ルソーの音楽論(4)

−ラモーとの論争−


1.はじめに
 ジャン=フィリップ ラモー(1683ー1764)は、まず何よりも18世紀最高のオルガン奏者であり,クラブサン奏者であった.1706年には最初の『クラブサン曲集』を出版し,1724年には『クラブサン曲集』第二集を出版している.また1713年からはカンタータの作曲も始めている.1726年以降徴税請負人ラ・ププリニエール氏の庇護を受けるようになり,1733年にはオペラ第一作『イポリトとアリシ』を発表した.このオペラの音の豊かさ,すなわち和声的な厚みが,リュリのオペラにおける音楽のように,フランス語の歌詞を支えるものとしての音楽(それゆえに「音楽悲劇」Tragdie en musiqueと呼ばれた)に慣れていた人々の耳にはスキャンダラスに聞こえ,その結果「リュリ派とラモー派の論争」を引き起こすことになった.しかし『優雅なインドの国々』(1735)や『カストールとポリュックス』(1737)などによってオペラ作曲家としての地位を不動のものとした.
 しかしラモーは音楽実践やオペラの作曲においてだけ優れていたわけではなかった.彼は同時に音楽理論家でもあった.1722年に出版された『自然の諸原理に還元された和声論』(以下『和声論』と略す)は近代和声学を確立したものとして,歴史的な意義を持つ著書である.その後『理論的音楽の新体系』(1726),『和声の生成』(1737)などを発表し,1750年にはその前年に科学アカデミーで行った発表をもとにして,『和声原理の証明』を出版したが,ラモーにとってアカデミーで発表をするという音楽理論家としての栄光の絶頂は同時に汚辱の始まりでもあった.ラモーは,自分の音楽理論があらゆる数理的精密科学の唯一の原理であるという幻想を抱くようになり,自宅に『和声原理の証明』を山積みにしては,ヨーロッパ中の数学者たちにこれを送りつけた(註1). またこれと同じ時期に,本論の主題であるルソーとの論争が始まることになる.その過程で,ラモーの音楽理論の強力な擁護者でもあったダランベールからも見放される結果となった.
 とはいえラモーの理論的な著作がもつ歴史的な意義は否定できない.ラモーは自らをデカルト主義者と考え(註2),合理主義的な音楽理論の解明を目指した.そのために彼は音楽の基礎と考える和声がいかにして音響の幾何学的な操作によって導き出されるかを証明しようとした.ラモーは,根音バスと転回の概念を導入して,和音の分類を極限まで単純化した.彼は和音を協和和音と呼ばれる完全長和音と完全短和音(およびその転回形)と,不協和和音と呼ばれる様々な種類の七の和音(およびその転回形)に整理し,近代和声学を確立した.このような研究から音響の合理的な関係によって成り立っている和声の原理こそが音楽のすべてを律するものだと考えたラモーは,旋律を決定するのも和声であると主張し,反対に旋律こそ音楽表現を決定するものだと考えるルソーと対立することになる.
 他方,ルソーは音楽理論の勉強をラモーの『和声論』をテキストにして始めたこともあって,自分をラモーの弟子だと考えていた.しかし自作のオペラにたいするラモーの手ひどい酷評やその後に起こったラモーの悪意に満ちた振る舞いがルソーの気持ちを完全にラモーから離れさせてしまうことになる.このような年譜上の出来事だけを追っていると,あたかもルソーとラモーの論争は個人的な怨恨によるものであって,思想的な対立ではないように見えるかもしれない.しかしルソーにラモー理論との差異化を促すことになる契機は,たしかに個人的な確執にあったかもしれないが,音楽思想においてその差異化が実現できたのは,ルソー自身の思想的発展があったからである.それを準備したのはラモーとの決裂後の下積みの時代であったと考えられる.この下積みの時代にルソーが作り上げた反近代の思想はまず音楽の分野で書かれた.それを最も明確に表しているものは『百科全書』の項目《音楽》である.ルソーはこのなかで,古代ギリシャ音楽とルソーの時代の音楽とを比較し,ルソーの時代の音楽は豊かになったがゆえに堕落したのにたいして,古代ギリシャの音楽は音楽体系としては様々の限界を持っていたが,それゆえに音楽の本質に忠実であり,聞き手にたいして驚異的な力を持つことができたと主張した.ルソーがこれを書いたのは1749年の1月から3月にかけてのことである.したがって,ヴァンセンヌの啓示から『学問芸術論』への出版とつづく過程はすでに音楽思想のなかで準備されていたものなのである.
 ルソーが一方的に仕掛けたラモー批判は,ついにラモーの怒りを買い,手厳しい反論を受けることになる.豊かな音楽実践と非常に確かな音楽理論にもとづくラモーの反論はルソーを追い詰めることになる.このような状況において,それを乗り越えることを可能にしたのは,社会思想における思想的な深化であった.ルソーの社会思想は,『学問芸術論』にたいする多方面からの批判を真摯に受け止め,思索を深めることによって,『人間不平等起源論』において新たな段階に達する.起源論=本質論という観点の獲得がそれであるが,この新たな視点こそが,今度は逆にラモーとの論争によってつきあたっていた壁を乗り越える手段を音楽家としてのルソーに与えることになったのである.
本論の目的は,以上のようなルソーの音楽思想における思想的な変遷をラモーとの論争の検討を通して明らかにすることにある.そのために,ルソーの主張のどこにラモーが反応し,また逆にラモーの反論のどこにルソーが反応しているのかを,できるだけ詳細に比較したいと考える.そのような対比のなかから自ずと両者の思想的な違いが浮き彫りになるようになればと思う.したがって本論部分ではたんに両者の主張を対比させながら進行する.そして『言語起源論』を扱う最終章で,ラモーとの論争をとおして発展してきたルソーの音楽思想の展開を考察して,結論にかえたいと考える.
2.序曲
シャンベリ時代にラモーのTraite de l'harmonie reduite a ses principes naturels(『自然の諸原理に還元された和声論』1722年,以下『和声論』と省略)を読んで音楽を独学したルソーにとって,ラモーは音楽における師のような存在であった.一旗揚げようと数字による新しい記譜法をもってパリに上京したルソーが科学アカデミー会員の審査員たちによる批評には不満を表明しながらも,ラモーによる簡単な指摘には即座に納得したこと(註3),なによりも1743年に初めて出版した著書や1745年に初めて完成させたオペラに,ラモーのDissertation sur les differentes methodes d'Accompagnement(『伴奏方法論』1732年)や有名な≪ Les Indes galantes≫(『優雅なインドの国々』1735年)を意識して,Dissertation sur la musique moderne(『近代音楽論究』)や≪Les Muses galantes≫(『優雅な詩の女神たち』)というタイトルを付けていることなどが,そのことをよく示している.
1743年4月23日初演のロワイエのオペラ・バレエ『恋の力』を見たルソーは,オペラの作曲を思い立つ(註4).肺炎の病気回復中にオペラ・バレエ『優雅な詩の女神たち』を熱心に書きはじめるが,まだ完成を見ないうちに,急遽ヴェネチア駐在フランス大使モンテギュ伯爵の秘書になることが決まり,オペラの作曲は中断しなければならなくなる.ところが大使のモンテギュ伯爵とたびたび衝突したために,一年足らずで秘書を辞してパリに帰ることになる.パリに戻ったルソーは,中断していたオペラの作曲にふたたび着手する.1744年から45年にかけての冬に,ラモーの後援者であった徴税請負人のラ・ププリニエール氏(註5)に紹介される.1745年の7月9日に完成した『優雅な詩の女神たち』は,9月にラ・ププリニエール氏の邸宅で部分演奏されることになった.「彼〔ラモー〕の弟子のひとりの作品なら,喜んで保護してくれるだろうと判断した」(『告白』OCI.,p.333)ルソーが,これによってラモーに認めてもらい,作曲家としてのキャリアを切り開こうという意図をもっていたことは言うまでもない.しかしその期待に反して,ラモーから酷評され,手ひどい対応を受けることになる.
「ラモーは序曲が始まるとすぐに,行き過ぎた賛辞によって,それが私の作ではないということをほのめかし始めた.彼はどの楽曲も聞きながらいらいらした様子を身振りに表すだけだったが,非常に輝かしい伴奏をもつ雄々しくて響きのよい歌によるカウンター・テナーのエールになると,もはや我慢できなくなった.彼は一同が眉をひそめるほどの乱暴さで,私を罵り,いま聞いた曲の一部分は音楽に老練な人のものだが,そのほかの部分は音楽を知らない無知な人のものであると主張した.(...)ラモーは私のなかに,才能も趣味もない盗作者を見るにすぎないと主張した.」(『告白』OCI.,p.334)
これと同じ場面をラモーに語らせれば次のようになる.
「10年か12年前にある人物が***氏邸で自作のバレエを演奏させたことがある.この曲はその後オペラ座にも紹介されたが拒否された.私はこの曲に,完全にイタリア様式のバイオリンによる非常に美しい曲があるかと思えば,そのほかのすべてはイタリア様式のもっとも美しい伴奏に助けられてはいるが,もっとも平板な声楽のアリエットをはじめとして,声楽であれ器楽であれ,もっとひどいフランス様式の音楽ばかりなのにびっくりしたのである.このちぐはぐさが私を驚かせたので,私はその作者にいくつかの質問をしてみたが,その人の返事が非常にまずかったので,すでに見当が付いていたことではあったが,私はこの人が作ったのはフランス様式の音楽だけで,イタリア様式の音楽は剽窃したのだということがすぐに分かったのである.」(註6)
ラモーの酷評とは対照的に,このオペラはラ・ププリニエール氏をはじめとする他の人達には好評だったため,さらには技芸長官ボンヌヴァル氏の邸宅でリシュリュー公を招いて全曲演奏が行われた.リシュリュー公は「ルソーさん,この和声こそは人を夢中にさせます.こんな美しいのをまだ聞いたことがありません.この作品をヴェルサイユで演奏させたいものです」(『告白』OCI.,p.334)とルソーの才能を称賛し,宮廷でも上演できるようにタッソーのアントレをヘシオドスのそれに書き換えるようにという助言まで与えた(註7).ルソーはこの時リシュリュー公という強力な後ろ楯を得て,音楽家としての将来が大きく切り開かれるのを感じていたに違いない.それにプレイアッド版の(釈者が説明しているように,ラモーのこのような態度はなにもルソーにたいしてだけのものではなく,その品のなさ,無礼で粗野な非社交的態度はよく知られたものであったらしい(註8). したがってこの時点でルソーは,ラモーの酷評や態度にまだ悪意を感じてはいなかった.その証拠には,リシュリュー公の助言を受けて書き換えたヘシオドスのアントレについて,『告白』のなかで「私はこの幕のなかに自分の才能と,その才能に名誉を与えてくれたラモーの嫉妬の話の一部を,こっそりと入れたのだった」(註9)と述べている.つまりルソーは,ラモーの酷評は自分の才能に対する嫉妬が原因なのであり,自分はラモーに嫉妬されるくらい才能があると考えていたのである.
この年の秋,ヴォルテール作詩・ラモー作曲(註10)による『ナヴァールの王女』の改作『ラミールの饗宴』が上演されることになったが,修正が必要になり,『優雅な詩の女神たち』を通して詩と音楽の両方の分野に精通しているとしてルソーの才能に着目していたリシュリュー公の依頼により,ルソーが詩と音楽に手を入れることになる.しかしオペラ座での練習で,ラモーの意を酌んだラ・ププリニエール夫人からさんざんにけなされ,結局ラモーが手を入れることになった.ルソーは失意のどん底におちこむ.
「私は賛辞を期待していたし,それにたしかに賛辞に値するものだったのに,こんな結果になったことに心を痛め,意気消沈して帰った.私は疲れ果て,悲しみにむしばまれて,病気になった.」(『告白』OCI.,p.337)
さらにそれに追い討ちをかけるようにラモーはルソーを蹴落とそうとして『優雅な詩の女神たち』の序曲を求めてきた.ルソーがそれを拒否したため,自分で序曲を作曲するだけの時間がなくなり,しかたなくルソーの序曲を残さなければならなくなった.そこでラモーは上演当日配付される冊子にルソーの名前が載らないようにするための手段を講じたのであった.
「ラ・ププリニエール夫人に指示された修正を引き受けたラモーは,私が作ったばかりの序曲の代わりに使おうとして,私のオペラの序曲を求めてきた.運良く私はそこに卑劣な策略を感じたので,それを断った.上演までもう五,六日しかなかったので,ラモーは序曲を作る暇がなく,私の序曲をそのまま残さなければならなかった.(...)しかしラモーは,ラ・ププリニエール夫人と組んで,私がそこで仕事をしたことさえも,人から知られないように手段を講じた.聴衆に配った冊子には普通は作者の名前が記してあるのだが,ヴォルテールの名前しかなかった.そしてラモーは,自分の名前が私と並べられるのを見るよりは,削られるほうがましだと思ったのである.」(『告白』OCI.,p.338)
こうしてルソーは音楽家としての幸先のよい出だしをラモーによって潰され,ラモーに憎悪を抱くようになる.音楽家としてのキャリアを作るための最後の手段としてルソーは,デュパン夫人とフランクイユ氏の秘書になる交換条件として,その力を使ってオペラ座で『優雅な詩の女神たち』を上演させることを持ちかけた.実際に1747年にはオペラ座での練習が行われるが,ルソーは「大きな修正をほどこさなければ,世に出せるものではない」と判断してひっこめることになる(註11).こうして最後の望みの綱も絶たれ,ルソーは「出世と成功の計画はすべて投げだし」(『告白』OCI.,p.342),デュパン夫人とフランクイユ氏の秘書として,彼らの求めに応じて文献を読み,ノートを作るといった書生のような仕事をする身となった.しかし1746年から51年まで続けたこの仕事はルソーにとって知的貯蔵庫を作るための重要な意義を持ったのである(註12)
1748年の暮れにディドロから『百科全書』の音楽関係の項目の執筆を依頼されたルソーは,ヴァランス夫人に次のように書き送っている.
「降って湧いた異常な仕事とそれに耐えて非常に健康を悪くしたために,ママン,私は一月前からあなたに対する義務を怠っていました.まもなく印刷に回される予定の芸術と学問の大辞典のためにいくつかの項目を引き受けたのです.仕事は私の手元で増えていき,それを期日までに提出しなければならないのです.その結果,自分の通常の仕事の他に,さらにこの仕事を引き受けたので,睡眠時間を削ってそれにあてざるをえないのです.疲れ切っているのですが,約束したので,それを果たさなければなりません.それに,私を苦しめた人々をぎゅーという目にあわせてやります.怒りが私に精神と知識の力を与えてくれます.
怒りだけで十分,アポロンの代わりになる.
〔ボワロー,Satires I, 146. 〕
私は本を読み,ギリシャ語の勉強をしています.誰でも自分の武器を持っているものです.私の敵たちには歌を歌うかわりに,辞典の項目を作ってやります.一つの武器で別のものに値するだろうし,もっと長く続くだろうと期待しています.」(註13)
こうして1749年1月〜3月のあいだに,ルソーは『百科全書』のために音楽関係の項目を362項目書いている.『百科全書』にルソーが書いた362の音楽関係の項目のなかでルソーがラモーの名前を挙げて言及しているところは,44箇所ある.
≪ACCOMPAGNEMENT 伴奏≫(『百科全書』第1巻,1751年)9箇所
≪BASSE FONDAMENTALE 根音バス≫(『百科全書』第2巻,1752年)2箇所
≪CADENCE 終止・終止形≫(『百科全書』第2巻,1752年)4箇所
≪CHIFFRER 数字記号を付ける≫(『百科全書』第3巻,1753年)6箇所
≪DISSONANCE 不協和音≫(『百科全書』第4巻,1754年)2箇所
≪DOIGTER 運指法≫(『百科全書』第5巻,1755年)1箇所
≪DOUBLE-FUGUE 二重フーガ≫(『百科全書』第5巻,1755年)1箇所
≪ECHELLE 音階≫(『百科全書』第5巻,1755年)1箇所
≪ENHARMONIQUE エンハーモニック≫(『百科全書』第5巻,1755年)1箇所
≪IRREGULIER 不規則な≫(『百科全書』第8巻,1766年)1箇所
≪MUSIQUE 音楽≫(『百科全書』第10巻,1766年)1箇所
≪ONZIEME 十一度≫(『百科全書』第11巻,1766年)1箇所
≪QUINTE 五度≫(『百科全書』第13巻,1766年)1箇所
≪SIXTE 六度≫(『百科全書』第15巻,1766年)1箇所
≪SON 音≫ (『百科全書』第15巻,1766年)1箇所
≪STYLE 様式≫ (『百科全書』第15巻,1766年)1箇所
≪SYNCOPE シンコペーション≫ (『百科全書』第15巻,1766年)1箇所
≪TEMPERAMENT 平均律≫(『百科全書』第16巻,1766年)7箇所
≪TEMPS 拍・拍子≫ (『百科全書』第16巻,1766年)1箇所
≪TETRACORDE テトラコード≫(『百科全書』第16巻,1766年)1箇所
≪TON 音・調・全音・音高・ピッチ≫(『百科全書』第16巻,1766年)1箇所
このなかでルソーがラモーを批判しているのは,≪ACCOMPAGNEMENT≫で3箇所,≪CADENCE≫2箇所,≪CHIFFRER≫2箇所,≪DISSONANCE≫1箇所,≪IRREGULIER≫1箇所,≪MUSIQUE≫,≪ONZIEME≫,≪QUINTE≫,≪SYNCOPE≫で各1箇所,≪TEMPERAMENT≫3箇所,≪TETRACORDE≫,≪TON≫各1箇所である.それ以外の箇所では,たんにラモーの主張や理論を解説しているだけのこともあれば,根音バスや転回の理論を発見して近代和声学を確立した点や,ラモー以前には混乱していた数字記号の付け方について合理的な方法を提案したなどの点について,ラモーに正当な評価を与えている場合もある(註14)
同じ年の8月にはグリムと知り合いになり,イタリア音楽を共通の趣味として音楽についても親しく論じたり,クラヴサンを弾きながらヴェネチアの舟歌を歌ったりするあいだがらになる.1750年の暮れに出版された『学問芸術論』が大反響を引き起し,1751年と1752年は各方面からの批判にたいする反論に明け暮れている.また1751年7月には『百科全書』第1巻が,そして翌1752年1月には第2巻が出版される.そこにはラモーを批判する内容をもつ≪伴奏≫と≪終止・終止形≫とがそれぞれ掲載されており,出版と同時にラモーの注意を引いたはずである.さらに1752年には,ラモーを刺激せずにはおかないような手紙も発表している.
1月14日にオペラ座で上演されたデトゥーシュの悲歌劇『オンファル』をめぐって,グリムが『オンファルに関する書簡』を発表すると,匿名氏(実はレナル師)による反論(『「オンファルに関する書簡」考』)が出され,論争となる.4月にはルソーが『「『オンファルに関する書簡』考」についてグリム氏に寄せる手紙』(ただしこれは匿名である.以下『グリムへの手紙』と省略)を発表した.これが,それである.ルソーはこの手紙の冒頭で,グリムが生きているうちから注解者をもつという栄誉によくしたと述べたり,この匿名氏についても「彼があなたの見解に与している理由を長々しく説明するのに骨を折る場合,私は彼を≪注解者≫と呼ぶことでしょう.彼があなたに反証を挙げて論破するふりをするときには,≪さくら≫ですし,また彼に道理がある場合にはすべて≪批評家≫なのです」(『グリムへの手紙』OCV.,p.263)とふざけた調子で,匿名氏をからかい,フランス音楽と音楽家たちをこき下ろしている.オリヴィエ・ポが言うとおり,たしかにグリムと匿名氏の論争それ自体は,リュリ派とラモー派の時代遅れの闘いであるとしても(註15),ルソーのこの手紙がブッフォン論争を先取りするものだと言えるのは,ブッフォン論争のもっとも重要な主題の一つであり,同時にルソーが『フランス音楽に関する手紙』で取り上げるもっとも重要な主題の一つである,フランス音楽の非音楽性という主張がすでにここで明確に表明されているからである.
「まさにフランス人は真のレシタティフをまったくもっていないのです.彼らがレシタティフと呼んでいるものは,叫び声がいりまじった一種の歌でしかありませんし,彼らのエールはエールで,歌と叫び声がいりまじった一種のレシタティフでしかないのです.レシタティフもエールも混同されていて,こういうものがどんなものなのかだれも知らないのです.私には,フランス人がレシタティフと呼ぶものをエールと呼ぶものから区別するはっきりとした相違を,フランス音楽では定めることがだれにもとうていできないだろうと思っています.なぜなら,拍子を引き合いに出す人がいるとは思えないからです.その証拠に,フランス音楽には拍子などまったくないのです.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.268)
ルソーは『フランス音楽に関する手紙』のなかでまったくこれと同じ論旨でフランス人は音楽を持っていないと結論して,ごうごうたる批判を受けることになる.
 ルソーは,この手紙の後半ではっきりとラモーに標的を定めている(註16). ルソーはラモーの理論と実践とを分けて論じている.まず理論について見ると,いままでは原理などないと思われていた芸術分野に原理を発見したという点でラモーを正当に評価しなければならないとしても,その結果この芸術の規則や作曲法を習得することが簡単になり,「芸術の基礎を知ると,たちまち和声づくりに首を突っ込む」「劣悪な音楽と下手な音楽家」(『グリムへの手紙』OCV.,p.271)をあふれさせてしまったと非難している.なおこのパラグラフの冒頭部分は音楽理論家としてのラモーを誹謗する内容なのだが,『百科全書』(執筆は1749年),いま問題にしているグリムへの手紙(1752年),『音楽辞典』(1755年以降)の三箇所で微妙に変化しながらも,繰り返されることになる.
「そして最後に有名なラモー氏である.彼の著作は,だれにも読まれていないのに大変な成功をしたというから,奇妙である.」(『百科全書』≪MUSIQUE≫)(註17)
「ラモー氏の理論的著作は,だれにも読まれていないのにたいへんな成功をしたというから,奇妙です.そしてある哲学者がこの著作の学説を簡略にしたものをわざわざ書いてくれたので,それ以降はますます読まれなくなることでしょう.これらの様々な著書には根音バスの原理以外には新しいものや有用なものはなんにも含まれていません.」(グリムへの手紙』OCV.,p.270)
「そしてラモー氏である.彼の著作は,だれにも読まれていないのにたいへんな成功をしたというから,奇妙である.その上に,ダランベール氏がわざわざ,この音楽家の著作のなかで唯一有用で理解可能な学説である,根音バスの学説を大衆に説明してくれたので,それ以降は彼の著書を読むことは,完全に余計なことになってしまったのである.」(『音楽辞典』≪MUSIQUE≫)(註18)
ついで,ラモーの音楽実践についてはもっともひどい中傷を加えている.
@「もっと正当な非難は,彼がゆだねられた歌詞をかならずしも理解していないこと,詩人の想念をしばしばとらえそこなったこと,あるいはもっと適当なものをかわりに使わなかったこと,それに誤解を多く犯していることです.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.271)
A「他人の楽想は横領し,変質させ,飾り,美しくし,そして自分の楽想はこね回すことではたいへん巧妙ですが,新たな楽想を創作する能力はほとんどありません.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.271)
B「彼のレシタティフはリュリのにくらべて自然さに欠けますが,はるかに多様です.賛嘆すべきものはごく少数の場面だけで,それ以外の場面ではたいてい劣悪です.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.272)
C「彼は伴奏をあまりに混乱した,音符の多い,頻繁なものにしたので,伴奏がもう少し耳をろうすることがなければ楽しんで聞けるはずの彼のオペラが上演されているあいだ,頭はさまざまな楽器の絶えざる騒音に我慢できないのです.そのため,オーケストラは絶えず鳴り響いているおかげで,感動を与えることも,心を打つこともなく,ほとんど常に効果があがらないのです.」(『グリムへの手紙』OCV.,PP272-273)
D「しかし同時に,彼以上にオペラにあれほど巧みで,あれほど望まれている統一性を与えることができなかった人はいませんでした.そして彼はおそらく,とてもうまくまとめられた美しい曲をいくつももちながら,そこから一つも素晴らしい作品を作るのに成功しなかった唯一の人でしょう.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.273)
E「あまりに凝りすぎた伴奏に反対するもっと強力なもう一つの理由は,そうした伴奏が本来すべきこととは正反対のことをするからです.観客の注意力をいっそう心地よく固定する代わりに,それを分散させることで台無しにしてしまうのです.三種類か四種類の楽器によってたがいに積み重ねられた三つか四つの旋律がいかに素晴らしいものであるか私に納得させてくれる前に,芝居には筋の進行が三つも四つも必要だということを私に証明してくれる必要があります.こうした技巧の微妙で繊細な点,こうした模倣,こうした重複した旋律,こうしたバッソ・オスティナート,こうした反行フーガは,醜い妖怪であり,悪趣味の遺物にすぎないので,最後の隠れ家として修道院に追いやる必要があります.」(『グリムへの手紙』OCV.,p.273)
ルソーのラモー批判は,@ラモーは歌詞の内容を正確に読み取る能力のない作曲家,したがってオペラの作曲家として失格であること,A作曲家としても,他人の楽想を横領して作りなおす才はあっても,新たな楽曲を作る創造力がないこと,言い換えれば盗作者の一歩手前であること,Bリュリにも劣ること,D一つ一つの楽曲は美しいのに,全体として統一性をもたせる能力がないこと,CとE伴奏に音を詰め込みすぎたり,それぞれのパートが独立した旋律線をもつために主題が聞こえてこないような音楽に対する批判であり,≪旋律の統一性≫の理論につながっていく音楽美学がすでに表明されている点で注目に値する.この点については後でまとめて見ることにしたい.CとEの音楽美学にかかわる批判は別として,@の批判は『フランス音楽に関する手紙』でリュリにかこつけてのラモー批判につながっていくことになるし,AやBはさきに触れた『優雅な詩の女神たち』での剽窃家呼ばわりにたいする意趣返しであることは言うまでもなく明白であろう.全体としてラモーに対するルソーの批判はなんら客観的な根拠も示さないで行われており,正当な論評というよりは,悪罵・中傷のたぐいと言うほうがふさわしいような内容のものである.それだけ,ラモーに対するルソーの憎悪の深さを示していると言える.おそらくこれを眼にしたラモーもルソーの文章のうらにあるこの憎悪をすぐにも読み取り,怒り心頭に達したにちがいない.
この年1752年の8月1日にはイタリアのオペラ・ブッファの一座がオペラ座でリュリの『アシスとガラテ』の幕間にイタリアの幕間劇『奥様女中』(ペルゴレージ作)を上演した.これが大成功したために,イタリア音楽派とフランス音楽派に分かれて大論争が起こる.その上さらに,この年の春にはすでにできあがっていたルソーの『村の占い師』が,この大論争の渦中,10月18日フォンテーヌブローの宮殿において,ルイ15世とポンパドゥール夫人の御前で上演され,大成功をおさめる.翌年の1753年3月1日にはオペラ座でも上演され,パリ市民の熱狂的な支持を得る.こうしてルソーは,『学問芸術論』につづいて,『村の占い師』によって音楽家としても一躍有名になる.さらにこの年の11月には,ラモーを批判した2箇所を含む≪CHIFFRER≫を掲載する『百科全書』第3巻が出版されただけでなく,『フランス音楽に関する手紙』(執筆は1752年から53年にかけての冬)が出版され,ブッフォン論争の炎に油を注ぐことになる.そしてこの『手紙』はついにラモーに反論のペンを取らせることになる.
この作品がルソーの音楽思想の展開においてもつ意義については,≪旋律の統一性≫の理論を中心にして,後半にまとめて論じるので,ここではラモーとの関係についてかぎって見ることにする.この『手紙』のなかでルソーが直接ラモーの名前に言及しているのは2箇所ある.最初は,フランスとイタリアの音楽における伴奏の仕方の違いについての検討を通して≪旋律の統一性≫という観点から,作曲家が聴き手に与えたいと思う印象が正しく喚起されるためには,和声を完全に充たした伴奏ではなく,和声のなかの音が適切にえり分けられなければならないと結論するのだが,その前提部分で,個々の和音がもつ独自の性格についてラモーを引き合いに出している箇所が,それである.
「私はその時,ラモー氏のどれかの著作で,それぞれの協和音はそれぞれ独自の性格,つまり,それぞれに特有な魂への影響の仕方をもっていること,(...)を読んだことがあるのを思い出したのです.」(OCV.,p.312)
ルソーはここではラモーの主張を認めるふりをしながら,「ところで,私はこの仮定にしたがって心のなかで推論しながらこう思いました.二つの協和音は,たとえそれが和音の規則にしたがっていても,互いに不適切に加えられると,和声はふやしながらも,その効果を互いに弱め,効果に反し,あるいは効果をばらばらにしてしまうことがあるということがはっきりと分かる」(OCV.,p.313)として,ラモーの主張する充実した和声を否定する結論に導いていく.この主張は,すでに『百科全書』の≪伴奏≫でもなされていたし,『オンファル』をめぐるグリムへの手紙のなかでもラモー批判というかたちでなされていた.これについてラモーは後に『誤謬』のなかで『百科全書』の≪伴奏≫を問題とする際に触れることになる.
次の箇所は,この『手紙』の後半部分を占めるリュリのオペラ『アルミッド』のなかのアルミッドのモノローグについてレシタティフのあり方という観点から検討している部分の冒頭である.これを取り上げるのはラモーが「これを,正確かつきわめて脈略のある転調の例として正当にも引用」したことがあるからだということを表明して,ラモーとの対決を明確に打ち出している箇所である.
「まず私が注目したいのは,ラモー氏がこれを,正確にして,脈略の非常に上手な転調の例として正当な理由から引用したことがあるということです.しかしここで問題になっている楽曲にこのような賛辞を向けるのはまったくの笑い話で,きっとラモー氏だったら自分自身がこのような場合に似たような賛辞を受けることがないように気をつけたことでしょう.というのも,激情や優しさといった相対立する情念の対比が俳優も観衆をももっとも烈しく動揺させている場面において型にはまった規則通りのやり方以上にお粗末なものが考えられるでしょうか?」(OCV.,p.322)
つまりルソーはリュリ批判をすることによって,リュリを正当化しているラモーを攻撃目標にしているのである.ルソーはこのモノローグの詩句を一つずつ取り上げて,このモノローグはラモーの称賛とは違って,「詩人が音楽家に提供した言外の意味,中断,頭のなかでの移り変わりといったものが,音楽家によっては一度もとらえられていない」(OCV.,p.322)ことを証明していく.このモノローグをめぐるラモーによるルソー批判については,あとで検討することにする.
3.論争のはじまり
こうして1751年からルソーによって書かれた音楽関係の文章が,匿名のものも含めて,すべて自分に批判の矛先を向けていることに激怒したラモーはついに1754年反論のペンを取ることになる.4月に出版された『音楽に対する私たちの本能に関する考察』(註19)がそれである.この著書の前半部分でラモーは,音楽の本性や原理について自分の考えを表明している.
「音楽は自然なものであり,音楽がわれわれに快適な感情を感じさせてくれるのは,ただ純粋な本能のおかげである.また,音楽に多少とも関係のある感情以外の対象を描く場合でも,これと同じ本能がわれわれのなかで作用している.こういうわけで,このような本能の原理を知ることは,学問や芸術に携わっている人びとにとって無関心であってはならない.
この原理はいまや明らかになった.それは,誰ひとり知らぬものはないことだが,われわれの声や弦や管や鐘などのような音響体の共鳴から生じる和声のなかに存在する.」(『考察』p.1)
ラモーによれば,音楽の原理は音響体の共鳴という客観的な自然の現象のなかにあり,そこに表される和声の原理は人間の意志とか感情を介在させない純粋に客観的な原理として,人間の本能のなかにきざみこまれている.人は本能的に長三度,五度の音を出すこと,ほんの少しでも経験のある人なら,歌の終止のたびに根音バスを音にするという例を挙げた上で,ラモーは次のように主張する.
「先の経験と同様に,唯一本能だけが作用しているこの経験が示していることは,旋律は音響体によって与えられる和声以外の原理を持たないということである.耳は,それとは知らずに,この原理によって完全に支配されているので,耳さえあれば,この旋律を左右している和声的な土台を即座に見いだすことができる.」(『考察』pp.10-11)
ここからラモーは二つの結論的な原理を導き出す.ひとつは,音響体の原理が表す協和音や不協和音という和声体系は人間の情念とむすびついており,音楽において情緒作用を決定しているのは和声であって旋律ではないし,旋律を生み出しているのは和声であるということである.
「情念を動かすのは,和声だけの仕事である.旋律は自分を直接に生みだしてくれた和声という源泉からしかその力をひきだすことはない.そして音の高低その他のさまざまな変化については,それは旋律の表面上の変化にすぎないのであって,なんら和声以上の仕事をするものではない.」(『考察』p.vj)
「歌の効果を感じさせようと思ったら,つねに歌を派生させた和声全体でそれを支えなければならない.なぜならその効果の原因は和声のなかにあるのであって,和声の生みだしたものにすぎない旋律のなかではまったくないからである.(...)その上,それに先行するもの,すなわちこの歌を歌ってみなければならない.なぜなら,歌が始まった部分の旋法から受けた印象こそが,それに続く部分の旋法から感じる感情を左右しているからである.」(『考察』p.58)
ラモーはたんに,旋律は和声の産物であるという主張を執拗に繰り返しているだけではない.このあとに検討するアルミッドのモノローグに関するルソー批判は,旋律こそが音楽の表現力を決定する原理であると主張するルソーにたいして,和声こそが音楽の唯一の基礎であって,旋律の性格を決定しているのは和声であるということを実際の作品を通して証明しようとする試みなのである(註20)
もうひとつは,第一の結論から結果的に演繹されることだが,音響体の共鳴という自然のなかの原理にもとづく和声こそが音楽の唯一の基礎であり原理だとすれば,旋律が和声から派生してきた副次的な産物にすぎないということは,どんな時代にも共通する原理であって,それはギリシャ音楽でも,まだ和声体系が確立していなかったとはいえ,リュリの時代でも例外ではないということになる.ところがギリシャ音楽では和声は知られていなかったというのが当時の一般的な考えであったので,ラモーは旋律を動かすときに彼らは知らず知らずのうちにこの和声の原理に従っていたのだ,と主張する.
「音楽においては耳は自然にだけ従っているし,耳は物差しもコンパスも考慮に入れない.本能だけが耳を導いている.したがってわれわれ近代人が,ピタゴラスの間違った体系にもとづいて,古代人は和声を実践していなかったと結論したのは間違いなのである.」(『考察』p.21)
そしてラモーは,音響体の共鳴からドとソという音が生じたあと,それぞれから派生してくる倍音によって,ギリシャのテトラコードと同じものが出てくることを説明し,古代ギリシャのテトラコードも結局は音響体の共鳴によってできあがっていたこと,したがって近代音楽とおなじ和声体系を基盤としていたことを証明しようするのである.(『考察』pp.35-41)
「テトラコードの音度はすべてお互いに連続した序列のなかにあり,それゆえにシ・ド,ド・レあるいはレ・ ミを連続して聞いても,われわれを引き止めるのに十分な快適さはなにもない.同時に聞けば,もっと悪いだろう.その代わりに,ド・ ミ特にド・ ソなら同時でも連続しても,非常に快適な感情を抱くしかない.(...)
もしそうだとすると,そしてそのことは疑うことができないのだが,問題になっているテトラコードの作者は,このテトラコードを作ったときにそれを構成する諸音を考えだすよりも前に,なんらかの協和音の比率に心引かれていたのにちがいない.」(『考察』pp.26-28)
さらにラモーは,アクミッドのモノローグの Ce superbe vainquerの箇所で,リュリが当時はまだ知られていなかった和声的基礎を自分でも気がつかないで使っているのは,リュリが音楽的「本能」に従ったからであると主張して,自らの理論の裏付けとしようとしている.
「芸術の基礎について十分精通した上で、この点について考えていただきたい。そうすれば、本能だけでどういうことが可能か分かるであろう。というのは、感情と好みによって導かれていたリュリ派、彼の時代にはまだ知られていなかったこの基礎についての知識がまったくなかったからである。」(註21))
『考察』の後半部分では,『フランス音楽に関する手紙』でルソーがおこなったアルミッドのモノローグ批判にたいして,ルソーと同じようにモノローグの詩行を一つ一つ取り上げて,反論を行っている.ここでは両者の主張を対比しながら見ていこう.
1.Enfin il est en ma puissanceについて
ルソー・・・「ここにはトリルがあります.そしてもっと悪いことに,意味は第二行でしか完結していないのに,第一行からさっそく完全終止があるのです.」(『フランス音楽に関する手紙』ocv.,p.323)
ラモー・・・トリルについては,「トリルはわれわれの音楽では美しさを増すためのもので,詩行の意味のすべてがかかっているpuissanceという語に力強さを付与しているこの場合では,とくにそうである.(...)/アルミッドはここでルノーを手中にした喜びを表現しているのだから,その勝利感を表すのに彼女が使っているトリル以上にふさわしい思いつきはないのだ.」(『考察』p.70)と述べている.
ルソーはトリルを終止の予告のための装飾音と考えるイタリア的な解釈から,意味が完結していない箇所に終止を予告するようなトリルを置くべきではないと主張したのにたいして,ラモーはトリルはそのようなものではなく,たんに美的効果をねらった装飾音にすぎないことを示して,リュリを擁護しているのである.またルソーが批判した完全終止ということについても,第一行から第二行の途中まで同一の主音であるということは同一の和声が継続していることを意味しており,ルソーの言うようにpuissanceには決して完全終止はおかれていないし,puissanceのceのあとの休止は息継ぎのための休止であって,和声上の完全終止ではないと反論している.(『考察』pp.71-73)また71頁では(をもうけて,『百科全書』の≪終止≫の項目のなかに間違いがあると指摘している.この指摘を要約すると次のようになる.ルソーは「終止の行為と呼ばれているものは,常に一方は終止を予告し,他方はそれを終える二つの根音の結果生じるものなのである」と規定し,「終止の最初の音の上に作られる和音は」,つまり終止を予告する和音は「したがって常に不協和音でなければならない」と説明しているが,それは終止の前にかならず終止ではない和音が挿入されることを意味しているのだから,ルソーが与えた「その結果,すべて和声は本来一連の終止にほかならないということになる」という説明は間違っていることになる,というのである.しかしこれはまったくのこじつけとしかいいようがない.というのは,ルソーは終止をその予告と解決の全体を含む動きとして説明しているので,決して不協和音の解決だけを問題にしているわけではないからである.しかしながら,ceに完全終止があるのかないのかということについては,主音に変化がないのに完全終止があるというルソーの批判は間違っていることになるだろう.
3.Ce fatal ennemi, ce superbe vainqueur.
ルソー・・・「この音楽家が必要な場合にはもっと自由に調を変えていたら,彼が第一行とは別の調に第二行をもっていったことを大目に見るのですが.」(OCV.,p.323)
ラモー・・・「まず短調を使ったのは,短調の柔らかみが長調の猛々しさと対比されて,そこで新たな刺激を与えるようにしてから,長調がce superbe vainquerという言葉の上で完全終止を終わろうとするその瞬間にその猛々しさを倍加するようにするためなのである.ここにこそ巨匠の手腕の卓抜さがある.」(『考察』p.75)
たしかに,ホ短調で始まった第一行は第二行の途中でそのもっとも近いト長調に変わっているが,これをルソーのように調性の変更が適切でないと見るか,ラモーのように対比の妙味に巨匠の手腕を見るかは解釈の問題であろう.
4.Le charme du sommeil le livre a ma vengeance.
ルソー・・・ルノーがまどんろんでいるあいだに復讐を遂げようと自分を駆り立てている場面なのに,リュリはcharmeとかsommeil という語にひきづられて甘美な音を使ったとして,リュリの場面解釈の無能さを批判している.(OCV.,p.324)
ラモー・・・ラモーは,リュリがここで「対照の対置という原理を最大限有効に使うための奥の手」(p.78)として二つの方法を使っていると説明している.そのひとつは,旋律による方法で,「ひとまず声を下方に持っていき,次いで急激に上昇させることによって,je vais percerと言いながら,そこに心のそこまで委ねようと懸命になっているアルミッドの怒りの感情を,あますところなく聴衆に感じとらせている.」(p.79)もうひとつは和声による方法で、「リュリは,(...)〔甘美さを示す〕サブ・ドミナント調で始め,トニックをまたいで,〔力強さを示す〕ドミナント調に移行する」(p.79)というわけである.
さらにsommeilという語におけるソ♯をめぐって,ルソーは旋律的統一の視点から,リュリが細部の近視眼的表現に足をすくわれたと主張しているのにたいして,ラモーはこれこそこのあとのアルミッドの怒りの表現へと徐々につながっていくためのものであるという和声的統一の観点からリュリを擁護している.(pp.81-82)(註22)
5.Je vais percer son invincible coeur.
ルソー・・・「これほど激しい心の動きのなかで,このしめくくりの終止はなんと滑稽なのでしょうか.このトリルはなんと冷やかで,不手際なのでしょうか.飛ぶように進むはずのレシタティフのなかで,しかもはげしい熱狂のなかで,短い音節につけられているとはなんと場違いなことでしょう.」(OCV.,p.324)
ラモー・・・ラモーはルソーの批判の前半部分は認めつつも,短音節上にトリルが置かれているという点については,反論している.ラモーによれば,ルソーはinvincibleのciを短音節と見なしているが,一つの単語のなかに長音節がひとつもないこの場合には,最後の男性音節であるciは長音節とみなされるのだから,ここにトリルを置いてもなんの不都合もないと指摘している.そして趣味や感じとる力や耳は音楽のためにいくらあっても邪魔になるということはないが,自然よりも技巧に重みを置くイタリア音楽ではこういったものは役に立たないと,イタリア派であるルソーを揶揄している.(『考察』p.83,原(p)
6.Par lui tous mes captifs sont sortis d'esclave; Qu'il eprouve toute ma rage.
ルソー・・・「ここで,アルミッドの心の隠された変化を音楽家がどのように表現したか見てみましょう.これら二行の詩句と先立つ詩句とのあいだには,間を置く必要があると彼にはよくわかっていましたし,休符を一つ置いたのですが,アルミッドには感じるところがたくさんあったのだから,オーケストラが代わりに表現しなければならないことはたくさんあったこの瞬間に,彼はその休符をなにも埋めていないのです.この休符のあと,彼は終止したばかりの調と同じ調,同じ和音,同じ音譜で,またもや始め...」(OCV.,p.324)
ラモー・・・まずオーケストラ伴奏については,ラモーは沈黙で十分だといって反論している.(『考察』p.84) 次に,ルソーが先行する詩句と次の詩句のあいだに休符があるのに同じホ短調のままだと批判したのを受けて,ラモーは同じミでも前者は主音で,後者はドミナントであり,それはルソー自身が『百科全書』で述べた「終止の最初の音の上に作られる和音は常に不協和和音でなければならない」という原理にもとづいているのであり,聞く耳さえあれば,分かることだと批判している.(『考察』pp.85-86)
さらに,ここにはドミナント・トニック上での避けられた完全終止があり,それが歌詞だけではよく分からないアルミッドの内面を表現するために使われているのに,ルソーはそれについて言及しなかったと非難している.
「例えば,第三と第四の詩句の終わりでドミナント・トニック上での避けられた完全終止,これは『百科全書』で言及されている終止であるが,これを隠すことによって,知識のない読者に和声の長所を隠しているのだ.和声の長所とは,歌詞が示していないことを望ませることにある.というのも,この二つの詩句のどれも意味は完結しているが,アルミッドの精神のなかでは完結していないからである.さらに旋律の長所も隠している.そこでは,終止形は,声に十分な音域をもたせて,あらゆる表現力を感じさせるべき語にまで急速に上昇することができるように配置されている.」(『考察』pp.118-120)
8.Quel trouble me saisit, qui me fait hesiter?
ルソー・・・アルミッドの内面にも外面にも大きな変化が起きているのに,相変わらず同じ調が使われていると批判している.
「たしかに,低音の動きで,主音は属音となります.いやはや! 和声上の連結など中断され,すべてが混乱と動揺とを描かなければならないこの瞬間に,主音や属音が問題になるとは.」(OCV.,p.325)
ラモー・・・ラモーは同じ調が使われているどころか,ルソーが要求するように,ここでは調がロ調,ト調,ハ調,イ調(これらはすべてホ短調の近親調である)と目まぐるしく変化していることを指摘している.そしてFrapponsという決定的な語で主たる調であるホ調に戻ってくる次第を説明している.(『考察』pp.91-92)(註23)
また「いやはや! 和声上の連結など中断され,すべてが混乱と動揺とを描かなければならないこの瞬間に,主音や属音が問題になるとは」と言って,こんな場合に和声なんか問題にしているときではないというルソーの批判にたいして,ラモーは,ルソーが「『百科全書』の≪終止≫の項目で,和声的土台は終止形だけから成り立っている,したがって旋律に与えることができる様々な言い回しもすべて結局はこの土台からしか生じることはできないと説明」(『考察』pp.115-116)していたではないかと,ルソーの矛盾を指摘している.
9.Qu'est-ce qu'en sa faveur la pitie me veut dire? Frappons.
ルソー・・・ルソーはアルミッドに憤慨させるべきなのに怒りを軟化させるような音楽的解釈を与えたとして,その曖昧さを非難している.ルソーによれば「彼の音符は朗唱をほとんど決めてしまうことはないので」,好きな意味を与えることができることになる.(OCV.,p.325)
ラモー・・・それにたいして,ラモーは,この詩句の真ん中で声を中音域に維持し,そのあとのFrapponsで四度,ついでCielでさらに主音の三度上の音にしてあることは,まさに調を変えずに朗唱にもっとも適切な仕方で作曲をする方法だと述べて,リュリを擁護している.
「最初の詩行で声を中音域におさえておいたことによって,Frapponsで四度,ついでCielで朗唱よりもさらに三度高くする余裕が十分に残ることになる.前者はFrapponsを決定的なことがらとして主音を与えるし,後者はこの主音の三度上まで上がることで,突然止められたことにたいする驚きを明確にする.ここでは調の変化はまったくふさわしくない.なぜなら,驚きがあまりにも突然のことなので,声を高くすることによって示される最初の音が朗唱にもっともふさわしいのであり,そして原理と本能の秩序に従えば,またその結果声に残された音域からはこの最初の音はまさに三度音ということになるからである.」(『考察』pp.94-95)
10.Ciel! qui peut m'arreter! Achevons...je fremis! vengeons-nous...je soupire!
ルソー・・・「ここが,たしかにこの情景全体で一番烈しい瞬間なのです.アルミッドの心中で一番すざまじい闘いが行われているのはここなのです.こうした烈しい動揺のすべてを,音楽家が(...)同じ調のままにしておいたなどとだれが信じられるでしょうか.」(OCV,p.326)リュリのやり方はあまりに不器用なので,アルミッドの動揺がまったく見えてこない,というのがルソーの批判である.
ラモー・・・ラモーはホ短調→ト長調→ハ長調→ニ長調→ト長調→ト長調の三度音と「同じ調」のままどころか目まぐるしく変化していることを示したあとで,「これほど頻繁なドミナントとトニックの交代,これほどのシャープとフラットの変化,これらが譜例によって確認できるように,和声的土台のなかに可能な限り完璧に配分されたクロマティックを生じさせているのである.しかしながらかの人は,そんなシャープやフラットは,歌のパートにも,低音にも,また数字記号のなかにも全然見当たらない,とおそらく言うだろう.だからこそ,このような場合に正しい判断をするためにはたんなる眼の働き以上のものが必要なのである.譜例Gを見よ./ここでは旋律に先立って,旋律の産みの親である和声を響かせてみよう.というのも,和声というものは歌詞の内容にかかわらず歌手が感じとるべき感情を抱かせるからである.そしてこの感情は,偏見のない自然の純粋な効果に喜んで身を任せようという人ならばだれの心をもうつだろう.以上のことから,和声こそがこの感情の主たる原動力であること,そして,旋律だけでもこの感情を抱かせることができるとしても,それは旋律が,それとは知らずに,旋律を左右している和声的土台を暗に聞かせているからなのだ,と結論しないわけにはいかないだろう.」(『考察』pp.98-99)(註24)
11.Est-ce ainsi que je dois me venger aujourd'hui? /Ma colere s'eteint quand j'approche de lui.
ルソー・・・「この二つの詩句のあいだにもっと間があり,第二の詩句が完全終止で終わっていなかったら,立派な朗唱になるところなのですが.こうした完全終止は常に表現を殺してしまうのですが,とくにあまりに重々しくなってしまうフランスのレシタティフではそうなのです.」(OCV.,p.326)
ラモー・・・「この二つの詩句の朗唱を認めることは,彼の批判を批判することになる.というのも,この朗唱もこれに先行するすべての朗唱と同じ原理にもとづいているからである.したがってこの人が二つの詩句のあいだに要求しているもっと大きな間ということについても,それは俳優の一存にまかされているのである.」(『考察』p.111)
「間の長さについては俳優の判断に委ねられているだけでなく,第一の詩句の終わりに置かれている休止によって間を置くことが余儀なくされているのだ.したがってルソー氏の主張から見ても,この二つの詩句は立派な朗唱なのである.」(『考察』p.122)
トリルの場合と同じように,ラモーは解釈者に残された評価の自由性を強調している.または完全終止については,詩句の意味が完結している以上,完全終止以外には置きようがないと述べている.
12.Plus je le vois, plus ma vengeance est vaine.
ルソー・・・「この詩句の真の朗唱法を感じとれる人ならだれでも,第二の半句は対意的になっていることがお分かりでしょう.したがって声は,ma vengeanceで上がり,vaineでそっと下がるべきなのです.」(OCV.,p.326)
ラモー・・・この詩句についてのルソーの批判にはラモーも同意している.(『考察』pp.111-112)
13.Mon bras tremblant se refuse a ma haine.
ルソー・・・「完全終止を間違えている!それにトリルが付けてあるだけ,なおさらです.」(OCV.,p.326)
ラモー・・・「しかしそれを決めるのは聞く耳を持っている人に委ねられるべきだろう.」(『考察』p.112)
14.Ah! quelle cruaute de lui ravir le jour?/A ce jeune heros tout cede sur la terre.
ルソー・・・「この詩句をデュメニル嬢に朗唱させてごらんなさい.そうすれば≪むごいこと≫という語がいちばん高くて,そして声は詩句の最後までじょじょに下がっていくことが分かるでしょう.」(OCV.,p.326)
ラモー・・・「第一の詩句に続いて第二の詩句も朗唱させてごらんなさい.そうすればあなたは(われわれはここにデュメニル嬢を引き合いに出した著者に申し上げているのだ),彼女が第二の詩句に移るためにjourのあとで声を下げること,したがって作曲家も ce jeune h rosで声を下げて和らげるためにはjourで声を上げるにこしたことはなかったということが(...)お分かりになるだろう.」(『考察』p.113)(註25)
ダランベールが指摘したように,たしかにラモーによるアルミッド解釈にはリュリがもともと考えてもいなかったような和声づけがなされており、そのためにアルミッド解釈という点から見れば行きすぎのところもあるとはいえ,その基礎になっている音楽美学の原理という点から見ると,和声体系こそが音楽表現の唯一の土台であるということをリュリの作品にそくして提示してみせたということでは,ルソーに大きな衝撃を与えたにちがいない.
4.ラモーの反論
ラモーの『考察』が出版されたころ(1754年4月12日に出版認可を受けている),ルソーはディジョン・アカデミーによる懸賞に応募したいわゆる『人間不平等起源論』を出しおえ,テレーズと友人ゴフクールの三人でジュネーヴへむけて旅立っていた.おそらくその旅にこの『考察』を持っていったか,途中で手に入れて読んだであろう.しかしこれにたいしてはルソーはなんの反論も試みていない.ルソーがパリに帰ってきた10月には,二箇所のラモー批判を含む≪DISSONANCE≫を掲載する『百科全書』第4巻が出版されており,新たにラモーの怒りをかったことは想像にかたくない.
すでに拙論(註26)で明らかにしたように,ルソーは『百科全書』に書いた音楽関係の項目に完全に納得していたわけではなかった.とくにダランベールによって書き直しを要求されたと見られる項目もあったうえに,先のラモーの『考察』のなかで矛盾を批判された箇所もあったために,全面的に書き直して,新たに『音楽辞典』として出版したいと考えるようになっていた.ジュネーヴから帰ってきた次の年1755年の1月には「今年の夏には印刷に回せるように私の『音楽辞典』の準備をしています」(註27)と出版社のレイに伝えており,ラモーにたいして直接反論するのではなく,『音楽辞典』というかたちでの反論を考えていたことが分かる.そうこうしているうちに,ラモーは匿名で『「百科全書」における音楽に関する誤謬』(以下『誤謬』と略して,ページ数のみ記す)を発表し,すでに出版されていた『百科全書』の第4巻までに掲載されたルソーによる音楽関係の項目のうち≪伴奏≫,≪和音≫,≪終止・終止形≫,≪合唱曲≫,≪クロマティック≫,≪不協和音≫に徹底的な攻撃を加えてきた.ラモーが匿名を使ったのは,おそらく『百科全書』の責任編集者であったディドロやダランベールとはまだ友好関係にあったし,1748年頃にダランベールから音楽関係の項目の執筆を依頼されたときに,執筆はできないけれども原稿に目を通すくらいのことはしてあげようという約束があったからだと思われる(註28).ラモーの批判と,それにたいしてルソーがどのような対応をしているか一つ一つ見ていこう.
ラモーはまず≪伴奏≫の項目を取り上げている.≪伴奏≫の項目についてラモーが批判している主な点は,伴奏における和音の十全さ完全さの可否についてである.ルソーは『百科全書』の≪伴奏≫の項目や『オンファル』に関するグリムへの手紙や『フランス音楽に関する手紙』においてイタリア式の伴奏方法を例に挙げて,主要声部の旋律が表現する主題こそが音楽表現の最大の源泉なのだから,伴奏はそれを支え,強化するための役割を果たすべきであり(『フランス音楽に関する手紙』ではそれを≪旋律の統一性≫として原理化した),和音どうしが効果を相殺することがないように和音のなかから必要最小限の音が選択されなければならないと主張して,すべての和音を鳴らすことを要求するラモーの伴奏方法を批判したのだった.それにたいしてラモーは,≪伴奏≫の項目の文章を引用したり,また必要に応じて『フランス音楽に関する手紙』も引き合いに出しながら,第一に和声連結の観点からそれを批判している.どの和音の音もそれと相前後する和音のなかの音と連続する関係にあり,そのようにしていわゆる旋律を形成しているのだから,和音のなかの音を省略することは,そのような旋律線を破壊することになる.
「和声の規則性は連続性からも充実性からも成り立っている.ある音はあれこれの音によって先行されたり後続されたりしなければならないが,もしそれを取り去ってしまったら,それに先行する音は耳にはどう聞こえるだろうか? その音が耳に後続する音を予告してやらなかったら,後続する音を耳はどうやって聞き取るのだろうか?」(『誤謬』pp.14-15)
また伴奏という点からも見ても,和音のなかの音を省略してしまえば,和声的な連続が中断されてしまい,転調や旋法や主音や様々な終止形を主要声部に示してやることができなくなり,主要声部はどう進んでいいか分からなくなる.
「この〔和音の〕完全さがなければ,和声的連続は削除された声部によって中断されてしまうことになり,その結果,まさにこのような場合にこそ,伴奏は失敗する可能性がある」(『誤謬』p.19)
第二にラモーの議論は,すでに『考察』の主要な主題であったものだが,旋律とそれを支える和声との関係,すなわち旋律の性格を決定するのは和声のほうなのだという議論にまで進む.ラモーによれば,ある音程がさまざまな情緒作用をもつのは,異なった和音や和声関係のなかに置かれることによってその位置づけが変化するからである.
「例えばド ファ♯という音程は呼びかけ,問い掛け,感嘆,断定,否定などの役に立つことができるが,しかし旋法が音符ごとに変わるとき,まさにこのような場合に,同じ二音によって作られる同じ音程に,そこに連続する二つの旋法のあいだの関係が変わるのと同じだけ表現が変わるのが感じられる.というのは,このような表現というものは,パッセージが上に五度になるか下に五度になるかによって,また旋法が長旋法か短旋法かによって,状況にふさわしいテンポによって助けられることで,優しさ,悲哀,陰鬱,醜悪,喜び,快活,威嚇,激怒,恐怖の性質を帯びるからである.」(『誤謬』pp.52-53)
ラモーの主張では,ド ファ♯という音程はそれだけではなんの情緒作用ももたないし,確定したパッセージをもつことはなく,それがなんからの旋律として確定的なものになるのは和声体系のなかに置かれて,一定の位置づけが与えられることによってなのである.それゆえに,和声こそが旋律の産みの親なのだということになる.
「したがってわれわれが音楽において感じる様々な効果は,まさにこの旋律の産みの親である和声から直接に生じるのである.和声の付属物である旋律とか拍子は音楽の効果にはなんら寄与していないし,和声がなかったら,これらの付属物はまったく無益になる.これはどうでもいいような考察であるはずがない.」(『誤謬』p.46)
ラモーによれば,歴代の音楽家たちも含めて,誰もが音楽の効果を旋律のなかの音符や音程に求めてきたが,自分の『理論的音楽の新体系』(1726年)が出てからは,旋律の音程を支えている和声こそが音楽の効果の産みの親であることが明らかになったのである.そこで彼は,同じ音程が様々な調や和声関係のなかに置かれることによって様々な情緒作用を及ぼすことを詳細な例によって示したあとで,再び伴奏の問題に戻って次のように結論する.
「和声の連続が旋律,言い換えれば,考えられるすべての歌を生み出すのであり,その土台はうまく導かれた伴奏にのみある.(...)この旋律にはどんな変化をも持ち込むことができるが,その変化はすべて,この土台の組み合わせの変化,およびこの土台から引き出される好みの装飾音から成り立っている(...).したがって,この旋律主義者は,和音の音を削除すれば旋律の秩序が破壊されてしまうということや,彼が削除しているのはおそらく,もっとも幸運な組み合わせに最適な音であるということが分かっていなければならないのに,和音の音を削除すべきだなどとは,いったいどうしてそんなことを考えることができたのだろうか?」(『誤謬』pp.62-64)
和音のなかの音を削除すれば和声の完全さがこわされるという,ここでのラモーの批判にたいして,ルソーは『音楽辞典』の《伴奏》に次のような一節を追加して,それに答えている.
「この音の省略がどのようにして完全な和音による伴奏という定義と一致するのかと問うものがあれば,私はこう答える.この省略は仮説的でしかなく,ラモー氏の説の中にしかない.自然に従えば,外見上はこのように改変されたこれらの和音は,かえって他の場合よりも完全である,というのはここで省略されたと思われている音は和音を刺激的でしばしば我慢のならないものにするからである.実際不協和音はタルティーニ氏の方法ではラモー氏の方法のようには鳴らされていない.その結果ラモー氏の場合の不完全な和音というのは,他の人の場合には完全なのであるという.結局,演奏におけるよき趣味は一般的な規則から離れることをしばしば要求するし,最も規則にかなった伴奏が必ずしも常に最も心地良いものとはかぎらないのだから,定義は規則を意味し,慣用はいつそれから離れるかを教えるべきなのである.」(OCV.,p.624)(註29)
ルソーに言わせれば,和音の完全さと言うけれども,その定義が自分とラモーとでは違っているので,ラモーから見れば不完全な和音でもルソーから見れば完全な和音だと言えるのだから,音の省略=不完全な和音という批判は当たらないというわけである.
次に≪和音≫の項目についてラモーが挙げている批判は,まず仮定による和音のなかの九の和音およびその派生和音に向けられている.@九の和音およびその派生和音の三つ目の和音,つまり低音部に三度音がきた場合の和音のなかにファ ソ ラがあるが,これはルソーが≪不協和音≫の項目で「二重に不協和になる」として否定していたものではないのか,とルソーの矛盾をついている.これにたいしてルソーはなんの変更も加えていない(註30).A九の和音は五音あるのにその派生和音では四音しかないのはおかしいと指摘している.しかしルソーはもとからこの和音の七度音は一般的には省略されると説明している(註31).B派生和音は基礎和音と組み合わせが違うだけで同一の音程でなければならないのに,そうなっていないとラモーは批判しているが,ルソーはこれにたいしてもなんの変更も加えていない.C「実際まるで,この著者が二つ目の和音の例で七六の和音を持ってきたときと同じ性質を当てている九度の基礎音,もう一度言うが,この基礎音がもはや基礎音ではないかのようである.これは,休止が次に主音上で終わるかその属音上で終わるかによって,上中音ないしは下属音でしかない.自分の経験だけでもそんなことに気がつかないような音楽家とは,いったいなんだろうか?」(『誤謬』pp.79-80)つまりラモーは九の和音のときにファを根音にしておきながら,なぜあとでもそうしないのかと批判しているのだが,これもルソーはなんの変更も加えていない.
つぎにラモーは『百科全書』のp.79における十の和音または四の和音の譜例について,五点にわたって間違いを指摘している.この指摘にたいしては,ルソーはこの和音の楽譜を完全に差し替えている.そしてここでの最後の批判は,不協和音がどのようにして準備されるのか,この項目で説明すべきなのに,≪準備する≫に先送りしているというものであった.
≪終止形≫に移ろう.この項目は,すで 『考察』のなかでもさかんに引用されて,そ の「間違い」や「矛盾」が指摘されていたが,ラモーはここでは,ルソーの他の項目との「矛盾」について取り上げている.とくに不規則終止が形成する下降する和声については,ルソーが「私が知っているいかなる著者も,今まではこの和声的下降について語らなかった」と述べているのを批判して,≪伴奏≫の項目ではラモーの伴奏方法のなかで規則としてたてられていると説明していたではないかと,矛盾を指摘している.ルソーは『音楽辞典』に再録するときには,そのために「ラモー氏が出るまでは」というただし書きを追加したり,『百科全書』のこの項目の最後のパラグラフである「たとえばラモー氏の作品のような,最も優れた音楽作品でさえ似たようなパッセージで一杯だとしたら,またこのようなパッセージが優れた原理の上に作られていたら,それらが耳を喜ばすものであったとしたら,どうしてそれについて触れなかったのだろうか?」という箇所を『音楽辞典』には載せていない(註32)
次に,ルソーは,『百科全書』の≪伴奏≫の項目で和声上のフレーズの四つの構造のうち第三の構造,つまり付加六度の不協和音を伴う五度上行,四度下降の連続するフレーズのことについて,ラモーも気づかなかった構造であり,自分が初めて発見したものだと説明していた.ラモーはこの箇所について,(終止形を見よ)と参照指示がしてあるのに,≪終止形≫の項目のどこにも説明がないことを指摘し,さらに,付加六の不協和音が上行するのは,これが長音程の不協和音であることから,終止を決定するためには導音とおなじように上行しなければならないからであって,その他の協和音は上行しても下降してもかまわないのであり,「不協和音が不規則な終止において上行するとしても,だからといってそれは和声の全体が上行していることの証明にはぜんぜんならない」(『誤謬』p.96)と批判している.ルソーは参照指示の点については非を認めたのか,『音楽辞典』からは(終止形を見よ)という指示を削除している(註33)
≪合唱≫について, ラモーはすでに『考察』の最後で,『百科全書』の≪伴奏≫では合唱を評価していたのに,『フランス音楽に関する手紙』では音楽的価値がないと述べていることについて,ルソーの説明の矛盾を指摘していたのだが,このことをもう一度ここで確認している(註34)
次の≪クロマティック≫についても次のような簡単な指摘で終わっている.
「クロマティックな半音が二つ連続することはないということをこの人はこの項目で説明しなければならなかった.ところが,この人は,ディアトニックな半音はクロマティックな半音と同じなのかどうかを曖昧なままにしたままで,クロマティックな半音は常に新しい調か旋法を予告するということを言明しなければならなかった.」(『誤謬』pp.99-100)
ルソーは,たしかにラモーの指摘するとおり,『百科全書』では「半音階では音符ごとに調を変えるので,迷いこまないためにはこれらの連続を限定し規則づける必要がある」(註35)とは言っていたが,ディアトニックな半音とクロマティックな半音の区別について明確な説明をしていなかったため,『音楽辞典』では次のような説明を追加している.
「クロマティックにおいて実践される連続的半音はすべてがおなじ種類のものであるわけではなくて,小半音と大半音,つまりクロマティックな半音とディアトニックな半音が,ほぼ相互に続く.というのは小全音に含まれるのは,小半音ないしはクロマティックな半音と,大半音ないしはディアトニックな半音だからである.この関係は平均律のために全ての全音に平準化された.その結果,となり合わせの小半音を連続して使うと,どうしてもエンハーモニックすなわち異名同音に落ち込んでしまうのである.しかし,大半音は音階がもつクロマティックな順序のなかでは二度続くのである.」(『音楽辞典』OCV.,p.708)
次の≪不協和音≫は重要な項目である.まずラモーは不協和音が和声に不自然な存在なのかどうかを問題にする.ルソーは『百科全書』の≪不協和音≫の項目で「和声の物理的原理は,任意の音からの完全和音の発生のなかにある.全ての協和音がそこから生じる.そしてそれらを提供するのは自然そのものである.ところが,不協和音については同じではない.その気になれば,われわれは不協和音の発生を協和音の差のなかに見出すが,和声体系にそれらを入れることを可能にしてくれる物理的理由がわれわれには見当たらないのである」(註36)と説明していた.協和音や不協和音のような音響現象をすべて幾何学的な方法によって説明しようとするラモーの方法にたいする不同意を,ルソーはこのときにはすでに表明していたことになる.それにたいしてあくまでも,不協和音を音響体における比率の幾何学的方法によって証明しようとするラモーは,ダランベールがルソーの書いた項目の後に付け加えた項目のなかで,ソ シ レとかファ ラ ドのような属和音,下属和音の上方ないしは下方にファやレという短三度を追加することによって不協和音を作るという説明(これ自体,ルソーがこの項目で批判している)に触れて,「旋法のなかに主音と属音と下属音とを区別しなければならないようにすることによって,直接的にではないにしても,少なくとも間接的に,自然がこのことに大いに関与していることを十分に証明している」(『誤謬』p.103)と反論している.
また不協和音を説明するために比例関係を恣意的に利用しているとルソーが批判している箇所について,ラモーは「不協和音が完全和音に付けられると,釣合いのとれないものになる.」したがって,このような場合には,「不協和音を導入するのに役立つのは比例関係」ではない.他方,不協和音を形成するために付け加えられた三度の変更は,二音のあいだの比率の欠如であって,少なくとも三音を必要とする比例関係の欠如ではない.したがってこの場合にも同じく,「比例関係の欠如が不協和音を感じさせるのに役立つ」のではない.」(『誤謬』p.109)とルソーの批判にはなんの根拠もないと反論している.
さらに二度の説明に関しては,ソとシのあいだにラを置くと二重に不協和音ができるとルソーが説明していたことについて,≪和音≫の項目ではこれと同じものを挙げながらなにも説明しなかったとルソーの矛盾をついたり,基礎和音に二度をもちこんで七の不協和和音ないしは付加六の不協和和音を作るというルソーの説明にたいして,「これらの和音は誘導のための唯一の基礎的和音であると言わないとしたら,いったい何を結論するというのだろうか?」(『誤謬』p.112)とルソーの説明の不十分さをあげつらったり,これらの和音と根音バスの進行の関係について,「ここではこの人は原因と結果を逆にしているのだ」(『誤謬』p.109)(註37)と噛みついたりしている.これにたいしてルソーは大幅な追加を行ってラモーに反論している(註38). その要点は,ラモーがすべての和声を音響体の共鳴から説明できると主張しているが,不協和音や下属音は共鳴しないのに,どうして説明できるのかと批判している点である.ラモーはそれを「振動するが、共鳴しない」と言って,切り抜けようとしたのだった.この点についてルソーは『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』のなかで,徹底的な批判を加えることになる.ルソーが『音楽辞典』でこのようにきちんとした批判をすることができるようになったのは,『検討』でのつっこんだ考察があったからである.
最後にラモーは,音楽の原理そのものに触れ,自然が音楽の原理を刻み込んだ耳のもつ判断力だけが唯一無謬であるが,にもかかわらず幾何学を用いるのは,耳に刺激を与えるさまざまな対象のあいだの関係について眼からも同等の関係を知覚することによって,確実さを得ることを期待したからだと説明し,音響体の共鳴からあらゆる比例関係や進級や比率が生じることは,音響体の共鳴から導き出される比例関係こそが全ての学問を統一する自然の原理だからなのだというところにまで議論を展開した.彼はその理由について,「まだなんらかの知識を引き出してくることができるこの芸術について私が長々と脱線をしたのは,ほかならぬ『百科全書』の編集者たちを真実の道に向かわせるためなのである.彼らは,真実を知らなかったり,ないがしろにしたり,あるいはそれを隠して,誤謬や無益な批判や憶見を差し出したりしているからである」(註39)として,ディドロとダランベールを批判した.
5.発表されなかったルソーからの反論
さて以上のようなラモーによるかなり激烈な批判を受けてルソーはただちに反論を書いたが,それが『旋律の原理または「音楽に関する誤謬」への反論』Du Principe de la M lodie ou Reponse aux Erreurs sur la Musique であった.この草稿については若干の説明が必要である.1753年11月から1754年4月のあいだに『人間不平等起源論』を執筆した際に,ルソーは音楽の堕落の歴史に関する断片も執筆していた.しかし1754年10月にレイに『人間不平等起源論』の決定稿を渡すまでに,この部分が「あまりに長すぎるし,場ちがい」(註40)だという理由から,抜き去っている.この削除された断片は,その後1755年の末ごろにラモーの『「百科全書」における音楽に関する誤謬』にたいする反論のために使われ,そのために執筆した『旋律の原理または「音楽に関する誤謬」への反論』の真ん中部分に若干の変更を経て挿入された.しかし草稿は出版されることはなかった.その後この論文の冒頭部分と末尾部分とは『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』として一つにまとめられた(ルソーの生前には未発表).残された真ん中の部分も1761年までには『言語起源論』として完成していた.したがって,この真ん中の部分というのは,『人間不平等起源論』の一部だったが,「あまりに長すぎるし,場ちがい」だという理由からルソーが削除した断片そのものではないにしても,かなりそれに近いものであった(註41).この真ん中の部分は,プレイアッド版にL'Origine de la Melodie(『旋律起源論』)というタイトルを付けて収録されている.
この『旋律起源論』について見てみよう.ルソーは旋律あるいは歌というものが,純粋に自然の産物であって,人為の産物である和声から生まれたのではないということを明らかにするためには,旋律の起源にまでさかのぼってみる必要があると述べて,その探求に入る.(OCV.,p.331)だが言語の起源については,動物の叫びを模倣するところから生じたのだと簡単に触れるにとどまっている.(OCV.,p.331)そして形成されたばかりの言語の特徴について次のように説明する.
「どの言語も生まれたときには数の少なかった分節音を変化の多い響きでもって補い,語と音節のかわりに抑揚と語調(アクセント)を使い,語ることが少ない分だけ歌わなければならなかった.」(『旋律起源論』OCV.,p.332)
最初の言語は,分節音の少なさを,響きや抑揚やアクセントによって補っていたというのであり,つまり響きや抑揚やアクセントをもつという説明自体が,最初の言語は歌と同じであったというルソーの考えをこの一節はよく示している.言語と歌との類縁性について,「話している人がある音節上で止まって,その音声を同じ高さに保って引き延ばせば,その瞬間に話す音声は歌う音声になって,音は鑑賞できるものになる」(OCV.,p.332)というように,現代でも話し言葉と歌う言葉には根本的な違いはないということを説明したあと,
「言語とともに生まれた旋律は,言わば言語の貧弱さのゆえに豊かになった.多くの観念を伝えなければならないのにほんのわずかな単語しかなかったときには,必然的にこのわずかな単語に多くの意味をもたせ,様々な方法で組合せ,調子だけで区別できる様々な意味を与え,比喩を使わなければならなかったし,なかなか理解してもらえにくいために,人の興味を引くことしか言うことができなかったので,伝えるのに苦労する分だけ一生懸命になったのである.熱意,語調,身振り,こうしたことがすべて会話を活気づけ,会話は理解されるよりも感じられなければならないものだった.かくして雄弁が理屈に先行し,人間は哲学者になるよりもまえに長い間弁論家であり詩人だったのである.」(『旋律起源論』OCV.,p.333)
と結論する.最初の言語の特徴について説明しているこの一節からは,ルソーが言語を構成する要素として分節音と旋律を考えていたこと,したがって通時的な記述に移ったときに,分節化がもっと進行することによって分節音による意味伝達の比重が高くなるのに応じて,リズムや抑揚やアクセントといった旋律による伝達の比重が下がってくる経過を展開していく論旨がよく理解されるのである.
つぎにルソーは古代ギリシャにおける言語と音楽の関係について記述しているが,その調子は『学問芸術論』の高揚した調子を思わせることを指摘しておこう.
「かくして言語が階調的で歌うようなものになるのと同時に,音楽は特殊な芸術となるのでなく,文法の一部分となったし,最後にはその規則を知らない人はだれでも言語を知らないとみなされていた.実際ピタゴラスとフィロラウスは協和音やあらゆる音程の比率を計算した.そしてその知識は楽器の制作と演奏実践に必要になった.なぜならそれらの楽器は協和音によってしか調律できなかったからである.しかしギリシャ人の様々な体系の成り立ちは,ギリシャの著述家たちの誰一人として真の意味での和声に導かれたものはなかったことを明らかに証明しているし,これとは反対のことを敢えて主張しようとする人は誰でもすぐに証明を浴びせられて,沈黙と否認を余儀なくされるだろう.これほど長い間和声に関するギリシャ人の知識について論争がなされたのは,この論争がこの芸術にたいして何の造詣もない文学者たちによってなされたからであり,彼らにもう少しでもギリシャ音楽に対する知識があればギリシャ音楽とわれわれの音楽とは比較できるような共通部分をまったく持っていないし,また持つこともありえないということが分かったかもしれないのに,われわれの音楽についてのいい加減な考えだけでギリシャ音楽を判断するには十分だと勝手に思い込んでいたからである.」(『旋律起源論』OCV.,pp.334-335)
このあとルソーはギリシャ音楽ではオクターヴと五度しか完全協和音として認められていなかったことを指摘し,彼らには和声は存在しなかったし,和声感情もなかったことを説明しているが,この部分は後に『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』(以下『検討』と省略)や『言語起源論』でも使われることになる.
さらに音程にかかわる音階組織についても,和声的な基礎から生まれたのではなく,「ギリシャの韻律法の本性の結果であり,ほかならぬこれらの音程を音にすることが簡単だということが分かったことの結果」(OCV.,p.336)にすぎないことを説明しているし,リズムについても旋律の一要素として考えられていたことなどから,ルソーは古代ギリシャでは,音の長短を示すリズムも音の高低をしめす抑揚も旋律そのものとして,言語の一側面と考えられていたのだということを説明している.
このような言語と旋律が一体化している古代ギリシャの状態を念頭におきつつ,ラモーがリズムや音の高低を旋律の付属物として説明していることたいする批判を展開している.しかしなによりも重要だと思われるのは,ラモーが『考察』や『誤謬』で主に問題にしていた和声と旋律の関係について短いながらも反論を試みていることである.
「いま一度拍子に立ち戻ろう.時間的な長さが確定していない音符の連続とは,共通な効果を奪われ,孤立して,お互いにばらばらに聞こえ,そして和声の連続によって産出されたにもかかわらず,耳にはなんのまとまりも提供せず,ひとつのフレーズを形成し,何かを言うために,拍子が与えてくれるつながりを待っている音の連続とは,いったいなんだろうか? 音楽家に音価の確定していない音符の連続を示してご覧なさい.彼は幾通りもの方法でそれらに拍子をつけ,テンポを組み合わせたり変化させるだけで,まったく異なった旋律を50通りくらいも作るだろう.これこそ,旋律を確定するのは拍子の仕事であるということの動かしがたい証拠である.」(『旋律起源論』OCV.,p.337)
この一節はそのまま『検討』にも使われることになるので,あとで再び取り上げることになろう.
そのあとには,音楽と言語が一体化しているという意味での音楽の純粋状態からの堕落の歴史が記述される.すなわち,哲学と理性の進歩によって言語が冷たくなり,旋律が言語と分離していき,その力強さを弱めていったこと,北の民族の侵入によって旋律からリズムと拍子が排除され,かわりに響きの悪い音の引き延ばしから偶然にディスカントゥスや対位法が発見され,その結果旋律が和声に取って代わられたために,音楽から旋律が完全にしめだされたことなどが描かれている.
この後,ルソーは古代ギリシャにおける旋律と言語が一体化した状態を再び取り戻そうとするフィレンツェのカメラータ運動について触れている.つまり彼らは音楽を文法的な言語に近づけることによって,旋律に新しい存在と力を回復しようとしたのである.ルソーによれば,その結果,それぞれの国語の特徴にあわせて国民的音楽が形成されることになったので,「それぞれの国で自分を形作ってくれた言語の性格を受け継ぎ,国語がリズムとアクセントに富んでいる場合には階調的で変化の多いものになり,リズムもアクセントも乏しいために,言わば理性の器官でしかないような国語においては,歌は理屈ばかりこねている人々の口調のように,引きずるようで冷たいままであった.」(OCV.,p.341)そして,最後に,ルソーは和声は生理的なものに働きかけるだけであるのにたいして,旋律こそが精神に働きかけて感動を作るのだと述べるととも,和声の役割についても,「和声の働きは,旋律を支えること,もっとも正確な規定力によって音の動きを確定すること,音の動きの感情を常に存在感のあるものにすること,音程の感じやすさに変化を加えて音を強めたり弱めたりすること,拍子とリズムを明確に示すること,最後に旋律および旋律が模倣している話し言葉(discours)の魂である強・弱に人をもっと敏感にすることである.このようにして和声は,自分が規則からはずれた多数の音程を排除することによって音楽の力強さから奪ったものを部分的にでも音楽に返しているのである」(OCV.,p.342)というように,和声も正当に位置づけられるならば,旋律の働きを強化するために機能することができると考えている.
『旋律起源論』の特徴は,『フランス音楽に関する手紙』で「私たちの音楽がうわべは完全なものになるにしたがって,実際はいっそう堕落していると私には思われるのです」(註42)と言っていただけの段階にくらべて,その堕落の過程をいっそう詳しく記述している点にある.『百科全書』の≪音楽≫や『フランス音楽に関する手紙』ではギリシャ音楽を旋律と言語が一体化した理想的な状態として描き,それに対比して近代フランス音楽を和声の点で豊かになったけれども,音楽の表現力という意味では力強さを失って堕落したと述べていた.それにたいして『旋律起源論』の論述は,最初の言語の一要素であった旋律がもう一つの要素である分節音の肥大化にともなって言語のなかでは縮小していき,同時に古代ギリシャにおいて音楽として独立したあとに起こった音楽の堕落の歴史を記述している点で,本来善なる存在であった自然状態の人間がどのような過程を経て「文明化」し堕落してきたかを論述した『人間不平等起源論』のルソーを思わせる.ところが,『人間不平等起源論』のルソーはもう一つの課題,つまり人間存在の本質,人間存在の純粋状態を明らかにするという課題にも答えていたのだが,『旋律起源論』では,なぜ旋律=言語なのか,なぜ旋律は言語と一体だったのかという問いにたいして根本的に答えていないのである.たしかにルソーは,旋律の本質について明らかにするためには旋律の起源を明らかにしなければならないという認識から,旋律の起源まで遡ろうとする.
    「純粋に自然の産物である旋律あるいは歌は、したがって学識のある人の場合であろうと無知な人の場合であろうと、人為の産物である和声に起源を持っているのではないと思われる。人為は美しい歌であることを証明するのには役立つが、けっしてその源になることはないし、人為のもっとも価値ある役目は美しい歌を目立たせることである。
    しかし、もしその方法があるのなら、旋律の真の起源を探究してみよう。そしてラモー氏がそれについて持っている考えが諸事実の正確な観察によって得られる考えと一致するものかどうか見てみよう。」(『旋律起源論』OCV.,p.331)
 しかしその結果ルソーがここで到達したのは,旋律=言語というルソーにとってはすでに自明のことを再確認したにすぎない.ルソーがこの問いにたいしてここで与えている回答は,旋律は言語とともに生まれ,当初は言語が貧弱だったので,それを旋律が補っていたのだというものであった.しかしこのような考え方からはけっして情念と旋律の関連は出てこないと言わなければならない.事実,ルソーは原初の言語が感じられるべきものであった理由を,「熱意,語調,身振り,こうしたことがすべて会話を活気づけ,会話は理解されるよりも感じられなければならないものだった」(『旋律起源論』OCV.,p.333)というように,話者の一生懸命さに求めようとしているだけだし,言語の生成の問題については動物の叫びの模倣ということを触れたにすぎなかった.だが人間存在の純粋状態の考察にまで思想を深めた『人間不平等起源論』のレベルに達するには,原初の言語がどのような自然的社会的構造によって生成してきたのか,それゆえに原初の言語がどのようなものであったかについての考察にまですすまなければならなかったはずである.それはすなわち言語起源論でなければならなかったはずであり,旋律起源論では意味がなかったのである.『旋律起源論』はこのような意味において明らかな不十分さを残していた.
とはいえ、ルソーが旋律の起源を明らかにしなければならないと思ったのは、和声こそ音楽表現の土台であり、それを知らなかったギリシャ人でさえ、知らず知らずのうちに和声にもとづいて音楽を作っていたのだと主張するラモーに反論するためには、旋律こそが人間の表現行為の原点に位置づけられること、しれゆえに旋律こそが音楽に普遍的なものだということを明らかにしなければならないと感じたからである。
次に『旋律起源論』とほぼ同じ時期に書かれた『ラモー氏が主張する二つの原理の検討』を検討してみよう.この論文は表題そのものが示すとおり,ラモーの『「百科全書」の音楽に関する誤謬』(1755年)に反論するために書かれた.最初は上の『旋律起源論』が真ん中に挟まれていたが,最終的に削除された.和声こそが音楽の唯一の基礎であり,旋律は和声から由来したものだというラモーの主張にたいする反論と,「伴奏は音響体を表す」という主張にたいする反論の二本柱から構成されている.
和声と旋律の関係の問題についてみると,先の『旋律起源論』で,和声というものをもたなかったギリシャ音楽から,階調に乏しい言語をもつ野蛮人がむりに旋律を作ろうとして諸音を引き延ばしたことから和音が発見され,対位法やディスカントゥスの発明を通して和声体系が確立されていった過程を示したのを受けて,和声をもたなかったギリシャ音楽と和声体系の確立した近代音楽とは,全く別個の原理のうえに確立されたものであるということを説明しようとしている.ラモーは近代和声体系は自分が発見した原理ではあるけれども,自然から引き出された原理であり,あらゆる時代のあらゆる国の音楽活動を支えている原理であると考えていたが,反対にルソーは,近代の和声体系というのはまったく恣意的な操作の上に成り立っていると考える.その例としてルソーは,@本来どの音にも完全和音の他に和声的でない部分音が無数にともなっているにもかかわらず,近代西洋の和声体系はそれらを排除することによって成り立っていること,
「まずラモー氏が和声の全体を音響体の共鳴から生じさせていることに注意しなければならない.たしかに,どんな音も,付随的付加的な三つの倍音を伴っているので,それらと完全和音,すなわち長三度を形成する.(...)しかし,どの主要音も,これら三つの倍音のほかに,和声的ではないために完全和音のなかには入らないような音をたくさん生み出すのである.(...)この芸術はそれらの音を和声から排除したのであり,まさにこのときにこの芸術は自然の規則をすてて自分の規則を用いはじめたのである.」(『検討』OCV.,p.351)
A音響体の共鳴という方法では短調や不協和音の生成を説明することができないことを挙げている.
「私が話題にしたのは長調における完全和音だけであった.短調や不協和音の生成,それに転調の規則を示さなければならないとなると,それはいったいどうなるのだろうか?」(『検討』OCV.,p.352)
それにたいして,古代ギリシャ音楽では,完全協和音しか協和音と認めなかったし,平均律も存在しなかったので,和声というものがなかったのだとルソーは言う.古代ギリシャの旋律に近代和声体系でいうところの根音をつけることは不可能であるという事実が,近代音楽とはまったく別の原理の上にギリシャ音楽が成立していたことを示しているとルソーは言うのである.
「私たちに残された三,四の曲からギリシャ人の旋律を判断すると,これらの曲に適切な根音バスを付けることは不可能だが,この根音バスそのものは自然なだけに規則的であるのだから,この根音バスの感情が彼らにそれらの曲を示唆したとなどということもありえない.しかし彼らを恍惚とさせたこれらの旋律は彼らの耳にはすばらしいものだったし,私たちの旋律は彼らには耐えがたい粗野なものに思えただろうことは疑いない.したがって彼らはそれらを私たちとは別の原理によって判断していたのである.」(『検討』OCV.,p.353)
ルソーがここで根音バスを取り上げているのは,ラモーが『考察』において,古代ギリシャには根音バスはなかったが,旋律が暗黙のうちに鳴らす低音に導かれて旋律を作っていたと説明していたからにほかならない.
近代音楽と古代ギリシャ音楽とは別個の音楽原理にもとづいているというルソーの認識は,『検討』では一歩進んで,新たな展開を見せている.たしかに旋律はもともと音楽の基礎ではあるが,和声体系が確立したことによって近代音楽では旋律の意味が変わり,和声が音楽のすべてを支配するようになったと,ルソーは主張する.ルソーによれば,ラモーが言うように「低音が一種の歌を生じるように,単純な歌は一種の低音を生み出すことができる」というような事態が生じるのは,まさに和声体系の確立という状況下で特殊に起こることだというのである.
「彼[ラモー・・・引用者]が望んでいることはただ,芸術家が旋律を作るときに無意識のうちに和声が彼を導いてくれることであり,美しい歌を作るときにはいつでも芸術家が規則的な和声に従うということだけなのである.たしかにこのことは,和声が諸音の進行や歌の規則や音楽的語調(アクセント)を支配するようになった国々ではどこでも,この芸術が二つの部門〔旋律と和声・・・引用者〕のあいだに置いた関係からして,真実であるにちがいない.というのはこのような状況下では,歌と呼ばれているものがもつ美は約束ごとのものであり,それはまったく絶対的なものではなくて,この和声体系や,この体系のなかでは歌よりも評価されているものに従属しているものである.」(『検討』OCV.,p.353)
これと関連する問題として,リュリが当時はまだ根音バスを知らなかったけれども,知らず知らずのうちにそれにもとづいて旋律を作っていたとラモーが説明していたことについてもルソーは反論を試みている.ルソーに言わせれば,音楽にそれほど精通していない人が声に出してみることができる音域は狭い中音域にしかないので,根音バスを声に出してみることができるなどというのは,音楽を専門にしている人間の先入観だというのである.
次の反論は,ラモーがド ファ♯の音程が様々な和声のなかに置かれることによって様々な情緒作用を持つことができることから,音楽の表現力を決めるのは旋律ではなくて和声であることを証明しようとしたことについてである.
「もう一つの例は,ラモー氏はそれに《すべてを期待している》けれども,私にはなにも証明しているとは思えない例で,それはド ファ♯の音程のことである.彼は,この音程の下に様々な和声的変化を示す様々な低音を適用して,そこから生じる情緒作用の変化から,こうした情緒作用の力が歌にではなく和声に依存している次第を示すと主張しているのである.ある音程が,とくに旋律のなかで同一と見なされるのは,その音程が旋法と同一の関係にある場合だけであるということを考えてみることもなく,見たところそれが同じ音程だからという理由で,実際にはまったく別々のこれら様々なパッセージを同一の歌と見なすほど,どうして彼は先入観によって思い違いをさせられたのだろうか? 和声的変化が情緒作用に変化を引き起こすというようなことは,彼が引用しているどのパッセージでも起こってはない.たしかにそれらのパッセージは鍵盤上では同じ鍵であるが,まさにそのことがラモー氏を誤らせたのである.それらは実際には,同じ数だけの様々な旋律なのである.(...)以上のようなド ファ♯というパッセージはたしかにすべて同一の音程だとはいえ,様々な位置に置かれ,旋法の様々な弦上に置かれれば,それに劣らず同じ数の様々な歌となるだろう.したがってその多様性は,和声から生じているのではなく,疑いの余地なく旋律の一部をなしている音の動きからのみ生じているのである.」(『検討』OCV.,p.356)
ラモーは,ド・ファ♯という音程はそれ自体ではなんら確定的なものをもたないので,和声によって支えてやることではじめて確定的な意味をもつことができることから,和声こそが旋律の産みの親だと結論したのであった.それにたいしてルソーは,「旋律の付属物として,拍子,音の高低,強弱,緩急の差を私たちに与えようというラモー氏は,いったいなにを考えているのだろうか? ところがこういったものはすべて旋律そのものであり,それらを旋律から切り離したら,旋律はもはや存在しなくなるだろう」(OCV.,p.356)と反論する.ラモーは,拍子も音の強弱もテンポもその前後の音の動きも確定していないド・ファ♯という音程を旋律だと規定した上で,それががなんら確定的なものをもたないために,和声をつけてやることで情緒作用が確定すると言うけれども,そんな音程は旋律ではない,というのがルソーの反論である.ではルソーにとって旋律とはなにか.
    「旋律は話し言葉と同様に,一つの言語である.(...)高い音低い音は話の流れのなかでのアクセントに似たものを,短い音長い音は韻律法のなかでの同じような音節の長さを,等しくて変わらぬ拍子は詩句のリズムや韻脚を,弱い音強い音は話し手のゆっくりとした,あるいは烈しい声を表している」.(『検討』 OCV.,pp.356-357)
 拍子,リズム,音の高低,強弱,緩急の全体が旋律なのであり,それゆえに,旋律それ自体がまさに情緒作用をもっているのである.ルソーにとって,旋律はそれ自体ですでになにかを語っているものであり,したがって和声の助けをかりなくても人々の情念に訴えかけることができる.それにたいしてラモーの言う旋律,すなわちここでのド・ファ♯とは,たんなる音の高低の変化にすぎず,そういうものであれば,なんの情緒作用ももたない「なにも語らない歌」(p.356)であって,なんの値打ちもないのであり,たしかにこういう音程は和声の助けを借りなければ確定的なものをもちえないだろう.それはルソーにとって旋律ではない.
さらに音楽の効果という問題に移り,ラモーが自作の『ピグマリオン』のなかの『愛の神が勝利する』という合唱曲を引き合いに出していたことに触れ,次のように結論する.
「もっとも美しい和音は,もっとも美しい色彩と同様に,感覚に快い印象をもたらすことができるが,それ以上のことはなにもない.だが,声の抑揚(アクセント)は魂にまで達する.なぜならそれは情念の自然な表現であり,情念を描くことによって情念をかきたてるからである.音楽が語るごとく雄弁で模倣的となるのはこうした調子によってであって,こうした調子が音楽の言語をかたちづくるのである.音楽が想像力にたいして様々な事物を描いてみせ,心に様々な感情をもたらすのも,こうした調子によってである.旋律は音楽において,デッサンが絵画におけるのと同じものであり,和声はそこでは色彩の効果しか生み出さない.音が表現力,情熱,生命力をもつのは,和音によってではなく,歌によってである.歌だけが,音楽の力のすべてをつくりだす精神的な効果を音に与えるのだ.」(『検討』OCV.,pp.358-359)
音楽と絵画のアナロジーは今後も『言語起源論』や『音楽辞典』に出てくるが,ここで注目すべきことは,旋律→声の抑揚→情念の表現→音楽における精神的な効果/和声→純粋に生理的物理的な効果という論旨である.『百科全書』の≪音楽≫の項目でも『フランス音楽に関する手紙』でも,ルソーは音楽の効果をそれぞれの国語がもつ韻律法によって表される情念の抑揚に基礎づけてはいたけれども,ここのように音楽の精神的な効果を旋律→声の抑揚→情念の表現とつないでみせたことはなかったのである.この点についてはあとで見ることにしよう.
『検討』の後半部分をなしているのは,ラモーの主張する「伴奏は音響体を表す」という原理に対する反論である(註43).ルソーはこの主張が,和声と旋律の関係にかんする間違いとはまったく性質を異にする誤謬,「意味のないたわごと」,「訳の分からない話」(p.360)にすぎないことを強調したあとで,第一に伴奏が音響体を表すというのなら,音響体は完全和音しかつくらないはずだから,伴奏には協和音しか使えず,不協和音は使えないことになること,第二にラモーの原理によれば,根音バスが生成音で伴奏が根音バスの倍音上の産物音ということになるが,このとき根音バスはつねに産物音にたいして一つでなければならないが,長調では一つの根音しか鳴らないからいいとしても,短調では二つも三つも根音が鳴ってしまうのであり,それはこの原理そのものが間違っているからである,と反論している.第三に,伴奏の音を省略すべきだというルソーの主張にラモーが和音の完全さという主張によって反論した点については,とくにラモーが五度は和声のかなめだから省略すべきではないと主張したことに関して,「五度をしばしば省略しなけばならないのは,五度があまりにも耳に快く響きすぎるからで,とくに主要音から離れすぎた和音では,調の観念が薄くなって消えてしまわないように,不確かな耳が五度をなす二つの音のあいだで注意力を分散させるたり,旋律には関係ないから聴かなくてもいいような音のほうに注意を向けることがないようにするためなのである.省略は文法でもよく使われているし,和声ではそれに劣らずよく使われている.すべてを言うことがいつも大事なわけではなくて,要は十分に理解してもらうことなのである.伴奏譜のなかに五度が書かれている和音が出てくるたびに五度を鳴らそうとする人は和声を我慢のできないものにするだろうし,ラモー氏自身そんなふうな五度の使い方をしないように気をつけていたのである」(『検討』OCV.,pp.363-364)と批判している.またこの点について『音楽辞典』に追加した反論についてはすでに触れたとおりである.
最後の検討は短調と不協和音の生成を説明するためにラモーが提示した音響弦の共鳴なしの振動についてである.ラモーは『和声の生成』のなかで短調と不協和音の生成を説明するために,ある長さの音響弦の振動は,それよりも三倍ないしは五倍長い別の音響弦を振動させるが,共鳴はしないと述べた(註44).それにたいしてルソーは音響弦が振動すると,それがいくつかの部分に分割されて,その部分がさらに振動して,個別に共鳴させることは認めるが,その逆については,「しかしある部分が全体を振動させて,もっと緩やかで,その結果もっと強い振動を生み出すということ,ある力が自分よりも三倍も五倍も大きな別の力を生み出すということについては,実験からも否定されているし,また理屈からも認められないことである」(『検討』p.365)と否定している(註45)
以上,ラモーによる反論にたいしてルソーがどのような再反論を準備していたかを,『旋律起源論』と『検討』を通じて見てきたわけであるが,ルソーの音楽思想における深化という観点から,とくに『旋律起源論』が持っている意義について検討してみよう.ラモーの批判の中心は,旋律は和声から派生したのであり,確かにギリシャ人は和声を知らなかったかもしれないが,彼らは知らず知らずのうちに和声にもとづいて旋律を作っていたのだから,ギリシャ人が和声を知らなかったからといって,それだけで旋律が和声から派生するという主張にたいする反証にはならないというものであった.先にも見たように,『百科全書』においても『フランス音楽に関する手紙』においてもルソーの立論はすべて,古代・近代を問わず,音楽においては旋律は言語の韻律を反映しているという定理を自明の前提として成り立っていたにもかかわらず,なぜそう言えるのかということは問題にされていなかった.したがって,ラモーが上のように反論してきたときに,ルソーは音楽とは何なのか,旋律とは,和声とは何なのか,どのようにして形成されてきたのかという根本的な議論によって答えなければならなかったはずである.ルソーが1755年にラモーに対する反論を企てたとき,すでに『人間不平等起源論』は書かれており,物事の本質に迫るには,その起源にさかのぼらなければならないこと,物事は純粋状態→堕落→純粋状態→堕落という螺旋的発展をするという歴史認識をルソーは手にしていた(註46).そこでルソーが『旋律起源論』において明らかにしたのは,旋律が言語と一体化しているという意味で音楽としての純粋状態にあった古代ギリシャ音楽において旋律と言語が一体化している状態について詳述し,さらにそれがどようにして和声の発明によって堕落してきたかを跡づけ,和声体系の確立した近代音楽では和声が旋律をはじめとする音楽のすべてを支配しているけれども,そのままでは和声には生理的な効果しかないので,模倣音楽として精神的な効果をもたらすことはできないということを明らかにしたのであった.しかしながらルソーは,すでに『人間不平等起源論』において言語の起源についても考察していたにもかかわらず,『旋律起源論』においては言語の起源と旋律の起源の共通性についての追求が弱く、なぜ旋律は言語と一体化しているときにもっとも大きな精神的な効果をもたらすことができるのかという問いにたいしては何も答えていない.その問いに答えるには,『旋律起源論』のような動物の叫び声の模倣という説明では不完全なのであって,言語運用能力(ランガージュ能力)や身体と言語の関係や言語と社会との関係などの問題と旋律の起源の問題とを結合する必要があった.つまり『人間不平等起源論』の執筆の過程で言語の起源について考察しているときに「長すぎるし,場違い」だとして分離してしまった旋律の起源に関する考察をもう一度もとの位置に戻すこと,すなわち言語と旋律の起源の共通性について考察することが必要になったのである.それが『言語起源論』なのである.『言語起源論』の執筆時期についてはいまだに確定していないが,およそ1756年から1761年ころのあいだだと考えられる(ただし今日見られるようなかたちに章分けをしたのは1763年ころである)(註47).この時期には『社会契約論』や『新エロイーズ』や『エミール』といったルソーの重要な著作が執筆されたり構想されたりしていた時期でもあった.ルソーがラモーにたいする反論のために『言語起源論』を出版する意図をもっていたことは,マルゼルブへの手紙でも明白であるし(註48),さらに『音楽辞典』のなかで,音楽の堕落についての詳しい議論は『言語起源論』を見るようにと参照指示している(註49)ことからも窺うことができる.『言語起源論』執筆の動機がラモーにたいする反論にあったとはいっても,この論文はラモーが取り上げたことにたいして逐一反論するような形式はとっておらず,音楽とはなにか,音楽とはどうあるべきかを問題にした音楽原論であると言っていいだろう.さらに『言語起源論』と『音楽辞典』はほぼ同時期に書かれていることもあるので,最後に両者を適宜とりあげながら,ルソーの音楽思想の発展の流れについてまとめてみたい.
6.ルソーの音楽思想の深化
ルソーが言語の起源の問題についてはじめて触れたのは『人間不平等起源論』においてであった.ルソーによれば,最初の言語活動は自然の叫び声であったが,言語がこの段階から少なくとも人間の言語と呼べるような段階に達するためには,ある音節をある観念と結びつけるための合意が必要であり,そのためには社会の形成や概念の形成が前提とされるが,それは自然状態にある人間には不可能なものであるとした上で,次のように記述を流している.  「このような交流では,ほぼ同じような群を作っているカラスや猿よりもそれほど洗練された言語活動を必要とはしていなかったことは,容易に理解されるであろう.音節化されない叫び声,多くの身振り,数個の模倣音が長いあいだ普遍言語を構成していたに違いない.この普遍的な言語に,それぞれの地方で,私がすでに述べたように,どうして制定されたかを説明することがあまり容易でない約束による分節音が加わり,粗野で不完全な特殊言語,おおよそ今日の様々な未開の国民がもっているのと同じような言語を持ったのであった.」(『人間不平等起源論』OCIII,p.167)
 要するに,ルソーはここではまだ,動物の叫び声からどのようにして人間の言語に転換していくのか説明できていなかったわけである.この点では『旋律起源論』も『人間不平等起源論』と変わらなかった.『言語起源論』の特徴は言語の形成を明らかにしたことにある.第1章から第4章までがこれにあたる.ルソーは,まず「言葉は動物のなかで人間を特徴づけ」(OCV,p.375)ているが,「思考を伝える技術の発明は,伝達のために使っている器官があったことよりも,むしろ人間に固有な能力があったことと関係しており,その能力が,それらの器官を伝達のために利用している」(OCV.,p.379)と,ランガージュ能力を動物にはない人間固有の能力であると規定する.次に人間が利用できる感覚器官の区別から,代表的なものとして視覚と聴覚を取り上げ,視覚には事物の運動に関わって,身振りという方法と事物をなにかの「しるし」として使う方法があることを挙げ,視覚には一度に多くの情報を伝達することができるので,たんに物事を正確に伝えるということだけで考えるならば,視覚にもとづく言語活動のほうが優位にあると指摘する.他方聴覚については,人間は声をもっているが,「心を動かしたり,情念をかきたてることが問題になる場合」には,声の抑揚こそが「心の底深くまで入り込み,その抑揚をもたらした心の動きを,いやでもおうでも私たちの心にまで宿してしまう」(OCV.,p.378)と説明する.ルソーはこの二種類の言語活動の特徴から,身体的欲求を身振り言語に,精神的欲求を言葉(音声言語)に振り分け,すでに『人間不平等起源論』で明らかにしたように,身体的欲求は人間を遠ざけたはずだし,人を遠ざけるものから言語が生まれるはずはないから,精神的欲求を見たそうとして人びとが近づいたときに言語の起源を求めるべきだと主張する.
「それならば言語の起源はどこからきているのか.精神的な欲求,つまり情念からである.生きていく必要にせまられて互いに遠のいていく人びとを,あらゆる情念が近づける.飢えや渇きではなく,愛や憎しみが,憐れみや怒りが,人びとにはじめて声を出させたのである.(...)若い心を動かしたり,不当に攻撃してくる者を撃退するためには,抑揚や叫び,あるいはうめき声が自然に出てくる.それこそが,もっとも早く作りだされた言葉であり,またそれゆえにこそ,最初の言語は,単純で整然としたものであるあるよりさきに,歌うような,情熱的なものだったのである.」(『言語起源論』OCV.,pp380-381)
そしてルソーは最初の言語の特徴として,音節はごくわずかであること,そのかわり音色と語調や抑揚は変化に富んでいること,音の長短やリズムがそれに組み合わさって,語の多様性を作っていたことを挙げている.音節というものがないかわりに,わずかに音の音色を変えたり,抑揚をつけたり,短く区切ったり長く引き延ばしたり,それを一定の規則性をもって繰り返したりすることが原初の言語だったとすれば,それはたしかに話しているというよりは歌を歌っているようだったにちがいない.そしてルソーによれば,「根源的な語の大部分は,情念の抑揚か,あるいは感知される事物の直接的な印象を模倣した音」(p.383)であった.こうしてルソーは,音声の発声の契機を情念という精神的な欲求に位置づけただけでなく,そうして生まれた音声言語の特徴を情念の抑揚を反映したもの(音色,抑揚,長短,リズム・・・これはまさに旋律そのものである)と規定することによって,その起源から言語は情念の抑揚であり,情念の特徴である旋律性と切り離すことのできないものだということを解明したのである.この点だけ見ても,『言語起源論』のルソーは,言語の起源を動物の叫び声の模倣と考え,原初の言語における旋律と言語の関係について,旋律は言語の一部にすぎなかったと考えていた『旋律起源論』のルソーから大きく飛躍しているといえよう.それは,ちょうど『人間不平等起源論』のルソーが古代から一歩進み出て,自然状態のなかに人間存在の本質を究明することによって,それ以降の人間の歴史のなかに人間本性からの変化を測定するための基準を手にしただけでなく,さらにそれを超えて人間を評価する上での普遍的な価値基準ないしは規範をも獲得したように,『言語起源論』における言語起源の解明は,和声と旋律のどちらが優位性をもつかという問題や近代音楽の評価の問題に答える基礎的視角を獲得しただけでなく,音楽とは本来なにか,音楽の純粋状態とはどういうものなのかという本質論を獲得したことにある.そしてそのことによって,ルソーの音楽思想を飛躍的に発展させた.
第一には,音楽思想に歴史的視角を導入することによって,それまでルソーが表明してきた近代音楽批判に新たな根拠をもたらしたことにある.『言語起源論』によると,原初の状態は言葉=歌であるような状態であった.そこから言語と音楽はそれぞれ独立するが,相変わらず言語と音楽は一体化しており,この段階は「音楽は詩の抑揚であり詩の調べでしかな」く,「音楽によって詩が情念の上に強く働きかけていた」状態(OCV.,p.425)であった.まさに言語にとっても音楽にとっても純粋状態だったと言えるのである.この状態はルソーが「分節と声だけしかもっていない言語は,それゆえ言語の豊かさの半分しかもっていないことになる.それはたしかにさまざまな観念を表明するが,感情や心象を表現するためには,その上にリズムや響き,つまり旋律が必要なのである.ギリシャ語にはそれがあったし,私たちの言語にはそれが欠けている」(OCV.,p.411)と述べている段階である.このような段階は,原初の言葉=歌の段階を『人間不平等起源論』の自然状態とするならば,楽器をもって演奏されるようになったという意味で言葉とは独立して,音楽として分離・独立した状態であり,『人間不平等起源論』の社会状態だと言えるだろう.このようにしてルソーは,たんにギリシャ音楽を近代音楽よりも表現力や生命力が豊かだとか,「三つの拍節〔韻律上の拍節,詩句の拍節,歌の拍節・・・引用者〕が,可能なかぎり完璧に一緒に協力し合っている音楽」(『フランス音楽に関する手紙』OCV.,p.294)というかたちで近代音楽と差異化していただけの段階(『百科全書』の≪音楽≫や『フランス音楽に関する手紙』)から,ギリシャ音楽を音楽の純粋状態として歴史的にも論理的にも位置づけることができるようになったのである.
したがってギリシャ音楽から近代音楽までの歴史を,ルソーはこの純粋状態からの堕落の歴史として記述することになる.言語は「音節が単調になればなるほど子音の数が増え,抑揚が消えて長短が平均化し,その代わりに文法的な組み合わせと,新しく分節音がもちいられる」(『言語起源論』OCV.,p.384)ようになり,「哲学の研究と理性の進歩」は文法を完成させて,理性にしか働きかけなくなるとともに,音楽のほうでは音程の計算が導入されて旋律を規則でがんじがらめにして,旋律を情念の抑揚から切り離してしまったために,生命力は衰えていった.さらにローマ時代になると,「ラテン語は,より響きが鈍くて音楽的でないのに,音楽を自分のものにしようとして,かえってそれを台無しにしてしまった.」(p.425)ついでルソーが「最後の破滅」と呼ぶ事態が起こる.それはルソーが「野蛮人の侵入」と呼ぶゲルマン民族の侵入である.このあたりの叙述はすでにルソーが『旋律起源論』でも描写していたものであるが,ルソーによると彼らの言語は拍子もリズムもなく,分節音がかたいので,音から音への移行が難しかったために,一つの音を引き延ばすことを音楽と称していた.いくつかの音を引き延ばして出しているうちに,偶然に協和音がみつかり,そこから対位法やディスカントゥスが発見されることになった.こうして和声が各パートの進行を調整するうちに,和声体系が確立され,旋律の名称を簒奪することにさえなったとルソーは言うのである.そしてルソーはこう結論する.
「以上は,いかにして歌が,言葉を起源とするものでありながら,次第に言葉から切り離された芸術となってしまったか,いかにして和声的な音の組み合わせが,声の調子を忘れさせてしまったか,また最後に,いかにして音楽が,振動を合わせるという純粋に物理的な効果にしばられ,かつて二重の意味で自然の声であった頃に生みだしていた精神的な効果を,自分自身から取り除いてしまったか,その経過を示すものである.」(『言語起源論』OCV.,p.427)
近代音楽の状態をこのように音楽の純粋状態からの堕落した極限状態として位置づけた『言語起源論』の方法は,近代社会における専制国家を社会状態の堕落した極限状態として描いた『人間不平等起源論』の位置づけとぴったり符合していると言えるだろう.このように,ルソーが『人間不平等起源論』によって社会思想の分野にもたらした新たな歴史的視角,すなわち純粋な自然状態→腐敗・堕落した自然状態→純粋な社会状態→腐敗・堕落した社会状態という歴史観は,『言語起源論』において反作用として音楽思想を深化させることになった.
第二に,音楽模倣論をバトゥーのそれのような古典主義的な段階から決定的に一歩押し進めることになった.ルソーが音楽模倣論についてはじめて言及したのは,1751年にダランベールの『百科全書序論』にたいする感想を述べた手紙においてだった(註50). ダランベールが『百科全書序論』で音楽的模倣について述べたことを要約すれば,音楽が一種の言葉として人間の心のなかのさまざまな情念を表現することができるというのなら,人間をとりまく外的な事物もさまざまな器官をとおして人間の心にさまざまな情緒を引き起こすのだから,同じような情緒を引き起こす音を自然のなかにさがして,それを音楽によって音にすれば,外的な事物や対象を音楽によって描くことができるのではないか,ということであった.これを読んだルソーは,先の手紙のなかで,ダランベールの音楽模倣論を「正当で,非常に新しい」と評価し,「音楽家の技術は対象を直接的に描くことではなく,対象の前に出たときに魂が置かれる状態に魂を置くことにある」(前(参照)とダランベールの主張をルソーなりの表現に置き換えて説明している.ルソーはダランベールの音楽模倣論のなにをもって「非常に新しい」と考えたのだろうか.
当時,もっとも影響力を持っていた模倣論は,バトゥーの模倣論であった.バトゥーの考えによると,芸術とは実在する自然ではなくて,実在する世界,歴史的世界,神話の世界,そして理念的世界から芸術家の精神のなかに抽出されてきたあるべき自然,すなわち「美しい自然」を模倣することによって成り立つ,とされる.
ところでバトゥーは音楽を二種類に分類した.「情念に関わりをもたない音や雑音しか模倣しない音楽」(『芸術論』p.241)(註51)がそれで,バトゥーはそれを風景画にたとえているが,このような自然のなかの対象物の描写に関しては,それが小川や雷鳴のような実在するものであれ,亡霊の震えのような実在のものではなく観念的な対象であれ,それに対応する音が自然のなかに存在するのであって,それを抽出することこそが作曲家の仕事だと考えていた.
「嵐や小川やそよ風を描く場合,その音調は自然のなかにあり,そこからしかそれを取出すことができない.大地の咆哮や墓場から出てきた亡霊の震えのように,決して実在したことのない観念的な対象を描くとする,そして「詩人」が
Aut famen sequere, aut sibi convenientia finge.
〔伝統に従うか,それともそれ自身首尾一貫したものを創り出すかしなさい〕
と歌ったように彼もそうするとする.その観念が音楽的な場合,それに対応する音が自然の内に存在する.そしてそれが見いだされるや,作曲家には直ちにそれが分かるであろう.それは一種の真理である.この真理が発見されるや,かつてそれを見たことがなかったとしても,われわれにはそれと分かるであろう.」(『芸術論』p.241)
そしてもう一つの音楽,つまり感情や情念にかかわる音楽については,「どんな感情も,それを示すような固有の音調や身振りをもっており」「魂のどんな動きにも,いわばもともと,固有の表情や語調や身振りがある」というキケロの言葉を引用し,「したがってそれらの連続は連続的な話し言葉のようなものを形成するはずである」(『芸術論』p.241)と述べている.
また彼は,自然のなかから抽出された音調を芸術の域にまで高めるものとして,拍子,テンポ,旋律,和声について一つ一つ検討している.彼は,拍子とテンポを「作品に生命をあたえ」「自然の音の展開と動きを模倣する」もの,旋律を「自然の音のそれぞれを適した場所や隣接関係におく」もの,和声は自然にもとづ和音分解によって音を増幅したり補強したりすることによって,「想念をより生き生きとしたものにし,そのことで模倣をより完全なものに」して,「音楽表現に協力する」ものだと説明している.(『芸術論』pp.245-246)
以上のようにバトゥーは,音楽が模倣すべき対象として,自然の実在物だけでなく,行動に随伴する感情や情念,また自然のなかに実在しない観念をも考えており,そしてそれを自然のなかに内在する音を抽出することによって模倣するのだと主張している.注意しなければならない点は,バトゥーにおいては,自然のなかから抽出された音も音楽が模倣する対象としての情念や観念についても,あるがままのものではない.そうではなくて,「それ自身あるがままの自然ではなく,ありうる自然,精神によって思い描かれた自然である」(『芸術論』p.91).バトゥーの模倣論は,あるがままの自然現象や情念のなかから芸術家のすぐれた趣味によって抽出された「美しい自然」,すなわち理念化された実在を,自然のなかから抽出した音でもって表現するという方法である.これはまさにラモーの模倣論でもあった.ラモーも自然という言葉を著書のなかで頻繁に使うが, ラモーにとって模倣の対象としての「自然は,知覚されたもの,見られたり聴かれたりしたものではけっしてない.事物の自然は,その外在なのかにではなく,純粋の観察によっては提示することができないので,理性の働きによって到達可能な真理のなかにある」(註52).それゆえに,ある現象が人間の心情に引き起こす情緒作用を考えるためには,現象のなかにある音を和声的に分析し,それと引き起こされた情緒作用との関係を調べることになる.そこにはルソーが提案するような感じる主体といった定立(「対象の前に出たときに魂が置かれる状態に魂を置くことにある」)は成り立たない.
「音楽の効果を享受するためには,純粋に自己を捨てなければならない.それを判断するために依拠すべきは,人の心を動かすもとになっている原理である.」(ラモー『考察』p.iii)
そこにあるのは,人間の情緒作用や情念を客観的な物理現象として説明しようとするデカルト哲学の系譜につらなる古典主義的思考である.たしかにバトゥーの模倣論はルソーがそれを踏襲するくらいに大きな影響を与えているが,バトゥーにしてもラモーにしても,対象としての音と手段としての音とが理性の操作によって直接的に結びついているという意味で,「直接的」と言える.それにたいして,ダランベールが『百科全書序論』において提案した方法は,対象を前にしたときに魂が感じる情緒と同じ情緒を音楽によって引き起こすことによって対象のイメージを聴き手に喚起するという方法であり,それは対象と手段としての音とのあいだに常に情緒作用を介在させるという意味で「間接的」な方法なのである.音楽的模倣に情緒作用を常に介在させたダランベールの「間接的」方法(註53)は,たしかにバトゥーやラモーの「直接的」方法にくらべると,「新しい」と言えよう.しかし,すでにルソーとラモーの論争を通して明らかになったように,ラモーにとって,あらゆる情緒作用は和声と結びついており,和声体系のなかに位置づけられるものであった.したがって,ダランベールが提案した情緒作用にもとづく音楽的模倣それ自体は,この情緒作用をラモーのように和声体系と連合させて考えているかぎりでは,なんら古典主義的美学の範疇から抜け出ているわけではない(註54).それゆえに,ルソーが1751年にダランベールの提案を「新しい」と評価したのは無理からぬこととしても,そのことがそのままルソー独自の新しい音楽模倣論の発見を意味するものではないことは,明らかである.
ルソーがその後音楽的模倣について触れるのは,『旋律起源論』と『ラモーが主張する二つの原理の検討』(もとはひとつの論文だった)においてである.ここでルソーは当時一般に知られていたバトゥーの音楽模倣論を発展させて,和声の働きと旋律のそれとの対比を強調している.さらに『言語起源論』は,旋律は音楽における表現のにない手であるとう従来の主張にまったく新しい意味が与えられことになる.ダランベールの「間接的」方法による音楽模倣論を繰り返しているかぎりでは,情緒作用を和声体系のなかで説明しようとするラモーにたいして自らを差異化することは不可能だったけれども,言語と旋律の起源を明らかにすることによって,旋律と情念の関係がルソーのなかで明確になったからである.
「たとえ何年も音の比率や和声の規則を計算してみたところで,どうやってこの芸術を模倣の芸術にできるというのか,いわゆる模倣の原理はどこにあるというのか,和声はいったい何のしるしだというのか,そして和音と情念のあいだにどんな共通部分があるというのか?
旋律について同じ質問をしてみれば,答えはおのずから明らかである.(...)旋律は声の抑揚を模倣することによって,嘆きや,苦痛の声や歓喜の声,脅かしやうめきなどを表現する.声にあらわれてくる情念のしるしが,旋律の領分なのである.」(『言語起源論』OCV.,p.416)
和声体系は人間の情念とはなんら関係のないところで自然のなかから抽出されてきた体系,いわば自然の体系である.したがって「和音と情念のあいだには」なんの共通部分もない.それにたいして旋律は情念のしるしとして形成されてきたからこそ,逆に「旋律のなかの音は,たんに音として私たちに働きかけるだけではなくて,私たちの情緒や感情のしるしとして働きかけるのである.このようにして音は,それが表現している動きを私たちのなかにかき立てるので,私たちは音に対象のイメージを認めるのである.」(PCV.,p.417)
ルソーが『言語起源論』に「旋律と音楽的模倣について」という副題を付けることができたということは,ルソー独自の音楽模倣論が確立したことを意味していると考えていいだろう.それは,旋律を音楽における模倣の主要な契機とすることによってだったのだが,それを説明するためにルソーは,旋律の形成過程と音楽の堕落過程,旋律のもつ精神的作用と和声の生理的作用について論証しなければならなかったのである.それはとりもなおさず,ラモーに反論することにほかならなかった.『言語起源論』のもっとも重要な意義は,先に解明したように,原初の言葉は情念の抑揚であり,それゆえに歌であったことを明らかにしたことにある.歌(旋律)はもとから情念の抑揚そのものであったがゆえに旋律が情念の抑揚を模倣するとき,音楽はもっとも表現力をもつのであり,聞くものをもっとも感動させるだということを明確にすることによってルソーははじめて,対象を前にしたときの情緒作用と同じ情緒作用を作りだせるのは,もともとこのような情緒作用から形成されたものであり,それゆえに情念の抑揚を反映するものである旋律にしかできないという独自の音楽模倣論を主張することができるようになったのである.こうして音楽的模倣の唯一の担い手を旋律のみに限定することによって,ルソーは音楽が持つべきだとされていた意味作用をすべて,情念の抑揚あるいは心の動きにのみ限定したのである.それは,それ以前の論文におけるように,旋律を情念の抑揚を反映したものとか国語の韻律法の反映と主張していた段階から,旋律の起源を明らかにすることによって音楽の本質に迫る方法への前進を意味する.このような前進を保証したものこそ『人間不平等起源論』における起源論=本質論という方法論であったことは言うまでもない.
第三の思想的深化は,≪旋律の統一性≫概念に関わるものである.先に触れたとおり,ルソーは『フランス音楽に関する手紙』においてはじめて≪旋律の統一性≫概念を明らかにした.『フランス音楽に関する手紙』は,イタリア音楽の優秀性の例として「手練れた転調」「単純で純粋な和声」「生き生きとして輝かしい伴奏」(OCV.,p.304)を挙げ,それを支えている原理として≪旋律の統一性≫を次のように説明している.旋律線が独立した複数の声部を重ねることは,そこからどんなに優れた和声ができても,様々な和音を連続して鳴らしているのとおなじことで,なんら歌(主題)を形成することがない.したがって主題をもつ声部以外の声部は伴奏声部として,主題を支え強化することだけに専念すべきである.
「ある曲が人びとの関心をよび起こすものとなるには,またその曲が魂に引き起こしたいと望む感情をそれにもたらすには,全部の声部が主題の表現を強化すべく協力することが必要です.和声が主題をもっと力づよいものにするのにだけ役立つことが必要です.伴奏が主題をおおいかくすことも,変形してしまうこともなしに,それを美しくすることが必要です.低音が,終始一貫した単純な歩みで,歌う者,聞く者をいわば導き,しかも,両者のいずれもがそれに気づかないことが必要です.要するに,全体のアンサンブルが,同時に,耳には一つの旋律だけを,精神には一つの想念だけをもたらすことが必要です.」(『フランス音楽に関する手紙』OCV.,p.305)
では主題をになう主要声部にとって和声や伴奏はどういう関係にあるのだろうか? ないならないで済むものなのだろうか? そこでルソーは主題と和声の関係について次のように説明する.
「私は和声を犠牲にして,旋律にあらゆる利点を認めてきたように思われるかもしれないのですが,この規則から和声そのものにたいする新たな利点が生じてくること,そして歌の表現力を高めようとすれば,作曲家は和音を大事に扱わなければならなくなるので,和音の表現力も生み出すことになるということを,あなたに証明することが私には残されています.」(『フランス音楽に関する手紙』OCV.,p.311)
ここで言う和声の新たな利点とはなにか? 和声は重厚に重ねられれば重ねられるほど相互に効果を打ち消しあって,ただ騒々しいだけのものになるので,主題を支えるために最低限必要なものだけに単純化しなければならないのであり,それが成功したとき和声は驚異的な効果を生み出すのに寄与することができるというのである.『フランス音楽に関する手紙』において和声は旋律にたいして従属的な関係にあるものとして位置づけられていた.ラモーは,それにたいして,和声こそが音の流れをつなぐものであり,音楽における情緒作用をになうものであることを音楽理論の側面から主張して,ルソーが≪旋律の統一性≫の名において主張した和声の単純化に反論をおこなったのであった.そこでルソーは『言語起源論』において,ラモーが主張するような和声による旋律の拘束関係は,古代ギリシャにおける音楽の純粋状態から徐々に堕落してきた結果,和声体系が確立され,旋律がもっていた位置を和声が簒奪したために生じた特殊な状態,言い換えれば音楽の純粋状態から逸脱した堕落の極限状況のもとに生じた特殊な状態なのであって,けっして普遍的なものではないという認識を,歴史的な視角にもとづいて与えたのである.このような状況下ではたしかに旋律は和声によって拘束されている.
「和声は上手に用いれば,それ〔音楽的模倣・・・引用者〕に協力することができる.いくつかの転調の法則によって後に続く音を結び付け,音程の上がり下がりを正確にし,その正確な音程を耳に確かなものとして与え,耳でとらえにくい調子の変化を,連続した協和音程にあわせて固定する.けれども,そのために旋律は拘束され,力強さと表現力が弱まり,和声の音程が幅を利かせて情熱のこもった抑揚を消してしまう.和声は,情熱的な口調と同じほどあるはずの歌を,ただ長調と短調のどちらかに従えさせ,自分の体系に入らない多様な音や音程を消し去り,破壊してしまう.」(『言語起源論』OCV.,p.416)
和声体系というものが,たとえ近代の西洋だけに固有の特殊な体系であって(註55),けっして自然の音響体系を完全に反映したものでないとしても,いったんそのような体系が確立されると,旋律をはじめとする音楽の全てはそれにもとづいて規則づけられることになり,この体系を無視してはだれも音楽活動をすることは不可能である.かといって古代ギリシャ音楽のようなモノディックな世界に帰ることもできない.しかし和声が支配している音楽はほとんど表現力をもたない.なぜなら表現力の担い手は旋律だからである.このような矛盾した状況を切り抜けるための方法として,ルソーは≪旋律の統一性≫概念に新たな位置づけを与えるのである.『音楽辞典』の≪旋律の統一性≫の項目を見てみよう.
「音楽はしたがって,感動させ,快感を与え,関心と注意力を保持するのに,ぜひとも歌わなければならない.だが,私たちの和音および和声の体系のなかでは,歌うためにどうやって振る舞ったらいいのだろうか? もし各声部がそれぞれ自分の固有の歌を持っており,これらの歌がすべて,同時に聞こえてきたら,互いに互いを破壊しあい,もはや歌とはならないだろう.もし,全部の歌が同じ歌をかたちづくったら,もはや和声はなくなってしまうだろうし,それに奏楽はすべてユニゾンとなるだろう.
音楽的本能,天才のある種の暗黙のうちの感覚が,それと知らずにこの障害を排除し,かつそこから利点さえ引き出したその流儀にはまことに注目すべきものがある.旋律を窒息させるはずの和声が,旋律を生気づけ,補強し,明快なものにする.諸声部は互いにごっちゃにならずに,同じ効果を上げるべく協力する.そして,声部のそれぞれが固有の歌をもっているようにみえながらも,これらの声部すべてが集合したものからは,ただ一つの歌だけが立ち現れるのが聞こえるのである.これこそ,私が≪旋律の統一性≫と呼んでいるものである.」(OCV.,p.1144)
天才的な音楽家たちがそれと知らずに≪旋律の統一性≫を見いだしたのは,まさに先に指摘したような近代音楽がつきあたった壁,すなわち旋律を押しつぶそうとする和声体系のなかでいかに旋律に歌わせるかという近代音楽の極限状況を打開するための手段であるという認識こそ,まだこのような歴史的視角にもとづいていなかった『フランス音楽に関する手紙』に不足していたものであり,『人間不平等起源論』における歴史的視角の導入の反作用を受けて歴史的視角を取り入れたことではじめて獲得されたものなのである.このことによって,たんにイタリア音楽のなかのすぐれた音楽家たちが実践した方法にすぎなかった≪旋律の統一性≫概念は,近代音楽がたちいたった状況を打開するための救済の方法としての位置づけを与えられることになったのである.
7.おわりに
ラモーの論争を年代順に追いながら,ルソーの音楽思想の展開を見てきた.ルソーにとってラモーとの論争にはどのような意義があったのだろうか.最後にこの点について考えてみたい.ラモーが眼にすることができたルソーの著作(たとえば,『オンファル』に関するグリムへの手紙や『フランス音楽に関する手紙』)のなかでルソーが主張していた《旋律の統一性》は,音楽の表現力は旋律にこそあるのだから旋律をほかの声部が支えて,全体として旋律線は統一されていなければならないというものであった.しかしこの段階でのルソーの《旋律の統一性》に欠けていたのは旋律の起源の問題であった.旋律の起源を明らかにすること,おそらくこれがルソーの音楽思想の根本的な基礎をなしている.これが揺るがされることは,『百科全書』の≪音楽≫の項目も『フランス音楽に関する手紙』もその論拠を失うことを意味している.だからこそラモーは,和声が旋律の土台であると繰り返していただけでなく,和声が知られていなかったと当時考えられていたギリシャ音楽でも無意識のうちに和声の原理に従っていたことを証明しようとしたり,和声の原理は自然の中にあって人間の本能の中に刻み込まれているのだから,音楽全体を支配する唯一の原理であると執拗に繰り返し主張したのである.このことは,ラモーが直接言葉にしたわけではないけれども,ラモーによるルソー批判が,旋律が音楽の基礎だというのなら,それを歴史的に証明して見せなければならないという思想的な課題をルソーに突きつけたことを意味するだろう.それゆえにルソーはラモーの『「百科全書」における音楽に関する誤謬』への反論においてこの課題に応えるべく旋律の起源を探求することから始めることになる.『旋律起源論』はこの点については不十分なものだったとはいえ,このような探求を可能にしたのは,いうまでもなく『人間不平等起源論』の成功があったからである.『人間不平等起源論』の執筆の過程で獲得した起源論=本質論という認識がルソーに,この課題の解決のためには旋律の起源にまでさかのぼってみなければならないということを教えることになったのである.そしてこの旋律起源論がルソーなりに確立したのは,『言語起源論』においてであった.このことはルソーの音楽思想における『言語起源論』のもつ重要性を示している.ルソーはそこで,近代の西洋音楽を,音楽の本質から堕落した究極の段階だと規定するとともに,近代の西欧文明だけがもつ音楽だと規定することで,相対化の視点を導入した.この段階での《旋律の統一性》概念は,和声体系の確立が音楽の表現力を担うはずの旋律を押しつぶしているという近代の西洋音楽がたちいたった状況のなかで,それを打開するためのいわば救済の方法を示していると言うことができるだろう.『言語起源論』および『音楽辞典』の《旋律の統一性》の項目が到達したこのような救済としての方法論が,こんどは逆に『社会契約論』や『エミール』においてルソーが自らに課した思想的な課題,すなわち腐敗と堕落の究極的な状態にまで進んだ人類が、自らの責任でそのような状態に立ち入ったのと同じように、今度は自らの力でどのようにして「全体としては善である」と言えるような状態に回復しうるのかを明らかにするという課題に応えるための方法を与えることになるというのが私見であるが,これは本論の及ぶところではないので,別稿において論じたいと考える.

《註》
 使用したテキストは以下の通りである.
Jean-Jacques Rousseau, Oeuvres Completes,tome I-V,Paris,Gallimard(本文中及び(のなかでは,OCI-Vと略す); l'Encyclopedie ou Dictionnaire raisonnee des Sciences des Arts et des Metiers,Compacte Edition,Pergamon Press ; Correspondance Complete de J.-J.Rousseau, Edition critique, tablie et annotee par R.A.Leigh,Oxford.
Jean-Philippe Rameau,Traite de l'harmonie reduite a ses principes naturels,Paris,1722,Slatkin reprints,Geneve,1992 ; Generation harmonique,ou traite de musique theorique et pratique,Paris,1737,Broude brothers,New York,1966 ; Demonstration du principe de l'harmonie,Paris,1750,in Musique raisonnee,textes choisis,presentes et commentes par Cathrine Kintzler et Jean-Claude Malgoire,Stock,Paris,1980 ; Observations sur notre instinct pour la musique et sur son principe,Paris,1754,Slatkine reprints,Geneve,1971 ; Erreurs sur la musique dans l'Encyclopedie,Paris,1755,Broude brothers,New York,1969.
(註1) C.Kintzler : Jean-Philippe Rameau,Splendeur et naufrage de l'esthetique du plaisir a l'age classique, Deuxieme edition, revue et augmentee,Minerve,1988,p.37.
 なお『和声原理の証明』にいたるラモー理論の展開・発展については、以下の緒論文を参考にした. Jacques Chailley; "Pour une lecture critique du premier chapitre de la Generation harmonique", in Jean-Philippe Rameau, Colloque international a Dijon en 1983, Champion-Slatkine, 1987. Marie-Elisabeth Duchez; "Connaissance scientifique et representations de la musique, Valeur epistemologique de la theorie ramiste de la basse fondamentale", in Jean-Philippe Rameau. Francoise Escal; "D'Alembert et la theorie harmonique de Rameau", in Dix-huitieme siecle, No.16, 1984,PUF.
(註2) ラモーは,デカルトの『方法序説』に導かれて音楽における諸原理を発見するにいたったと公言している.(Rameau; Demonstration du principe de l'harmonie, in Musique raisonnee, p.66.) カンツレールは、解説論文 "Les graces de la musique et les delices de la science"のなかで、ラモーがデカルト主義者であるゆえんを、反理性的な権威主義と経験主義の排除および数理=物理学的方法の導入にあると述べている。(前掲書、p.14)
(註3)「私の方法にたいする唯一のしっかりした反論は,ラモーからのものだった.私が彼に説明するやいなや,彼はその弱点を見抜いた.(...)この反論には異論の余地がないと思われた.それで私はすぐに同意した.」(『告白』OCI., p.285-286)
この回想によれば,ルソーはこのとき初めてラモーに会ったことになる.
(註4)ティエルソによると,ルソーがパリに上京してからこの時期までにはラモーのオペラとしては1743年春に再演された『優雅なインドの国々』以外には見ることができなかったようである.ルソーがこの時期に見たオペラとしてティエルソが挙げているのは,モンドンヴィル『イスベ』,ボワモルティエの『ドンキホーテ』,ロワイエの『愛の力』である. Cf.Tiersot, J.-J. Rousseau,1920, Reprint AMS PRESS, New York,1978, p.68-69.
(註5)ルソーはM. de la Popliniereと綴っているが,実はPoupliniereである.彼のサロンには,ヴォルテール,ラモー,画家のヴァン・ロー,ラトゥール,サミュエル・ベルナールなどが頻繁に出入りしていた.Cf. OCI, p 1408.
(註6) Rameau, Erreurs sur la musique dans l'Encyclopedie,p.41-42.『『百科全書』における音楽に関する誤謬』(以下『誤謬』と省略)
(註7) ティエルソは次のようにその理由を説明している.
「表面的な称賛を通して,彼はしかしながら自分のオペラの一部分は改作しなければならないことを見抜いた.リシュリュー公が宮廷では上演させることは出来ないと表明したタッソーの幕である.その理由は? きっと王妃と詩人との恋という芝居はルイ十五世の居城ではスキャンダラスに思えたからであろうか?」(Tiersot, Op.cit., p.88-89)
(註8) OCI.,p.1408.
(註9)『告白』OCI.,pp334-335.これについてプレイアッド版の注釈者が指摘している箇所は,ヘシオドスが奏楽の競技に参加するのをみて,軽蔑して止めさせようとする羊飼いたちの群れにヘシオドスが次のように答える箇所である.

「愛の神にできないことはなにもない.
私は竪琴を言われるままに習ったこともなければ,
自分でもどうにもならない私の声は葦笛と調和したこともない.
しかし私はうまくいくと思っているし,
私が期待しているのはすべて,私を照らしだしてくれる情熱の炎であって,
私の未熟な成果からではない.」(『優雅な詩の女神たち』OCII, p.1061.またp.1883も見よ)
その直後のルソーの手紙がこの点を雄弁に語っている。
「しかしまた私はラモーに邪魔をされました。彼は私のバレーがパリで上演されることさえ妨げたがっているようです。私はこれほど多くの妨害と敵意を見たことがありません。そのために私の頭はぼっとなっています。それは作家という職業には恐ろしいことだとあなたは言っていたことがありましたね。それでも私は勇気を奮い起こし、私の敵の怒りが私の力を教えてくれたのですし、彼らの嫉妬がなかったら、私はまだ彼らと闘えるということを知らないでいたでしょう。」(手紙137、1745年 9月14日、デュプレシス宛)
(註10)ヴォルテールは1731年にラ・ププリニエール氏の要請を受けて、ラモーのために『サムソン』の台本を書いた。それが、二人の最初の接点である。このオペラは陰謀のために上演禁止になったが、それ以上に二人のあいだには、言語と音楽の関係に関して意見の不一致があった。二人が1745年に王太子の結婚祝賀のために依頼されて作った『ナヴァールの王女』が、二人の二作目となり、また同年の11月には三作目の『栄光の殿堂』も上演されている。
(註11)『告白』OCI.,p.341.しかしながらラモーはこの件について,この作品はオペラ座から上演を拒否されたのだと回想している.『誤謬』pp.41-42を見よ.
(註12)「[デュパン]夫人は「堅実で方法的な精神」をもった才女であり,(...)『告白』によれば,ルソーは夫人のもとで「口述筆記と資料蒐集」に従事している.その仕事がいかなるものであったかについては,われわれはA・セネシャルが作成した「デュパン文書」目録とその解説によって知ることができる.それによれば,ルソーは夫人のもとで『告白』のわずかな記述からは想像もできないほどの仕事を遂行している.女性論に関連する書籍からの抜書き,約二〇〇〇頁,女性論の口述筆記,約三三〇頁,この他友情論,『法の精神』反駁の断片,以上はいずれもルソーの手によって書かれたものである.そのうちルソーが読んで抜き書きした著者は九〇名,参照したかあるいは少なくともなんらかの形で通じていた著者六二名に達する.(...)たとえその仕事がデュパン夫人の目的に拘束された受動的なものであったとしても,セネシャルが述べているように,ルソーはここにおいてシャルメット時代の<観念の貯蔵庫>にさらに大きな在庫を付け加えていったと考えられる.」(小笠原弘親,『初期ルソーの政治思想』,お茶の水書房,1979年,p.32)
(註13)『ルソー書簡全集』1749年 1月27日,手紙146.
(註14)『百科全書』においてルソーがラモーに言及した箇所のうちラモーを批判している箇 所は以下のとおりである.
≪伴奏≫
1.「不協和和音は通常は,同一の調のなかで続く.不協和音は和声上の方向を決める.したがってある和音は別の和音を要求するし,フレーズが終わっていないことを感じさせる.このような連続の途中で調が変わるとすれば,この変化は常にシャープ記号またはフラット記号によって常に指示される.第三の連続の仕方,すなわち協和音と不協和音の交錯に関しては,ラモー氏はそれをただ二つのケースに還元した.つまり彼は,ある協和和音は属七の和音か下属六五の和音以外のいかなる和音にも直接には先行されない,ただし偽終止や掛留を例外とするが,と主張する.しかし私には,完全な和音は減七の和音によっても,また増六の和音によっても先行されると思われる.これら二つの根和音のうち,後者は転回しない.」( L'Encyclopedie, t.I, p.76, Compact Edition, Pergamon Press, t.I,p.43.)
2.「上行の和声は上行する五度の連続ないしは下降する四度の連続によって与えられるが,それらにはこの連続に固有の不協和音,付加六度が伴う.これが和声的フレーズの第三の構造である.第三のものはいままでだれにも指摘されたことがない.ラモー氏によってさえもそうで,たとえ彼が例外的と呼んでいる終止形における原理を発見したとしてもそうなのである.」(Ibid., t.I, p.76, Compact Edition, t.I, p.43)
3.「たとえラモー氏の原理に従えばどの和音もすべての音を鳴らさなければならないとしても,文字通りにこの規則を守るということのないようにしなければならない.全部の音を鳴らしたのでは我慢できないような和音もある.たいていの不協和音とりわけ仮定による和音のなかには,その堅さを減ずるために削除すべき音がいくつかある.それは,ときには第七音,ときには第五音,そしてときにはどちらもが削除される.またかなりしばしば不協和和音の第五音ないしはオクターヴが削除されるが,それはオクターヴや五度が連続すると最後に悪い効果をひきおこすことになるからである.(...)普通ひとは伴奏をしながら,こう考えるに違いない.ラモー氏がすべての和音を鳴らすよう要求しているのは,和声の純粋さよりも運指の簡単さと彼固有の伴奏方法を重視しているからだ.」( Ibid., p.76, Compact Edition, t.I, p.43)
≪終止・終止形≫
1.「ラモー氏はこの終止形について初めて論究した人で,そのたくさんの転回を認めているが,彼の『和声論』の117頁で,付加された音が低音部にあって七の和音をもたらすような転回形をわれわれに禁じている.彼はこの七の和音を基礎和音と間違えたのだ.その結果,七度音を別の七度音によって,つまり不協和音を類似した不協和音によって,根音バス上の似たような動きによって解決させることになる.(図4を見よ)しかし,この著者がこのような根音バスを据えたこの和音は,明らかに二番目の音符上に付加された七度音によって避けられた不規則終止形の転回したものである.(同じ図を見よ)」(L'Encyclopedie, t.II, p.514, Compact Edition, t.I, p.387)
2.「私が知っているいかなる著者も,今まではこの和声的下降について語らなかった.本当のところ,転調を遠ざける長六度のために似たような終止形の長い連続を実践することもできないし,予備注意なしには和声の全体を満たすことさえだれにもできない.最後に,たとえばラモー氏の作品のような,もっとも優れた音楽作品でさえ似たようなパッセージで一杯だとしたら,またこのようなパッセージが優れた原理の上に作られており,それらが耳を喜ばすものであったとしたら,どうして今までだれもそれについて触れなかったのだろうか?」(Ibid., p.514-515, Compact Edition, t.I, p.387)
≪数字記号を付ける≫
1.「ここではどんな不協和音も下降しながら解決されるということを仮定しなければならないということが,はっきりと感じられる.というのは,もし上行によって解決されなければならない不協和音があるとしたら,また不協和和音のなかに上行するような指の動きがあるとしたら,ラモー氏の使う点の記号ではそれを表現するためには不十分だということになるからである.」(L'Encyclopedie, t.III, p.337, Compact Edition, t.I, p.567)
2.「この方法がいかに単純であろうと,またどれほど実践向きだと思えようとも,しかしながらまったく不都合がないというわけではない.というのは,この方法が記号を単純化していても,また和音の数を明らかに少なくしているとしても,真の基礎的な和声はまだこの方法でも表されていないからである.この方法では記号どうしの依存関係が強すぎるので,ちょっと目を離したり,うっかりしたり,指を間違えたりということがあると,この点による記号はもはやなにも意味しなくなってしまうし,新しい完全和音が出てくるまでは伴奏にもどることができなくなってしまう.これは現行の数字記号にはない不都合である.しかし,優位さを示す理由がこれほどたくさんあるなかで,ラモー氏の方法が排除されたのはこのような異論からだと考えてはならない.彼の方法は新しかったし,どのライバルよりも才能において優秀な人物によって提案された.これがまずかったのである.≪伴奏≫を見よ.」(Ibid., p.337, Compact Edition, t.I,p.567)
≪不協和音≫
1.「和声の物理的原理は,任意の音からの完全和音の発生のなかにある.全ての協和音がそこから生じる.そしてそれらを提供するのは自然そのものである.ところが,不協和音については同じではない.その気になれば,われわれは不協和音の発生を協和音の差のなかに見いだすが,和声体系にそれらを入れることを可能にしてくれる物理的理由がわれわれには見当たらないのである.メルセンヌ師は,実践において認められているか排除されているかを問わず,不協和音の発生と様々な比率を提示するだけでよしとしており,使い方についてはなにも語っていない.ラモー氏は,不協和音は和声には自然なものではないし,技巧の助けがなければ使えるものではないと,お決まりの表現で述べている.しかしながら別の著書では不協和音の数的な比率と調和的比例関係および算術的比例関係のなかにその原理を見いだそうと試みている.しかし類推をやってみた後で,両者の様々な比例関係を変形した後で,またたくさんの操作や計算をした後で,とうとう彼はあれほど探すのに苦労した不協和音をたいした根拠もないのに確立するのである.こうして,倍音の順序において算術的な比例関係からは,彼の主張によると,低音部に短三度が与えられるので,彼は下属音の低音部に新しい短三度を付け加える.調和的比例関係からは高音部に短三度が与えられるので,彼は高音部に新しい短三度を付け加える.こうして付加された三度は,本当のところ前の比率と釣合いがとれない.これら三度が持つべき比率そのものが変わっているのだ.しかしラモー氏はすべてうまくいくと信じているのだ.比例関係は不協和音を導入するために役立つし,比例関係の欠如は不協和音を感じさせるために役立つのである.
したがってこれまで,和声のなかで使われる不協和音の物理的な原理を見いだした人はいなかったので,われわれとしてはその生成を論証ぬきで説明するだけにしておき,計算は放棄することにする.」(L'Encyclopedie, t.IV, p.1049, Compact Edition, t.I, p.977)
≪不規則な≫
1.「かつてはある調の基音の一つの上に下りてくる終止形を不規則終止と呼んでいた.しかし,ラモー氏は,根音バスが付加六の和音のあとで五度上行するか四度下降する終止,つまり非常に規則にかなった終止に,この名称を与えた.≪終止≫を見よ.」(L'Encyclopedie, t.VIII, p.909, Compact Edition, t.II, p.508)
≪音楽≫
1.「そして最後に有名なラモー氏である.彼の著作は,だれにも読まれていないのに大変な成功をしたというから, 奇妙である.」 ( L'Encyclopedie, t.X, p.902, Compact Edition, t.II, p.986)
≪十度≫
1.「ラモー氏は通常では四の和音と呼ばれている和音に十の和音という名称を与えたがったのだが,この新しい名称に従うものはだれもいないので,私は慣用どおりにしておく.≪四度≫,≪仮定≫,≪和音≫を見よ.」 ( L'Encyclopedie, t.XI, p.491, Compact Edition, t.II, p.1117)
≪五度≫
1.「ラモー氏は和音間の連結の欠如ということからこの規則が説明できると主張している.彼は間違っている.第一に,これらの二つの五度を作って,しかも和声的連結を維持することができるからである.第二に,連結があっても,二つの五度はかえって悪くなるからである.第三に,同じ原理から,この規則は長三度にも拡大適用しなければならなくなるだろうからである.そんなことは実際ないし,あるべきではない.というのは,われわれの仮説に属すのは,耳による判断を妨げることではなくて,それを説明することだからである.」(L'Encyclopedie, t.XIII, p.721, Compact Edition, t.III, p.187)
≪シンコペーション≫
1.「ラモー氏は,まるで和声のなかにしかシンコペーションはないかのように,またまるで不協和音なしにはシンコペーションもないかのように,この語が不協和音のなかでなんらかの形でぶつかり合う音の衝突に由来すると主張している.」( L'Encyclopedie, t.XV, p.747, Compact Edition, t.III, p.673)
≪平均律≫
1.「この方法が音楽家やオルガン製作者から評価されたとは思われない.音楽家たちは,多様な印象のなかにある変化が平均律のために奪われてしまうという事態を解決することができない.ラモー氏は,彼らに間違いを指摘し,多様性の好みは旋法のはめ込みから引き出されるのであって,音程の変化のなかからではないと説明したが無駄であった.音楽家は一つの方法だけが絶対的ではないと答え,断定的な主張の言いなりにはならなかった.」(L'Encyclopedie, t.XVI, p.58, Compact Edition, t.III, p.741)
2.「オルガン製作者たちについては,このような方法で調律されたクラヴサンはラモー氏が主張するほどうまく調和しないと考えている.彼らには長三度が堅くて響きが悪いと思えるのである.そして彼らは元は五度の変化に通じていたのだから,今度は三度の変化に慣れさえすればいいのだと言われようものなら,彼らはこのような調律法によって生じる不快な衝突音をオルガンが出さないようにするのに慣れるにはどうしたらいいのか分からないと答えるのである.メルセンヌ師は,彼の時代には,彼が≪偽りの≫と呼んでいる半音をクラヴサンで鳴らす音楽家は,今日ラモー氏が提案している均等な和音にしたがって,まず五度をほぼ正確に調律していたこと,しかし,彼らの耳は必然的に大きすぎる長三度の不協和音を我慢することができなかったので,彼らは五度を狭くすることで,長三度を下げるようにしたことを指摘している.以上はメルセンヌ師の主張である.」(L'Encyclopedie,t.XVI, p.58, Compact Edition, t.III, p.741)
3.「私はこの項目を終わるにあたって,『和声の生成』のなかでラモー氏が平均律を論じている章を読みたいと思っている人々に,次のことはどうしても予告しておかなければならない.それは,その章はお互いにまったく理解し合っていない二人の人物,つまり数学者と音楽家によって書かれたものなのだから,もし理解できなくてもなんら驚くことはないということである.」( L'Encyclopedie, t.XVI, p.58, Compact Edition, t.III, p.741)
≪テトラコード≫
1.「テトラコードという名称の元になっている四音の数については同様にはいかない.古代音楽には三音だけのテトラコードもあるくらいに,この数はラモー氏にはほとんどどうでもいいことなのである. ある人々によると,メルキュロスのテトラコードがそうであったし,ある時代にはエンハーモニックなテトラコードがそうであったことがあるし,メイボミウスによると,新しい音が追加される以前の古代の体系における二番目の跳躍的テトラコードがそうであった.前者に関しては,ピタゴラス派のニコマコスの著書に簡単に見られるように,ピタゴラス以前にはたしかに完全なものだった.だからといって,ラモー氏がいつも通りに,一致した報告によると,ピタゴラスは全音,ディトヌス,半音を見いだし,そこからディアトニックなテトラコードを作ったと断定的に主張するけれども,もっと一致した,そしてもっと真実の報告によれば,ピタゴラスよりもずっと以前に見いだされていたこれらの音程の比率をピタゴラスは発見しただけなのだとは主張しないことを妨げるものではない.」(L'Encyclopedie, t.XVI, p.208, Compact Edition, t.III, p.778)
≪音・調・・・≫
1.「しかしながらラモーは,すでに彼以前に何度も提案されては廃棄されたのと同じ彼の平均律の規則によってどの調の和声にも均一さと単調さをできるだけ持ち込むことによって,音楽からこの快適な多様さを奪いたがっているのだ.そうすればもっと和声は完璧になるだろう,というのがこの人の主張である.だが,一方では彼の方法では得るところはなにもないし,他方では同じだけのものをすべて失ってしまうことは確実なのである.そして和声の純粋さがなにかの役に立つと仮定しても,とはいえこれはわれわれにはもっとも信じがたいことなのだが,はたして,そのために表現の点で失ってしまうものの埋め合わせにそれがなるのだろうか? ≪平均律≫を見よ.」(L'Encyclopedie, t.XVI, p.404, Compact Edition, t.III, p.827)
(註15)Olivier Pot, INTRODUCTIONS, OCV, p.LXXXV.
(註16)この手紙の目的はラモー批判にあるのに,前半部分に見られる匿名性を楯にした曖昧さについて,オリヴィエ・ポは百科全書派の多くが当時はまだラモーを支持していた点を理由としてあげている.Cf. Olivier Pot, INTRODUCTIONS, OCV, p.LXXXII-LXXXIII. この時期には、ディドロ・ダランベールとラモーとのあいだが蜜月にあったことを詳述したものとしては、Anne-Marie Chouillet; "Presupposes,contours et prolongements de la polemiques des ecrits theoriques de Jean-Philippe Rameau", in Jean-philippe Rameauがある。
(註17)L'Encyclopedie, t.X, p.902, Compact Edition, t.II, p.986.ただし,これを掲載した『百科全書』第10巻が出版されたのは1766年,ラモーの死後のことである.
(註18)『音楽辞典』≪MUSIQUE≫, OCV, p.926.
(註19)J.-Ph. Rameau, Observations sur notre instinct pour la musique et sur son principe. 出版認可は4月12日に与えられている.煩を避けるため,本文中では『考察』と省略し,ページ数のみ記す.
(註20)以下は,ラモーが『考察』のなかで,和声と旋律の関係について述べている箇所である.下線部はすべて引用者によるもの.
1.「音楽を聴くことに没頭している人は,音楽を判断するのに十分な状況にはいない.もし,たとえばこの人が意見の表明において,この芸術の基本的な美を,音の高低,強弱,緩急といった音に変化をつけるのに使う手段に結び付けるとすれば,この人は全てを偏見によって判断することになり,このような手段の根拠の薄弱さについても,それを使うことにははとんど長所がないことについても考えることがないし,音楽の唯一の基礎であり,音楽のもっとも大きな効果の原理である和声とはそれらが関係がないということに気づきもしないだろう.」(『考察』p.iv-v)
2.「耳は,それとは知らずに,この原理によって完全に支配されているので,耳さえあれば,この旋律を左右している和声的な土台を即座に見いだすことができるのである.」(『考察』pp.10-11)
3.「まずわれわれの自然な和声感情のもとになっている音響体の共鳴のなかを見てみると,和声に共通な音から,なにも介在させずに連続しているさまざまな根音が見えてくるだろう.そこから,とりわけ個々のパートにおいて旋律と呼ばれている連続の感情が出てくるのである.」(『考察』pp.43-44)
4.「クロマティックから感じられるこの感情が,このモノローグには形式的には存在しないということは,旋律の十全な効果を判断するためには,58頁の指摘にしたがって,旋律を左右する和声的な土台の全体を旋律に結び付けることが必要だということを証明している.」(『考察』p.67)
5.「ここでは旋律に先立って,旋律の産みの親である和声を響かせてみよう.というのも,和声というものは歌詞の内容にかかわらず歌手が感じとるべき感情を抱かせるからである.そしてこの感情は,偏見のない自然の純粋な効果に喜んで身を任せようという人ならばだれの心をもうつだろう.以上のことから,和声こそがこの感情の主たる原動力であること,そして,たとえ旋律だけでこの感情を抱かせることができるのは,旋律が,それとは知らずに,旋律を左右している和声的土台を暗に聞かせているからなのだ,と結論しないわけにはいかないだろう.」(『考察』p.99)
6.「歌手に歌詞が描いている感情をうまく表現できるようにするには,歌手にとって歌詞だけでは十分ではない.同時に,音楽がそれに呼応してやらなければならない.」(『考察』pp.100-101)
7.「歌詞に付けられた旋律のもとになっているのは,おもに和声的土台であり,そこから歌手は表現すべき感情の印象を受けとっているのだ.このような歌詞は,いわば,歌手にとってはたんなる指示の役にしかたっていない.」(『考察』p.102)
8.「その結果,旋律に与えることができる様々な言い回しのすべては,この同じ和声的土台からしか生じることができないのである.」(『考察』pp.115-116)
(註21)『考察』p.76.
(註22)プレイアッド版の注釈者によると,グルックは1777年の『アルミッド』においてルソーの正しさを示すために,この箇所を甘美なものにしなかった.(OCV.,p.1487)シュナイダーは,ラモーとリュリの伝統の関わりを論じた論文のなかで、『アルミッド』のこのモノローグについても触れ、「それでも確認しなければならないことは、リュリにおいては旋律の原理、すなわちレシタティーフの旋律のなかに話し言葉の抑揚と朗唱を正確に再現するという努力(たとえば《vengeance》という語に付けられた旋律を見よ)があらがじめ支配しているということである」と述べている。(Schneider; "Rameau et la tradition lulliste", in Jean-Philippe Rameau",p.292)
(註23)この箇所の言い合いについてプレイアッド版の注釈者はつぎのようなコメントを寄せている.「ここでルソーとラモーを隔てているものが何かが分かる.ラモーのほうは≪和声上の連結≫の≪ちょっとした変化音≫のなかに表現を求めようとしているのにたいして,ルソーのほうは声の抑揚のなかに驚異的で力強い変化を要求しているのである.」(OCV.,p.1488)
(註24)プレイアッド版の注釈者は,「にもかかわらず,リュリは,シャープ調やフラット調への転調から生じる対立した表現を記譜することを明確には予想していなかったのだから,こんなことをしてもいいのかという疑いにも正当な根拠が残ることには変わりがない.そしてルソーはこの点についてダランベールの支持を受けることになる」として,ダランベールを引用している.「ルソー氏のもっとも強力な批判に応えるために,〔ラモー氏が〕したように,リュリが考えもしなかったのに,低音のなかに無数の暗に聞こえるものを仮定して,何箇所にもわたってリュリの低音に手を加えることで,彼がしたことは,自分の反論がいかに確実であるかを示そうとしただけのことである.」(『音楽の自由』)(OCV.,p.1490)
(註25)プレイアッド版の注釈者によると,当時何人かの人がこの箇所を実際に歌手に歌わせてみたところ,ルソーの主張とはちがって,リュリの主張通りであったこと,したがってリュリの朗唱が自然にかなっているということが証明されたとのべている.(OCV.,p.1492)
(註26)「ルソーの音楽論 その三 −『百科全書』と『音楽辞典』の比較研究−」大阪千代田短期大学紀要第24号,1995年12月.ブヴィエによると,ダランベールによる検閲については『百科全書』の編集においても異例のことであった.Xavier BOUVIER, "Rousseau et la theorie ramiste", in OCV, p.1668.
(註27)『ルソー書簡全集』1755年 1月 3日, 手紙269.
(註28)ラモーと『百科全書』の編集者ディドロやダランベールとの関係については, 拙論「ルソーの音楽論 その三」を参照のこと.ブヴィエによると,ラモーはディドロやダランベールとの決裂を望んではいなかった.ブヴィエが引用しているラモーの『続・誤謬』の一節を参照せよ.(Ibid., p.1676)
(註29)ブ゙ヴィエは,この箇所について,次のように驚きを表明している.「これは注目すべき状況である.なぜなら,『誤謬』にこれだけはっきりと答えている箇所は『音楽辞典』のどこにもないからである.」(Ibid.,OCV, p.1682)
(註30)≪ACCORD≫, in L'Encyclopedie, t.I, p.78, Compact Edition, t.I, p.44. また「二重に不協和になる」という箇所は,≪DISSONANCE≫, in L'Encyclopedie, t.IV, p.1049.
(註31)「通常この和音からは七度音,すなわち根音の五度,ここではミが省略される.そしてこの状態では,九の和音は転回にあたってバスにくる音符のオクターヴを伴奏声部から省略する.」≪ACCORD≫, in L'Encyclopedie, t.I, p.78, Compact Edition, t.I, p.44.
(註32)註(11)≪終止・終止形≫の2および『音楽辞典』≪終止・終止形≫OCV.,p.677を参照のこと.
(註33)註(11)≪伴奏≫の2および『音楽辞典』≪伴奏≫OCV.,pp.622-623を参照のこと.
(註34)次の二つを比較せよ.
『百科全書』t.III,p.362 / t.I,p.573.
CHOEUR合唱曲 四パートないしはそれ以上の完全な和声をもった曲のこ とで,同時に全声部によって歌われ,オーケストラによって演奏される.人は合唱に,耳を魅了し,耳を満たす和声的な快適な雑音を求める.美しい合唱曲は巧みな作曲 家の傑作である.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フランス人はヨーロッパの他のいかなる 国民よりも,この分野では成功するものと,フランス国内では思われている.
『音楽辞典』OCV.,p.706
CHOEUR合唱曲 四パートないしはそれ以上の完全な和声をもった曲のこ とで,同時に全声部によって歌われ,オーケストラによって演奏される.人は合唱に ,耳を魅了し,耳を満たす和声的な快適な雑音を求める.美しい合唱曲は初心者の傑 作であって,彼が和声のすべての規則を十分に知っていることが示されるのは,まさ にこのジャンルの作品によってなのである.フランス人はヨーロッパの他のいかなる 国民よりも,この分野では成功するものと,フランス国内では思われている.
なお,『フランス音楽に関する手紙』では,フーガや模倣を≪旋律の統一性≫に有害なものとして挙げ,「騒音を作ることにしかならなかったこういったものはすべて,あれほど称賛されたわが国の合唱曲のほとんどと同様に,天才の筆や鑑識眼を持った人の注意を引きつけるにふさわしくないのです.」(OCV.,p.308)と否定的な評価を下している.
(註35) L'Encyclopedie, t.III, p.387, Compact Edition, t.I, p.579.
(註36)註(11)の≪不協和音≫1を参照のこと.
(註37)原典のテキストそのものが109貢から112貢までがページ数のみ重複している.ここの109貢は二回目のページ数である.
(註38)『音楽辞典』≪不協和音≫OCV.,pp.767-771.以下に引用する部分は,『百科全書』にはなく,『音楽辞典』で追加された箇所である.
  「ラモー氏の学説を大衆に解説してくれた有名な幾何学者はこれらの無駄な計算を削 除くしてくれたので,私は彼を手本とし,あるいはむしろ彼が不協和音について述べていることを転記することにする.ラモー氏は,私が彼自身の著作からよりも,『音楽提要』からその説明を引用したことで感謝すべきであろう.
《ラモー氏の学説にしたがってある調の主要な音,すなわちハ調なら,主音ハ,属音ソ,下属音ファが分かると仮定すると,この同じハ調はト調と共通する二音,ドとソを持ち,ヘ調と共通する二音,ドとファを持つこともまた分かるはずである.その結果,ド ソという低音の進行はハ調またはト調に属することができるし,ファ ドまたはド ファという低音の進行はハ調またはヘ調に属することが可能である.ゆえに,ドからファまたはソに根音バスが移る場合,まだそれがどの調に属しているかは分からないのである.しかしながら,それが分かったり,なんらかの方法で主音をその五度から区別することができれば,それは便利なことであろう.
このような利点は,同じ和声のなかでソとファの音を結びつけてみること,つまり五度ソのソ シ レという和声に別の五度ファを結合して,ソ シ レ ファとすることによって得られる.この追加されたファはソの七度なので,不協和音を作る.こういった理由から,ソ シ レ ファという和音は不協和和音または七の和音と呼ばれる.この和音は,自然の与える完全和音ド ミ ソ ドを変化音も混合もなくもたらす主音のドから,五度ソを区別するのに役に立つ.(ACCORD, CONSONNANCE, HARMONIE を見よ)このことから,ファはソの和音に含まれているので,ドからソに移るときには,同時にドからファにも移ること,さらにファとソが同時に属するのはこの調しかないので,こうしてハ調が完全に確定される,ということが分かるのである.》
ダランベール氏は続けて言う.《さて今度は,主音の下方五度ファの和声ファ ラ ドになにを付け加えたら,この和声と主音の和声とが区別されるかを見てみよう.主音のドがファに移るのと同時にソにも移るようにするためにも,またそれによって調が確定されるようにするためにも,先ずもう一つ五度であるソをそこに付け加えてみるべきであろうと思われる.しかしファ ラ ドという和音へのソの導入は,連続する二つの二度ファ ソとソ ラをもたらすことになるが,これらは結びつきがあまりにも耳に不快な不協和音なのである.これは避けなければならない不都合である.なぜなら,調を区別するために,もしこの五度ファの和声を変えるとしても,できる限り変化を小さくなければならないからである.
こういう理由から,ソのかわりに,われわれは,最もそれに近い音であるそれの五度レを取る.そうして,下属音ファにはファ ラ ド レという和音が得られるが,それは大六度あるいは付加六度と呼ばれているものである.
ここで属音ソの和音と下属音ファの和音の間に観察される類似に気がつかれよう.
属音のソは,主音から上に上行しながら,ソから三度ずつ上行することによって構成される和音,ソ シ レ ファを持つ.ところで,下属音ファはドよりも下にあるので,ドから三度ずつ下がってド ラ ファ レを得るが,それはファ ラ ド レの和音が下属音ファに与えるのと同じ音を含んでいる.
さらに,二つの五度の和声の変化はこれら二つの五度の和声に双方から付加された短三度レ ファまたはファ レの中にしか成り立たないことも分かる.》
この説明は,不協和音の起源,使用,進行,および調との内的関係,相互に調を確定する方法を示しているだけに,一層巧妙である.私がそこに見出す欠陥は,しかしすべてを揺るがす本質的欠陥でもあるのだが,それは調の本質的音として調に無縁な音を使っていることにあり,このことは間違った類推の結果なのである.だが,それはラモー氏の学説の基礎として役立っているので,それが消失すれば,彼の学説体系を破壊してしまうのである.
私が問題にしているのは,主音の下の五度,つまり下属音のことであるが,これと主音の間にはこの下属音を調の本質的な音として使用することを可能にするような関係だけでなく,たとえそれが何であれ,なにかの資格を持つものとして使うことを可能にするような関係がほんの少しも見当たらないということなのである.実際,ドのユニゾンの共鳴や振動とドの下の五度音との間に何か共通なものがあるのだろうか.その部分音がドの音に共鳴するのは音がファだからではなくて,それがドの倍音だからである.同じ現象を与えないようなドの倍音はない.七倍音を取り上げてみよう.それは三倍音と同じくその部分において振動し共鳴するだろう.だからといって,この七倍音またはオクターブが調に本質的な音だということを意味するだろうか.それどこではない.というのはそれは主音と通約しうるような関係を形成することさえないからだ.
ラモー氏が,任意の弦の音にそれとは別の十二度下の音をもつ弦が振動するが共鳴はしないと主張しているのを私は知っている.しかし,音響弦が振動するのに共鳴しないというのは音響学的に不思議な現象であるというばかりか,この実験は間違いであり,低音弦はそれが共有されるから振動するのだということ,それが共鳴していないように見えるのはその部分に容易には区別されない高音のユニゾンしか与えないからだということは,いまや周知の事柄である.
したがってラモー氏には,下にも五度を取るのは,上に五度を見出すからだし,五度のこの操作が彼の学説体系を確立するために便利だと思われるからなのだとはっきり言ってもらいたいものだ.彼は巧妙なことをしたと祝福されるに違いあるまい.しかし彼はそれを空想じみた実験によって権威づけたり,苦しい思いをしてまで調和比例や等差比例の関係の転回のなかに和声の基礎を求めようとしたり,数字の特性を音の特性と見なそうとすることはしてもらいたくないものだ.
さらに注目していただきたいのは,彼が前提にしている 対・生成が可能だとしても,下属音ファの和音は長三度ではなく短三度を持つはずである.なぜならラ♭はこの転回, 1ド 1/3ファ 1/5 ラによって指示された真の調和比例だからである.その結果,この理屈でいくと,長旋法の音階は当然短六度を持つはずだということになるが,しかしそれは四番目の五度または二番目の音符の五度のように長六度を持つのであり,こうしてここに一つの矛盾が出てくる,ということである.
最後に注目していただきたいのは,どんな理論家でも一目で気がついているように,真に自然な全音音階を生み出す一連の部分音のなかの四番目の音符は,4対3の比率をもついわゆる下属音のオクターブではなくて,11対8の比率における全く違った別の四番目の音符なのだということである.
いまや私は音楽家の経験と耳にお任せしよう.主音から属音へという自然な関係における終止と比べて,下属音から主音への不完全終止がいかに堅く粗野であるか聞いていただきたい.前者の場合,耳が主和音のあとでもはや何も望んでいないと言えるだろうか.本当に終結感ががあるときに,人が期待するのははたして続きかなのか,それとも終わりなのか.耳がその後でもなにかを求めるような,そういう主音とは一体何か.それを真の主音と見なすことはできるのだろうか.ハ調にいると思っているのに,実はヘ調にいるのだなどということがあるだろうか.上行であれ,下行であれ,第四音や導音の全音階的で連続した抑揚がいかに旋法に無縁で,声には過酷でさえあるかをよく見てもらいたいものだ.たとえ長い習慣から音楽家の耳や声がそれに慣れているとしても,この音符を音にすることが初心者には困難だという事実が,このことがいかに不自然なものであるかを十分に示しているはずである.この困難さは連続する三音のせいにされているが,これら三つの連続する音,そしてそれらを導入する音符が,自然のなかになんの根拠も持たない野蛮な音の動きをさせることを見るべきではないのか.ギリシャにおいて自然が今日の音階のミ,つまりこの第四音に先行する音符で彼らのテトラコードを一区切りにしたときに,自然はもっとうまくギリシャ人を導いていたのである.彼らはこの第四音を低くとるのを好んだ.こうして彼らはわれわれの和声理論がまだわれわれに気付かさずにいたものを耳だけで見出したのである.
もし,少なくとも既存の体系においては耳の証言と理性の証言とが一致して,調の本質的な音からだけでなく,旋法の音階に入ることができる音符からもいわゆる下属音を排除するとしたら,この不協和音の理論はどうなるのだろうか.短旋法の説明はどうなるのだろうか.ラモー氏の全学説はどうなるのだろうか?」
(註39)『誤謬』p.124.なおラモーが『百科全書』の編集者へこのような批判的言辞を向けたことが,ディドロとダランベールに1756年5月の『百科全書』第6巻での《Avertissement des editeurs》を書かせることになり,ルソーとラモーの論争は,これ以降ラモーとダランベールの論争に発展していくことになるが,両者の論争については本論の範囲を超えるので,取り上げない.ラモーとダランベールの関係については,C. KINTZLER, Jean-Philippe Rameau, Splendeur et naufrage de l'esthetique du plaisir a l'age classique, Minerve, 1988, Annexe I, Rameau et d'Alembert.および F.Escalの前掲論文を見よ.
(註40)《Projet des preface》in l'Essai sur l'origine des langues, OCV.p.373.
(註41)このあたりのことについては,プレイアッド版第5巻のINTRODUCTIONSを参考にした.今日では,ルソーが『言語起源論』への序文のなかで触れている『人間不平等起源論』からぬきだした長い断片というのは,今まで信じられてきたような『言語起源論』の第9章に相当する部分ではなくて,第12から19章にあたる音楽の堕落の歴史にかんする記述だったのであり,したがって長期にわたって展開されてきた『言語起源論』の執筆時期や《piti 》概念をめぐる『人間不平等起源論』との相違・類似関係についての論争はその前提になる立脚点が間違っていたということが明らかになっている.プレイアッド版第5巻のINTRODUCTIONSおよび R.WOKLER, "L'Essai sur l'origine des langues en tant que fragment du Discours sur l'inegalite: Rousseau et ses "mauvais" interpretes",in Rousseau et Voltaire en 1978, Actes du Colloque international de Nice (Juin 1978), Editions Slatkine, pp.145-169.を参照のこと.
(註42)『フランス音楽に関する手紙』OCV.,p.315
(註43)オリヴィエ・ポによると,この部分の自筆草稿は書き直しが多く,ルソーの苦闘のあとがうかがわれるということである.(OCV,INTRODUCTIONS, p.CL)
(註44)「第二の実験。/(...)今度は高いほうの弦をつま弾いてみると、低いほうの弦がその全体で振動するのが見えるだけでなく、二つの節の両側に三つの脹らみをを形成する均等な三つの部分に分割するのが見られる。/高いほうの弦をつま弾いたときに、低いほうの弦が三つの部分に分割しながら、同時にその全体において振動していることを確かめるには、爪で節の部分を軽く触れてみなければならない。そうすると、節の部分でも振動しているが感じられ、この振動は目では分からないということが分かるのである。」(Generation harmonique,p.9)
(註45)ルソーは,これとほぼ同じことを,『音楽辞典』《和声》でも主張している.(OCV.,p.848) しかもブヴィエによると,この実験は当時の学界からも疑問視されていたらしい.Xavier BOUVIER, "Rousseau et la theorie ramiste", in OCV, p.1679.
(註46)この点については,拙論を参照せよ.「ルソーと隠された≪手≫ その六 ーまとめとしてー」大阪千代田短期大学紀要第20号,1991年.
(註47)スタロバンスキーによるINTRODUCTIONS(OCV.,p.CCI)を参照のこと.
(註48)ルソーは1761年9月25日に『言語起源論』の原稿とともにマルゼルブに宛てて次のような手紙を送っている.
 「私はこのなぐり書きが独立して印刷するのに耐えうるとは思いませんが,おそらく著作集に入れるのだったら,ほかの著作との関係から,それも可能になるでしょう.とはいえ私は,これを独立して出版できればという思いもあるのです.ラモーが卑劣にも私を悩ませ続け,首尾よく直接私から返事を得ようとしているせいなのですが,私はそんなことをするつもりはありません.」(『ルソー書簡全集』1761年 9月25日,手紙1495)
(註49)ルソーは『音楽辞典』の《音楽》の項目で,次のように『言語起源論』に触れている.
 「私はこうした考え(古代人の音楽を軽蔑するのは近代人の思い上がりだということ・・・引用者)をまだ刊行していない著作に投げ込んだことがあるが、そのなかで私の考えは,私の主張を議論するために読者を煩わせるのを目的としていないこの著作でよりもよく整理されるだろう。」(OCV.,p.923)
(註50)『ルソー書簡全集』1751年 6月26日,手紙162.
(註51)Chales BATTEUX, Les Beaux-arts reduits a un meme principe, Edition critique par Jean-Remy Mantion, Aux amateurs de livres, 1989. 邦訳『芸術論』山縣煕訳,玉川大学出版部,1984年.以下『芸術論』と省略し,本文中にページ数のみ記す.
(註52)C. Kintzler, Op.cit., p.23.
(註53)ここで言う「直接的」「間接的」という言い方はルソーがダランベールの手紙のなかで使ったやり方にならっている.ルソーが古典主義的な方法を「直接的」と呼んだのは,たとえば嵐を描こうとする場合,嵐のなかに鳴っている和音を引き出し,そこから嵐を再現する方法(すなわちラモーの方法)だからである.それにたいしてダランベールが提唱した方法は,いったん聞く者の情緒や感情を介在させて,同じ情緒を引き起こす音響を作るという方法なので,「間接的」なのである.しかし描くべき対象としての「自然」について考えてみた場合,バトゥーやラモーのいう「自然」が理性的分析という間接的な手段によらなければ到達しえないような真理であると考えられていたのにたいして,ルソーの「自然」は,媒介性や間接性を排除した直接性の世界である.この点について,詳しくは,拙論「ルソーの音楽論 その二 ー音楽模倣論ー」(大阪千代田短期大学紀要第23号,1994年)を参照せよ.
(註54)註(53)でも触れたように、対象と主体の関係ではなく、表現手段と主体の関係から見ると,ルソーの方法は直接的であり,ラモーの方法は間接的だということができる.この意味での直接的・間接的の違いについて,カンツレールが魂を感動させる方法における両者の違いは,情念の概念が違うからだということを簡潔に説明しているので紹介しておこう.カンツレールによると,ルソーの場合,音楽そのものが情念のかたちであるので,音楽と魂や心情とは直接的であるが,デカルト主義者としてのラモーにとって,情念は肉体が魂に作用した結果であり,音→肉体→魂という間接的な作用の関係にある.「したがって音楽が魂に及ぼす力は,感覚的肉体を媒介を通して作用する.音楽の音は,意味としてではなく,知覚として作用する.それは意味でもしるしでもなく,ものであり,自然現象なである.したがって,ラモーの目には,音楽と言語は完全に別のものである.」 C.Kintzler, "Les graces de la musique et les delices de la science", p.42.
(註55)ルソーは『音楽辞典』の《和声》でも次のように,近代西洋音楽を歴史的地域的に相対化してとらえている.
 「一つの音楽か一つの歌を持っている地球上の全ての国民のうち、ヨーロッパ人は唯一、和声と和音を持っており、この混合を快いと思っているということを考えると、また、世界は何世紀も続いてきたが、芸術を開拓してきた全ての国民のなかにはいかなる国民も和声を知ることがなかったことを考えると、いかなる動物も、いかなる鳥も、自然のいかなる存在もユニゾン以外の和音を、旋律以外の音楽を作りはしないということ、東洋の非常によく響き、非常に音楽的な言語も、ギリシャの非常に繊細で、非常に感じやすい、かくも多くの技術で訓練された耳もこれらの快楽好きで情熱的な国民をわれわれの和声のほうへむけることはなかったこと、和声がなくても彼らの音楽は非常に豊かな効果をもっていたこと、和声を持っていてもわれわれの音楽は非常に弱い効果しか持たないこと、最後にこの偉大な発見をし、それを芸術の全規則に原理として与えることは、その粗野で大雑把な器官が抑揚の甘美さや旋律によりも声の爆発や騒音に感動するような北方の諸国民に残されたということなどを考えてみれば、要するにこういったことに注意してみると、われわれの和声というものはゴートと蛮人の発明で、われわれがもし芸術の真の美や本当に自然な音楽にもっと感じやすかったとしたら決して思い付かなかっただろうということは疑ういようがない。」(OCV.,pp.850-851)
 この項目は《不協和音》とともに,『音楽辞典』の推敲の最終段階で執筆されたらしい.(cf. Xavier BOUVIER, Op.cit., p.1690)

[初出掲載誌 大阪千代田短期大学紀要第25号(1996年12月)]

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