ダランベール氏はフラ ンスのレシタティフはイタリア風にだって語れると考えている。」OCV, p.429.
この箇所は『言語起源論』の執筆時期を確定する上で、参考になるだろう。たとえ ば≪ GENRE≫を含む第7巻が出版されたのは1757年であり、ルソーはそれを読ん でからこの箇所を書いているのだから、少なくとも『言語起源論』のこの箇所に関し ては1757年から58年にかけて書かれたことになる。
(註17) 同時に、この頃にはダランベールはラモーにたいしても疑問を抱きはじめていた。と いうのは、ラモーが音楽こそ数理的学問の基礎だなどと主張しはじめていたからであ る。このあたりについては、C. KINTZLER ;Jean-Philippe Rameau, Splendeur et naufrage de l'esthetique du plaisir a l'age classique, Minerve, 1988, Annexe I: Rameau et d'Alembert.を参照のこと。
(註18) 『フランス音楽に関する手紙』OCV, p.313-314.
(註19) Ibid., p.308.
(註20) Jean-Philippe RAMEAU ;Erreurs sur la musique dans l'Encyclopedie, 1755, Broude Brothers Limited,1969, p.34-35.
(註21)『言語起源論』OCV, p.421-422. (註22) D'ALEMBERT ; Discours preliminaire des editeurs,p.viij,in Compacte Editio n, Pergamon Press, p.11.
(註23)『言語起源論』Op.cit., p.417.

[初出掲載誌 大阪千代田短期大学紀要第24号(1995年12月)]

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