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フランス・オペラの誕生―その二―

1.はじめに
 イタリアでは16世紀末から17世紀はじめにかけて、古代ギリシャ悲劇の演劇研究が盛んに行われた。ヴィンツェンツィオ・ガリレイらによるカメラータの運動と呼ばれるものである。彼らは、古代ギリシャ悲劇では台詞が歌われていたという考えから、ルネッサンス風のポリフォニックな音楽書法を批判し、モノディックな音楽書法を提唱していた。こうした運動の成果として生まれた新しい音楽劇においては、1573年に上演されて大きな反響を呼んでいたタッソの『アミンタ』やグアリーニの『忠実な羊飼い』などの影響を受けて、『ダフネ』や『エウリディーチェ』など、古代ギリシャ神話を題材としながらもパストラルの要素を多く取り入れた台本が選ばれたことなどが、オペラとパストラルの関係を決定的なものにしたと言える。こうしたイタリアにおける演劇動向の影響を受けて、フランスでは17世紀のはじめにオノレ・デュルフェの『アストレ』でパストラル大流行の時代を迎えることになり、小説、詩、演劇の分野で、多数のパストラル作品が産出された。
 音楽の分野ではルイ14世の宰相となったマザラン(任期:1643年〜1661年)がフランスにオペラを根付かせようとして様々な試みを行った。1647年にはイタリア・オペア『オルフェオ』が上演され、それに刺激を受けて、フランス語による仕掛け芝居が次々と作られた。その最も有名なものが1650年に上演されたピエール・コルネイユの『アンドロメード』である。だが、フランスの宮廷で盛んに上演されていたバレ・ド・クールではバレの内容をレシが説明するという根強い伝統があり、フランス語に音楽をつけるということに対するアレルギーが強く、全編を歌うという意味でのオペラの創始はなかなか行われなかった。その最初の試みが行われたのはやっと1659年になってからのことで、ピエール・ペランが書いた詩にロベール・カンベールが音楽をつけて上演されたパストラル・オペラ『イシーのパストラル』
(1)によってであった。マザランが死去してルイ14世の親政が始まると、ペラン、カンベールとは別に、モリエールがリュリと組んでコメディ=バレのなかかで新たなフランス語音楽劇の道を探るが、この道はモリエールの死によって絶たれる。しかしモリエールの死の一年前に、かつてフランス語オペラの最初の試みを行い、ルイ14世から王立音楽アカデミー設立の許可(1669年)を得ていたペランとカンベールのコンビが、本格的にフランス語オペラの創作を再開していたのである。それが1671年に上演されたパストラル・オペラ『ポモーヌ』であった。本論は、パストラル演劇が仕掛け芝居を経ていかにしてフランス・オペラへと展開していったかを明らかにすることを目指している。


2.17世紀前半のパストラル劇
 フランスにおけるパストラル劇の歴史において、オノレ・デュルフェの『アストレ』が大きな影響を及ぼしたことについては論を待たない。1607年に出版された第一部を皮切りに、1627年に第四部が出版された(2)。この20年間のあいだに、演劇の分野では、トロトレル、ジャン・メレ、ラカン、アルディー、バシール、ゴンボーをはじめとする多数の劇作家がパストラル劇を書いた。とくにジャン・メレの『シルヴァニール』(1629年)(3)などがオテル・ド・ブルゴーニュ座で大成功を収めた20年代から30年代にかけてパストラル劇が隆盛の時代を迎えることになった。ここでは、バジールの『リコリス』(1614年)、メレの『シルヴィー』(1625年)、ゴンボーの『アマラント』(1631年)の検討を通して、この時期のパストラル劇の推移を見ておこう。
 まずバジールの『リコリス』のあらすじを見ておこう。羊飼いのドラリスDoralisはミルティーヌMyrtineから愛されているが、リコリスLycorisを愛し、リコリスはモール人によって祖国から追放されたイラスHylasを愛している。リコリスはドラリスの愛情がうっとうしいので、サチュロスのアルカダンArcadinにドラリスを殺すように頼む。アルカダンは引き受けるが、彼はドラリスを洞窟に隠して、死んだという噂を流す。リコリスはドラリスを殺させたと非難され、刑の宣告を受ける。イラスが彼女の代わりに犠牲になろうとするが、アルカダンが生きているドラリスを人々の前に連れ戻すので、この件は収まるが、じつはドラリスはリコリスの兄であるということが分かる。ミルティーヌは愛するドラリスが死んだという話しを聞いて、絶望のあまり自殺していたのだが、ディアーヌによって生命を取り戻し、ドラリスと結婚することになる。またリコリスは、キュプロスから王に付くよう要請されたイラスと結婚することになる。十音綴定型詩で書かれ、合唱が付けられた(4)
 メレの『シルヴィー』(1625年)(5)のあらすじをまとめておこう。Candicカンディックの王子であるフロレスタンFlorestanはシシリアの王女であるメリフィールMeliphileの肖像画を見て恋に落ち、彼女を手に入れようと出発する。メリフィールの兄の王子テラームThelameは両親の努力や妹メリフィールの忠告にもかかわらず、またその地位にも関わらず、羊飼いの娘シルヴィーを好きになる。シルヴィーの両親のダモンとメセDamon et M&eacupte;céeはこの話しを恐れ、娘のシルヴィーを羊飼いのフィレーヌPhileneと結婚させるほうがいいと考えるが、シルヴィーはフィレーヌを拒否する。フィレーヌはシルヴィーと結婚できないと見るや、嫉妬心を利用して、テラームはドリーズDoriseと一緒になって騙しているとシルヴィーに納得させる。彼女は怒り、一瞬は絶望に陥ったけれども、すぐさま真実を見抜く。しかしこの恋のアヴァンチュールに終止符を打つ決心をした王は、彼女を捕まえさせ、魔法使いに命じて、二人の恋人を魔法にかけさせる。国王は後になってそれを後悔するが、勇敢な騎士にしかこの呪縛を解くことはできない。そのとき、フロレスタンが現われ、魔法使いの差し出す様々な妨害を払いのけて、魔法を解くことに成功する。シルヴィーとテラームは結ばれ、フロレスタンはメリフィールの愛を勝ち取り、フィレーヌはドリーズと結婚する。
 『シルヴィー』はまさにパストラル劇隆盛の幕開けを告げる作品となったが、興味深いことは、王子フロレスタンによる魔界の制覇という、後にオペラで多用されるシチュエーションが登場している点である。こうした状況設定は、ルイ14世の周辺諸国との領土拡張戦争や王位継承権戦争による勝利を魔界に対する征服と見立てるリュリとキノーによるオペラのさきがけと見ることもできよう。また上に見た『リコリス』のように上位者としての神が最後に介入してくることによって状況をひっくり返し、ハッピーエンドにするというパターンもオペラでよく見られるが、この作品のように勇敢な騎士が困難な状況を闘いによって切り開くという設定は見るものにカタルシスを与えるという意味で、非常に大衆受けするものだと言える。
 次はゴンボーの『アマラント』(1631年)を見てみよう。羊飼いのアレクシスAlexisは、かつて難破から救われたことがある。彼はアマラントに対する愛を友人のパレモンPalémonに話す。ディアーヌのニンフのデルフィーズDelphiseがアマラントに夫を選ぶように女神が命じていると知らせる。アマラントの父ダフニスDaphnisは、ティマンドルTimandreがいなくなった息子のポリダモンPolydamonと一緒に戻ってくるという夢を見たと話す。ティマンドルの娘でポリダモンの妹のオロントOronteはアレクシスを愛するが、アレクシスが兄のポリダモンだと分かる。アレクシスの友人のパレモンはアマラントの気持ちをメリートに問いただす。アマラントはアレクシスを迎えるが、よそよそしく、求婚者として認めない。アレクシスはオロントの求愛を拒否する。オロントは嫉妬して復讐をしようとする。牧神につかまったアマラントをアレクシスが解放する。そのとき彼女は腰紐を失う。アレクシスはそれを見つけ、戻ってくる。パレモンが彼を勇気付ける。オロントはアレクシスが眠っているのを見つけて、彼からアマラントの腰紐を取り上げる。絶望するアレクシス。アマラントの求婚者たちが集合し、ダフニスが彼らに彼の娘アマラントの意志を知らせる。彼女は彼女の腰紐を持ってきてくれるか、鹿を最初に殺す人を選ぶだろう。求婚者たちは狩に出て行く。アマラントはアレクシスも無関係ではないとメリートにそれとなく分からせる。ダフニスは娘の夫としてはアレクシスは貧しすぎると思っている。アレクシスの矢によってしとめられた鹿が見つかる。その首にはこれを射た者は罰せられるというディアーヌの書きおきが付けられている。ティマンドルが旅から戻ってくる。ディアーヌに従うためにアレクシスは死刑に処せられようとしている。いまや彼を愛しているアマラントは彼と一緒に死のうとしている。ティマンドルはアレクシスが自分の息子だと分かる。オロントはディアーヌの命令はじつは自分が書いたものだと告白する(6)
 『アマラント』が上演された1631年はパストラル劇の転機の年とされている。1624年から31年にかけてパストラル劇の絶頂期を迎えた後、1634年に上演されたメレの『ソフォニスブ』やロトルーの『瀕死のヘラクレス』といった本格的な古典主義的悲劇の登場によって、その地位を悲劇に譲ることになからである。これ以降、パストラル劇は、筋の複雑化、巨人、未開人、亡霊、魔法使い、さまよえる騎士などの登場人物の導入などによって、徐々に悲喜劇へと変化していくことになる(7)


3.パストラルと仕掛け芝居(8)
 ところで、フランス語オペラの創始にいたる過程を検討するという本論の目的から見て、注目すべき動きが1647年に起こる。パレ=ロワイヤル座でイタリア・オペラの『オルフェオ』が上演されたのである。このオペラは当時宰相をしていたマザランがフランスへのオペラ導入を目指して国王ルイ14世にオペラを紹介するために上演させたものであった。注目すべきはこのオペラの上演のために舞台装置家のトレッリがヴェネチアから招聘されたことにある。彼は当時の最新式の舞台装置をフランスに紹介し、オルフェオを中空で移動させ、人々の度肝を抜いたのであった。その後、再建されたばかりのマレー座が経営危機を乗り越えるために仕掛けを導入し、フランスの商業劇場でも仕掛け芝居が上演されることになる。1648年に、イタリア・オペラ『オルフェオ』人気に便乗して、同じ主題の『仕掛けの記念すべき一日またはオルフェとユリディスの結婚』を皮切りに、クロード・ボワイエの『シルセの島のユリス』(1648年)、ジャン・ロトルーの『ヘラクレスの誕生』(1649年)を立て続けに大成功させ、この時期マレー座は仕掛け芝居を売り物にして評判を呼ぶ。そして1650年にパレ=ロワイヤルでコルネイユの『アンドロメード』が上演された。これは上でも触れたように、イタリア・オペラ『オルフェオ』を紹介することでフランスにもフランス語オペラを創始せんとしたマザランがコルネイユに依頼して書かせたもので、すでに1647年はでき上がっていたが、フロンドの乱の勃発などによって延期され、1650年になってやっと上演されたのだった。
 『アンドロメード』(9)のあらすじを見ておこう。
 プロローグは、中央に深い洞窟をもつ巨大な山のふもとが舞台である。洞窟の先には海が見える。山の上空に悲劇の女神メルポメーヌが宙乗りによって登場し、同じく宙乗りによって、四頭の馬に引かれた光り輝く車に乗って進む太陽神を止めて、国王ルイ14世を楽しませるために準備した豪華な催し物を見ていくように勧める。女神は太陽神の車に乗り込み、ルイ14世の栄光を称える歌を歌い、それを他の地でも広めようと立ち去る。
 第一幕の舞台はエチオピア王国の首都の広場。かつてエチオピアの国では、女王のカシオープが娘のアンドロメードの美しさを海のニンフたちに自慢したために彼女たちの怒りをかい、大津波や怪物の襲撃を受けて多くの民が死んだ。神託を受けて、アンドロメードの婚礼は延期され、怪物の怒りが静まるまで毎月娘が生贄として差し出されてきた。今度はアンドロメードがその生贄として指名されたというのだ。国王、女王、アンドロメードの結婚相手のフィネ、ペルセがどうすべきか議論しているとき、天上からヴェニュスが降りてきて、神々はアンドロメードとフィネの婚礼を許し、花を添えるために、式に参列することになったと告げる。
 第二幕の舞台は彫像やジャスミンの木に縁取られ、中央にオレンジの木でできたアーケードのある庭園。アンドロメードがニンフたちと婚約者のフィネのための花飾りを作っているが、その会話の中から、ペルセがアンドロメードのことを愛しているらしいことが分かる。フィネは小姓にアンドロメードが太陽を凌駕すると歌わせる。フィネが戻ってきて、フィネの小姓とアンドロメードのニンフの歌が合唱とともに二人の婚礼を祝福しているところへ、フィネの従者がやってきて、アンドロメードが最後の生贄として選ばれたと告げる。父であり国王であるセフェも許婚のフィネも絶望を口にするが、アンドロメードはけなげにも内面の苦悩を押し殺して、みんなのためになるのなら潔く生贄になろうとする。フィネが神々に対する冒涜的な言葉をはいているとき、天上からエオールが風の神とともにやってきて、アンドロメードを連れ去る。ペルセが彼女を助け出すと国王に約束する。
 第三幕の舞台は両側に切り立つ岩山をもつ入り江。手前は岸辺になっており、そこにアンドロメードの母親一行がいる。彼女たちの見ている前で、風の神に連れ去られたアンドロメードが岩山の足元の水辺にくくりつけられる。それを見た母親のカシオープはアンドロメードをこのような目にあわせることになった神々に対する侮辱の罪は自分にあるのだから、自分を罰してくれるように嘆願する。それがかえって神々の怒りを刺激することになり、怪物を呼び寄せることになる。そこへペガサスに乗ったペルセが上空に現われる。合唱が勇敢なる者こそアンドロメードを手に入れるにふさわしいと歌っている間、ペルセは怪物と戦い、勝利する。ペルセが父ユピテルの命令として、アンドロメードをもとの場所に連れて帰るようにいうと、風の神たちはそれに従って、アンドロメードを再び上空に連れ去る。一同が退場した後、ネプチューンのニンフたちが登場し、口々に無視された怒りを言い合っていいるところへネプチューンが現われ、復讐を誓う。
 第四幕の冒頭、アンドロメードを助けたペルセはアンドロメードに自分を愛してくれるように求める。それを約束したアンドロメードのところへフィネがやってくる。自分がアンドロメードを救えなかったことについてフィネがあれこれ言い訳をするので、アンドロメードは命をかけて自分のために闘ってほしかったと不満を一気に爆発させる。愛されているかどうかの確信もないのに愛するネレのために命をかけた二十人の恋するものたちと、愛されていたのに愛する人が死んでも生き延びることを考えていたフィネを比較して、フィネが取った行動がいかに愛にそむくものであるかをアンドロメードは訴え、立ち去る。フィネはペルセと戦う決心をする。そこへジュノンが孔雀に引かれた豪華な車に乗って天空に登場し、彼にその庇護を約束する。一方、アンドロメードの両親やペルセたちは神殿に行って婚礼の儀式を執り行おうと喜ぶ。
 第五幕では、アンドロメードが自分を捨ててペルセを選んだことに納得がいかないフィネはペルセに決闘を挑み、返り討ちに合う。国王、女王、アンドロメード、ペルセは神殿に行くが、その門はすべて閉じられていて、彼ら一同を不安にさせる。そのときジュピテルが光り輝く王座に座って天上から降りてきて、息子のペルセとアンドロメードの婚礼を認めると同時に、神の息子の婚礼として地上はふさわしくないから、一同を不死にすることを約束して天上に誘う。合唱とともに幕が下りる。
 『アンドロメード』はイタリア・オペラの『オルフェオ』を真似て、フランス語オペラの創始をめざして作られたとはいえ、オペラにはなっていない。その理由は、台詞が歌われない、つまりレシタティフもエールもないからである。歌われたのは合唱部分だけであった。しかも、通常の台詞がアレクサンドランで書かれていたのに対して、合唱の歌詞は音楽に合わせるべく自由韻文詩が使われていた。しかし合唱に関しても、こうした詩形式上の工夫にもかかわらず、歌詞が聞き取りやすいようにということで、その音楽(10)は同じ旋律形を全声部が歌うホモフォニー形式で書かれていたり、その歌詞も登場人物の台詞の繰り返しであった。要するに、音楽があまり重要性を持っておらず、音楽劇と言えるようなものではなかった(11)。ただ、『オルフェオ』と同じように、スライド式張物による迅速な場面転換や宙乗りなどの仕掛けが多用されることで、驚異によって目を楽しませ、音楽によって耳を楽しませる「第三のジャンル」として後に規定されることになるフランス・オペラの方向性を予告するものとなっていることは疑いない。
 マレー座が迅速な場面転換や宙乗りなどを見せる仕掛け芝居で大入りを続けているのを見て、1655年頃からオテル・ド・ブルゴーニュ座でも仕掛けを導入することになった。1657年にはガブリエル・ジルベールの『ディアーヌとエンディミオンの恋』(12)で人気を博した。その結果、中空での飛翔を可能にする宙乗りの仕掛けや突然の舞台転換を可能にするスライド式張物といったイタリア・オペラの最新式の舞台装置が、この時期からフランスの商業演劇でも一般化するようになり、芝居の内容も悲劇や喜劇から、徐々にオペラを思わせるような神話的牧歌劇(パストラル・エロイック)、すなわち恋愛主題につきものの神話的人物―ジュピテル、ヴェニュス、キューピッド、バッカス等―やニンフもしくは羊飼いのあいだの愛憎をテーマにして、仕掛けが驚異の見せ場を作り、音楽や舞踏によって彩りを添えた芝居が増え、しかも大衆の人気を獲得するようになってきた。たとえば、1661年マレー座で上演されたコルネイユの『金羊毛』、同じくマレー座で1666年に上演されたボワイエの『ジュピテルとセメレの恋』、同じボワイエの『ヴェニュスの祭り』(1669年、マレー座)、ジャン・ドノー・ド・ヴィゼの『ヴェニュスとアドニスの恋』(1670年、マレー座)(13)、モリエールの『プシシェ』(1671年)などである。
 『プシシェ』(14)は1671年1月17日、チュイルリー宮で初演された。チュイルリー宮は、仕掛け芝居用にイタリア人舞台装置家ヴィガラーニによって設備を整えられ、1662年に『恋するヘラクレス』で柿落としをした劇場である。『恋するヘラクレス』で使われた地獄の場面の舞台装置を再利用せよという国王からの注文を受けて製作された芝居である。全体の構想とプロローグと第一幕、第二幕第一場、第三幕第一場をモリエール、モリエールが担当した以外の韻文をピエール・コルネイユ、イタリア語の嘆きの歌以外の歌詞部分をキノー、イタリア語の嘆きの歌の歌詞、音楽、ダンスをリュリが担当している。モリエールとリュリが推し進めた音楽劇の最も完成された形の作品だと言える。一般観客向けには1671年7月24日にパレ=ロワイヤル劇場で公演が始まったが、モリエールは『プシシェ』公演のために、多額の費用をかけてこの劇場の改修を行った。豪華なスペクタクルによって観客をひきつけ、初演から記録的な大入りとなった。
 あらすじを見ておこう。プロローグでは、舞台前方には田舎の風景、奥には中央に開口部のある岩山があり、その開口部から遠景として海が見える。フローラは世界一偉大な王がこの地に平和をもたらしたから、地上に降りてくるようにとヴェニュスに誘い、その他の神々もヴェニュスと息子キューピッドがいらっしゃるから、恋をしようという歌を歌う。ヴェニュスはキューピッドや美と優雅の女神(エジアールとファエーヌ)とともに大きな仕掛けに乗って空から降りてくると、いまや自分は人間たちに忘れ去られ、人間の娘プシシェが自分よりも美しいと崇められていることにたいする激怒を口にする。人間というのはそういうものだという女神たちの慰めにも耳を貸さず、ヴェニュスは息子キューピッドに、その愛の矢でプシシェが「誰よりも卑しく下品で恐ろしい人間」に狂った恋をするようにして復讐してくれるように言い渡す。
 第一幕の舞台は大きな町、宮殿や屋敷が見える。プシシェの二人の姉アグロールとシディップは、さまざまの国の王子たちの恋心がみんな自分たちを通り越して末の妹プシシェにばかり向けられるので激しい憤りを打ち明けあっている。二人は気高い誇りとか女としての慎みを捨てて、女のほうから誘いをかけているからプシシェは王子たちの心を虜にすることができるのだろうと考え、自分たちもプシシェのやり方を試してみようということになる。ちょうどそこへ二人の王子クレオメーヌとアジェノールがやってくる。二人の姫は彼らにいろいろ話し掛けるが、かれらはプシシェのことが気がかりで、まったく二人の姫には関心がない。そこへプシシェが登場する。二人の王子はその恋心の思いのたけを告白するが、プシシェは拒否して、二人の姉を選んだらどうかと提案し、四人を怒らせる。そこに召使が運命の神々から王に使わされたお告げを知らせる。それはプシシェは山の頂に連れて行かれて、そこへ蛇の姿をした恐ろしい怪物を夫とせよというものであった。
 第一幕間劇の舞台は身の毛もよだつ岩山、遠景には恐ろしい洞窟が見える。悲しみに打ちひしがれた人々がプシシェの不幸を嘆いている。ある者は嘆きの歌を歌い、またある者たちは悲嘆の気持ちを表すためにダンスを踊る。一人の女と二人の男によって「イタリア語の嘆きの歌」が歌われる。この嘆きの歌の合間と最後にバレが踊られる。
 第二幕では、恐ろしいお告げを知った王は神々の冷酷さを嘆き、苦しみ、悲しみをプシシェの前でさらけ出す。プシシェは気丈にもこの運命に耐えるように、神々を侮辱することのないようにと父を諭す。また一緒に死ぬと言う二人の姉に対しては、父を助けるようにと助言する。ところが二人の姉はプシシェが自分たちを迷惑がっていると勘違いして立ち去る。今度は二人の王子が現れ、怪物を退治するか、プシシェの後を追って死ぬと言う。プシシェは二人の姉のために生きてほしいと言う。そのときプシシェはゼフュロスによって空中にさらわれる。
 第二幕間劇の舞台は壮麗な宮殿。これはキューピッドがプシシェのために用意したもの。六人のキュクプロスが四人の妖精とバレを踊る。妖精たちが運んできた四つの大きな銀の水がめに、巨人たちは最後の仕上げをする。その間に彼らを指揮しているウルカヌスが、愛の神キューピッド様に頼まれた仕事を急いでやるようにとエールを歌う。
 第三幕の舞台は第二幕間劇の壮麗な宮殿。これはヴェニュスの命令に反して、プシシェに恋してしまったキューピッドが子どもの姿から立派な大人に姿を変えて、プシシェの心を射止めるために作らせた宮殿である。プシシェの前にキューピッドが現れると、プシシェはたちまち彼に心を奪われる。この宮殿に一緒に暮らしてほしいというキューピッド(プシシェはキューピッドとは知らない)の申し出を受け入れたプシシェが、自分が死んだと思って泣いている父と二人の姉を連れてきて、この喜びを知らせてやりたいと言うと、キューピッドはゼフュロスを行かせる。
 第三幕間劇は四人のキューピッドと四人のゼフュロスによるバレ。その間にキューピッドとゼフュロスが、恋の苦しみも愛し愛される一瞬の幸せで報われると恋の歌を二回歌う。
 第四幕では舞台が別の宮殿に変わる。奥には玄関が見え、それを通してオレンジの木やあらゆる種類の果物の木で飾られた、魅力溢れる庭園が見える。この宮殿に連れてこられた姉たちはプシシェとの再会を喜ぶどころか、プシシェが神々を従えて、すばらしい宮殿に住んでいることに嫉妬を募らせる。二人の姉はプシシェを困らせてやろうと、プシシェを囲っている王子(キューピッド)が何者か分からないということを強調して、プシシェを疑心暗鬼に陥らせる。キューピッドと二人きりになると、プシシェはこの愛する人が誰なのか教えてほしいと言う。キューピッドはプシシェのためにはなんでもするが、二人の愛を失うことになるからと説得するが、プシシェがどうしてもと言い、キューピッドは自らの矢で自分を傷つけてプシシェの虜となったと告白し、姿を消す。それと同時に豪華な宮殿も消え、プシシェはひとり広大な平原の中に取り残される。プシシェは絶望して川に身を投げようとするが、川の神に止められる。川の神はヴェニュスが激怒して復讐しようとしているから逃げるようにと勧める。だが、プシシェは死を覚悟する。ヴェニュスが現れ、プシシェのために自分の権威が失墜したことに激怒する。母親への義務を果たさないキューピッドにも激怒しているヴェニュスは、プシシェを地獄に送る。
 第四幕間劇の舞台は地獄。火に包まれた海は絶えず波打ち、燃え盛る廃墟に囲まれている。波の中央には地獄の王プルトンの地獄の宮殿が現れる。そこから八人の復讐の女神エリニュスが飛び出し、バレを踊る。彼女たちは、神々の中で一番気立ての優しい女神の心に激しい怒りの火をつけたことを喜んでいる。一人の小鬼が危険なジャンプを繰り返し、踊りに華を添える。ヴェニュスの命令で地獄に渡ったプシシェは、地獄の女王プロゼルピーナからヴェニュスへと託された小箱を手にして、カロンの小船に乗って戻ってくる。 第五幕では、プシシェはキューピッドを怒らせてしまったことだけを悔い、もう一度会いたいと独白する。そこにプシシェの後を追った二人の王子が現れ、自分たちはキューピッドのおかげで愛の幸せの国で暮らしていること、プシシェの二人の姉たちはその嫉妬ゆえにキューピッドに罰せられさまざまな責め苦にあっていることを教える。二人と別れたプシシェは、すっかりやつれた自分の姿を見て、もう一度あの美貌を取り戻したいと、プロゼルピーナがヴェニュスにあてた小箱を開けてしまう。煙にまかれてプシシェは気を失う。キューピッドがプシシェのそばに飛んで降りてくると、プシシェを抱きかかえ、プシシェへの変わらぬ愛を繰り返し、プシシェを追い詰めた母ヴェニュスに復讐を誓う。そこへヴェニュスが現れる。キューピッドはプシシェを返してくれるようにヴェニュスに懇願する。それを見てヴェニュスは心動かされ、プシシェを元通りに美しくしてあげるが、キューピッドの結婚相手は自分が選ぶという。自分と母とどちらが正しいかジュピテルに決めてもらうことになる。ジュピテルが登場する。ジュピテルはキューピッドを許してやるようにと促すが、ヴェニュスはプシシェが人間のままでいることが耐えられないというので、ジュピテルはプシシェに永遠の命を与えて神とすることで解決する。全員一緒に仕掛けに乗って天に上る。仲直りを祝って、神々が楽器演奏、歌、ダンスで婚礼を祝う。
 モリエールの『プシシェ』は、フランス語のレシタティフは不可能だと考えていたリュリの考えが反映され、オペラのように全編を歌うのではなく、幕間を挿入して、歌、踊りなどのディヴェルティスマンをそこに集めるという形式が取られている。これはモリエールがリュリと協同で作り上げてきたコメディ=バレという形式の最も発展した姿であり、ペランとカンベールの『ポモーヌ』がなかったら、またモリエールがこの二年後に死ぬということがなかったら、おそらくフランス語音楽劇はこの形式をさらに発展させた形で進んでいったに違いない。しかしこの二ヶ月後に全編を歌う『ポモーヌ』の上演によって、リュリはこれまでの形式を捨てて、フランス・オペラの創始へと向かうことになる。


4.ペランとカンベールによるフランス語オペラ
 『ポモーヌ』は1671年3月3日、ブテイユ球戯場で初演された。歌詞はピエール・ペラン(15),音楽はロベール・カンベール(16)、舞台装飾はスルデアック侯爵(17)であった。ペランによると146回(7ヶ月から8ヶ月のあいだ)も上演され、大成功を収めた。公開上演されたフランスで最初のフランス語オペラの大成功に一番衝撃を受けたのは、ほかならぬリュリであった。まずこのオペラのあらすじを見ておこう。
 このパストラル・オペラはプロローグと五幕によって構成される。まず、プロローグでセーヌ川のニンフと収穫の神であるヴェルチューヌがルイ14世を新しき軍神、パリを新しきローマと譬えて、ルイ14世の時代が繁栄したローマの再来だと称える。甘美なる音と魅惑的な幻影によって彼を魅了しようと申し合わせる。
 第一幕は果実の女神であるポモーヌの果樹園が舞台になっている。ポモーヌと彼女のニンフたちは、恋は人を苦しめるものだから、色恋やそれをこととする羊飼いたちも避けて楽しく暮らそうと歌う。恋愛を避けて生きているポモーヌを引き出そうとして、彼女を愛している庭園の神と牧神がやってくる。二人は歌と踊りを競い合い、ポモーヌにどちらかを選ぶように言うが、ポモーヌは姉のフロールを使って彼らにアザミの冠と茨の冠を与えさせる。一同が踊りながら退場すると、ヴェルチューヌが現われ、ポモーヌへのかなわぬ恋を吐露する。
 第二幕は舞台が樫の木庭園に変わり、ポモーヌの乳母のベロエが若さが失われてもヴェルチューヌへの恋心が失われないことを嘆いている。そこへヴェルチューヌがやって来て、こちらもポモーヌを愛しているのに相手にしてもらえないことを嘆く。ベロエがうるさく付きまとうので、ヴェルチューヌはドラゴンに変身して脅かすが、ベロエは愛する人に引き裂かれて死ぬのなら本望だと歌う。そこへ雷鳴とともに、恐ろしげな亡霊の姿に変身したいたずら妖精たちが登場し、彼女を連れ去ろうとする。そこへ庭園の神と庭師たちが登場し、ベロエを助けようとするが、いたずら妖精たちが今度は、庭師たちの好きな相手に変身して彼らの郷愁を誘う。庭師たちが妖精たちキスしようとすると、茨に変身する。
 第三幕では、ニンフたちといるポモーヌの前に、宝の神に変身したヴェルチューヌが現われ、あたりを金色の宮殿に変え、ポモーヌを誘惑しようとする。ポモーヌがそんなものでは誘惑されないと言うと、ポモーヌの好きな果実を金やザクロやルビーでできたものに変えて気を引こうとする。つれなくされたヴェルチューヌは金色の宮殿もろとも消え去る。今度はバッカスに変身して、サチュロスとともに登場する。それを見破ったポモーヌはシードルもぶどう酒に負けてはいないとバッカスをからかいながら立ち去る。そこへやってきた牧神がぶどう酒を振舞ってくれと頼むと、景気よくぶどう酒が振舞われるが、じつはただの水だった。
 第四幕はポモーヌの果樹園で、どうしてもポモーヌの心をつかむことができないヴェルチューヌは、彼女の乳母のベロエに変身する。愛があってこその人生だというフロールと議論しているポモーヌから意見を聞かれたベロエ(ヴェルチューヌが変身している)は、ヴェルチューヌのポモーヌへの愛情が本物であると話すが、先ほどまで隠れてみていた本物のベロエが出てきて、じゃまだてをする。ところが本当の姿をあらわしたヴェルチューヌの真情の吐露にポモーヌは心打たれ、彼の愛を受け入れる。
 第五幕はディヴェルティスマンの幕である。ヴェルチューヌは宮殿を建てさせ、一同がそこで二人の結婚を祝福するために歌ったり、踊ったりする。
 フランス語によるオペラを創始しようと模索する者たちにとって乗り越えるべき最大の問題点はいかにしてレシタティフ(レチタティーヴォ)を作るかいうことであった。というのは、16世紀の末に古代ギリシャ悲劇復興を目指して研究を重ねていたフィレンツェのカメラータたちは、古代ギリシャの悲劇では、台詞の一音節に一音符が対応する形で歌うように物語る朗誦法が使われていたと考えて、それまでの多声音楽を排して、通奏低音のついた単声音楽を提唱したのであり、このような一音節に一音符が対応するシラビック形式は、どの音節も明瞭に発音されるイタリア語には都合がよかったが、曖昧音や無音の e を含み、さらに母音字省略やリエゾンなどの発音特性をもつフランス語にはなじまないと考えられていたからである。サン=テーヴルモンはフランス語レシタティフを滑稽だと考え、筋の進行は朗誦によって、真情の吐露はエールによってという使い分けの必要性を主張している:

私の考えでは,次のように分担が行われるべきです.筋や事件に関わること,助言や筋の進行に関わることは朗唱する俳優に属し,歌手がそれらを歌えば滑稽になります.ギリシャ人は優れた悲劇を作っていましたし,そこで若干の部分を歌っていましたが,イタリア人とフランス人は全てを歌うというばかげたことをやっているのです.(18)

 そこでペランはこの問題を回避することで解決しようとした。ペランは言う:
この欠点を避けるために、私は私のパストラル全編を、情念的なもの、喜怒哀楽、嫉妬、絶望などの表現で構成した。そしてそこから重々しい理屈も、策略もすべて排除した。その結果、どの場面も非常に歌いやすくなったので、シャンソンやディアローグの形に曲付けできないような場面は一つもない[...]。(19)

ここでペランが言おうとしていることは、こうである。通常オペラでは山場、聞かせどころとして、エールや二重唱があり、そこでは主人公たちが情念的なもの、つまり「喜怒哀楽、嫉妬、絶望など」を表現する。そしてそれらをつなぎ、話しの流れを作っていくのがレシタティフである。しかしフランス語のレシタティフを作ることは困難なので、込み入った話しを排除して、エールの次にすぐ別のエールが来ても、その連関が分かりやすいような内容にしたということである。『ポモーヌ』では、ペランによる巧みな演劇詩の創作によって、レシタティフがなくても、エール(アリア)や二重唱(ペランがシャンソンやディアローグと呼んでいるもの)だけで話しの進み具合が理解できるように構成されている。レシタティフは、これを定義すること自体が相当困難な作業を必要とする問題ではあるが、少なくとも器楽伴奏を伴う音楽的朗誦の一種と定義することが可能である。レシタティフによって物語が進められ、エールによって主要な登場人物の劇的な真情の吐露が行われることで、悲劇は音楽悲劇、オペラとなるのであって、レシタティフの存在こそがオペラの根本原理だと言っていいのである。この意味では、真のオペラの創始はまだ始まっていないと言える。
 『ポモーヌ』を書くにあたって、フランス語レシタティフの問題解決を回避したペランが、その努力を傾注したのは、詩を音楽に合わせるということであった。フランス語の詩の定型といえばアレクサンドランが一般的だが、ペランはこの詩形式は音楽には合わないと考えて、自由韻文詩を提唱する:
さらに言えば、私はアレクサンドランではなく音楽劇用韻文 vers lyrique で作品を作った。その理由は、区切りと脚韻の多い短い韻文のほうが、歌にはふさわしいし、息継ぎの回数が増える声には便利だからである。さらにそれらは変化に富んでいるので、美しい音楽が要求する絶えざる変化にもうまく適応する。(20)

 具体的に見ていこう。第一幕冒頭でポモーヌがニンフたちと歌うエール:(譜表A)(21)

一小節目の三拍目から、すなわちアウフ・タクトで入る"Passons nos jours..."という第一詩行からポモーヌとジュチュルヌが一緒に歌う第五詩行までは、八音節もしくはその半分の四音節であるが、音楽は四分の三拍子のハ長調で作られている。それぞれの小節にはたいてい歌詞の三音節分が割り当てられている。歌詞が四音節で一つのまとまりを持っているので、三拍子の音楽と微妙なゆれを示すことになる。

上の譜表Bはリトルネッロをはさんでポモーヌが歌う"Qui voudra s'engage"(22)である.同じ三拍子に今度は六音節の歌詞であるが、あえてどの小節も二音節しか使わないように作られている。それもまた微妙なゆれを示すことになる。それはまさにポモーヌ内部のゆれ―恋の喜びは生きてみたいが、それに付き物の恋の苦しみゆえに、恋を捨てて生きようとする女の心―を表現することになる。
次に、第一幕で庭園の神と牧神が登場する場面を見てみよう。譜表C(23)

庭園の神の歌詞も相変わらず音節数が一定していないが、先ほどのポモーヌの冒頭のエールとは違って、一音節に一音符をあてるシラビックな形式が用いられている。しかも二分の三拍子にすることで、早口で歌ったかと思えば、次には一音節に二分音符を使ってゆっくりと歌わせるというような工夫がされている。さらに興味深いのは、その次の牧神と庭園の神が似たような歌詞を歌う場面では、一音節に一音符が対応するというだけでなく、四分の三拍子で一音節に四分音符を一つづつ並べ、しかも同音を四つないしは三つ並べることで滑稽な感じを出している。こうした工夫によって、歌詞と音楽の両方がぴったり重なりあい、ポモーヌを愛しているがポモーヌからは馬鹿にされているという多少とも滑稽味を帯びた二人の性格が絶妙に表現されている。
 形式的には、演劇詩の常道であるとされていたアレクサンドランを捨てて、自由韻文詩の形式を取ることで、ペランは音楽をつけて歌うのに適した音楽劇詩"poeme lyrique"とでも言えるような詩の形式を発見したといえる。それは決して一朝一夕の仕事の結果ではなく、1659年に『イシーのパストラル』を含めて、多くの音楽家と仕事をすることで、この詩人が手にすることができた「技芸の秘密」であった。ペランは当時多くの音楽家(Moulinie, Lambert, Cambert, Cambefort, Jean-Baptiste Boesset, Blondel, Bacilly)のために詩を書いたが、それらの特徴を一言でいえば、音楽にうまく合っているということである。「したがって疑いなくペランは語と音との連合の神秘について何かを理解していたのだろう」とボーサンも指摘している(24)。こうした詩の形式については、『ポモーヌ』初演の当初は―そしておそらく18世紀の半ば近くまで―賛否こもごもの反響があったことは言うまでもない。だがペランが作り上げたこの自由韻文による音楽劇詩は、モリエールと組んでいた頃にはフランス語オペラに否定的なリュリの見方を変えさせることになる。後年リュリの盟友となり、フランス・オペラを創始することになるキノーは、もともと劇作家であり、多くの喜劇、悲喜劇、悲劇をすべてアレクサンドラン形式で書いていたが、リュリのために彼が書くオペラのための詩はすべて自由韻文詩が用いられることになる。


5.おわりに
 パストラル劇の定番といえば、ラカンの『牧人の歌』(25)が典型的に提示しているようなamours contrairesである。つまり羊飼いAは羊飼いの娘Bを愛しているが、Bは別の羊飼いCを愛しており、Cは別の羊飼いの娘Dを愛している。そしてDは羊飼いAを愛している、という循環的恋愛構造である。また、デュルフェの『シルヴァニール』(26)が典型的に描いたような「理想的な愛」である。アグラントの求愛をずっと拒否していたシルヴァニールは横恋慕をしているティラントの鏡のために瀕死の状態になり、それを見たアグラントは絶望に気を失ってしまう。目覚めたシルヴァニールは気を失ったアグラントを見て愛を両親に打ち明ける。そして息を引き取る。その後意識を取り戻したアグラントはシルヴァニールを見て命を絶とうとする。まるでシェイクスピアを思わせるようなこうした「理想的な愛」の形はこの時期のパストラル劇の底流となっていた。それゆえにこそ、約40年後にモリエールがコメディ=バレで喜劇の合間に幕間劇を挿入するときに利用したパストラルがほぼこれらの定番を踏襲することになる。
 仕掛け芝居の登場は、パストラルを神々の世界に移すことになる。なぜなら仕掛けを最も効果的に見せるのは中空を飛ぶものを見せることだからである。雲や車に乗って空を飛べるのは神々しか存在しない。そして神々の中で恋愛をその主領域とするのはヴェニュス、その息子キューピッド、ジュピテル、その妻ジュノン、ディアーヌ等々の神々である。そしてこうした神々の登場や退場にはそれなりの音響が伴うし、恋愛にはディヴェルティスマンが付き物である。それはまだ自然現象を模倣した音楽であったり、バレ音楽であったりする限りでは、けっしてオペラと言えるものではないが、その一歩手前まで到達していることは確かである。


<註>
(1) イシーの城館で上演されたパストラルなのでこの名称で呼ばれている。なお、これに先立つ1655年1月22日にCharles de Beysの『キューピッドの勝利』がMichel de La Guerreの音楽をつけて、ルーヴル宮のマザラン卿のアパルトマンでルイ14世列席のもとにコンサート形式で上演され、1657年の3月26日には舞台上演の特権が与えられているが、最初から最後まで歌うというオペラの基本的形式から見ると、この作品はまだオペラとは言えない。
(2) デュルフェは1627年に死去したが、その翌年の1628年にはデュルフェに代わってバルタザール・バロが最終の第五部を書き上げて出版した。
(3) Jean Mairet, La Silvanire, ou la Morte vive, in Théâtre du XVIIe siècle, textes choisis, établis, présentés et annotés par Jacques Schérer, " Bibliothèque de la Pléiade ", t.I, Gallimard, 1975.
(4) Jules Marsan, La Pastorale dramatique en France, 1905, Slatkine Reprints, Geneve, 1969, p.309.
(5) Jean Mairet, La Sylvie, in Théâtre du XVIIe siecle.
(6) Jules Marsan, op.cit., p.396-397.
(7) Jules Marsan, ibid., p.XI-XII et p.408.
(8) この章の執筆にあたっては、橋本能、『遠近法と仕掛け芝居』、中央大学出版部、2000年に多くを負っていることを記しておく。
(9) Pierre Corneille, Andromède, texte établi, présenté et annoté par Christian Delmas, " Société des textes français modernes ", Didier, 1974.
(10) 音楽はダスーシ(Dassoucy,1605-1679)が担当した。ダスーシはルイ13世、ルイ14世に仕えた詩人、歌手、リュート奏者、作曲家で、主としてポリフォニックな音楽を書いていたが、そのほとんどは残っていない。
(11) 橋本能、p.145.
(12) Gabriel Gilbert, Les Amours de Diane et d'Endymion, tragédie, 1657, in Recueil de tragédies à machines sous Louis XIV (1657-1672), présenté par Christian Delmas, Université de Toulouse-Le Mirail, 1985.
(13) Claude Boyer, Les Amours de Jupiter et de Sémélé, tragédie, 1666, in Recueil de tragédies à machines sous Louis XIV (1657-1672); Jean Donneau de Vise, Les Amours de Venus et d'Adonis, tragédie, 1670, in Recueil de tragédies à machines sous Louis XIV (1657-1672).
(14) Molière, Psyche, tragédie-ballet, 1671, in Oeuvres completes, " Bibliothèque de la Pléiade ", t.II, Gallimard, 1971.
(15) Pierre Perrin (1620-1675)は、詩人にしてフランス・オペラの理論家.1659年の『イシーのパストラル』の成功によって、コルベールに認められて、「オペラ・アカデミー」設立の許可を得た.パリ・アカデミーの第一作がこの『ポモーヌ』であった.スルデアック侯爵とシャプロンとの金銭的紛争で一年投獄され、1672年3月にはリュリに「オペラ・アカデミー」の権利を売り渡すことになる.
(16) Robert Cambert (1627-1677)は、『イシーのパストラル』、『ポモーヌ』、同年の『キューピッドの苦しみと喜び』(詩はガブリエル・ジルベール)などフランス・オペラ創設当初の作品のほとんどの音楽を担当した.リュリがペランから権利を買収し、その後国王の詔勅によってフランスでのオペラ作曲が不可能になるとイギリスに渡って音楽活動を続けた.
(17) Alexandre de Rieux, marquis de Sourdéac (1620-1695)は、非常に高名なフランス貴族の出身だが、1660年にヌブールの城館でコルネイユの『金羊毛』を上演させてから舞台装飾家・装置家として著名になる.1673年にコメディー・フランセーズが創設されてからは81年までそこで仕事をした.長い間、演劇先進国であった当時のイタリアの舞台装置家に肩を並べられるだけの技術を持っていたのは、フランスでは彼のほかにはいなかったらしい.
(18) Saint-Evremond, "Sur les opéras", Oeuvres meslées, t.XI, Paris, 1684, in Textes sur Lully et l'opéra français, Minkoff, Geneve, 1987, pp.89-90.
(19) cité par Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, Gallimard, 1992, pp.447-448.
(20) cité par Philippe Beaussant, ibid., p.448-449.
(21) Robert Cambert, Pomone, pastorale mise en musique, précédé du livret de Pierre Perrin, Ballard, 1672, Minkoff Reprint, Genève, 1980, p.12.
(22) Ibid., p.13.
(23) Ibid., p.21.
(24) Beaussant, op.cit., p.447.
(25) Racan, Les Bergeries, édition critique publiée par Louis Arnould, <>, Klincksieck, 1991.
(26) Honoré D'Urfé, La Sylvanire, 1627, édition établie, présentée et annotée par Laurence Giavarini, Société de littératures classiques, Toulouse, 2001.

[初出掲載誌:『立命館法学別冊・川上勉教授退職記念論集』2004年3月]

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